もうすぐすっかり日が暮れるという紅の庭をあかねはぼんやり眺めていた。
今日は12月24日。
そう、あかねが生まれ育った世界ではいわゆるクリスマスイブだ。
もちろんこの京ではクリスマスを祝う風習はない。
あかねとしては楽しい行事でもあることだし、どんな行事化を詳しく説明して祝ってみてもいいような気はしていた。
けれど、もう自分はこの京の武士団の若棟梁の妻だと思えば、京の行事にこそ親しむべきな気もする。
迷っている間に時は過ぎて当日になってしまったのだが、それならそれでまあいいかと思っているあかねだ。
ただ、恋人達が共に過ごすのだろうと憧れていた行事なだけに、大好きな旦那様と一緒に過ごしたいなという思いで庭を眺めていた。
だいたい頼久はあかねに少しでも早く会うために、庭を回って直接あかねの局へとやってきてくれる。
だから、庭を眺めていれば帰ってきた頼久に一番に会えるはずだった。
ところが…
「神子、何をしている?」
「へ…泰明さん?」
庭へ姿を現したのは今は腕利きの陰陽師として忙しくしているはずの泰明だった。
いつもどちらかといえば無表情な泰明だが、今はどちらかというと機嫌が悪そうだ。
「何をしているのだ?」
「えっと……何をしているかと言われると、何かしてるってわけじゃなくて、頼久さんが帰ってくるのを待ってます。」
「まだ戻っていないのか?頼久は。」
「はい。頼久さんに用事ですか?」
「いや、私が頼久に呼ばれて来たのだ。私に用があるのは頼久の方だろう。」
「へ…。」
「神子、泰明殿ももうおそろいで。」
思いがけないその声は泰明の背後から聞こえた。
現れたのは相変わらず柔和な笑顔の優しげな永泉だ。
「永泉さんまで…もしかして頼久さんに呼ばれてるんですか?」
「はい……はい?」
「ひょっとして頼久は神子殿には何も話してはいないのかな?」
「友雅さんまで!」
永泉の次に現れたのは友雅だった。
いつものように微笑を浮かべた艶やかな姿ながらその手には琵琶が抱えられている。
「友雅さん、それは…。」
「琵琶だよ。持ってきた方がいいと思ったからね。ここにも名器はあるだろうが、やはり自分の気に入ったものがよかったのでね。」
「はぁ…。」
「友雅殿ほどの名手なら確かにご自分の目にかなったもので演奏なさりたいのでしょうね。」
「鷹通さん……。」
友雅の後ろから現れた鷹通の笑顔を見て、あかねの脳裏には八葉せいぞろいという言葉が浮かんだ。
これはもう間違いなくイノリもやってくるに違いない。
「おや、かんじんの頼久がいないのですか?」
「そのようだよ。私もつい神子殿会いたさに早く出てしまってね。」
「友雅殿はまたそのような…いい加減になさらないと頼久に切られますよ。」
「そう簡単に切られるつもりはないけれどね。」
「切りつけたりは致しません。」
鷹通と友雅のいつも通りの会話に割って入ったその声の主が、まさに頼久だった。
「頼久さ……ん?」
救いの主登場とばかりにあかねが駆け寄ろうとしてその足を止めたのは、頼久の出で立ちに驚いたからだ。
頼久は友雅のように着飾ったりすることはないけれど、いつもきちんとした身なりをして帰ってくる。
戦闘で汚れたりした時も、よほどのことがない限りは武士溜まりで着替えてから帰ってくる。
だからあかねはたまに頼久が武士で、しかもいかついと言ってもいいくらいの体躯の持ち主だということを忘れてしまうことがあった。
今まさに、頼久がこの八葉の中でも一番の腕っ節の持ち主だということを忘れていたあかねの目に、とんでもない光景が飛び込んでいた。
帰ってきた頼久は、その肩に自分の背丈よりも大きな樅の木を担いでいたのだ。
「神子殿、頼久、ただいま戻りました。」
樅の木を担いだまま、頼久は器用に首だけで会釈すると、ニコリと微笑んだ。
その笑顔が木を担いでいるという出で立ちとあまりにもギャップがあって、あかねはぽかんとただ見上げるばかりだ。
「これはまた、ずいぶんと立派なものを調達したねぇ。」
「はい、年に一度のことですので。」
友雅のからかうような言葉にも律儀にこたえた頼久は、担いでいた樅の木をあかねの目の前に下ろした。
下ろしたといっても横にしたわけではない。
縦に下ろした樅の木を頼久は片手で支えながら、集まっているかつての八葉達を見回した。
「鷹通殿、用意して頂けましたでしょうか?」
「言われたものと同じかどうかはわかりませんが、薬玉など集めてみました。ここでいいのなら使いの者に運び込ませましょう。」
「お願いいたします。友雅殿には張りきって頂けたようで。」
「もちろんだよ。ほかならぬ神子殿のためだからね。」
「有り難うございます。永泉様もご用意いただけましたでしょうか?」
「はい。わたくしの笛などで良いのでしたら、いくらでも。」
懐から笛を出して微笑む永泉を眺めながら、あかねは目の前で何が繰り広げられているのか全く理解が追い付かない。
「頼久、私はいつ術を発動させればいいのだ?」
「それはこの木の飾り付けを終えましたら、気に添うようにお願いいたします。」
「承知した。」
「あ、あのぉ…頼久さん?」
おそるおそるあかねが口を挟んでみれば、樅の木を抑えたままの頼久は柔らかな笑みをあかねに向けた。
「何か?」
「何か?って…いったい、何がどうなってるんですか?」
「確か今日は『くりすます』という神子殿の世界での祭りの日であったと思いますが。」
「そうです!そうですけど……え、私、話したことありましたっけ?」
「はい、以前に何度か。その時お話頂いたものを作ってみようと思いまして。」
「樅の木…クリスマスツリー!」
「はい。飾りの方を鷹通殿に調達して頂きました。」
「なるほど。」
「確か、楽の音が美しい日だともおっしゃっていたと記憶しておりましたので、その辺は友雅殿と永泉様にお願い致しました。」
「え、二人で何か演奏してくれるんですか?」
「はい。」
「神子殿のお望みのままにね。」
ゆっくりうなずく永泉と並んで、友雅は髪をかき上げながらうなずいた。
こういうしぐさが女の人にかっこいいって思わせるんだろうなぁとあかねがぼーっと考えている間に、鷹通が呼び寄せた使いの者が木箱を運び込んできた。
入っていたのは薬玉や綺麗な紙で作られた和風の飾りだ。
それを鷹通は手際よく頼久が支えている樅の木へと飾り付けていく。
てっぺんの方は届かないからと泰明が敷き紙を使って飾り付け、なんとも和風なツリーが出来上がると、あかねの顔にも思わず笑みが浮かんだ。
あかねが知っているクリスマスツリーとはだいぶ様子が違うけれど、それでも目の前にあるのは確かにクリスマスツリーには違いない。
しかも、旦那様や大切な仲間達が作ってくれたものなのだ。
あかねの目に美しく映らないわけがなかった。
「神子殿、いかがでしょうか。少しはご記憶のものと似ているでしょうか?」
「はい!ちょっと和風ですけど、でもそっくりです!」
あかねが間髪入れずに答えれば、頼久の顔には笑みが広がった。
「飾り付けが終わったのなら私の術を発動させていいのだな?」
「は…。」
「待ってください!」
頼久が「はい」と答えようとしたその間にあかねは思わず割って入っていた。
何故なら、この流れでいくと間違いなく、泰明の担当はツリーの電飾だからだ。
「神子、何か問題があるのか?」
「えっと、泰明さんってたぶん、このツリーに光の飾りをつけてくれるんですよね?」
「その通りだ。」
「そういうのは全員集まってからせーのでやるものなんです。私の世界では。でも、イノリ君がまだ来てませんし…頼久さん、イノリ君も呼んであるんですよね?」
「はい、もちろんです。」
「じゃあ泰明さん、イノリ君が来るまで待ってくれませんか。」
「わかった。」
「有り難うございます。」
「問題ない。」
いつも通りの泰明の声にあかねが笑みを浮かべると、その隣へすとんと腰を下ろした友雅が琵琶を掻き鳴らした。
「イノリが来るまで時間があるということだね。暮れていく陽を眺めているのも風流だが、せっかくこうして琵琶を持ってきたことだしね。一曲、神子殿に差し上げよう。」
言うが早いか滑らかに動き出した友雅の指が美しい音色を奏で始めた。
あかねはもちろんのこと、この場にいる誰もがその音色に聞き惚れた。
ところが、明らかにまだ曲が途中というところで友雅は琵琶を弾く手を止めた。
あかねが小首をかしげていると、頼久が優しく微笑みかけた。
「イノリが来たようです。」
「あ…。」
友雅の琵琶の音があまりに綺麗ですっかり集中してしまっていたあかねとは違い、どうやら友雅と頼久はやってくるイノリの気配を察知していたらしい。
頼久の宣言のすぐ後に、待ち人はやってきた。
「あれ、オレが最後か、待たせたみたいで悪かったな。」
気軽にそう言いながらやってきたイノリは大きな木箱を手にしていた。
あかねのもとまでやってきて簀子に並べ始めたその中身はといえば、焼き魚や干した果物などのごちそうだ。
「うわぁ、凄い量だね。」
「そりゃ大の男がこうゴロゴロ集まるんだからな。」
「育ちざかりはイノリだけだけれどね。」
「ああ、友雅は成長止まってからずいぶんたつもんな。」
「そうだね。その分円熟しているけれどね。」
「ものは言いようだよな。」
苦笑するイノリが料理を並べ終わると、泰明が懐から札を出してそれを頼久が支えている樅の木の方へと放り投げた。
ひらひらと宙を舞った札があちこちの枝に張り付くと、泰明の「急々如律令」の小さな囁きと共に光を発し始めた。
「綺麗…。」
辺りはちょうど陽が暮れて薄闇に包まれ始めて、札の放つ光は幻想的に樅の木とそこに飾り付けられたあれこれを浮かび上がらせていた。
蛍のように点滅するところもクリスマスの電飾そっくりだ。
「凄く綺麗です、泰明さん。」
「神子の想像していた通りになっているか?」
「はい!凄いです!」
「そうか。」
いつもは無表情に近い泰明が口元にうっすらと笑みを浮かべるのを見て、あかねは頼久と微笑みを交わした。
「やっぱすげーな、泰明は。でもよ、オレが調達してきた料理だってかなりのもんだぜ?みんな食ってくれよ。ほら、あかねも。」
「うん、有り難う。でも……。」
イノリが差し出してくれた料理にあかねが手をのばさなかったのは、頼久のことが気になったからだ。
頼久はというと、帰って来てすぐ樅の木を立ててそれを支えたまま微動だにしていない。
「あの…頼久さん。」
「はい、お楽しみ頂けておりますか?」
「あ、はい、楽しんではいるんですけど…その…頼久さんはずっとそのままでいるつもりなんですか?」
「はぁ、木が倒れますので。」
「……。」
さすがのあかねもこの答えには呆然としてしまった。
まさか、頼久が宴の間中このまま立っているつもりだったとは…
「私は日頃より鍛えておりますので、この程度のこと、どうということもございません。お気になさらず、神子殿はお楽しみください。」
「無理です!」
間髪入れずに答えてしまったあかねの横で友雅が声を殺して笑っている。
鷹通も永泉もその顔には苦笑が浮かんでいた。
「いや、さっすがにそれはオレも食い物が喉を通らねぇっつうか…。」
イノリはこの中で一番身分が頼久に近いだけに、一人だけ宴で浮かれることができないのだろう。
その顔には苦悩の表情が浮かんでいた。
「私だって頼久さんを立たせたまま楽しむなんてできません。座ってください。」
「しかし、それではせっかく皆が飾り付けたこの木が倒れることになりますので…。」
「それでもいいですから。」
「いえそれはあまりにも…。」
犬も食わない夫婦喧嘩が始まろうとしたその刹那、とうとう友雅がくつくつと笑いを漏らしたかと思うと、右手をひらひらと頼久に振って見せた。
「神子殿がこうおっしゃっているのだから、頼久は観念した方がいいね。」
「しかしそれでは木が…。」
「では、その気は庭の他の木へと立てかけておけば良いのではありませんか?多少見栄えは悪くなりますが、見られなくはありません。」
助け船を出したのは鷹通だった。
けれど頼久はそんな鷹通の助言にさえもすぐにはうなずこうとしない。
「頼久、神子殿のためにこうして我々にまで文を回して準備したのだろう?このままでは神子殿が楽しめないと言っているのだからおとなしく言うことを聞くべきではないかな?」
「それは……。」
「それに、神子殿の隣に座ることを許されるのは私を除いては頼久だけだと思うのだがね?」
頼久の頬がピクリと引きつった。
さすがの頼久もあかねの隣の席争奪戦となれば話は別らしい。
「承知致しました。では、あちらへ立てかけて参ります。」
言うが早いか頼久は自分の体よりも大きな樅の木をひょいっと持ち上げると、近くの木にそれを立てかけた。
確かに見栄えは多少悪くはなったけれど、幻想的でこの京らしいクリスマスツリーには違いない。
あかねはスタスタと戻ってくる頼久を笑顔で迎えて、頼久を隣へといざなった。
「これでようやく宴の準備が整ったね。」
「では、次はわたくしが一曲献上致しましょう。」
やれやれといった様子の友雅にそう言って、永泉は笛を唇に当てた。
友雅が奏でた琵琶とはまた違った音色がすっかり夜の帳の降りた庭に満ち満ちて、一同はイノリが運んできた料理を口にしながら冬の一夜を楽しんだ。
藤姫が差し入れてくれた酒を飲みながら友雅と永泉が音楽を奏で、イノリが愉快に笑い、泰明が次々に術を披露する。
鷹通はあかねに京での冬の行事の説明をしてやり、友雅がこんな時まで講義を始めるのかと茶化す。
それはあかねにとって忘れられない聖夜となった。
そして、宴に集められた全員が家路につき、二人きりになった頼久があかねと優しく抱き合ったのは日付も変わった深夜のことだった。