一時の花
 あかねは荷物を置くとソファに座って深い溜め息をついた。

 どうしてもみんなで花見をしようと言い出したのはあかね本人だったのだけれど、案の定、花の綺麗なところには人が大勢いて、帰って来る頃にはもうくたくただった。

 それでも自宅に帰らずに頼久の家に寄ったのは、やっぱり綺麗な桜を二人きりで見たいとも思ったから。

 大学に合格した春休み中の身分としては、明日ゆっくり訪ねても良かったのだけれど、今日は雲一つない晴天で、このまま夜になれば綺麗な夜桜が見られるはずだった。

 明日も晴れるとは限らないから、頼久と二人で庭の夜桜を楽しみたかったのだ。

 それでも体にたまった疲労はどうしてもかすかに淀んでいるように思えて、あかねは頼久の家のソファにぐったりと身を沈めていた。

「やはりお疲れなのではありませんか?」

 心配そうに隣に座った頼久に覗き込まれて、あかねは慌てて体を起こした。

 疲れたのは確かに疲れたけれど、家に帰って今すぐ寝てしまいたいというほどではない。

「疲れたのは確かに疲れましたけど…でも、まだ大丈夫ですよ。」

「眠いようでしたら眠って頂いても…。」

「寝ません!」

 あかねは慌てて大声で宣言して立ち上がった。

 この流れだと頼久に膝枕などされかねない。

 それはそれで幸せかもしれないけれど、せっかく花が綺麗だというのに寝てしまうなんてもったいない。

 やっと受験が終わって恋人と二人きりでゆっくり過ごせるようになって、そんなタイミングで絶好の夜桜日和。

 これを寝過ごすという選択はあかねにはない。

「大学に合格したから、門限がなくなったんです!夜遅くなる時は頼久さん同伴が条件ですけど…。」

 あかねの両親は決して放任主義ではない。

 ないけれど、あかねのことを気遣う頼久を見ているうちにこの人に預けておけば大丈夫という空気が染み付いてしまった。

 おかげで大学生になるあかねは頼久と一緒ならという条件で門限がなくなった。

 もちろん、だからといって頼久があかねを拘束して帰さないというようなことはないのだけれど、それでもあかねにしてみれば頼久と共に過ごす時間が増えたことが嬉しい。

 逆に頼久はというと、あかねの両親に信頼されていることがプレッシャーになっているような状態だ。

「せっかく門限を気にしないでお花見できるんですから、絶対寝ません!」

 宣言されて頼久は苦笑した。

 何よりもあかねの体が第一とは思うものの、当のあかねにこうまで宣言されては寝かせることもできない。

「昼間は確かに桜も綺麗でしたけど、やっぱり人が多くてなんだか落ち着かなかったし、せっかくこの庭の桜は二人で見ることができるんですから。」

「それはそうですが…明日も…。」

「雨が降ったらもうみんな散っちゃいますよ。すっかり散り際だし。だから、今日がいいんです。」

 確かに庭の桜は散り際で、風がなくてもはらりはらりと花びらが舞い落ちている。

 強風はもちろんのこと、雨が降ってもあっという間に散ってしまうと思われた。

 窓の外の桜へ一度目を移して、それからあかねへと視線を戻した頼久は口元に微笑をともして台所へ向かった。

「頼久さん?」

「お茶をいれましょう。夜はまだ冷えますし。」

「それなら私が!」

「いえ、神子殿は花を愛でていてください。」

 慌てるあかねに微笑を見せて、頼久はお湯を沸かし始めた。

 昼間はだいぶいい陽気になってきたが、夜はまだまだ底冷えがする。

 あかねに風邪をひかせないためには温かい飲み物は不可欠な気がした。

 緑茶と紅茶で悩んで、やはり桜を見るなら緑茶かと決めてしまえば、先日あかねが来た時のためにと用意しておいた和菓子の存在を思い出した。

 和菓子に緑茶、そして月と夜桜。

 桜を愛でたいあかねに完璧な花見を提供できる条件がそろった。

 頼久は丁寧に緑茶をいれると和菓子と共に盆に乗せてリビングへ戻った。

 すると、さっきまでソファに座っていたあかねは窓辺に立って外を眺めていた。

 窓の外はもう夜。

 月明かりが庭を照らしている。

 頼久はゆっくりとあかねの隣に並んだ。

「窓を開けてゆっくり御覧になっては。」

「そうですね。あ、お茶、有り難うございます。頼久さんも座って一緒に見ませんか?」

「はい。」

 頼久は床に盆を置くと、リビングの電気を消し、あかねの元へ戻って座った。

 すると、リビングの明かりを消したのと窓を開けたことで庭の桜は月明かりに冴え、今までよりもずっと幻想的で美しく見えた。

「うわぁ、かわいらしいお菓子。」

 あかねはというと、頼久が茶をいれている間に桜は堪能したのか、盆の上の和菓子に大はしゃぎだ。

「先日、図書館の帰りに見かけまして、神子殿がお好きではと購入しておきました。」

「どれもキレイですねぇ。こんなに本格的な和菓子って初めてかも。食べてもいいですか?」

「もちろんです。お好きなものをどうぞ。」

「じゃあ、これ。」

 あかねは薄桃色の美しいものを選んでそれを口に運んだ。

 幸せそうなその表情が頼久の口元もほころばせる。

「おいしい。見た目がかわいいだけじゃなくて味も凄くおいしいです。」

「お気に召したのなら何よりでした。」

 和菓子と一緒に緑茶を口にして、あかねは本当に幸せそうに微笑んだ。

 女の子には甘いもの、は天真の妹である蘭の入れ知恵で、頼久はあかねの笑顔を前に真の友が恋人と同じ年頃の妹を持っていてくれたことに心から感謝した。

「桜も綺麗ですねぇ。」

「はい、ゆっくりご堪能下さい。」

「はい。」

 湯呑みを手に桜を見上げるあかねは、庭と同様に月に照らされて絵に描いたような美しさだ。

 頼久の目にはそれこそ、本物の女神のように映った。

 昼間は人混みからあかねを守ることに集中して、花はおろかあかねの姿さえゆっくりと見ることができなかった頼久だ。

 ここにきて二人きりで、やわらかい月明かりに照らされたあかねを見せられては見惚れるなという方が無理な話だった。

 あかねはよく自分は普通の女子高生だし、容姿だって普通だと言って落ち込むことがある。

 けれど、頼久にはとうていそうは思えない。

 それは、頼久が京でのあかねを知っているからだとあかねは断言するのだが、頼久にはどうしてもそれだけが理由であかねが特別に見えるのだとは思えなかった。

 こちらの同じ年代の女性達よりもあかねはやはりしっかりしているし、己をしっかりと持っていて、その心根は清らかだ。

 だからこそ龍神は神子に選んだのだろうから、やはりこちらの世界でも普通の女性とは違っている。

 というのが頼久の見解だ。

 外見についても、あかねは普通だ普通だとよく言うが、こうして幻想的な風景の中にたたずむあかねは頼久には自分の手が届かないほど気高く美しく見えた。

 散る花びらと共に月明かりに照らされるあかねに、本当に手が届かないような気さえして、頼久の顔から笑みが消える。

 すると、あかねの視線がゆっくりと頼久へ向けられた。

「頼久さん?どうしたんですか?」

「いえ…。」

「私ばっかり楽しんじゃって…頼久さんはつまらないです?」

「そのようなことは!」

「でも…。」

「私は、神子殿のお側に置いて頂ければそれだけで…。」

「また頼久さんはそういうことを言う。」

 少しだけ怒って見せて、あかねは二つ目の和菓子に手をつけた。

「うわぁ、これ、柚子の薫りがしておいしいです。」

 今まで怒っていたことをコロッと忘れてあかねは嬉しそうに微笑んだ。

 どうやらよほど和菓子が気に入ったらしい。

 嬉しそうに和菓子を頬張るあかねはとても愛らしくて、年齢より少しだけ幼くも見えて…

 頼久の顔にはいつの間にか微笑が戻っていた。

「頼久さんったらさっきまで不機嫌そうだったのにもう笑ってる。」

「不機嫌だったわけでは…。」

「じゃあ、どうしたんですか?」

「神子殿が神々しく、手の届かぬお方かと思っていたのですが…。」

「そんなことありません!」

「はい、神子殿は愛らしいお方でもありました。」

「へ…。」

 珍しくあっさり否定した自分の意見が肯定されて、あかねは小首を傾げながら自分が手にしている物を見つめた。

 そこには若草色の和菓子がある。

 それをどんな顔で食べていたかに思い至って、あかねは顔を真っ赤にした。

「お、おいしいものはおいしいんですもん……頼久さんのいじわる…。」

 恥ずかしそうに小さくなるあかねを前に、頼久の微笑は深くなった。

 頼久がそうして愛らしいあかねを見つめていると、ゆるやかな風にのって桜の花弁が一枚、残った和菓子の上に舞い降りた。

「あ、かわいい。」

 照れてうつむいていたあかねの視線も和菓子の上に舞い降りた花弁をとらえて、その顔には再び笑みが浮かんだ。

 ころころと表情が良く変わるのは京にいた頃から変わらない。

 その変化は時折頼久を困惑させもするけれど、あかねの魅力の一つでもあった。

「家では、なんだか急に大人扱いされるようになっちゃったんです。」

 ころころ変わるあかねの表情がまた変わって、今度は少しばかり神妙な顔つきになった。

 それを受けて頼久もその表情を引き締める。

「大学生になったらもうなんでも自分の判断で自由にやっていいって言われて…門限がなくなったのなんて序の口なんですよ。でも、本当はまだ全然大人じゃないし…なんか凄く変な感じです。」

「神子殿はもう充分に大人らしくしておいでですが…。」

「そう、かなぁ…。あ、でも、こんなふうに門限を気にしないでゆっくり頼久さんと夜桜を見られるようになったのは良かったなとも思うんです。」

「はい。」

 自分と二人でいることを嬉しいと思ってくれる、それだけで頼久は幸せで、その視線をあかねから離すことができない。

 このままだと自分ばかり見ていないで花見なのだから花を見ろと怒られてしまいそうだ。

「頼久さん。」

「はい?」

「私頑張りますから。」

「はぁ…。」

「うん、頑張ります!」

 一つ力強く宣言して、あかねは桜を見上げた。

 あかねはもう色々と充分に頑張っていると言おうとして頼久はその言葉を飲み込んだ。

 そんなことは自分が言ってもしかたがないことだと気付いたから。

「神子殿。」

「はい?」

「私も努力すると、今宵のこの桜に誓います。」

「何をですか?」

「神子殿にふさわしき男になれるよう、努力しようと思います。」

「それはもう、そんな、すっかり…。」

「いえ、まだまだです。」

 そう言って頼久もようやく桜を見上げた。

 花が盛りなのは今一時。

 けれど、この花はこの先もずっと、毎年同じ時期に咲き続けるだろう。

 その花の季節にまた今の誓いを思い起こせるように、頼久は強く胸の内で誓った。

 あかねが努力してくれるのなら、己もまた恋人に負けぬほどの努力をすると。

「天真君がいたら、お前ら花見くらいもう少し楽しそうにできないのかって言われちゃいそう。」

 それもそうかと頼久が隣を見てみれば、あかねは苦笑しながら花を見上げていた。

 こういうところが己の精進を必要とするところだと反省して、頼久はあかねと自分の間に置いてあった盆を退けると、あかねの肩を抱き寄せた。

「天真に言われるまでもなく、その辺りから努力致します。」

「そ、そんなに気にしなくても…。」

 更に何か言い募ろうとするあかねの唇を己の唇でふさいで止めて、ゆっくりと唇を離せば真っ赤な顔のあかねがそれでも優しく微笑んでくれた。

 それからはもう言葉を交わす必要もない。

 二人並んで桜を見ながらゆっくりとした時が流れて…

 はたと頼久が気付いた時にはあかねが頼久にもたれて静かな寝息をたてていた。

 やはり今日一日は人混みに揉まれて忙しくあちこち歩き回って疲れていたのだろう。

 穏やかな寝顔は愛らしくて、頼久の顔にも自然と笑みが浮かぶ。

 寒くはないかと心配な部分もあるものの、愛しい人のぬくもりを手放すことはできなくて…

 頼久はそのまましばらく、あかねの寝顔と夜桜との両方を堪能するのだった。








管理人のひとりごと

ということで、桜企画ラスト、遙か1現代版でした♪
大学生になった春、あかねちゃんは解放的なんですが頼久さんはイマイチ。
で、夜桜見ててもなんか武士の誓いみたいなことをやらかしてます(’’)
それが頼久さん(マテ
これから楽しいキャンパスライフを予感させる花見にしようと思ったのに…
結局、最後は寝ちゃったあかねちゃんでした(’’)
ちなみに管理人の家も大学に入ったとたんに教育を放り投げられまして、朝帰りでも何でも好きにせいといわれました(’’)
ああそうですか、学歴さえもてればあとはどうでもいいんですかと呆れたものです…
あかねちゃんには頼久さんがいるので!制約がなくなったらベッタリに決まっています!









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