「人肌の恋しい季節、だからねぇ。」
あかねの向かいで共に火桶に手をかざしている友雅はそう言って長い髪をかき上げた。
いつもながら、見慣れているはずのあかねでも見惚れてしまう優雅な所作だ。
「すっかり寒くなりましたからね。」
眠っている間に雪が降って庭がうっすら白い衣をまとったのは昨夜のことだ。
幸いなことに雪は陽の光を浴びるとすぐに溶けてなくなったけれど、大気は冷え込んだままだ。
寒くなって来たなと思って身震いをしたところに友雅がやってきて、このままではいけないと火桶を用意してくれたのがついさきほどのことだった。
「こう寒いと神子殿も寂しさがつのるのではないかい?」
そう言って友雅がクスッと笑ったのにはわけがある。
実は頼久が仕事のため、ここ数日、屋敷を留守にしているのだ。
その頼久が出て行った翌日から冷え込み始めたものだから、あかねがいつもよりも冬を肌寒く感じていることは違いなかった。
「確かに頼久さんがいなくて寂しいのは寂しいですけど、でも、みんなが遊びに来てくれるのでそれほどでもないですよ?」
「皆?私以外にもここへ訪ねてくる者があるのかい?」
「えっと…頼久さんが出発したその日に鷹通さんが、次の日は泰明さんとイノリ君、昨日は永泉さんが。それに、藤姫が毎日文をくれますね。」
「おやおや…。」
友雅の顔には思わず苦笑が浮かんだ。
自分があかねのもとを訪れた八葉の最後の一人だったとは思わなかったからだ。
「一番が鷹通とはね。」
「お仕事の関係で頼久さんが左大臣さんの警護につくってわかったから、すぐ心配して来てくれたんです。」
「なるほど。まじめに仕事をしているといいこともあるようだね。」
「友雅さんもお仕事していればすぐわかったんじゃないですか?帝のお側でお仕事してるんですよね?」
「だけではないけれどね。泰明殿はともかく、イノリや永泉様までずいぶんと耳の早いことだ。出遅れてしまったお詫びに、私は明日もここへ顔を出させてもらおうかな。」
「そんな、毎日ここへ来るの大変じゃ……。」
「その必要はございません。」
庭から響いた低い声の主に二人の視線が集中した。
そして庭をこちらへと歩いてくる長身のその姿を認めた刹那、あかねの顔に一瞬で花が咲いたように笑みが広がった。
「頼久さん!お帰りなさい。」
「ただ今戻りました。」
律儀に縁の向こうで一礼してから御簾を上げて入ってきた頼久に、あかねはニコニコと笑みを向ける。
その笑みに答えるように微笑んだ頼久の顔を見て、友雅は小さなため息をつきながら立ち上がった。
「出遅れたおかげで、私の役目はもう終わってしまったようだね。早々に退散するとしよう。」
「あ、友雅さん、有り難うございました。」
立ち去ろうとする友雅に、こちらも律儀にあかねが頭を下げる。
思わず友雅は頼久とあかねを見比べてクスッと笑みを漏らした。
「いや、私も神子殿とゆっくり話がしたかったからね。できれば神子殿で暖を取らせてもらえればもっとよかったのだが…まぁ、神子殿はこれからゆっくり頼久で暖をとるといい。」
「そ、そんなことしません!」
顔を赤くして声を大きくするあかねを背に友雅はカラカラと楽しげな笑い声を響かせながら去って行った。
残されたあかねは赤い顔のままもじもじすることになってしまい…
頼久はといえばあきれ返ったという顔で溜め息をついてから、友雅が先ほどまで座っていた場所へ腰を下ろした。
「あ、えっと…すみません、頼久さん、疲れて帰ってきたのになんだか騒がしくして…。」
「いえ、あかねがお謝りになることはありません。友雅殿がわざとからかっておいでだったのですから。」
「やっぱり私、からかわれたんですね…。」
「友雅殿ですから。」
「友雅さんですからね。」
そう言って二人で顔を見合わせれば、どちらの顔にも笑みが戻った。
「友雅殿も元は八葉の一人、あかねの御身を案じて下さってのことでしょう。」
「そう思います。」
「私の留守にばかりおいでになるのは少々気になるところではありますが…。」
ここで頼久の笑みが曇るのはいつものことだ。
頼久が夫になったとはいえ、友雅は頼久よりも遙かに身分が高い貴族であり、今でも都中の女性の心を虜にしていると噂の絶えぬ男性だ。
しかもその友雅が今でもあかねに興味があるようなそぶりを見せるときている。
自分の不在時に友雅があかねのもとをたずねたとあれば、頼久が心穏やかではいられないのも無理はなかった。
「んー、でも、みんな忙しいから、せめて頼久さんがいなくて私が寂しい想いをしている間だけでもと思って、頼久さんがいない時に来てくれてるんだと思いますから…。」
そう言ってあかねに困ったような顔で苦笑されてはもう頼久は何も言えない。
どちらにせよ、真実あかねの言う通りだったとしても、自分がいない間に自分以外の男があかねの側に寄るのが不愉快な頼久なのだ。
つまりは嫉妬かと胸の内でつぶやいて、頼久は小さなため息をついた。
「頼久さん?疲れているなら奥で休んだ方が…。」
「いえ…。」
長い髪をさらりと揺らして自分を覗き込んでくるあかねの顔に憂いの色が浮かんでいるのを見て、頼久はすっくと立ち上がった。
このまま嫉妬に駆られて機嫌を悪くしていてはあかねに心配をかけてしまう。
それでは本末転倒だ。
「頼久さん?奥に入るなら褥とか整えてもらいますけど……。」
そう言いながらあかねの視線は自分の周囲をくるりと回った。
何故なら見つめていた頼久があかねの周りをくるりと回ってその背後に立ったから。
そしてあかねが小首を傾げている間に、頼久はあかねの背後にすとんと腰を下ろすと、さっとあかねの体を自分の膝の上へ抱き上げてしまった。
「はい?頼久さん?」
「寒い季節になって参りましたので。」
「確かに寒い、ですけど……へ?」
「人肌の恋しい季節になりました。」
「そう、ですね…。」
それはつまり、このまま暖をとらせろということ?
と予想してあかねがこっそり背後にある夫の顔を盗み見れば、しっかりとその視線をとらえた頼久が幸せそうに微笑んだ。
それはもう、この世にこれ以上の幸せはないというほどの笑顔で…
「あ、温かいですね…。」
あかねは視線を火桶へ戻すと、赤い顔でそう言うことしかできなかった。
この世で一番幸せであってほしいと願う人が、幸せそうに微笑んでいたから。
「はい。」
耳元に響く低いその声は、やっぱりどこか幸せそうで…
あかねはそれから陽が落ちるまでずっと、この日一日を頼久の膝の上で過ごした。