本音
 頼久は辺りを見回して一つうなずくと歩き出した。

 後を任せた部下達はしっかりと持ち場についている。

 最近では部下達も頼久をなるべく新妻の元へ帰すためにと以前より仕事に励むようになったので、頼久はこうしていつもなら徹夜仕事になるような場合でもなんとか深夜にはあかねの元へ帰ることができるのだった。

 頭上には静かに輝く月。

 風のない夜道は穏やかだ。

 もうすっかり夜は更けて、誰一人行き過ぎる者もない。

 そんな静かな夜道を頼久は軽い足取りで歩いた。

 何故なら、向かう先は愛しい妻の眠る屋敷だから。

 こんな深夜ではもう妻は眠っているだろうが、それでも顔を見ることができるとあれば頼久にとって幸せなことに違いはない。

 特にまだ幼さの残る頼久の妻、あかねの寝顔は何度見ても飽きぬ愛らしさなのだ。

 しかも、ライバルといってもいい八葉の面々には決して見ることのできないその顔を自分一人が見ることを許されているのだと思えば嬉しさは倍増するというものだろう。

 妻の寝顔を思うと頼久の口元は自然とほころんだ。

 そして歩いて5分ほどしか離れていないその屋敷へ、頼久は静かに帰宅した。

 音を立てないように縁を歩き、あかねが休んでいるはずの局へと向かう。

 物音はほとんどしないから、頼久が出かける時に言いつけたようにあかねはちゃんと早く休んだようだ。

 頼久はほっと小さく息を吐いてからあかねの寝所へと足を踏み入れた。

 灯りのない局の中はただ月明かりが差し込むばかりだ。

 それでも夜目のきく頼久の目にはあかねがすやすやと穏やかに眠っている姿が映った。

 かすかに上下する胸が眠りの穏やかさを物語っている。

 月明かりにうっすらと光るその髪は、起きている時よりも少しだけ艶やかに見えた。

 頼久は音をたてないように射籠手と刀を外すと、そんなあかねの隣へ身を横たえた。

 そっと側に寄るだけであかねの体からはふわりと梅香が薫って、頼久の顔は自然と笑みを浮かべる。

「ん〜、あ、頼久、さん?」

 うっすらとあかねの目が開いて、薄い唇から囁くような言葉が漏れる。

 頼久は起こしてしまったことに苦笑しながら、寝ぼけているらしいあかねの耳にそっと唇を寄せた。

「ただいま戻りました。」

「おかえり、なさい……。」

「まだ深夜ですので、神子殿はこのまま朝までお休みください。」

「でも……せっかく、頼久さんが……。」

 どうやらやっと帰ってきた夫ともう少し話していたいのだけれど、眠さに勝てないらしいあかねに頼久はニッコリ微笑んだ。

 眠たい目をこすりながら必死になっているあかねは愛らしいことこの上ない。

 頼久はうとうとし始めるあかねの耳に再び唇を寄せた。

「では、一つだけお答え頂けませんか?」

「…はい?……。」

「神子殿は……。」

 あかねにだけ聞こえるように囁かれた頼久の問い。

 そしてその問いにあかねもまた、眠る直前の朦朧とした意識の中、頼久にさえも聞こえるかどうかという小さな声で何事か答えるのだった。





 あかねが目を覚ますと、珍しくそこには穏やかに微笑む夫がいた。

 どうやら自分の寝顔を堪能していたらしいと気付いて、あかねは慌てて起き上がると真っ赤な顔で頼久を上目遣いに睨んだ。

「お、お早うございます。」

「お早うございます。」

「頼久さん、帰ってたんですね。」

「はい、昨夜遅くに。神子殿にはおかえりなさいと言って頂きましたが…。」

「えっ、覚えてないですよ……。」

「さようでしたか。」

 答える頼久の声がいつもより明るくなっているのに気付いて、あかねは小首を傾げた。

「えっと、頼久さん、今日は鍛錬とかいいんですか?」

「本日は休みを頂きましたので、鍛錬はのちほどゆっくりと致します。」

「あ、お休みなんだ。って、そうじゃなくて、お休みだからって私の寝顔をじっと見てるなんて……。」

「いけませんか?」

「いけなくはないですけど……恥ずかしいです…。」

「恥じることなど、神子殿の寝顔はいつ見ても愛らしくておいでです。」

「そういう恥ずかしいことを言うのやめてくださいってば……。」

 耳まで真っ赤になってあかねがうつむくのさえ、頼久は幸せそうに見つめている。

「私は真実を申し上げているだけですので。」

「もぅ……。」

 顔を赤くしてむくれていたあかねはぷいっと頼久から視線をはずすと、寝巻きのまま立ち上がって濡れ縁へと出た。

 早朝の空気はまだ冷たくて、なんだか全身が引き締まる気がする。

 あかねがそんな冬の冷気で顔のほてりを覚ましていると、後を追って出てきた頼久があかねの体を背中からすっぽりと抱きこんだ。

「頼久さん…。」

「まだ朝は冷えますので、風邪など召されてはいけません。」

「でも、朝、だし…。」

「朝であればこそ、まだ寒さも厳しいですので。」

「それはそうなんですけど…。」

 あかねはせっかくほてった顔を冷ましに出たというのに、ちっとも顔の赤さがおさまらずに困り果ててしまった。

 普段は時間と場所を考えずにこんなことをする人ではないのに…

 なんだか今日は朝からずいぶんと機嫌がいいようだ。

 その昔、出会ったばかりの頃、源頼久という人は本当に表情が動かない人だった。

 何を考えているかわからなかったし、敵と対峙した時は殺気の宿る目が恐ろしくてしかたがなかったものだ。

 それが、今となってはこんなふうに自分に優しくしてくれたり、微笑んだりしてくれる。

 時が経てばこんなにも変わるものかと、あかねは一人昔を思い出しながら頼久の腕の中でくるりと後ろを振り返った。

「神子殿?」

「最初に会った頃は…。」

「はぁ……。」

「頼久さんがこんなふうになるとは思ってもみませんでした。」

「それは……。」

 今まで上機嫌だった頼久の顔が急に翳った。

 眉間にシワを寄せ、何やら考え始める。

 頼久がこんな表情になった時はたいていろくなことを考えていないと悟っているあかねは、すぐに眉間のシワをその細い指先でぐりぐりと揉み解した。

「そんな難しい顔しないでください。せっかく優しくてステキな顔だったのに…。」

「ですが……その…神子殿のお望みではない顔になっているのではと…。」

「そ、そういうことじゃなくてですね…昔は恐かったんです、頼久さんって、何考えてるかわからなかったし、戦う時は凄く恐い顔になるし…でも、今はそんな顔の頼久さんってあんまり想像できないなと思って。」

「そう、でしょうか…多少変わったという自覚はありますが…。」

「多少じゃないですよ。すっごく変わりました。もちろん、ステキになったって意味ですよ?」

 あかねが念を押すと頼久はふわりと微笑してあかねを抱く腕に力をこめた。

「神子殿に気に入っていただけたのなら何よりです。」

「き、気に入るもなにも……その…最近は凄く優しくなったというかやわらかくなったというか…そんな気がしてたんですけど…今日はまた一段と機嫌が良さそうですよね。」

「そう、でしょうか…。」

「そうですよ。だから、何かあったのかなって…昨日、お仕事が凄くうまくいったとか?」

「仕事はまぁ、いつもと変わりなく…。」

「じゃぁ、ああ、自分は幸運だなと思うような何かがあったとか…。」

「それならば、毎日神子殿を妻と呼べる幸運を思っておりますが?」

「毎日思ってることじゃなくて……って、そんなこと毎日幸運に思わないでください、普通のことです、普通のこと。」

 首まで赤くなって力説するあかねは更に愛らしくて、頼久の顔には笑みが深く刻まれた。

 それがまたあかねの疑問を呼び起こす。

 こんなに機嫌よく笑うにはきっと何か理由があるはず。

「ほら、今だって凄く楽しそうに笑ってる。」

「そうでしょうか…。」

「そうですよ。だから絶対何かいいことがあったと思ったのに…。」

「そういえば…。」

「何かありました?」

 興味津々のつぶらな瞳に見上げられて、頼久はクスッと笑みを漏らした。

 これはどうやら「いいこと」を思い出しているらしいと気付いてあかねがぷっと膨れてみせる。

「教えてください。一人でそんなに楽しそうなの、ずるいです。」

「昨夜、こちらへ帰りました時に……。」

「昨日帰った時って夜中ですよね?」

「はい、神子殿にお帰りなさいと言って頂き、その後でせっかく私が戻ったのだからまだ起きて話をしていたいと仰せだったのですが…。」

「…全然覚えてません…。」

「はい、とても眠そうでいらっしゃいました。そこで長々と話をするのは無理だと思いましたので、一つだけ質問にお答え頂いたのです。」

「質問?」

「はい。」

「どんな?」

「神子殿は私を好いておいでですか?と。」

「はいぃ?」

 この人はなんだってそんなわかりきったことを聞いているのだろう?

 そんな恥ずかしいことをどうしてわざわざ口に出して聞いてきたのか?しかも答えがわかっているのに。

 だいたいそんな質問をされた覚えは全くない!

 などなど…

 あかねの胸の内では様々な思いが一度に噴出していたが、それを口に出すことはできなかった。

 口に出さなくてはならないことが多すぎて、ただ口をパクパクさせることしかできなかったからだ。

 そしてあかねがそんなふうに一人で困惑しているうちに、頼久は幸せそうな笑顔で口を開いた。

「この私の問いに神子殿は、大好きですと答えて下さいましたので。」

「ひゃーーー。」

 あまりの恥ずかしさにあかねが小さく悲鳴をあげるのさえ、頼久は幸せそうな笑顔で見つめる。

「良いことがあったかといえば、それが良いことでしょうか。」

「そ、そんなの聞かなくたってわかってることだし……そんな当たり前のこと別に良いことじゃないじゃないですか…。」

「いえ、私にとってはこの上なく良いことです。」

「一日中ご機嫌になっちゃうくらい?」

「はい。」

「もぅ、頼久さんおおげさ…。」

「大げさではございません。」

 羞恥で溶けそうになっているあかねの耳に届いたのはどこか真剣な頼久の声。

 今まで幸せそうだった声の色が変わって、あかねははっと不安げな表情を見せた。

「頼久さん?」

「先日、友雅殿に言われたのです。」

「なんでここに友雅さんが出てくるんですか?」

 頼久の口から友雅の名前が出るとだいたいろくな話にならないことを経験で学んでいるあかねの顔が不機嫌そうに歪んだ。

 これはまた妙な方向に話が流れていきそうだ。

「その……先日、藤姫様のもとを訪れたついでだとおっしゃって友雅殿が武士溜りの方へいらっしゃったのですが、その折、人の本音とは酒に酔った時と寝ぼけた時に出るものだと……。」

「それはつまり……私が寝ぼけて言ったことは本心ってこと……。」

「そういうことです。欠片ほども疑うことのない神子殿の本心のお言葉で大好きだと言って頂きましたので、やはりこれは私にとってかけがえのない出来事なのです。」

 一転して優しい声でそう言う頼久はその顔にも優しい笑顔を浮かべていた。

 見上げたあかねが思わず自分も微笑んでしまったほど、その笑顔は穏やかで幸せそうだった。

 幸せそうだったのだが……

 つられて微笑んだあかねはここで一つの事実に気付いてしまった。

 そう、寝ぼけた時は本音だから本音で大好きと言われたことが嬉しいということは、逆に考えると普段は本音ではないと思って疑っているということになるのだ。

 あかねの顔からみるみるうちに笑顔が消えていき、その表情の変化に気付いた頼久が顔色を青くしてあかねの肩を掴んだ。

「み、神子殿?」

「頼久さん!」

「はっ!」

 まるで仕える主に名を呼ばれた時のようにはっきりと返事をして、頼久はその姿勢を正した。

 対するあかねは腰に手を当てて仁王立ちだ。

「それってつまり、寝ぼけてない私の大好きは信じてもらえてないってことですよね?」

「は?……いえ……そういうことではなく……。」

「寝ぼけてる私の言葉が嬉しかったっていうことはそういうことじゃないですか!」

「いえ…決して神子殿のお言葉を疑っているというわけでは……。」

 睨み付けるつぶらな瞳にとらえられて、頼久は脂汗を流し始めた。

 どんな賊も恐れず刃を向ける源武士団の若棟梁、源頼久が唯一恐れるのがこの妻の逆鱗に触れることだ。

 まさに今がその時。

 妻の怒りをどうしたらおさめられるかと頼久が苦悩を始めた刹那、目の前のその妻がぷいっと視線をそらして口を開いた。

「疑ってたんじゃないですか…私はいつだって本気で、凄く真剣に、大好きじゃ伝わらないからどんなふうに言ったら頼久さんのことをこんなに大好きですって伝えられるかって悩んで悩んで、凄くまじめに言ってるのに疑うなんてひどいです……。」

 赤い顔でそっぽをむくあかねはどうやら怒っているのと同時に照れている様子だ。

 そんなあかねを見つめながら頼久はゆっくりと今のあかねの言葉を脳内で分解して噛み砕いていた。

 寝ぼけている時でなくてもあかねはいつも真剣に本音を語ってくれているらしい。

 しかもそれは大好きでは伝えられないほど大好きという気持ちをこめて言ってくれている言葉だというではないか。

 ということはつまり、あかねは言葉では表せないくらい頼久を好きだということになる。

 ここまで脳内で変換して、頼久はその口元に笑みを浮かべた。

「神子殿。」

 低く響く優しい声に名を呼ばれて、思わずあかねが頼久の方へ視線を戻すとその視界はあっという間に暗くなってしまった。

 何故なら、頼久があかねの体を優しく抱きしめたから。

「有難うございます、そのように言って頂けるとは光栄の極み。」

「…ちゃんとわかってくれました?私がいつも本気だって。」

「はい、これ以降、神子殿のお言葉、欠片ほども疑ったりは致しません。」

「絶対ですよ?」

「御意。」

 頼久が目を細めればあかねもやっとその顔に嬉しそうな笑みを浮かべた。

 自然と頼久があかねに口づけようと顔を近づけたその時…

「朝からおあついことだね。だが、そういうことは御簾の内でやるべきだな、頼久。」

「友雅さん!」

 急に庭の端から姿を現した友雅にあかねは驚きの声をあげ、頼久は苦々しい表情であかねを解放した。

「お早う、神子殿。ご機嫌は麗しいようだね。」

「麗しくありません!そもそも友雅さんが頼久さんにすぐおかしなこと吹き込むからいけないんです!」

「ん?私はどうして早朝から神子殿にお説教を頂いているのかな?」

 からかうようにそういいながら近づいてくる友雅を濡れ縁に座らせて、あかねは本格的な説教を開始した。

 とにかく友雅は何かというと頼久をからかって楽しんでいるのだ。

 そのたびにあかねはハラハラさせられたり、赤面させられたりとろくなことにならない。

 今日こそはしっかりお説教して頼久をからかうのをやめさせようと、あかねは腕まくりさえしかねない勢いで口を開いた。

 せっかくの妻との時間を友雅に邪魔された頼久はというと、深い溜め息をついて二人を見守ることになった。

 そしてあかねの友雅への説教は、寝巻き姿のままのあかねの体を気遣った頼久が一枚の着物を持ってきてあかねに羽織らせるまで続くのだった。








管理人のひとりごと

まぁ、相変わらずの二人ってことです(マテ
そして相変わらずの少将様(笑)
寝ぼけてぽろりと恥ずかしいことを言うあかねちゃんがテーマだったんですが…
何か違う方向に進んだ気がする(’’)
とりあえず頼久さんがなんか幸せそうだからいいけども…(オイ
お説教されてる友雅さんが一番幸せそうかもしれないと、最後まで書いて思った管理人でした(’’;









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