
あかねは友雅と二人、縁に座って夏の庭を眺めていた。
友雅はまるで頃合を見計らったかのように頼久が仕事へ出てすぐに、藤姫からの届け物を手にやってきたのだった。
藤姫が友雅に持たせてよこしたのは綺麗な色の紙だった。
友雅が言うにはそれで自分と文のやり取りをしてほしいということらしい。
藤姫のかわいらしい望みを聞いてあかねは微笑を浮かべて大量の紙を受けとった。
ところが用事はそれで済んだはずの友雅が一向に帰ろうとしない。
あかねは大量の紙を抱えたまま小首を傾げた。
「友雅さん?」
「なんだい?」
「えっと、ここでこうしてていいんですか?」
「それはどういうことかな?」
「お仕事があるとか、お約束があるとか…。」
「わかりやすく言うと神子殿は私にここから出て行ってほしいということかな?」
「ち、違いますっ!」
友雅は顔を赤くしたあかねにくすっと笑って見せた。
その妖艶な笑みは八葉としての役目を終えてからやわらかさが加わってより一層魅力的になったと噂だ。
そんな笑顔を見せられて、あかねは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「そ、そういうことじゃなくて…ほら友雅さんって色んな女の人とたくさん約束してたりするじゃないですか…。」
「まぁ、そうだね。最近はあまりしていないが。」
「そうなんですか?」
そうさせたのは友雅の目の前にいるこの愛らしい龍神の神子なのだが本人には全く自覚がないらしい。
小首を傾げるあかねに優しい微笑を見せて友雅は柱にもたれてくつろいだ。
どうやら本当に友雅がすぐに立ち去るつもりはないと悟って、あかねは抱えていた大量の紙を脇へと置いた。
「今日は神子殿に少しばかり助言をしようかと思っていてね。」
「助言、ですか?」
「藤姫も心配していたことだし…。」
「藤姫が何を心配してたんですか?」
この心優しき龍神の神子は妹とも思う幼姫のこととなると目の色が変わる。
もちろん、友雅はそれと知っていて利用しているらしいのだが…
「神子殿と頼久との仲をね。」
「はい?仲、いいですよ?」
あかねの即答に友雅は思わず苦笑した。
それはそうだろう。
あかねが愛想を尽かしたというのでないかぎり、あの神子殿命の無骨者があかねと仲違いするわけがない。
藤姫が心配しているのはまさにあかねの方の心持のことなのだ。
「今はね、そりゃ新婚だろうし、仲はいいだろう。でもこれから先が心配だというのだよ。」
「これから先、ですか?」
「そう。神子殿は自分が思っていたよりもずっと若くして頼久に嫁いだのだろう?」
そうなのだ。
この京ではあかねの年齢で嫁ぐのはとても自然なことなのだが、あかねの世界ではまだまだ結婚は先のことだった。
それがあれよあれよという間に頼久を好きになって、頼久が好きだといってくれて、この世界に留まることになって、気付いたら頼久の妻になっていた。
確かにあかねが想像していたよりずっと早く人妻になったのは事実だ。
もちろん、大好きな人のお嫁さんになったわけだからあかねとしてはそれで全く問題はないのだが。
「本当ならもっと恋を楽しんだりもしたかっただろう?」
「い、いえそんなことは…。」
「神子殿のことだ、頼久一人につくして他に恋人をつくるなど思いもよらないのだろうし…。」
「当たり前です!」
「だとするとこれから先、頼久ただ一人を相手に暮らすことになるわけだ。」
「はい、そうですけど、それが何か問題ですか?」
綺麗に澄み切った瞳で見つめられて、友雅は苦笑した。
この純粋無垢な神子殿には、夫に飽くだろうとか、平凡な生活に嫌気がさすのではないかとか、他に好きな男ができるかも知れぬなどということは全く予想の範囲外らしい。
「まぁ、普通は問題になることが多いね。」
「何が問題なんでしょう?」
あかねにしてみれば大好きな人と一生共に過ごせるのだから幸せなことこの上なく思えるのだが、どうやらそうではないらしい友雅が理解できない。
「飽きる、ということさ。」
「何に、ですか?」
キョトンとしているあかねに友雅はまた苦笑させられた。
本当にこの神子殿ときたら…
「毎日同じ生活をしていて、顔をあわせるのも夫ばかりだろう?」
「それがいいから結婚するんでしょう?」
「なるほど、神子殿はそう思うわけだ。だが、長い年月を重ねるとね、そう思っていても飽いてくることもあるのさ。生活や相手にね。」
「だから友雅さんはたくさんの女の人と約束したりするんですね?」
そう言って可愛らしく睨まれて、友雅はくすっと笑った。
「まぁ、最近はそうでもないが、そういうことだね。」
「私はそんなふうにはならないから大丈夫です!」
「ふむ、だが、頼久はどうかな?」
「はい?」
「頼久は毎日同じ生活の繰り返しで、同じ妻の顔ばかり見ていて刺激がないと飽いてしまうかもしれないよ?」
「はぅっ。」
奇妙なうめき声をあげてあかねはしゅんとうつむいてしまった。
もちろん友雅は本気でそんなことを言ったわけではない。
あの頼久に限ってこの妻に飽きるなどということは天地がひっくり返ってもないだろうと思っているのだ。
では、何故こんなことを言ったかと思えば、己も想いを寄せていた神子を独り占めにした男にちょっとした悪戯をしたかったというだけのこと。
多少刺激のある生活をしていればこの若い神子殿が他の男に気移りする自分に悩む可能性もなくなるだろうというのもある。
「でね、神子殿。恋というのは駆け引きだからね。いかに自分に飽きさせず、相手の心を縛り付けておくことができるのか。色々と尽くす手はあってね。」
しゅんとしていたあかねが勢いよく顔を上げた。
この時点でもうあかねは友雅の術中だ。
「他ならぬ大事な神子殿だ。お教えしようか?」
「お願いしますっ!」
間髪いれずに返事をしたあかねに微笑んで見せて、友雅はあかねの耳元に唇を寄せて何事かささやいたのだった。
あかねは全ての準備が整ったことを3回確認して深呼吸をして頼久の帰りを待っていた。
ここからは演技力だと友雅が言っていたので少しばかり緊張する。
恋は駆け引き、これがここ京での常識。
だから頼久も、ちゃんと駆け引きをしないと自分に飽きてしまうかもしれない。
そんな焦燥感からあかねは今日、友雅が教えてくれた駆け引きの準備を全て整えたのだった。
友雅ほどの恋多き大人が教えてくれたのだからこれで間違いはないはず。
あかねがもう一度辺りを見回して準備を確認したところで頼久が庭に姿を現した。
夏は暑いのであかねが縁に出て頼久の帰りを待っていると知っているから、門から直接庭へ帰ってくるのだ。
「神子殿、ただいま戻りました。」
「お帰りなさい、お仕事お疲れ様でした。」
いつも通りの笑顔で出迎えて、頼久もいつも通りの笑顔を見せてくれてあかねは内心ほっとする。
この時点であやしまれてはいけない、のだそうだから。
「すぐ夕餉にしましょう。おなか空いてるでしょう?」
これもいつもの流れだ。
「はい。」
そう幸せそうに返事をしながら縁に上がった頼久は歩みを止めて辺りを見回した。
いつの間にかその顔からは微笑が消えている。
「神子殿。」
「はい?」
「今日は、どなたか…その…来客がおありでしたか?」
「いいえ。」
「……。」
ここは「いいえ」と答える。
それが友雅に教えられたいわゆるテクニックだ。
頼久はというとあかねに「いいえ」と否定されてしまってはそれ以上追及することもできず、訝しげな表情のままあかねと向かい合って膳の前に座った。
「いただきます。」
いつものようにあかねが食事を始めると、頼久も渋々といった様子で箸を手に取った。
料理を口に運びながらも心ここにあらずといった様子だ。
あかねはそんな頼久の様子を盗み見てほっとしていた。
どうやら自分は友雅に教えられたとおりにできているらしいとわかったから。
「神子殿は今日はどのようにお過ごしでしたか?」
「えっと、朝から琴を弾いたり、藤姫に文を出したりですけど。」
「…香をあわせたりはなさいませんでしたか?」
「してません。」
「……その…さきほどから珍しい香が薫っているように感じられるのですが…。」
「き、気のせいですよ。」
ここはちょっとだけ慌てて見せなくてはけない。
本気で話を流してしまうと頼久が妬いてくれないから。
あかねの様子がおかしいとわかってもあかねに否定されてしまっては頼久にそれ以上追及することはできない。
ここから先は二人で黙々と夕餉を片付けた。
食事が終わって膳が片付けられて、いつもなら二人だけの優しい穏やかな時間になるのだが、頼久の様子はいつもとかなり違ってきている。
眉間にシワをよせて何事か考えているようだ。
「そうだ、私、今日、お菓子作ったんです、もってきますね。」
こうして席を外すのももちろん友雅の指示通り。
あかねはにっこり微笑んで見せてから局を出た。
残された頼久はというと、深い溜め息をついて辺りを見回した。
さきほどから確かに嗅いだことのない香の薫りがあるのだ。
薫りの他に何かないものかと辺りを見回せば、あかねが使っていたと思われる文机の影に何か落ちているのが見えた。
頼久が近づいてみるとそこにあったのは…
「はい、今日のはちょっと自信あるんです…よ?」
あかねが菓子の入った器を手に戻ってみれば、局の奥で頼久がうずくまったまま微動だにしない。
「頼久さん?」
「……。」
「頼久さ〜ん?大丈夫ですか?」
二度あかねに声をかけられて頼久はやっとあかねの方を振り返った。
その手には男物の扇が握られている。
それはもちろん、あかねが友雅に教えられたとおり、まるで置き忘れたものであるかのようにそこに置いておいたものだ。
ちゃんと見つけてくれたんだとあかねが安心したのも束の間、頼久はその扇をあかねの前に置くと、姿勢をただしてあかねに深々と頭を下げた。
「はい?頼久さん?」
「申し訳ありませんでした。」
「はい?」
あかねはここで頭の中が真っ白になった。
友雅の話だとここで頼久は相手は誰かなどと慌てて尋ねてくるので、そこでちょっと話をじらしてやればいいと言われていたのだが…
「神子殿のお心に露ほども気付かず、この頼久、一生の不覚。」
「は、はい?」
「神子殿が思い通じるお方があろうとは気付かず、私のような者がお側に侍り続けるなどあってはならぬこと。」
「えっ、ちょっと…。」
「今宵より、土御門の武士溜まりへ戻りますので、神子殿にはお心安らかにお過ごし頂きますよう。もし、お許し頂けるのでしたら、身辺の警護だけはさせて頂きたく…。」
まるで血でも吐きそうなほどのかすれた低い声でそういった頼久はすっと立ち上がるとあかねの顔を見もせずに縁へと出てしまった。
もうあかねはパニックだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
呼び止められても頼久が足を止める様子はない。
庭へと下りた頼久を追って、あかねは裸足なのもかまわずに庭へ飛び降りると必死で頼久の腕にしがみついた。
「待ってください!」
「いえ、これ以上神子殿のお邪魔になるわけには…。」
「邪魔なんかじゃないです!」
「神子殿…どうかお気遣いなく。」
「お気遣いじゃないです!お願いだから話を聞いてください!」
「いえ、何もおっしゃいますな、この頼久、遅ればせながら悟っております。」
「だから、違うんです!今日友雅さんがきて…。」
「友雅殿…そうでしたか、神子殿のお相手は友雅殿でしたか…いつもとは香が違うので気づきませんでしたが…香を変えられたのですね。」
「違いますっ!」
「神子殿、この頼久、分はわきまえているつもりです。今までが分不相応だったのです、承知しております。」
「違いますったら!」
そう叫んであかねが頼久を見上げると、頼久はまるで世界が終わるかのような力ない笑みを浮かべていて、それがあまりにも悲しい笑顔であかねはそんな顔を自分がさせてしまったと思うと悲しくてつらくて泣き出してしまった。
「み、神子殿!」
「違うんです…違うから…行かないで下さい……。」
あかねが泣きながらそう言って頼久にしがみつくと、ようやくどうやらあかねが本気で自分を止めようとしているらしいと気付いた頼久はあかねを優しく抱きとめた。
「神子殿、泣かないで下さい。何事も全て神子殿のお望みのままになるよう努力致しますので。」
「じゃぁ、どこにも行かないで下さい…。」
「神子殿がそれをお望みでしたら。」
頼久に抱きとめてもらってしばらくしてようやくあかねが泣きやむと、頼久はその細い体を軽々と抱き上げて縁に座らせ、あかねを安心させるために自分もその隣へ座った。
どこへも行くなとこの大切な人が言ってくれたから。
「頼久さん、ごめんなさい、私、こんなことになるって全然思わなくて…。」
「いえ、神子殿が友雅殿を選ぶとおっしゃるのでしたら…。」
「だから、違うんです。実は今日、友雅さんがここにきて、恋は駆け引きだって教えてくれて…。」
「は?」
「京では恋は駆け引きをするのが常識だから、私もたまには頼久さんにやきもちやかせたりしないと嫌われちゃうって言われて、それで友雅さんに教えてもらった通りにお香をたいて、あの扇を置いておいたんです。」
「……。」
「全部私がやったことで、別に他の人が訪ねてきたりしてるわけじゃないんです…だましてごめんなさい…。」
「……。」
頼久は黙ったまま何も言わない。
あかねがおそるおそるその表情をうかがってみると、一瞬放心状態になった頼久は次にとても不機嫌そうな顔になって、最後に安堵の溜め息をついた。
「頼久さん?怒ってます、よね?ごめんなさい…。」
「いえ、怒っているのは…友雅殿に対してです…あとは己自身に対して。」
「え?頼久さん別に何も…。」
「友雅殿にそそのかされたとはいえ神子殿がそのようなことを心配なさるということは、私にそれなりの原因があったのです。」
「はい?」
「この頼久、神子殿のためならば命も惜しくはございませんが…。」
「なっ、何言ってるんですかっ!」
「はい、神子殿がそのようにご心配下さるので、今では神子殿のために命を粗末にするようなことは決して致しませんが、神子殿がこの命差し出せとおっしゃるならいつでも喜んで差し出す覚悟。」
「そ、そんな覚悟いりませんってば!」
「万が一にも神子殿がこの京を去り、もといらっしゃった世界へ一人でお戻りになろうとも、私の神子殿への想いが変わることは決してございません。いえ、神子殿が誰を想おうとも、この世が滅ぼうとも…。」
「ちょっ。」
「ですから、そのような駆け引きなど無用です。」
「へ?」
「どのようなことがあろうとなかろうと、この頼久の神子殿への想いが変わることは決してございません。」
そう言って微笑んだ頼久の顔がとても優しくて温かくて、あかねの目には涙が浮かんだ。
「み、神子殿!?どうなさいました!」
「ごめんなさい、でも、嬉しかったから…頼久さんが笑ってくれて、優しくしてくれて、嬉しかったから…。」
「神子殿…。」
「私もです。絶対この気持ちは変わりませんから、だから、二人で幸せになりましょうね。」
「はい、私は神子殿のお側に置いて頂ければそれだけで。」
「もう、また頼久さんはそんなこと言って。」
あかねが涙をぬぐって微笑むと、頼久はその細い方を優しく抱きしめた。
こんなふうに仲良くなれるのなら、やっぱり経過はどうあれ友雅の言うとおりにしてよかったのかもしれない。
あかねはそんなことを思いがら頼久の腕の中で目を閉じた。
だが、頼久の方はというと、あかねを腕の中に閉じ込めながら友雅にこれからは絶対にあかねに変なことを吹き込まないよう釘を刺さなくてはと胸の内で決意していた。
翌日、朝早くから頼久の訪問を受けた友雅は半日を頼久からの恐ろしく迫力のある説教を聞いて過ごさなければなかったという。
管理人のひとりごと
まぁ、頼久さんなので少将様の予想通りの行動なんてあり得ません(爆)
もう神子殿のためとあらば自分のことなど省みず一直線、そんな気がします(’’)
ので、今回のような困った結果に(笑)
管理人的には頼久さんはやきもちやくより身を引くのではないかと思うのです。
あかねちゃんのためなら自分を犠牲にするタイプじゃないかなって。
ええ、管理人、容赦ないです(’’)
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