犬も食わない
「神子様は何も悪くはございませんわっ!」

 ここは土御門邸。

 藤姫の局からは御簾の向こうにまで局の主の声が響き渡った。

 幼姫の目の前にいるのはあかね。

 そう、この幼姫が姉とも慕う元龍神の神子で今は源武士団若棟梁の正妻だ。

 そのあかねは藤姫を前に真っ赤な顔で怒りをあらわにしていた。

「そうだよね!私は頼久さんのために頑張りたいって言ってるだけだもんね!」

「はい!神子様は御立派です!頼久は幸せものですわ、それなのに神子様に意見するなど、しかも大声で!もってのほかです!」

 あかねの前で藤姫が力いっぱい力説したところで人の気配がした。

 二人がはらりとめくられた御簾の方を見るとそこには、相変わらずあでやかな出で立ちの友雅がいた。

「どうしたんだい?愛らしい姫君は二人でそんなに大声を張り上げて。」

「友雅殿!先触れをよこしてくださいませとあれほど申し上げましたのにっ!」

「おやおや、今度は私にとばっちりかな?」

「もうっ!」

 怒り覚めやらぬ藤姫はふいっと頬を膨らませて拗ねて見せた。

 そんな藤姫が愛らしくて思わずあかねが微笑を浮かべると、友雅は二人の前に座って微笑んだ。

「まぁ、神子殿がそんなふうに笑えるのならたいしたことはなさそうだね。」

「たいしたことがないだなんて!何をおっしゃいますかっ!」

「……。」

 友雅の態度にまたもや怒り心頭なのは藤姫だ。

「よろしいですか、神子様は有難くもこの京にお残り下さり、あの、あのです!あの!頼久の妻にまでなって下さったというのに!あろうことか頼久が神子様に大声をあげて説教をしたというのです!」

「……で、ご機嫌ななめな神子殿は家出をして実家に戻っている、というところなのかな?」

「そ、それは、まぁ……。」

 改めて友雅に状況を確認されるとなんだか恥ずかしくて、あかねの声が小さくなる。

 ところが…

「当然ですわ!神子様に大声を張り上げるなど!理由はどうあれ、頼久の方が悪いに決まっております!そのような無礼者の元へ神子様をお返しすることなどできかねます!」

「ぶ、無礼者って……。」

 藤姫の物言いにさすがにあかねが苦笑するのを、友雅は面白そうにニヤつきながら眺めている。

 もちろん藤姫がその様子をきりりと睨みつけたが、友雅は動じなかった。

「夫婦仲は他人がどうこういうものではないと思うけれどねぇ。」

「何をおっしゃいます!友雅殿とてもとは八葉の一員!神子様をお守りする心積もりでいて頂かなくては困ります!」

「お守りっていってもね、それは既に夫の頼久の役目だろうし…。」

「その頼久が役に立たぬからこそ申し上げているのですわ!」

「や、役に立たないってことはないよ…。」

 藤姫の罵りを聞いているといてもたってもいられなくなってあかねが赤い顔で口を挟んだが、怒りにかられた幼姫はもう止まらない。

 ただ、友雅だけはさすがは年長者、余裕の笑みで二人を眺めていた。

「神子様のそのお優しさに頼久はつけあがっているのですわっ!神子様を妻に迎えられただけでも奇跡のようですのに、その神子様をお守りすることも怠って、あまつさえ大声を張り上げるなどっ!もってのほかですっ!」

 一人でヒートし続ける藤姫に、とうとうあかねも手をつけられなくなってしまった。

 藤姫は年齢に似合わない聡い姫だが、事があかねのこととなると普通ではいられない。

 最初は味方を得て心強いと思っていたあかねだが、ここまで来るとさすがに愛しい夫を罵られて黙ってはいられなくなった。

「お、怠ってなんかいないの、あのね、怠ってないから私が怒られたわけで…。」

「怒る!神子様を怒るなどとっ!」

 今度は袿の袖を噛まん勢いで悔しがり始めた藤姫に、あかねはとうとう苦笑した。

 もうこれは本当に手がつけられないかもしれない。

「まぁね、頼久は悪いね。」

「友雅さんまで…。」

「やっと友雅殿もおわかりになりましたかっ!」

「女人に対して家を出て姿をくらますほどに怒るなど、怒らせる相手の男の方が悪いに決まっているよ。だが、夫婦の間のことだからねぇ。藤姫、これは首を突っ込んだ方が疲れるだけだと思うのだが……。」

「何をおっしゃいますっ!この藤、頼久が土下座して神子様に謝罪するまで、絶対に神子様をあの屋敷へお返ししたりは致しませんから!」

「ど、土下座って……。」

 今度はあかねが顔色を青くした。

 大好きな旦那様に土下座なんてとんでもない。

 でも、止めても藤姫はとまってくれそうになくて…

「さて、藤姫もこう言っているし、そもそもの喧嘩の理由を教えてはくれないかい?喧嘩の理由が解決すれば問題は多少、解決の方向へ向かうかもしれないよ?」

「あ、はい。」

 友雅が助け舟を出してくれて、あかねはやっとさきほど藤姫に愚痴として聞かせた夫婦喧嘩の理由を語り始めた。

「実は、もうすぐ頼久さんが藤姫のお父さんの警護でちょっと長く屋敷を空けることになったんです。」

「ああ、あれね。おかげで私が主上のお側に侍らなくてはならないことになったから知っているよ。それで神子殿は行っては嫌だと駄々でもこねたのかい?」

「まさかっ!違いますよ。頼久さんがお仕事しているのに私が一人で屋敷でボーっとしているのも申し訳ないし、だいたい警護っていうことはもしかしたら頼久さんには危険なことも起きるかもしれないでしょう?」

「まぁ、左大臣殿なら不貞な輩に狙われないとも限らないねぇ。」

「ですよね、だから、頼久さんがお仕事で屋敷を空けている間に、私はちょっと遠くのお寺まで頼久さんの安全祈願をしに行こうと思ったんです。でも、そんなに遠くまで行くなら自分の警護なしに行っちゃいけないって頼久さんに止められて…。」

「頼久としては心配、なのだろうが……。」

「頼久さんと一緒に行くなんて、そんな、それでなくても頼久さんはお仕事で忙しくて疲れてるのに、もっと疲れさせちゃうじゃないですか、だから、武士団の人達に供をしてもらうから平気って言い張ったんですけど……絶対に許さないって大声で言われてしまって…それで私、頼久さんの無事を祈りながら待っていたいだけなのにどうしていけないのって食い下がっちゃって…。」

「で、二人とも引くに引けなくなって神子殿が屋敷を飛び出したというわけだね。」

「はい…。」

 内容を聞いてみればなんということはない、かなりどうでもいい理由で二人は結婚後初の大喧嘩をしたらしい。

 男女の仲などそんなものだとわかってはいても、友雅の顔には苦笑が浮かんだ。

 これではまるで愚痴どころか惚気を聞いているようではないか。

「ふむ、事情はわかったよ。頼久も神子殿の身が心配なのだろうが、家出するほど怒らせるのはいただけないね。もうちょっとやりようというものがあるだろうに、大人なのだし。」

「一番大人なのに大人らしく振る舞ってくださらない方のお言葉とは思えません。」

 そう言いながら姿を現したのは鷹通だ。

 久々の相棒の仏頂面を見て、友雅の口元が緩んだ。

「久しぶりだね、鷹通。」

「先触れも出さずにすみません、藤姫、神子殿、何やら女房達が神子殿派、頼久派の2派に分かれて口論をしていたので直接参りました。」

「ええええっ!」

 鷹通の言葉にあかねが目を丸くする。

 あかねとしては藤姫に愚痴を聞いてもらうだけのつもりだったのに、どうやら今回の神子殿夫婦の喧嘩は屋敷中の女房達を巻き込んでの大事に発展しつつあるらしい。

「その口ぶりだと鷹通は状況が飲み込めているらしいね。」

「ええ、私はさきほどまで神子殿のお屋敷におりましたので。」

 友雅にそう答えて隣に座った鷹通は、ギロリと隣の相棒をにらみつけた。

「まさか、こんなところで神子殿を焚き付けておいでなのではないでしょうね?」

「たきつけてなどいないよ、男女の仲というものは外野がとやかく言うような類のものじゃないからね。」

「ですが、先ほどは頼久が悪いような口ぶりではありませんでしたか?」

「まぁね、それは一般論だよ。女人が屋敷を飛び出すほど怒らせる男というのはいただけない。そうは思わないかい?」

「普通であれば、確かに。ですが、神子殿はこの京の女人ではありませんし、頼久はああですから、普通とは違うと思います。」

「ほぅ、では、八葉の一員であったにもかかわらず、大人な鷹通は頼久の味方をするというわけかい?」

「味方をするとか敵になるとかいう問題ではありません。」

 ここで天地の白虎は互いをギロリとにらみつけた。

 一触即発といった雰囲気だ。

 この二人の間がこんなふうに緊張するのは天地の相棒として絆を深める前にしかありえなかったから、あかねは慌てた。

「待ってください!これは私と頼久さんの喧嘩であって、どうして友雅さんと鷹通さんがここで喧嘩しなくちゃいけないんですか!」

「おや、かわいい白雪のために弁護してあげているのにそんな言われようとは、心外だね。」

「申し訳ありません、私としたことが大人げありませんでした。」

 互いにそうは口で言っても再び鋭い視線を交わす二人に、あかねは溜め息をついた。

「止めてください。二人が喧嘩を始めたら、私がどうしたらいいかわからなくなっちゃうじゃないですか……って鷹通さん!」

「はい?」

「ごめんなさい……さっきまで私の屋敷にいたって……お願いしてた本を届けに来てくれたんですよね?」

「ああ、はい、そうなんですが……。」

「私がいなかったからこんなところまで来させちゃってごめんなさい。」

「いえ、本は屋敷の方に置いてきたんですが…。」

「ああ、はい。そう、ですよね…。」

 そう答えてあかねはあの屋敷こそが今の自分の家なのだと再認識した。

 するととたんに頼久のことが恋しくなってしまう。

 もともと大好きな旦那様の身の安全を祈願したいと言い出したのが喧嘩の原因であって、あかねは決して頼久を疎ましく思っているわけではないのだ。

 でも、屋敷に帰れば怒った頼久に迎えられるに違いなくて…

 あんなふうに声を荒げて怒る頼久を見たことがなかったから、なんだかすぐに会うのは気まずい気がして…

「あの…神子殿。」

「あ、はい、なんですか?」

「できればその、早く屋敷へお戻りになっては頂けませんか?」

「それは…でも…頼久さんも怒ってるだろうし、なんていうか…。」

「いえ、頼久は怒ってなどおりませんでした。私が屋敷を訪ねると、縁に座って頼久がうなだれておりまして。」

「へ?」

「最初は私が目の前にいることにも気付かなかったような有様で、それで無理に頼久から事情を聞きだしたのです。あまりに力なくうなだれて呆けていて、事情を聞きだすのも一苦労でした。話は頼久から聞いてよくわかりました。神子殿のお気持ちもわかりますが、今は頼久のことを察してお戻り頂けませんか?」

「いけません!」

 ここで口を挟んだのは藤姫だ。

 その顔は見ただけではっきりと怒りで打ち震えていることがわかる。

「あろうことか頼久は神子様を大声で怒鳴って説教までしたとか、ここへ来て神子様に土下座をするまでこの藤が許しません!」

 胸を張ってそういう藤姫に鷹通は苦笑しただけで、その視線はすぐにあかねに戻された。

「頼久は大変後悔していましたよ。神子殿になんと無礼なことをしたのかと。きっと自分を見限って土御門邸へ帰られたのだと、そう言っていました。」

「そ、そんなことないですっ!」

「と、私も言ったのですが、頼久はもう自分はすっかり神子殿を失ったのだとそう悲嘆にくれておりまして、不穏な目つきで己の刀を見つめ始めましたので……。」

「ふ、不穏って、まさかっ!」

 あかねが慌てて立ち上がるのを鷹通は苦笑しながら制した。

 このままだと駆け出したあかねが慌てるあまり縁から転げ落ちるとも限らない。

「私も神子殿と同じようなことを疑ったので、私の代わりに泰明殿に今は見張っていてもらっていますから安心してください。」

「安心なんてそんな……私がわがまま言ったせいで……。」

 あかねがその目に涙を浮かべてそういうと、さすがの藤姫もその涙を袖でぬぐいながら悲しげに表情を曇らせた。

「神子様…。」

「藤姫、ごめんね。私、やっぱり帰る。頼久さんが心配だし、謝らないと……。」

「承知致しました。ですが、もし頼久が承知しないようなことがありましたら、きっとここへおいでくださいませね。」

「有難う、でも大丈夫。許してもらえるまで頑張るから。」

 あかねがそう言って歩き出すのを見て、友雅がさっとその小さな体を横抱きに抱き上げた。

 何故かといえば、あかねはこの京の女性らしく十二単を着ているから、このまま表へ歩いて出るわけにはいかなかったから。

「車を回すからね。車までは私が連れて行ってあげよう。」

「供には私がつきましょう。」

「頼むよ、鷹通、私は残るから。」

「はい。」

 いつの間にやら息がピッタリの白虎コンビに見守られて、あかねは牛車へと乗り込んだ。

 徒歩でほんの数分の距離を牛車で移動。

 車の中であかねはその数分が永遠に感じられた。

 そして……

 車があかねの屋敷の庭へと乗り入れて止まると、鷹通に導かれてあかねは牛車を降りた。

 そのあかねが最初に見たのは…

「頼久さんっ!」

 縁でうなだれて目の前の泰明の存在すら無視しているらしい頼久の姿に、あかねは目からぽろぽろと涙をこぼしてしまった。

 そして、牛車から降りたその足で、うなだれる頼久に駆け寄ると、あかねの声に反応して視線を上げた頼久の首に抱きついた。

「ごめんなさい!」

「神子、殿?」

「はい。ごめんなさい、ごめんなさい。」

「神子殿、なのですか?」

「はい。」

 かすれた頼久の声にあかねが少しだけ体を離して顔を見せると、頼久は心の底から安堵の溜め息をついてあかねを優しく抱きしめた。

「もう、二度とお会いできぬと思っておりました。」

「そんなことないですからっ!」

「さぞかしこの不届きな男にご立腹であろうと……。」

「不届きなんかじゃありません!私がわがまま言ったから……ごめんなさい……。」

「神子殿…。」

「もうわがまま言いません、だから許してくれますか?」

「ゆ、許すなどと!私の方が至らず……。」

「頼久さんは悪くないです。もともと私のことを心配してくれただけだし……。」

「そのままだと押し問答になるぞ。」

 声をかけられて初めて頼久とあかねは泰明の方を見て目を丸くした。

 鷹通に頼まれて頼久がとんでもないことをしでかさないように見張っていたらしい泰明は、今、とてつもなく不機嫌そうな顔で苦笑する鷹通の隣に立っていた。

「話は聞いた。神子は心配のしすぎだ。頼久の腕は並大抵の者ではかなわぬのだから案ずるには及ばない。物の怪の類にも傷つけられぬよう、護法もかけてある。」

「いつの間にそのようなものを……。」

 護法をかけているといわれた本人の頼久が訝しがるのにはかまわずに、泰明は不機嫌そうに続ける。

「それに、頼久は頼久で神子の身を案じすぎだ。そうやって神子を案じすぎれば神子の気が乱れる元となる。控えよ。いくら武士団の若い連中の中に神子に懸想する者がいても、この私がそのような邪なやからを神子へ近づくことなど許さぬ。」

「け、懸想って……。」

「泰明殿、それくらいで。二人とももう仲直りしたようですし、男女の仲は周囲がとやかくいうようなものではないと友雅殿もおっしゃっていましたから。」

「わかった。二人とも、今宵はよく休め、二人とも気が乱れていたからな。」

 そういい残して泰明がくるりと二人に背を向けると、鷹通も苦笑しながら軽く二人に会釈して泰明の後を追った。

 静かな庭に残されたのは頼久とあかねの二人きり。

 嵐が去ったような静けさの中で二人はゆっくり見詰め合って、それから微笑んだ。

「鷹通さんの話を聞いた時は本当にびっくりしたんですから。私、頼久さんが怒ってるとばかり思ってて…。」

「神子殿に対して怒るなど、ありえません。私は神子殿がご立腹で、私などもう見限っておしまいになっただろうとばかり。」

「それもありえません。」

 そう言いあって微笑を交わす。

 昨日までの日常が二人の間に戻ってきた。

「それにしても武士団の人の懸想って…。」

「ああ、はい。神子殿が何度か武士溜まりにおいでになった際にお姿を拝見して懸想する若者が増えまして…その……。」

「それで武士団の人がお供についてくれるって言っても安心してくれなかったんですね?」

「はい…。」

「やだなぁ、私が頼久さん以外の人に好きだって言われて答えるわけないじゃないですか。」

「はぁ……。」

「でも、私を他の人にとられたくないって思ってくれたんですね、ちょっと嬉しいです。」

「それは当然です。神子殿がいてくださらない世界など、私にはもう想像もつきませんから。」

 そう言って輝かんばかりの微笑を浮かべているあかねにそっと口づけて、頼久は妻の小さな体を腕の中に閉じ込めた。

 もうすぐ仕事で長く側を離れなければならないから、今だけはこうして腕の中に閉じ込めて、大切に大切にしていよう。

 そんな想いをこめて、頼久はあかねを優しく優しく抱きしめ続けた。








管理人のひとりごと

即席ですので誤字脱字はご容赦を(TT)
校正してる暇がなかった……(、、)
いい夫婦の日と昨日思い出したので、1日で書いてます(’’)
夫婦喧嘩は犬も食わないって話なんですが……
天地の白虎が食いついてるなぁ(’’)
まぁ、客観的にお説教するのは泰明さんの役目ですな(w
結局のところ、喧嘩するほど仲がいいというお話、たぶん(’’)








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