「友雅殿…。」

 自室で調べ物をしていた鷹通は急の来客に目を丸くした。

 庭の花もかすんで見える夕暮れ時、何を思ったか従者に琵琶を持たせて現れた友雅は、さっさと鷹通の向かいに座ると琵琶を受けとって従者を帰らせてしまった。

 あからさまに訝しげな顔をした鷹通に苦笑して、友雅は琵琶を軽くかき鳴らす。

「今宵は一献、お付き合い願おうかと思ってね。」

「私と、ですか?」

「なんだい、その意外そうな顔は。」

「意外ですので。」

「天地に分かれているとはいえ、同じく白虎の加護を受ける相棒じゃないか、つれないことをいうものじゃない。」

「そういうことではなく…最近、橘少将殿の名声は高まるばかりと聞いておりますので。」

「嫌味かい?鷹通。」

 そう言って不敵に笑う友雅に鷹通は溜め息をついた。

 名声が高まっているというのは嘘ではない。

 八葉としてこの京を救った面々はそれぞれ、公にされていないとはいっても帝の覚えもめでたく、昇進の話もちらほら出ているほどだ。

 友雅はもともと帝には信頼されている武官でもあるし、名声が高まっているというのは嘘ではない、嘘ではないが、鷹通が言ったのは仕事の名声のことばかりではない。

 ここのところ友雅が乗り換える女の数の多さも内裏では話題になっているのだ。

 あちらこちらの女性と浮名を流している男がこんなところで男相手に酒を飲むこと自体が鷹通には不思議に思われただけだ。

「たまにはいいだろう、仲間と酒を飲むのも。そうだ、紙と筆を貸してはもらえまいか?」

「かまいませんが…。」

 友雅が何をしたいのか相変わらずつかめないこの相棒は、言われるがまま紙と筆を友雅に渡す。

 すると友雅はさらさらと何枚か手紙を書いて女房を呼びつけるとその手紙を永泉と泰明に届けさせるようにと言いつけた。

「友雅殿?」

「どうせ飲むなら多い方が良いと思ってね。」

「しかし、永泉様までとは…。」

「琵琶など合わせたいので是非と書いたから、永泉様はおいでくださるだろう。泰明殿はわからぬが…。」

 鷹通は大きな溜め息をついて首を横に振った。

 この相棒のわけのわからない行動は前からだが、ここまでひどかっただろうかと頭を抱えそうになる。

 だがここで鷹通はあることに気付いて、友雅のその整った顔をじっと見つめた。

「なんだい?男にそんなに見つめられてもあまり嬉しくないのだがね?」

「いえ、イノリはまだ酒を飲むという年ではないでしょうからわかりますが、頼久には声をかけないのですか?仲間と飲むとおっしゃったはずですが。」

「あぁ、誤解しないでくれ、鷹通。私は別に頼久を仲間ではないと思っているわけではないよ。ただ、無粋な男になるつもりもないのでね。」

「無粋、ですか?」

「そう、今、頼久は誰と共にいると思う?」

「神子殿、でしょう。新婚なのですから。」

「そう、そういうことだよ。」

「あぁ…。」

 新婚夫婦の幸せな夜を邪魔するほど無粋な男になるつもりはない、ということかと気付いて鷹通は苦笑する。

 こういうことにだけはよく気の回る相棒なのだ。

「それに、我らが神子殿を独り占めにした男と酒など飲んでも美味くはないだろう?」

 それが本音かと鷹通は溜め息をついた。

「頼久が悪いわけではないでしょう。」

「本心かい?鷹通。」

「……。」

 鷹通がきりっと友雅をにらみつけると、にらまれた当の本人は髪をかき上げながら不敵な笑みを浮かべている。

 この方はいつもふわふわと何事にも関心がない風を装っているのに、いつも痛いところを突いてくる。

 それが鷹通の友雅への評価だった。

「本心です。頼久が悪くないことは事実ですから。」

「ほぅ、鷹通は心が広いね。」

 そう言って友雅はさらりと琵琶をかき鳴らす。

 その音色は美しく澄み切っていて、鷹通は楽の音のわからない自分の胸までもふるわせる音だと感心せずにはいられなかった。

 友雅の楽の音はもともと評判がよかったが、最近になって更に艶のある音色になってその評判は良くなる一方だ。

 友雅くらいの貴族となれば所持している楽器自体が良いことは間違いないが、弾き手の技量が優れていることも確かだ。

 笛を奏でれば右に出る者はいないだろう永泉との合奏でさえも一歩も引けをとらない。

 今はただ何という曲ではなくかき鳴らしているだけだというのに、その音色は澄み切ってよく響いた。

「ところで鷹通。」

「はい?」

「酒は出してもらえぬのかな?」

 くすっと笑う友雅にため息をついて鷹通は人を呼ぶとすぐに酒と肴の手配を命じた。

「急のお越しでしたからたいしたものは用意できませんが。」

「いやなに、酒さえあれば文句は言わぬよ。」

 さらりと再び琵琶が鳴る。

 友雅はいつものようにうっすらとその口元に微笑を浮かべて何とはなく琵琶をかき鳴らしているのだが、鷹通にはそんな友雅がどこか寂しげに見えた。

 以前は寂しいとか悲しいとかいう感情とは無縁に見えていただけに鷹通は小首をかしげた。

 こんなにも己の感情をあらわにする方だっただろうか?

 しかも何故に寂しいのだろうか?

 そんなことを考えている鷹通に友雅はすぐに気付いて苦笑した。

「何か言いたいことでもあるのかね?」

「いえ……ただ…。」

「ただ?」

「見慣れぬお顔をなさっておいででしたので…。」

「鷹通は冷たい男だな。共に怨霊の手から京を救うべく、背を任せ合って戦ってきた同じ白虎の相棒の顔を見慣れないなどと。」

「そのようなことを申しているのではありません。おわかりでしょう…。」

「では、どのように見慣れないと思ったのだい?」

「寂しげにお見受けしました。」

「……。」

 琵琶をかき鳴らす手を止めて友雅は鷹通に苦笑を浮かべて見せた。

 その表情は鷹通の言葉が図星だったと語っている。

 だからこそ、鷹通は驚いて目を丸くした。

 いつもどこかに思い人を作り、女性の影がつきることのないこの方が寂しいのか?

「鋭いね。」

「……寂しい、のですか?」

「では聞くが、鷹通は寂しくはないのかい?」

「は?」

 今度は真剣な目で見つめられて鷹通は言葉に詰まった。

 寂しくない、といえば嘘になる。

 何故寂しいのかと問われれば、これもまた鷹通にははっきりとした答えを口にすることができない。

 怨霊との戦いが終わり、仲間と共にいることが少なくなったことが寂しいのか、それとも…

「私は寂しいと思ってしまうよ。あの神子殿の花の顔をなかなか拝見できなくなってしまったことがね。」

「またそのような…。」

 そこまで言って鷹通は続く言葉を飲み込んだ。

 さらりとまた琵琶をかき鳴らした友雅の顔は真剣そのもの、今の言葉がいつもの冗談ではないことが見て取れたからだ。

「だから、ですか。」

「何がだい?」

「最近、また恋人を頻繁に変えていらっしゃるのは、寂しいからなのですね。」

「鷹通にそんなふうに突っ込まれるとは思わなかったね。」

「私も、寂しいという理由で友雅殿が通う女性を変えるようなことをなさるとは思いませんでした。そいうことが無駄なことだと承知していらっしゃる方だとばかり思っておりましたので。」

「わかっていてもやらずにはいられないこともあるものさ。」

「……。」

「鷹通はこのところ同僚達が体を壊すのではないかと心配するほど仕事熱心だそうじゃないか、ま、以前からその傾向はあったが、それでも最近は度が過ぎると聞いたよ。」

「……。」

「寂しさを女で紛らわすか仕事で紛らわすかの違いだろう?」

 そう言って友雅はまた琵琶をかき鳴らす。

 鷹通は何も言えなかった。

 自分ではそうはっきりと意識したわけではなかったが、確かに寂しかったから仕事に没頭していたのかもしれない。

 そう友雅に指摘されてみれば確かにそんな気がしてきて、鷹通は何も言い返せないのだった。

「私もね、気付いたからここに来てみたのだよ、鷹通。」

「は?」

「鷹通の言う通り、そんなことをしても無駄だとわかっていたからね。ならば、同じ思いをしている仲間と酒でも飲んだ方がよほど気が晴れるかと思ったのさ。」

「なるほど…。」

 それで永泉様と泰明殿は呼んでも頼久は呼ばないのかと一人納得して鷹通は苦笑した。

「これは、湿った酒盛りになりそうです。」

「そうかい?私はそうは思っていないよ。だから琵琶も持ってきた。」

「何の関係が?」

「我らが神子殿は幸せそうにしておいでだからね、そう悲観することはないだろう。ただ、我らには手が届かぬというだけのことだ。湿った酒盛りにはならぬさ。」

 そう、神子がこの京からいなくなるということもありえたのだ、それを考えれば今の状況は最悪ではない。

 神子の屋敷を訪ねていけば、人妻ではあってもあの清らかな笑顔を見ることはまだできるのだから。

 だが、と鷹通は思う。

 見ることができてしまうからこそ、手が届かぬことを悲観することもあるかもしれない。

「いっそもう会うこともできぬ方が…。」

「さっぱりと忘れられたかもしれない、か?」

 からかうような口調で聞いてくる友雅に鷹通はきりっと鋭い視線を向けた。

 年が下だからとバカにされたような気がしたからだ。

「ありえないと私は思うね。」

「は?」

「真の情熱とは会えぬくらいでそう簡単に冷めたりはしないものさ。」

「……。」

 二人の間に沈黙が降りてきたその時、家人が二人の間に酒と肴を置いていった。

 友雅は持っていた琵琶を脇へ置くと杯を手にして鷹通へと差し出した。

 鷹通は少しだけ躊躇してからそれを受け取ると、友雅に酒を注がれるのをぼーっと見つめていた。

「だからこそ、こうして飲もうと言っているのだよ。」

「はぁ…。」

「仲間とこうして飲み明かせば少しは憂さが晴れるというものだろう?」

「憂さ、ですか?」

「憂さだろう?」

 ふっと笑って友雅は自分の杯にも酒を満たすとそれを一気に飲み干した。

「真の情熱だから永遠だなどと言うつもりはないがね、それでもその情熱が真実のものであればあるほど、手に入らぬものに対する情熱だとわかっても冷めるまでには時がかかる…。」

「そう、かもしれません……。」

「鷹通は素直じゃないからね、無理をするだろう?」

「あなたには言われたくありません。」

「言うねぇ。」

 二人は視線を交わすと口元に微笑を浮かべて酒を口にした。

 友雅が言っているのはこういうことかと鷹通は一人納得していた。

 同じ思いを抱く仲間と何とはない会話をしながら酒を飲む。

 確かにこうしていると仕事をしている時よりも心が落ち着く、そんな気がして。

 鷹通は友雅の杯に酒を注いだ。

 外はもうすっかり日が暮れて月が昇り始めていた。

「今日はいい月を見上げながら飲めそうだな。」

「永泉様が来て下されば美しい楽の音を聞かせて頂きながら月を愛でることができるのですが…。」

「私の琵琶ではお気に召さないかい?」

「いえ、お二人の方が更に見事な音色だと申しているだけです。」

 くすっと笑って友雅は杯に口をつけた。

「わたくしが、その…どうかしましたか?」

 そこに現れたのは話題の主、永泉だ。

 いつものように僧衣姿で心細げに立つ法親王は月明かりに照らされて儚くも美しい。

「いえ、永泉様の笛の音を是非お聞きしたいと話していたところです。」

「わたくしの笛を…。」

 ぱあっと笑顔になった永泉は友雅に促されるまま部屋に入り、月の見える縁の側に座ると懐から笛を取り出した。

「では、早速…。」

「酒を飲むのではないのか?」

 永泉が笛を吹こうとしたその時、今度は泰明が姿を現した。

 その顔はいつものように無表情だ。

「泰明殿もおいででしたか、どうぞこちらに。」

 同じ玄武の相棒、永泉に促されて隣に座った泰明は三人の様子を見て小首をかしげた。

「友雅が人の心の機微というものについて話し合うから参考にするために来るといいと言ってきたから訪ねてきたのだが?」

「友雅殿…どういう誘い方をなさるんです…。」

 相棒のいいかげんさに溜め息をつく鷹通。

「まんざら嘘でもないだろう?」

 対する友雅は余裕の笑みで琵琶を構えた。

「泰明殿、今宵は人の心の機微を語りながら楽と月を愛でつつ酒を飲む、そのような趣向ですよ。」

 そう言って友雅が琵琶をかき鳴らすとそれに合わせて永泉が笛を奏で始めた。

 憮然とした顔のままの泰明に鷹通が杯を渡して酒を注ぐ。

 こうして同じ思いを抱く4人の男による宴は始まった。

 4人はその内に抱える思いをはっきりと口にすることはなかったが、互いに互いの胸の内を思いやりつつ穏やかに杯を重ねた。

 静かで穏やかな宴は楽の音の中に漂い、月に見守られながら朝まで続けられたのだった。






管理人のひとりごと

頼久さんに神子をとられちゃった皆さんのその後を書いてみたかったんです(爆)
頼久さんにとられはしましたが、あかねちゃんが側にいてくれれば彼らはきっと落ち込んだりはしないんじゃないかな?と思います。
そして、あかねちゃんに励まされたりなんかしながらけっこう楽しくやってくんじゃないかな?と。
でも、まだ心の傷が癒えないうちは同じ傷持つ者同士、慰めあったりなんかしてね(笑)
共に鬼と戦った仲間だからこそ、胸の内をあからさまに語り合ったりしなくても分かり合える、そういう感じが伝わるといいのですが…



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ほろ酔い四人