
「そんなに常に神子殿の心配をしているのかい?」
「そうなんです。お屋敷はちゃんと武士団のみんなが警護してくれてるのに賊は入らなかったか?とか、何か怪しい気配はないか?とか。」
「それは確かに重症かもしれないねぇ。」
「重症ですよ。あげくの果てに友雅さんは訪ねてきたかって、そんなことまで手紙で尋ねてくるんですから。」
「それはまた…。」
濡れ縁に座っている友雅は半ば開いた扇で口元を隠してくすりと笑みを漏らした。
御簾を隔てた向こうにはかつて龍神の神子と呼ばれた女性、あかねがいる。
めでたくその夫となった頼久はどうやら夫となった今でもあかねのことをずいぶんと心配しているようで、その様子にあきれ気味のあかねから相談を受けたのが友雅だったというわけだ。
当の友雅はというと、どうやら自分も警戒されている対象の一人らしいということをたった今あかねの口から聞いて苦笑が漏れるばかりだった。
御簾の向こうにいる天女は夫のことしか考えていない。
それを知っているだけに友雅はそれでも自分を警戒しているらしい頼久に思わず苦笑を漏らすのだった。
「友雅さん、聞いてます?」
「聞いているとも。」
「そんな心配しなくていいですって何度言ってもはいって答えてはくれるんですけど、全然事態は改善されないんです。」
「それは困ったねぇ。」
「全然困ったように聞こえませんけど…。」
「そんなことはないさ。神子殿が困っておいでだということはよくわかったよ。」
「じゃあ、どうしたらいいと思いますか?」
「そうだねぇ。」
友雅は手にした扇をぱちりと音を立てて閉じたり開いたりしながら考え込んだ。
頼久の心配症は今に始まったことではない。
妻にぞっこんで、それこそ妻を失ったら自害しかねないほどの想い入れようだ。
そもそもが一途で実直な頼久だから、そう簡単に態度が変わるとは思えない。
これは難題だと友雅が考え込んでいると、ばさりと御簾が跳ね上げられて、ひょっこりあかねが顔を出した。
友雅にとっては愛らしいばかりだった少女はいつの間にか女性らしく、穏やかな美しさを伴うようになっていて、友雅は一瞬目を見開いた。
そしてなるほどと一人で納得する。
夫を持ってすっかり大人びたあかねは以前よりもずっと美しく成長していて、そのことがなおさら頼久の不安を煽るのだろう。
「あ…。」
「なんだい?」
「いえ…ちゃんと考えてたんだと思って…。」
バツが悪そうにそう言って苦笑するあかねは、まだ以前の幼さも残していて、これはひょっとすると魔性の女性に化けるかもしれないなどと思いながら、友雅はぱちりと扇を閉じた。
「もちろん、懸命に考えていたよ。我らの大切な神子殿のためだからね。」
「それじゃあ、何かいい考えは浮かびました?」
期待満面で自分を見上げるあかねを見つめて、友雅はくすりと笑みを浮かべた。
こんなにも愛らしく美しい、しかもこの京を救った天女が相手となればどんなことをしたって不安はぬぐえないだろう。
たとえばそれが頼久でなかったとしても、と、そこまで考えて友雅はもろ手を上げることにした。
「そうだね、頼久のことだから、どうやったって不安がるだろう。たとえば…。」
友雅がほんの冗談として口にしたこの先の言葉が、頼久をとんでもない状況に追いやることになろうとはこの時の友雅は思ってもみなかった。
軽い気持ちで話したその後で、あかねが「さすが友雅さん!」と大声で喜んだ時にはさすがにまずいかもしれないとは思った。
けれど、そんなことをまさかあかねが本当に実行し、頼久がそれを止めることができないとまでは思い至らなかった。
だから友雅はこの日、特に気にもしないで上機嫌になったあかねに見送られ、藤姫の顔でも見て帰ろうと土御門邸へ足を向けたのだった。
「神子殿…。」
頼久はあかねを前に困惑顔で立っていた。
というのも、目の前にいるあかねが頼久が予想もしなかった行動に出たからだ。
あかねと言う女性が頼久のみならず、京の人間では予想もできない行動をとることはそう珍しくはない。
何しろ、別世界から降りてきた天女なのだから当然だというのが元八葉達の常識ともなっている。
もちろん夫である頼久もその辺のことはよく承知していたし、これまでも驚くような行動をとられたことはあるが、ここまで困惑したのは初めてだった。
二人で楽しく頼久の休みを過ごしたのが昨日のこと。
そして今朝、頼久は仕事に出なくてはならないのかと少しばかり重い腰を上げて着替えを済ませた。
その前に妻であるあかねを起こしておいたのはいつものこと。
頼久が着替えている間にあかねは朝餉の支度などしてくれて、二人でおいしく朝餉を頂いた。
これもいつものこと。
朝餉を済ませれば愛しい妻と離れて武士溜まりへと足を向けなくてはならない。
そのことが少しばかり気鬱で、頼久が小さなため息を漏らしたことから事は発した。
どうやら仕事へ出ることに何らかの抵抗があると悟ったあかねは、にっこり微笑むとその笑顔に頼久が見惚れている間に、自分よりもよほど大柄な夫の手を引いて歩き出した。
そして頼久がふらふらとついていけば、あかねは塗込の前に立ち、扉を開けるとすたすたと中へ入って行ったのだ。
頼久が何事かと目を丸くしている間にあかねは奥から荒縄を持ち出すと、頼久にそれを差し出した。
それだけでは訳が分からず頼久が目を白黒させていると、あかねは頼久の思考を粉砕するような一言を放った。
「これで私をあそこの柱に縛ってください!」
何を言われたのか分からない頼久が何がどうしてそうなるのかとしどろもどろに尋ねれば、あかねはこれぞ名案だったのだと自慢げに自分の考えを話してくれた。
つまり、仕事で留守をしている間、頼久はずっとあかねの心配をしている。
そのせいで仕事に行く気になかなかなれないとあかねは思っている。
その問題をどうやったら解決できるかをあかねなりに考えてみた結果がこれ。
頼久が柱にあかねをしっかり縛り付け、塗込の中に閉じ込めて見張りをたててしまえば安心というわけだ。
塗込の外に見張りをたてておけば外からの侵入者はまず入ることが不可能。
加えて、中のあかねは縛られている。
お転婆なあかねもこれなら外出不可能というわけだ。
もちろん、元八葉でもある仲間達がやってきても塗込の中に入れなければいい。
これで万事解決、頼久は安心して仕事に出て行ける。
それがあかねの説明だった。
そしてその説明を頼久は頭の中でよくよく噛み砕いて理解して現在に至る。
「はい、縛ってください。」
ニコニコ顔で言いつのるあかねに頼久は小さくため息をついた。
確かに色々といらぬ心配をしたかもしれないが、事態がこんなふうに展開するとは思ってもみなかった。
頼久にしてみれば何よりも大切な妻を縄で縛るなどできるはずもない。
「神子殿、その…そればかりは…。」
「だって、これなら頼久さんは安心してお仕事できるじゃないですか。あ、見張りはちゃんと武士団の一番信用できる人にしてもらってくださいね。」
「そういうことでは…。」
「だって、頼久さんは私が留守中に誰かと内緒で会ってるんじゃないかとか、私が勝手に一人で出かけるんじゃないかとか、それが心配でお仕事が上の空なんですよね?」
「上の空ということは…。」
「上の空です!お仕事中にしょっちゅう手紙くれるじゃないですか!」
「……。」
こればかりはあかねのいっていることが正しい。
頼久としては仕事の手を抜いているつもりはないが、手紙をちょくちょく書いていることは事実なのだ。
「そんなふうに落ち着きがなくなるくらいなら縛ってください!」
「神子殿、私は神子殿を何よりも大切なお方と思っております。ですから、そのようなまねは…。」
「私だって頼久さんが大切です、だからこうして安心してもらいたいんです。私が縛ってもらいたいんです!」
ずんと荒縄を突き付けられて、頼久は息をのんだ。
自分から縛ってくれとはなんという申し出かと戸惑いながら、これは逃げられるものではないと頭のどこかで理解してもいる。
けれど、やはり大切な妻を縄でくくるなどということは頼久の本能に近い部分が納得するわけもなく…
「わかりました。頼久さんができないなら、他の武士団の人に…。」
「やります!」
頼久が勝手に自分の中で葛藤している間にあかねが他の人間を呼ぼうとしたので頼久は思わずあかねの手から荒縄を取り上げていた。
自分が縛り付けることさえ躊躇しているというのに、他人にあかねを縛らせるなど言語道断だ。
これはやはり逃げ場なしと観念して、頼久はにっこり微笑むあかねを言われたとおりに柱に縛り付けた。
「頼久さん、ちょっとゆるくないですか?」
「いえ、十分です!」
あかねの希望通りに縛り付けてみたが、手加減したことはもちろんあかねにもわかったらしい。
これ以上あかねをきつく縛ることなど不可能だから、頼久は間髪入れずに大声で否定すると、深いため息をついた。
「では、神子殿、行って参ります…。」
「はい、行ってらっしゃい。あ、ちゃんと見張りの人を立ててくださいね。」
「…はい。」
頼久は満足げに微笑むあかねに軽い口づけを一つ落として塗込を後にした。
頼久の背を見送って、塗込の扉が閉まるのを見届けたあかねは、扉の向こうに人の立つ気配を感じて安堵のため息をついた。
これできっと安心してお仕事をしてくれる。
そんな安堵からか、あかねは物音一つしない暗闇の中ですぐに眠気に襲われた。
考えてみれば、この結論にたどり着くまで、今回の問題とはずいぶん長いこと格闘していた気がする。
きっと気疲れしたんだ。
そんなことを思っている間に、あかねは目を閉じていた。
ふわりと甘いような切ないような香りがした気がして、あかねは目を開けた。
視界に入りこんできたのは夕焼けに染まる赤い空と、その空を見上げている整った横顔。
夕日に照らされて少し赤く見えるその顔は間違いなく大好きな人のもので、あかねは眠い目をしばたきながら小首をかしげた。
確かこの人は仕事に行って、ひょっとすると明日まで帰ってこられないのではなかっただろうか?
なのに夕日が見えると言うことはまだ時間は夕方。
いや、もしかしたら翌日の朝?
あかねはまとまらない思考の中に漂いながら身じろぎした。
ああ、これはきっと幸せな夢なんだ。
そう思って眠りに戻ろうとした刹那、整った横顔がすっと自分の方へと視線を巡らせた。
そしてすぐに幸せそうな笑みがその顔に浮かぶ。
「神子殿、お目覚めですか?」
「頼久、さん?」
「はい。」
ぱちくりとあかねは何度も瞬きをして、視界から霞を追い払う。
すると、目の前にあるのは確かに大好きな旦那様の顔で、自分の今の状況を確認すれば、その旦那様の膝の上に抱きかかえられて眠っていたらしい。
あかねは意識が覚醒するとすぐに慌てて体を起こそうとして、頼久の腕に抱きしめられて失敗した。
「よ、頼久さん?」
「はい。」
「はい、じゃなくて、えっと…私はどうして今こんなことになってるんでしょう?」
そう、思い出してみれば、自分は夫を安心させるために塗込に自主的に閉じ込められていたのではなかったか?
なのに今は、どうやら屋敷の濡れ縁らしき場所で夫に抱きかかえられて寝こけていたらしい。
これはいったいどういうことなのか?
覚醒したばかりのあかねの頭の中は?でいっぱいだ。
「それは、私がこのようにしたかったからですが…お気に召しませんか?」
「そんなことはないです!」
突然悲しそうになった頼久の顔にあかねは慌てて大声を上げた。
この状況が気にいらないなんてそんなことあるはずがない。
「ないんですけど…あの…お仕事は…。」
「細かな仕事は部下に任せて帰って参りました。」
「へ…。」
頼久は人一倍責任感が強い。
部下達にはなるべく休みをやりたいと考えている人でもある。
そんな人が自分の仕事をたとえ細かいものであったとしても部下に任せて帰ってくるなんてことはそうめったにあることじゃない。
それを知っているだけにあかねの顔には不安が浮かんだ。
「頼久さん、どこか具合でも悪いんですか?」
「いえ…。」
「でも……。」
「その……神子殿。」
「はい?」
「明日からはその…神子殿にはご自身の部屋にて心安くお過ごし頂きたいのですが…。」
言いづらそうに言い出す頼久の顔をじっと見つめて、あかねは今日一日を思い出す。
といっても、あかねには朝頼久と別れてからその後、別に何かをしたという記憶はない。
ただ暗い塗込の中でうつらうつらと寝たり起きたりを繰り返していただけだ。
毎日となるとさすがに暇だな、くらいは考えていた気がする。
そんな自分を思いやってくれたのかと思うと、あかねはすぐにうなずくことはできなかった。
「頼久さんが気遣ってくれるのは嬉しいですけど、でも、私は大丈夫ですよ?」
「いえ……私が、もちません…。」
「はい?」
「神子殿があの狭い塗込で、しかも縄にくくられておいでかと思うと居ても立っても…。」
「あ……。」
あかねは思わず声を漏らした。
そう、頼久は誰よりもあかねを大事と思っている男だ。
その大事なあかねを縄で縛って放り出して、安心してなどいられるわけがないのだ。
そのことに気付いて、あかねは慌てて頼久の膝から降りると、正面に座って深々と頭を下げた。
「み、神子殿?」
「ごめんなさい。やっぱり頼久さんに心配かけちゃって…。」
小さな声でそうあかねが詫びれば、小さな体はすぐ頼久の膝の上へと戻された。
愛しい妻をしっかりと腕に抱いて、頼久は苦笑をこぼした。
「いえ、神子殿のお気持ちはしかと。」
「本末転倒でした…。」
「明日からは今まで通り、お好きになさっていてください。私も仕事に身を入れるよう、努力いたしますので。」
「はい。」
優しく髪を撫でられて、目の前の大切な人が笑ってくれたとあればあかねの顔にも微笑が戻った。
彼が努力すると言ったのなら、精一杯の努力をしてくれる。
それがあかねにはわかっているから。
「あーあ、せっかく友雅さんがいい方法を考えてくれたと思ったのに、やっぱり駄目でしたね。」
「……友雅殿の提案、だったのですか?」
「え、あ、はい、この前、友雅さんが頼久さんの心配症はそう簡単には治らないだろうから、紐でくくって塗込にでも閉じ込めておくしかないだろうねって教えてくれて…。」
「……そうですか…。」
口では穏やかに答えながら、頼久は胸の内にふらふらと漂うように現れる美貌の少将を思い浮かべていた。
彼があかねに会いに来るたびにろくなことが起こらない。
今回の騒動も彼が発端かと思えば、近いうちに同じようなことをしないよう釘を刺しておかねばと頼久は決意を新たにした。
「頼久さん?」
「神子殿。」
「はい?」
「私は神子殿が自由に心安く、幸せでいて頂きたいと思っております。」
「頼久さん…。」
「私も神子殿のお心を煩わせることのないよう、これから精進致しますので、今回のようなことはもう…。」
「はい、二度としません、約束します。」
あかねがしっかりとそう宣言すると、頼久は安堵のため息をついてあかねの体を抱きしめた。
全てを捨てて、更に自分の幸せを一番に願ってくれる大切な人。
何よりもあなたの幸せを望んでやまないのです。
そんな思いを込めて、頼久はいつもよりも少しだけ長く、そして少しだけ強く、愛しい人の唇を奪った。
「全然治ってないんです!」
あかねの元気な声は御簾などないかのように庭にまで響き渡った。
その声に苦笑しているのは相も変わらず扇を手で弄んでいる友雅だ。
「一昨日も昨日も2回も手紙が来て、多いですって話したのに前は3回だったから1回減らせたって言われて…。」
「それは確かに減っているねぇ。」
「そういう問題じゃないです!」
思わず頼久の意見に同意して怒られて、友雅の苦笑は深くなる。
「羨ましいねぇ。」
「どこがですか!」
「羨ましいよ。仲睦まじいということだからね。」
「そ、それはまぁ…。」
「諦めるより他にないよ、神子殿。あの男のあの一途さは、神子殿が拍車をかけたのだしね。」
「へ?私ですか?」
「そうだよ、天女殿。君ほど美しく、清らかで、尊い存在はそうはいない。そんな人を妻にしたならああなっても不思議はないさ。もとが頼久であることだし。」
「そ、そ、そんなことは…。」
「おからかいになるのもその辺で。」
あかねが御簾の向こうで真っ赤になって照れていると、友雅とは違う男の声が響いた。
聞き覚えのあるその声にあかねが慌てて御簾を跳ね上げると、案の定、友雅の隣には頼久が立っていた。
「頼久さん?」
「ああ、頼久。今回は別に余計なことは言っていないからね。」
「はい?余計なこと?」
「ああ、先日私がうっかり余計なことを言ったとずいぶんと頼久に責められてね。」
「へ…。」
友雅はぽかんとしているあかねに笑みをこぼしながら立ち上がると、ひらりと庭に下りた。
「まあ神子殿、そういうことだから、あきらめなさい。」
そう言うと、友雅は何がおかしいのかクスクス笑いながら庭を横切って去って行った。
残されたあかねが頼久の方へと視線を向けると、頼久は無言の内にあかねを抱き上げ、御簾の内側へと入り込んだ。
「あの、頼久さん?」
「こちらに友雅殿がおいでと藤姫様よりうかがいましたので、急ぎ帰って参りました。」
「えー!急ぎって…。」
「本日は半日休みを頂きましたので。」
どうやら友雅の訪問を警戒したらしい頼久に抱きしめられて、あかねはため息を漏らした。
本当にこれは友雅の言うとおり、あきらめるしかないらしい。
けれど、それほどに夫が自分を想ってくれていることも嬉しくて、あかねはため息の後、頼久の腕の中で一人そっと微笑むのだった。
管理人のひとりごと
あかねちゃんが張り切りすぎてなんか変な方向へ走り出したお話です(’’)(マテ
そして頼久さんの方がギブという…
まぁ、ここはいつだってそんな感じ(笑)
これはもう少将様、うっかりなことは言えませんな!
でも今回、一番とばっちりを食ったのはたぶん、塗込前の番をさせられた人だと思う(’’)
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