看病(京版)
「あ、友雅さん。」
前触れもなく庭へと姿を現した友雅に気付いてあかねはぱっと花が咲いたような笑顔を見せた。
「やぁ、神子殿。ご機嫌は麗しいかな?」
「はい、今日は天気もいいですし、頼久さんはお仕事だけど帰りに寄ってくれるって言ってたし。」
縁まで出てそう語るあかねはとても機嫌がよさそうだ。
だが、そんなあかねをいつもなら愛しそうな微笑で見守る友雅の顔には陰りが見えた。
あかねの前でなくともいつもふわふわとしていて、大人の微笑で周囲の人間を煙にまく友雅がこんなにもあからさまに表情を曇らせること自体が珍しい。
だからあかねもすぐにそんな友雅の表情が気になって小首をかしげた。
「友雅さん、何かあったんですか?」
心配そうに、覗き込むように友雅の顔を見つめるあかね。
階を上ってそんなあかねに近づいた友雅は軽いため息をついた。
普段友雅が相手にしている女性達ならばその艶っぽさにうっとりとしたところだが、あかねはというと一層心配げになるだけだ。
「体調でも悪いんですか?」
「私ではなくてね。」
「はい?」
「神子殿、落ち着いて聞くのだよ。」
「はぁ。」
「頼久がね、左大臣殿の警護中に怪我を負ってね。」
言いづらそうな低い声で言う友雅の言葉を聞いたとたんにあかねの顔色はさっと青くなった。
頼久が怪我をしたのは今回が初めてではない。
これまでだって怨霊との戦いで傷つく彼を何度も見てきた。
だが、自分の見ていないところで怪我をされるのは今回が初めてだった。
どれくらい傷は深いのか、命に別状はないのか、痛みで苦しんでいるのではないか。
次々に湧き上がる心配は尽きることがない。
「すぐに治療が施されたが……。」
そこまで言った友雅は苦しげな表情で言い淀んでしまい、いつもの彼からは想像もできない表情にあかねは胸の辺りで両手を硬く握り締め、顔色を青白くして立ちすくんだ。
「まぁ、血も流れていたし、傷を負うと熱が伴うからねぇ…しばらくこちらへは…。」
友雅がそこまで語ったところであかねは行動していた。
もう何も考えることができなくて、ただただ許婚のことが心配でしかたがなくて、その姿を一目見ないと安心などできなくて。
あかねは土御門邸へと自分の屋敷を飛び出していた。
「ふむ、まぁ、しかたがないねぇ。」
そう言ってあかねを追いかける友雅の顔には、何故か笑みが浮かんでいた。
あかねは後ろを友雅が追ってくるのも気付かずに走り続けた。
頼久のことが心配でならない。
剣の腕は武士団随一、共に戦っていた時も戦闘という意味では一番頼りになる八葉だったことは間違いない。
だが、頼久とて人間、怪我もすれば死ぬことだってあり得るのだ。
あかねの心配は尽きなくて、その足の動きは自然と速くなった。
「頼久さんっ!」
叫びながら駆け込んだのは土御門邸にある武士団の棟の一角、頼久に与えられている自室だ。
褥に横になり、痛みに苦しんで呻き声などあげているのではと心配していたあかねが目にしたのはしかし、布で右腕を吊ってはいるがそれ以外はいつも通りの頼久の姿だった。
「神子、殿?」
呆けたようにそう言った頼久を見つめること数秒、あかねはすっかり安堵のために脱力してその場にへなへなと座り込んでしまった。
「神子殿!」
それを見て慌てたのは頼久の方だ。
何故だかわからないが最愛の人が目の前でへたり込んだのだから頼久の慌て様は尋常ではなかった。
すぐに立ち上がるとあかねに駆け寄り、自由になる左手をあかねの肩に置く。
「どうかなさいましたか?」
「ど、どうかなさいましたかって……頼久さんが怪我をしたって聞いたからもう…びっくりして……心配で心配で……。」
そこまで言うとあかねはとうとう泣き出してしまった。
緊張の糸が切れたのか勝手に涙が出てきたのだ。
「神子殿にご心配頂くほどの怪我ではありません。」
「本当に?」
そう言って見上げるあかねの涙に潤んだ瞳が愛しくて、頼久は左腕一本であかねの肩を優しく抱き寄せた。
「はい。右の二の腕に切り傷を負いまして、肘にも打撲がありますが、すぐによくなります。」
「き、切り傷ってっ!刀傷ですかっ?!」
「はぁ、賊の太刀をかすってしまいまして…私もまだまだ修行がたりないようです。」
実際には左大臣を身を挺してかばったために負った傷なのだが、頼久はそのようなことをくどくどと説明するようなことはしない。
「修行が足りないとか、そういう問題じゃないです!今は傷が治るように安静にしてないとっ!」
「安静とおっしゃられましても…それほどの傷では…。」
抱きしめていた頼久の腕からするりと逃れたあかねは不機嫌そうな顔で頼久をきりっと見つめた。
「ダメです!これからはずっと私が側で看病しますからっ!」
「はい?」
「だってそれ、頼久さんの利き腕じゃないですか。ご飯だって食べづらいし、着替えだってできないでしょう?だから、その怪我がすっかり良くなるまで、私、頼久さんのお世話します!」
「いや、あの、それほどのことでは…。」
「ダメです!やります!だって私、頼久さんの許婚ですからっ!」
許婚だからといってそんなことをする必要はこの世界では全くないのだが、あかねは頑として譲らない。
だいたいこの京で龍神の神子ほどの身分の女性が自ら誰かの世話をしたりなどしないのが常識なのだが、それはそれ、異世界からやってきたこの天女にその常識は通用しないのだ。
「ではその…ここでは武士団の者が多数おりますので…。」
「あぁ、落ち着いて療養できませんよね。じゃぁ、私達の屋敷でゆっくりしましょう!」
そう言ったあかねはすと立ち上がると頼久の左腕をとって歩き出す。
困ったようなそれでいて嬉しいような笑みを浮かべた頼久は、あかねに手をとられて歩きながら行き違った友雅に鋭い一瞥を投げた。
愛しい許婚がどうしてこんなにも早く自分の負傷を知ることになったのか。
その原因はこの人かと思い当たったのだ。
だが、一瞥された友雅の方は「礼の一つも言ってくれ」と言わんばかりに不敵な笑みを浮かべていて、武士団の部下ならば縮み上がる頼久の一瞥さえも全く効果がないようだった。
「はい、頼久さん、あーんして下さい。」
食事の膳からおかずを一品箸でつまんで楽しそうに微笑むあかね。
そんなあかねを前に頼久は苦笑していた。
確かに右腕は使い物にならず、右利きの頼久としては食事一つ箸を使ってはできないのだが…
手づかみで食べれば何一つ支障はない、しかし、あかねがそれを許してくれなかった。
頼久の看病をするとはりきったあかねは早速その夕餉から頼久に手ずから食事を口に運ぶという暴挙に出て頼久を戸惑わせた。
いくら許婚だからとはいえ、先日まで龍神の神子、主として仕えていた女性からこのようなことをされるとは、頼久にとって戸惑わずにはいられない事態だ。
だが、目の前の愛しい人はこの作業がとても楽しいらしくて、抗うことはできなくて、苦笑しながらも頼久は口を開くしかなかった。
「おいしいですか?」
「はい、とても。」
答えた頼久の言葉は決して嘘でもお世辞でもない。
いつもと同じいつもの食事なのだが、目の前の愛しい許婚が食べさせてくれるというだけでこんなにもおいしく感じるものなのかと頼久自身が驚いているのだ。
「よかったぁ。次、どれにしますか?」
あかねは果てしなく楽しそうだ。
いつもよりかなり時間をかけて、それでも楽しく二人は夕餉を終えた。
そして、夕餉を終えて一段楽してもあかねはとても楽しそうで、頼久はふと何がそんなに楽しいのかと不思議になった。
「神子殿。」
「はい?」
「その…ご迷惑をおかけして申し訳ございません。」
楽しそうにしているそのわけを聞きたくても口下手の頼久にはそんなこと口にはできない。
だから、疑問に思ったことよりもまず胸につまっていた想いの方を口にしたのだが、あかねは驚いたように目を見開いて激しく首を横に振った。
「迷惑なんかじゃないですっ!私、嬉しいんです。」
「嬉しい、のですか?」
「はい。友雅さんに頼久さんが怪我をしたって聞いた時、凄く重症だったらどうしようって凄く恐くて…だから、頼久さんの怪我がたいしたことないことも嬉しいんですけど…いえ、怪我したことが嬉しいわけじゃなくて…。」
「はい、承知しております。」
そう言って微笑む頼久を見てあかねは顔を赤くしてうつむく。
「私、いっつも頼久さんに守ってもらってばかりでなかなか役にたてなかったから、頼久さんの役に立てるのも嬉しいんです。許婚らしこと何もしてないし…。」
「そのようなことは決してっ!神子殿にはこのような一介の武士の許婚になどなって頂けただけでも光栄の…。」
「だからっ!もうっ!そういうのなしです!」
「なし、ですか?」
「はい、なしです。頼久さんはすぐそうやって身分のことを言いますけど、私のいた世界は身分なんてなくて、私は全然気にしてないんですから頼久さんも気にしないで下さい。」
あかねはいつもこう言ってきかせるのだが、頼久は困ったような顔をしただけでなかなか身分を気にせずに話をしようとはしない。
武士として高貴な身分の方々を守り続けてきた頼久としては身分を考えるなという方が難しい話なのだが、そこは恋する乙女でもともと身分というもののない世界からやってきたあかねには納得がいかないのだ。
今回もまた困惑しているらしい頼久にあかねは悲しそうにため息をついた。
「私、頼久さんの妻になるんですよ?怪我した時くらい看病したいし、ご飯だって作ってあげたいし、朝はちゃんとお弁当を持たせていってらっしゃいが言いたいし、どんなに遅くなってもお仕事から帰ってきた頼久さんにお帰りなさいって言ってあげたいし、他にも色々頼久さんにしてあげたいことあるのに、今からそんなじゃ……。」
「と、とんでもございませんっ!神子殿にそのようなことをおさせすることなどっ!」
「やっぱり…。」
頼久の常識からすれば高貴な身分の女性はそのような日常の瑣末なことにはいっさいかかわらないものなのだ。
それは女房や下働きのすることであり、龍神の神子という尊い身分の女性がすることではない。
だが、結婚に憧れる乙女のあかねにしてみれば、大好きな旦那様にしてあげたいことは山ほどある。
お互いの想いが交錯して二人はしばらく黙り込んでしまった。
夕餉を取り終わり、高燈台の明かりだけで照らし出された局の中は薄暗く、明るい夜に慣れきっているあかねにとっては気分さえ滅入る空気に満たされていた。
沈黙の中、お互いにうつむくことしばし、先に口を開いたのはやはりあかねの方だった。
「頼久さんはいつも私のこと守ってくれるし、優しくしてくれるじゃないですか…私だって頼久さんに色々してあげたいです。怪我をした時くらいお世話したいです。少しくらいわがままも言ってください…ご飯食べさせてくらい言ってくれてもいいです…。」
話しながら涙さえ浮かべそうな勢いで落ち込んでいくあかね。
そんなあかねの態度に驚きながらも愛しくて、頼久はすっとあかねの隣に身を寄せた。
「では、一つ、わがままを申し上げても宜しいでしょうか?」
「はい!なんでしょう?!」
あかねは今までの落ち込みが嘘のように急に張り切ってキラキラとした視線で頼久を見上げた。
「しばし、このまま。」
頼久は自由のきく左腕であかねを抱き寄せるとそう耳元で囁いた。
「す、少しだけですよっ!」
いつもとは違う薄暗い局で抱き寄せられてあかねは真っ赤になってうつむいた。
今までも何度もこうして抱きしめられたことはあるけれど、今の頼久はというと怪我の手当てのためにいつもと少し着ている物も違って砕けた感じがする上に、ここは薄暗い夜の局の中であかねの心臓はこれ以上ないほど高鳴った。
「でも、これって…。」
「はい?」
「全然わがままじゃないです…。」
「そう、ですか?」
「はい……だって…こんなの、私も嬉しいことだから…。」
聞こえるか聞こえないかというほどの小さな声でそう言ったあかねは、体から力を抜いて頼久にもたれかかった。
許婚の言葉を耳にした頼久は心の底から嬉しそうに微笑むと左腕に力を込める。
「では、婚儀がすんで神子殿が妻になって下さったら、もう少しわがままを言わせて頂くことにします。」
「もう少しって、どんなわがままですか?」
「それは婚儀がすむまで言わずにおきます。」
そう言って笑みを浮かべる頼久は薄暗い中で見るせいかどこか色っぽくて、あかねは見上げていた視線を慌てて下げる。
「神子殿も、この頼久にどんなわがままを言うか考えておいてください。」
「はい?私もですか?」
「はい。私も妻になってくださる神子殿にはたくさんわがままを言って頂きたいですから。」
「そ、それじゃぁいつもと変わらないじゃないですか…私はいつもわがまま言ってるのに……。」
口の中でぶつぶつと不満を言っているらしいあかねの言葉は聞かずに頼久は更にあかねを抱きしめる左腕に力を込めて目を閉じる。
腕の中の温かな存在は確かにここに在って、その温かさを感じるだけで頼久の中には落ち着いた幸福感が宿るのだ。
たまには怪我を負うのもいいかもしれない。
そんなことまで思ってしまう自分に戸惑いながらも、頼久は腕の中にある幸せの源に優しく頬を寄せるのだった。
管理人のひとりごと
今回のテーマは「頼久さん、あーんして」です(爆)
頼久さんのことですから片腕でもたぶん生活にそんなに支障はなさそうですが、あかねちゃんはきっと色々お世話したいだろうなぁと。
ひっそりと少将様も出張ってます。
頼久さんと少将様が牽制しあう様は管理人のお好みです(笑)
プラウザを閉じてお戻りください