頼久は一人、じっと御簾の内側からあかねの背を見つめていた。
眉間には深く刻まれたシワ。
つまり、頼久は今、妻の背を見つめながら何事かを真剣に悩んでいるところだった。
背を見つめられているあかねはと言えば、月明かりに照らされて、青く浮かび上がっている庭を眺めてニコニコと微笑んでいた。
昼間のうちに降った雪に覆われた庭は、今までとは違った幻想的な風景を見せてくれている。
それをあかねは月明かりで楽しんでいるところだった。
頼久はといえば、そんなあかねの小さな背中を眺めて深い溜め息をついていた。
何故なら、しっかり袿を重ね着してはいるものの、その背中がとても寒そうに見えたからだ。
もちろん、火桶もすぐそばに置いてあるから、あかねの手は時折その火桶で温められてはいる。
それでも、以前、天真にあかね達の世界に存在する便利な暖房というものの話を聞いてしまっている頼久としては、あかねに不自由させているという思いばかりが脳裏をよぎっていた。
今も庭の景色を楽しんではいるものの、どこかでここは寒いと思っているのではないだろうか?
どんなにあかねが楽しそうにしていても頼久の頭のどこかにその思いがあった。
「頼久さんもこっちに来て一緒に眺めませんか?綺麗ですよ。」
振り返ってそういうあかねの顔には満面の笑み。
頼久はあかねを落胆させてはいけないと、小さく息を吐いてから立ち上がり、あかねの隣へと移動した。
「月って凄く明るいですよね。」
「今日は満月ですので。」
「ですね。月のない夜と満月の夜じゃ明るさが全然違うから驚きました。」
さもありなんと頼久はあかねにわからないように小さく溜め息をついた。
何しろあかねのいた世界では寒い冬を温かく過ごすための暖房のみならず、暗い夜を昼のように照らす「でんき」なる物も存在するのだから。
「頼久さん?」
隣へ座った夫の様子がおかしいことにあかねはすぐに気が付いた。
自他共に認める不器用な頼久が、心ここにあらずの状態をあかねに隠しておけるはずもなかった。
「大丈夫ですか?具合悪いですか?」
「いえ、ご心配には及びません。少々物思いを…。」
「物思い…ああ、考え事ですね。何か悩み事でもあるんですか?私には話せないことですか?」
あかねは頼久が武士団の中で重要な仕事を任されていることをよく理解している。
だからこそ、本当に仕事のために話せないこと以外は全て正直に話そうと頼久は常から心に決めていた。
それに、この悩みは実際にあかねに聞いてみた方が早い問題だ。
頼久は意を決するとあかねの方へと体の向きを変えた。
「あかね。」
「はい?」
「寒いとお思いではありませんか?」
「へ?はぁ、まぁ、冬ですから、寒い、ですけど…でも、女房さん達が火桶をたくさん用意してくれますし、藤姫が袿とか毛皮とかなんかいっぱい送ってくれましたし…頼久さんも使い切れないくらい色々用意してくれたから大丈夫ですよ。」
「はぁ…。」
「この答えじゃ納得してもらえませんか?」
「いえ、そういうことでは…ただ、あかねがこの京へいらっしゃる前に過ごしていた世界では冬も夏のように暖かく過ごすことのできる道具があると天真に聞き及んでおりましたので、その…。」
「確かにありましたけど…そうですね、京の冬は寒いなとは思います。でも、寒い冬もいいこともあるなって思ってます。」
「いいこと、ですか?」
「はい。たとえば、人肌恋しい季節っていう言葉を向こうの世界で聞いた時はあんまり胸に響かなかったというか、意味がよく理解できてなかったんですよね。」
「はぁ。」
「いつも温かい部屋では人肌恋しいって思わないんですよ。でも、こっちは火桶がないと寒いじゃないですか?そこに人肌があると全然向こうの世界にいる時よりあったかいなって感じるんです。誰かといるのが楽しいなって思うようにもなりました。」
「なるほど…。」
「便利じゃない方が感動できたり、楽しかったりすることもあるんだなって思えたのは京に来たおかげですから。」
ニコニコと微笑みながら語るあかねの言葉は頼久にまっすぐ届いた。
頼久を気遣って言った思ってもいない言葉では絶対にない。
そう確信できるあかねの声音に頼久もやっと安堵の息を吐いた。
「この夜の庭だって、向こうの世界じゃ見られないんですよ?」
「そうなのですか?」
「だって、どこを見ても電気がついてて、凄く明るいんです。夜の道も街灯に照らされるし、街灯がないところも家の窓から漏れる光で明るいんです。月より明るい光に照らされてたら、こんな風景、見えるはずないんですよね。」
そう言ってあかねの視線は再び庭へと向けられた。
口元に浮かぶ優しい笑み。
キラキラとした瞳は寒くとも風がなく、過ごしやすい冬の夜の庭を映していた。
頼久はそんなあかねを見ているうちに、自然と微笑を浮かべたことに自分では気づいていなかった。
ただ自然にそっと、その腕をあかねに伸ばすと、小さな体を膝の上に抱き上げてしまった。
「へ?」
「人肌が恋しくなるほど寒い夜ですので。」
「それはまぁ…確かに…。」
あかねは頼久の腕の中で耳まで赤くなってうつむいた。
あかねが頼久の妻となってからもうずいぶん時が経っているというのに、あかねは今でも頼久が触れただけでこうして頬を赤く染めた。
その様子が愛らしくて、頼久の顔に浮かんでいた笑みが深くなる。
「私はあかねに教えて頂きました。」
「何をですか?」
「愛しい人とこうして共に過ごすことは何にも代え難い幸福だということをです。」
耳元でそう頼久が囁くと、あかねはうなじまで赤くなってうつむいた。
冬はまだやってきたばかり。
これから先、吹雪く夜も大雪の朝もあるだろう。
けれど、どんな厳しい冬の日も腕の中に大切な人が微笑みながらいてくれるのなら、きっと幸せに過ごすことができる。
頼久はそう確信して、あかねを抱く腕にそっと力を込めた。