一つだけ
 最初にからかってきたのは蘭だった。

 教室に入ると大学に入ってからできた友人達にもからかわれた。

 そして帰り際には天真に苦笑された。

 どうしてあかねがそんな目にあっているかといえば、それは本日が3月14日、つまりホワイトデーだからだ。

 大学には既に彼氏がいる同級生は少なくない。

 バレンタインデーに告白してカップルになりましたという学生も多かった。

 つまり、ホワイトデーは大学内でちょっとした大イベントとなりつつあった。

 あかねはといえば、恋人は学生ではないわけで、ホワイトデーにはその恋人の家にそそくさと向かうことになっていた。

 そんなことは最初からわかってますとばかりに蘭にからかわれ、新しい友人にも似たような反応をされた。

 あかねが少し、いや、かなり年上のやたらと目立つ美形な恋人を持っていることはあかね本人が思っているよりもずっと有名な話だ。

 帰り際にばったり出会った天真に苦笑されたのは、これからのあかねと頼久の行動が予想できているからだろう。

 そんな友人達の反応にあかねはため息をつきながら校門へ向かって歩いた。

 急いで帰って着替えてから恋人の家へ行くか、それとも直行するかで悩んでいると、校門の向こうに幸せそうな笑顔で立っている頼久が目に入った。

 どうやら張り切って迎えに来てくれたらしい恋人に微笑を浮かべて手を振って、あかねは走り出した。

 そんなあかねの後ろ姿を蘭と天真が見送っていた。







 テーブルの上には空になった皿が並んでいた。

 皿の中身はもちろん、あかねと頼久が二人でたいらげた後だ。

 迎えに来てくれた頼久の車に乗ってあかねが源家へやってくると、家の中は既においしそうなに香りで満たされていた。

 午後までしっかり講義のあったあかねと頼久が二人で家に入ったのはもう夕暮れ時。

 つまり、夕食まであとどれほども時間がないという頃だ。

 頼久はこの時間になることも見越して、あかねを待たせることがないよう、下準備をしっかりと終えていた。

 何の下準備かといえば、もちろん料理の、である。

 あかねの好きなリゾットをはじめとしてテーブルの上に並んだ料理は豪華を極めた。

 肉料理、魚料理、スープにサラダ、あかね一人ではとうてい食べきれない量の料理が並んだテーブルについて、二人はゆっくり食事を済ませた。

 もちろん、味は抜群。

 エプロンを身に着けた頼久が、あかねがおいしいと言うたびにニコニコと微笑んでいるからもちろん全て手作りだ。

 あかねはおいしい料理を食べ終わって冷静になって、深いため息をつかずにはいられなかった。

 何しろ、頼久が作ってくれた料理を同じくらいおいしく作る自信があかねにはなかったのだから。

「神子殿?どうかなさいましたか?」

「へ、いえ、その、頼久さん、料理も上手だなぁと思って…。」

「いえ、神子殿ほどではありません。全て詩紋に指南してもらった故、なんとか形になったようなものです。」

「詩紋君が?」

「はい。料理の経験はあまりありませんので助けを求めました。」

 そう言いながら頼久はあかねの前に紅茶の注がれたティーカップを置いた。

 あかねはそれを手に取って苦笑せずにはいられない。

 料理の経験があまりない人がいきなりこんな料理をいくら教えてくれる人がいたからと言って、作れてしまうものだろうか?

 おそらくは無理だろう。

 頼久はもともとが手先が器用だった。

 剣の手入れはもとより、最低限の身の回りのことは自分でできる人だ。

 それにこちらの世界へきてわかったことだが、とにかく呑み込みが早い。

 不器用なところももちろんあるのだが、必要なこととなればそれを身に着けるのは非常に早かった。

 その順応の早さがどうやら料理でも活かされたらしい。

「神子殿?」

「その、すみません。」

「いえ、謝って頂く必要はありませんが…何かお気に召しませんでしたか?」

「違います!ただその……なんていうか…私こんなに上手に作れないなと思って…。」

「神子殿はいつもこんなものよりもよほどおいしい料理を作って下さっています。」

 それは頼久の自信に満ちた発言だった。

 顔には幸せそうな笑みが浮かんでいる。

「全然頼久さんが作ってくれたものの方が…。」

「私は詩紋に教えてもらい、特訓をしてこれです。神子殿はいつもささっと手際よく作って下さいます。惚れ惚れするほど見事な手際でいらっしゃいます。」

「そんなことは…。」

「いえ、私は神子殿に食事を作って頂くたびに、この上もなくこの身は幸福と噛みしめることができます。人を幸せにする料理を作ることができるのですから、神子殿の方がずっとお上手です。」

 こればかりは譲らないとばかりに断言して、頼久は一つうなずいた。

「有難うございます。その…私はバレンタイン、お店で買ったチョコレートだったのにホワイトデーに手料理なんて…。」

「ああ、いえ、これはホワイトデーの品ではありません。」

「へ?」

「これはたまたま、神子殿に夕飯を作る手間を省いて頂きたく、作っただけです。バレンタインのお返しはこちらで。」

 言いながら頼久は小さな包みを取り出した。

 手渡されたあかねがそれを開けてみると、可愛らしい一口大のクッキーが入っていて、甘い香りがこぼれ出た。

 間違いない、これは既製品。

 可愛らしい入れ物もラッピングも既製品ならではのものだった。

「頼久さん…。」

 手作りできなかったあかねのことを考えて、お返しを既製品にしてくれたのだと気付いてあかねは思わず涙を浮かべてしまった。

 他人から見ればささいなことかもしれない。

 けれど、あかねにとっては恋人の優しさがひどく心に響いた。

「それと、おまけ、なのですが…。」

「はい?」

 涙で潤んでいたあかねの目が一気に真ん丸に見開かれた。

 目の前には苦笑している頼久の顔。

 耳に届いたのは確かに「おまけ」という言葉。

 あかねはその「おまけ」の意味を頭の中でゆっくり考えた。

 思い出してみれば最初にプレゼントにおまけをつけたのはあかねの方だった。

 それはバレンタインのチョコレートを渡した日。

 今年は忙しくて手作りできなかったことが悲しくて、何かどうしても特別なことをしたくて…

 他には何もできなくて、あかねは自分から恋人にキスを贈った。

 それを頼久はしっかり覚えていた。

「色々考えてはみたのですが、なかなかいいものが思いつかず…。」

「そ、そんなの気にしなくても…。」

「いえ、神子殿は素敵なおまけをつけて下さいましたので。」

 と、ここで嬉しそうに微笑まれてはもうあかねには何も言えない。

「天真にも相談してみたのですが、旅行だホテルだとろくでもない案しか出てきませんでした。」

 頼久に贈り物以外であかねの喜ぶこととは?と尋ねられて天真はつまり、二人きりで旅行にでも行って来いと言ったのだった。

 もちろんそんなことを頼久が了承するわけもなく、この案は即却下された。

 天真にしてみれば今時お堅いことでといったところだが、頼久は真剣だ。

「それで考えたのですが。」

「はい。」

「何か一つ、神子殿のお望みのことをして差し上げるというのではいけませんか?」

「へ…。」

 一瞬何を言われたのかわからなくて、あかねはぱちくりと大きな目で瞬きした。

 目の前にはニコニコと微笑む恋人の顔。

「えっと、お望みのことって、なんでも一つだけ言うことを聞いてあげる、みたいな話ですか?」

「はい、おっしゃる通りです。」

 考えが伝わったことが嬉しいのか、頼久は一つうなずくと満足げに微笑んでいる。

 しかもその後、何を望まれるのかと期待満面だ。

 あかねはこれは本当に何かお願いしなくてはという気になって、何を頼むか考え込んだ。

 そして…

「あの…。」

「はい、何を致しましょうか?」

「それが…頼久さんっていつも色々してくれてて…。」

「そうでしょうか。無骨者故、行き届かぬこともありましょう。」

「全然そんなことないですよ。学校の送り迎えもしてもらってるし、こうやってしょっちゅう遊びに来させてもらってるし…。」

「それは、私がそうして頂きたくてして頂いていることですので。」

「ん〜、今日はこんなお料理も食べさせてもらっちゃったし、これ以上してもらいたいことなんてないっていうか…。」

 よくよく考えれば頼久はあかねの望みならたいていのことは普段からかなえてくれる。

 それがあかねのためにはならないという時だけしかあかねの頼みを拒絶することはないから、今更何か望みをと言われてもあかねには思いつかなかった。

 ところが、何もないではどうやら不服らしい頼久は眉間にシワを寄せて黙り込んでいる。

 あかねは慌てて色々考えて、再びそっと口を開いた。

「あの…。」

「はい、何かございましたか?」

「えっと…その……そうだ!そう!お買い物!」

「買い物、ですか…。」

「はい、季節の変わり目って洋服とか色々買い物が増えるんです。なので、一緒にお買い物に行ってもらえませんか?頼久さんの時間のある時で構いませんから。」

「ですが、それしきのこと、いつなりといくらでも…。」

「そ、それじゃあ…荷物持ち!そう!荷物持ちしてください!」

 あかねは慌てて大声をあげた。

 このままでは何を提案してもそれは頼みごとにはならないと言われてしまいそうだったから。

「荷物持ち、ですか。」

「はい!洋服とかたくさん買うと持ちきれなくて困るんです!」

 このあかねの「困るんです」は効いた。

 頼久の顔はぱっと明るくなって、やっとその端整な顔は上下に一度動いた。

 やっとうなずいてもらったあかねは思わず安堵のため息をついた。

「神子殿がお困りとあらば。」

「助かります。じゃぁ、来週とかどうですか?」

「いつでも、神子殿のお望みの折に。」

「はい、有難うございます。」

 やっとあかねの望みを聞けた頼久と、やっと頼久の了解が得られたあかね。

 二人は温かな微笑みを交わした。

「すっかり遅くなってしまいましたね。」

 先に我に返ったのは頼久の方だった。

 窓の向こうを見ればもう外はすっかり暗くなっている。

 時間はと言えばまだそれほど遅くはないけれど、それでも冬の夜道は寒さがこたえる。

 頼久はあかねを帰さねばならない寂しさに苦笑しながら立ち上がった。

「お送りします。」

「え、もうそんな時間ですか…楽しい時間ってあっという間で…。」

 そう言って立ち上がるあかねの方も表情はパッとしない。

 そんなあかねの手を引き寄せて、頼久は小さな体を抱きしめた。

「本当に、あっという間でした。ですが、来週には買い物のお供をさせて頂けると決まっているので待ち遠しくもあります。」

「させて頂けるってそんな、たいそうなことじゃ…。」

「いえ、私にとっては心から喜ばしい予定です。その前にも何度かお会いできると更に喜ばしいのですが…。」

「明日も来ます!午後の講義が休みになったんです!」

 慌てて顔を上げたあかねはそう言って微笑んだ。

 その笑顔に吸い寄せられるように、頼久はそっと愛らしい唇に口づけを落とした。

「はぅ。」

 顔を離して頼久が微笑めば、あかねは首まで真っ赤になってわたわたと慌てた。

 いまだにそんな様子のあかねは頼久にとって愛らしいことこの上ない。

 けれど、愛らしいからと抱きしめたりしていてはとても家に帰すことができなくなりそうで…

 頼久は苦笑しながらあかねの手を取ると玄関へ向かって歩き始めた。

 明日も、その先も、二人きりで会うことができると思えばこそ、頼久の足はなんとかあかねを自宅へ送り届けるべく動き続けるのだった。








管理人のひとりごと

ホワイトデー短編でございました。
実は今回、UPするかしないかを大変悩みました。
この原稿自体は1週間以上前から準備してあったものなので、内容はとてもお気楽極楽…
日本中が大変な時にこんなものをUPしている場合だろうか?と…
もちろん、被災地でつらい思いをなさっていらっしゃる方が大勢いるということは百も承知。
被災していなくてもこの災害で大切な人を失ったという方がいらっしゃることも承知。
それら全て承知の上でやはりUPすることに致しました。
こんな時だからこそ。
いつも通りのもの、少しでも現実から目を背けることができるものが必要な方もいらっしゃるのではないか?
そう考えたからです。
もちろん、私の書いた文章程度のものがなんぼのものでもないということはよくわかっているのですが、管理人には言葉を紡ぐことくらいしかできず…
であれば、ほんのかけらほどでもこういう雰囲気を必要となさっている方のお力になれればと思います。
被災してつらい思いをしている方、災害とは関係なく生活できていてもやはり被災地の皆様を想い胸を痛めておられる方、皆様のお心ができるだけ早く穏やかになることをお祈りしておりますm(_ _)m










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