
「すみません、年の初めからわがまま言っちゃって…。」
「いえ、わがままなどでは。」
あかねと頼久は二人並んで頼久の家のリビングへと足を踏み入れたところだった。
温かい室内の空気にほっと一息ついてあかねが厚手のコートを脱げば、すっと頼久の手が差し伸べられる。
その大きな手にコートを渡せば、あかねの真っ白なコートはすぐに頼久の手によってハンガーにかけられた。
こういった細やかな気遣いは武士として貴族に仕えていた頃の名残だと天真辺りは言うけれど、あかねは頼久の繊細さのなせる業だと思っている。
頼久はよく自分のことを無骨だ無骨だというけれど、こういうところにはよく気がつくのだ。
蘭などにはこういう頼久のエスコート上手なところはうらやましいとよく言われる。
「あ、私、お茶いれますね。」
「お願い致します。」
頼久が自分のコートに手をかけるとあかねはすぐに台所に立った。
今となっては勝手知ったる台所だ。
すぐにお湯を沸かして緑茶の用意をした。
緑茶を選択したのは正月だということで、口取りがまだ残っていたから。
あかねが急須にお湯を注いだところで、背後から頼久の手が伸びてきた。
「頼久さん?」
「向こうへ運びましょう。神子殿は何か見たいテレビ番組がおありだったのでは?」
「あ、そうでした。じゃあ、口取りも向こうに出しますね。」
「お願いします。」
急須と湯呑みを頼久が、そして口取りをあかねがリビングへと運び込むと、普段と変わらないように見えたリビングが一気に正月らしく見え始めた。
テーブルの上に愛らしいピンクの鯛やオレンジ色の海老の口取りが並ぶだけでなんだかおめでたい気がしてしまうから不思議だ。
二人は急須に緑茶を注ぐと、仲良く並んでソファに座った。
「頼久さん、眠くないですか?」
「はい、大丈夫です。ご心配なく。」
「本当にすみませんでした、頼久さん、昨日ほとんど寝てないのに…。」
あかねは一口緑茶を飲むと小さな溜め息をついた。
昨日、つまり大晦日の夜、頼久はあかねの家でその一時を過ごした。
あかねは二人で元朝参りに行きたいといっていたのだけれど、あかねの両親が是非頼久を招待して年越しをしたいと言い出したからだ。
そうなると、何がどうなるか結果は見えているようなもので、いつもはそんなに飲まないあかねの父が頼久を捕まえて離さず、一晩中酒盛りになってしまった。
あかねは途中で眠くなってしまって、除夜の鐘を聞き終えたところで自分の部屋へ戻って眠ったけれど、朝起きてリビングに顔を出せば、前日と同じ様子のままの頼久が優しい笑顔で迎えてくれた。
酔いつぶれてソファで眠っているだろうと思っていた父がその場にいなかったのは、眠り込んだ父を頼久が寝室まで運んだからだと母に聞かされた時には頼久に申し訳なくて、あかねは思わず深々と頭を下げてしまった。
朝は朝で、台所で立ち働く母の手伝いをしようとしたらしく、さすがにそれは母に止められてリビングのソファで母がふるまった茶を片手にくつろいでいたらしい。
つまり、頼久はあかねの父に付き合って一晩飲み明かした挙句、酔いつぶれた父を介抱し、朝早くから働き出したあかねの母を前に寝るわけにもいかず、徹夜したというわけだ。
貫徹しても顔色一つ変えず、いつもと同じ笑顔を見せている辺りはさすが頼久で、あかねの母もこの頼久の様子には驚いていた。
もちろん、京では夜の警護と昼の仕事、どちらもこなしていた頼久を見ていたから、あかねはそこまで驚きはしなかったけれど、それでも頼久の体は心配だった。
心配ではあったのだけれど、あかねにはどうしてもこの日、1月1日にやっておきたいことがあった。
それは頼久と二人で神社にお参りに行くこと。
あかねが恐る恐る頼んでみると、頼久が喜んで承知してくれたので、二人は朝食にあかねの母が作った雑煮を食べてすぐ家を出た。
人でごった返す神社でも頼久が側にいてくれれば安心で、あかねは頼久と二人、念願のお参りを済ませた。
帰り道も頼久にしっかり守ってもらって、あかねはそのまま帰るつもりだった。
何しろ頼久は前日一睡もしていない。
加えて父や母の相手で気疲れもしたはずだ。
だから途中からは一人で帰るから、頼久も自宅へ帰ってゆっくり休んで欲しいといったのだけれど、頼久はそのあかねの申し出を承知しなかった。
自分は大丈夫だからもう少しだけ一緒にいてほしいと懇願されてあかねが逆らえるはずもない。
だいたい、二人きりで過ごそうと思っていた大晦日が大騒ぎになってしまって、一緒にいたかった頼久はすっかり両親に独占されてしまっていたから、あかねももう少し二人で過ごしたいと思ってはいた。
そこに頼久の懇願だ。
頼久の体を思えば休んで貰わなくてはと思っても、あかねは自然と頼久の申し出にうなずいていた。
そして、今に至る。
「私は一晩や二晩眠らずとも、どうということはございませんのでお気になさらず。」
「でも、私のわがままでしたから…。」
「ここへ来て頂いたのは私のわがままということになりますし…。」
「そんなことないです!私も…その…ずっと頼久さんをお父さんにとられてたから二人きりでゆっくりしたいなって思ってましたから…。」
あかねの顔はあっという間に赤く染まって、その手は湯呑みをくるくると回している。
そんなあかねを頼久は優しく見つめた。
「そのように思って頂けるとは、この身は果報者です。」
「お、大げさですよ…。」
あわあわと意味もなく手を振って否定したあかねは、やり場のなくなった手で口取りの乗った皿をとるとそれを頼久の方へ差し出した。
「頼久さん、どっちがいいですか?硬くならないうちに食べちゃいましょう。」
「私はどちらでも、神子殿が両方食べて下さってもかまいませんが。」
「甘いものは好きですけど、それはさすがに多いです…。」
「では、神子殿がお好きな方をお選び下さい。」
あかねは頼久にうながされて少し考えてから、ピンク色に染められた鯛の形をした方を手にとって残りを頼久へと差し出した。
「昔からなんとなく鯛の方を選んじゃうんです。色がかわいいからかなぁ。」
「味は同じですから、見た目ということになりますか。」
「ですよねぇ。お正月しか食べられないっていうのもなんだか貴重な気がして、毎年必ず食べちゃいます。でも、二つはいつも多くて、今年は頼久さんに一緒に食べてもらえるから安心して一つだけ楽しめます。」
あかねは嬉しそうにかわいらしい形の口取りにぱくりと噛み付いた。
そんなあかねの愛らしさに頼久の理性が一瞬くらりと揺らぐ。
頼久は自分の揺らぐ理性をぐっと引き寄せながら、あかねから受け取った口取りを一口食べて心を落ち着けて、それからテレビへと目をやった。
あかねは昨日からどうしても見たい番組があると言っていて、その放送時刻が迫っていたはずだった。
それに合わせて帰宅してきたのだ。
そのことを思い出して頼久はテーブルの上に乗っているテレビのリモコンを取り上げた。
「神子殿、何か見たい番組があるとおっしゃっておいでではありませんでしたか?」
「へ…あ、そうでした!」
そっと頼久に差し出されたリモコンを受け取って、あかねは慌ててテレビの電源を入れた。
ぱちぱちと番組を切り替えて、目的の画面が映し出されるのを確認してほっと安堵の溜め息をつく。
何がそんなに見たかったのかと頼久が小首を傾げながらその画面を覗けば、そこには美しい冬の京都の風景が映っていた。
「家で録画もしてるんですけど、せっかく一緒にいるなら二人で見たいなって。」
「これは…。」
「京都のお正月特集です。伝統の行事とか、古いお寺ではどんなことをしてるのかとか色々……嫌ですか?」
「は?」
「私はこういうの見ると、京のみんなのことを思い出したりして、少し楽しい気持ちになるんです。みんな元気にしてるかなぁって思い出したり。でも、頼久さんは…。」
そのあかねが懐かしむ世界に全てを置いてきた。
だから、もしかしたらこんなものを見るのは故郷を思い出してつらくなるだけで、嫌だったかもしれない。
その可能性に気付いて、あかねが視線を落とした。
けれど、頼久はあかねが想像したような反応は見せなかった。
頼久はまじまじとテレビ画面を見つめて、それからふっと笑みをこぼした。
「確かに懐かしいと思うところもありますが…そっくりそのまま同じというわけではありませんので…。」
「あれ、そうなんですか?千年以上もずっと受け継がれてきてる行事とかあるはずなんですけど…。」
「受け継がれているとは思いますが…受け継がれる間に変わったこともありましょう。」
「ああ、なるほど。」
「ですので、ご心配なく。」
「でも…。」
「それに、私は京を懐かしいとは思いますが、懐かしく思い出したところで戻りたいとか戻れぬことを悲しいと思ったことは一度もございませんので。」
「そう、ですか…。」
「はい。神子殿のお側に置いて頂けない方がずっとこの身にはこたえます。」
だからこそ生まれた世界を捨ててまであかねと共にこの世界へやってきたのだ。
たとえ、恋しいなら今すぐ京へ帰してやろうと神に言われたとしても頼久は決して首を縦に振るつもりはない。
ただ、こんなふうに京に良く似た風景を目にすると、残念に思うことが一つだけある。
頼久はテレビ画面とあかねを見比べて苦笑をこぼした。
「頼久さん?」
「京に戻りたいと思うことはありませんが、一つだけ残念だと思うことはあります。」
「残念?」
「はい。」
「何が、ですか?」
「神子殿がもし京でお過ごしであれば、あのように着飾ったお姿を毎日拝見できたと…。」
「へ…。」
あのようにといわれてあかねが自然とテレビへ目を向ければ、そこには綺麗に着物を着付けた女性達がお参りのために並んで歩いていた。
確かに京であれば十二単なんかを着て生活することになっていたのかもしれない。
「えっとですね…その…普通の着物でよければ、近々着ることになるんです。その話もしなくちゃって思ってたんですけど、年末年始で忙しくてできなくて…。」
今度は頼久が小首を傾げる番だった。
こっちの世界ではよほどの行事がないかぎり、あかねのような若い女性が着物を着ることはないと良く知っている。
だから、正月、あかねが晴れ着は着ないと言った時、少しばかり落胆したものだった。
それが、近々着てくれるという。
思わず頼久は半ば身を乗り出してあかねの話に耳を傾けた。
「実は私、今年成人式なんです。まだ19才ですけど、今年20歳になるので。」
「なるほど。それで晴れ着を…。」
「そうなんです。それで、当日は家でお母さんに着付けをしてもらって、それから会場に出かけるんですけど…。」
「何か不都合でも?」
「いえ、不都合じゃないんですけど…頼久さんにお願いがあって…。」
「なんなりと遠慮なさらず。」
普段からどんな些細なことでも大きなことでも、あかねの望みなら全てかなえたいと思っている頼久だ。
もともと乗り出していた体を更にあかねの方へと乗り出し、頼久はあかねを正面から見つめた。
「あのですね…家から会場までの移動をお願いしたいんです。お父さんがどうしても用事があって送り迎えできないって…。」
「そのようなことでしたらいつでもおっしゃって頂ければ、すぐに馳せ参じます。」
「有り難うございます。あ、もし頼久さんが来てくれるなら、せっかく晴れ着を着るんだし、二人でどこか食事に行って来てもいいよって言われてるんです。もしかしたら現地集合の天真君と蘭と一緒になるかもしれませんけど。」
晴れ着姿のあかねと外食ができる機会など、そうめったに巡ってくるものではない。
頼久は幸せそうに微笑むと、しっかり一つうなずいた。
「承知致しました。当日を楽しみにしております。」
「有り難うございます。じゃあ、詳しいことは家に帰って成人式の予定表を確認してから連絡しますね。」
「はい。」
二人はニッコリ微笑み合うと、残りの口取りを食べながら京都の正月を映し出すテレビ画面に見入った。
雪の舞う京都は少し寒そうだったけれど、それでも着飾った人達が初詣に出かける様や、儀式に望む人達の古風な衣裳を見るのは楽しかった。
やがて番組が終わってあかねが満足気にテレビの電源を切ると、リビングは急に静かになった。
静かになると今度は二人きりでいることを意識してしまって、あかねがそんな空気を何とかしようと話題を探しているうちに、珍しく頼久の方が口を開いた。
「神子殿は今年成人されるのですね。」
しんみりとしみじみ噛み締めるように言う頼久の言葉に、あかねは思わず笑みを浮かべた。
あかねの成人はあかね自身にとっても頼久にとっても大きな意味を持つ。
その大切な日をこの恋人も心待ちにしてくれていたのだと思うと、あかねの心の中は温かさで満たされた。
「大人になるんだなぁってなんとなく思ってます。ただ、法律として大人と認められる以上は、私自身もちゃんと大人にならなきゃいけないなとも思ってて…。」
「神子殿は大丈夫です。今でも十分、大人でいらっしゃいます。」
「そんなことは…。」
「いえ、京にいた頃より神子殿は年齢よりはずっと大人びておいでで、御立派でした。何一つ、ご心配には及びません。」
頼久の言葉は本心だ。
京で怨霊と戦っていた頃のあかねは、初めの頃はそれでも少しばかり頼りない幼さを残してはいたものの、大人でも逃げ出すような使命から逃げ出すことなく、最後まで戦い抜いた。
その姿は今でも頼久の脳裏に焼きついて離れない。
頼久の中であかねは大人だの子供だのというよりは、敬愛すべき女神に等しかった。
「じゃあ、頼久さんもちゃんと私のこと、これからはちゃんと大人として扱ってくださいね。」
「は?」
「頼久さん、すぐ私を子供扱いするじゃないですか。今年は私も大人の仲間入りするんですから、ちゃんと大人の扱いしてください。」
少しむくれたように、それでも顔を赤くして言うあかねに一瞬目を丸くした頼久は、すぐに苦笑してうなずいた。
「承知致しました。」
子供扱いしてきたつもりは毛頭ない。
ただ、行き過ぎないようにと気をつけていたのは確かだ。
あかねの愛らしさも魅力の一つだと思えば、大人ぶって欲しいとも思わなかった。
けれど、あかね自身がそのような扱いをやめて欲しいというのなら…
頼久はあかねがきょとんとしている間に、素早くその唇を奪った。
大人の扱いをと言ったのはあかね。
だから抗議は受け付けない。
頼久のいつもよりもずっと長くて深い口づけにあかねが戸惑い始めた頃、頼久の体がゆっくりあかねから離れた。
離れた頼久の顔には苦笑が浮かんでいて、その顔を見たとたんにあかねの顔が真っ赤に染まった。
「神子殿、しばしこのままお待ち頂けますか。」
「へ、あ、はい、いいですけど…どうかしたんですか?」
「来客です。」
「来客?」
「この気配はおそらく天真でしょう。この寒空の中挨拶に来たのでしょうから、入れてやります。」
「あ、はい。」
玄関へと天真を迎えに行く頼久を見送ってあかねはほっと一息ついた。
頼久が大人として扱ってくれたらしいことは嬉しくもあり、少し恥ずかしくもあったけれど、恥ずかしさより何より幸せが先に立った。
もうすぐ頼久が天真をつれてくるというのに、あかねは自分の顔が赤くなっているのもにやけてしまうのも止められない。
あかねが自分の表情筋と戦っている間に、酒瓶片手の天真と頼久がやってきた。
「あけましておめでとう、天真君。」
「おう、おめでとう。って、あかねがいるならそう言えよ、頼久。俺だって気を使うことくらい覚えたぞ。」
「いや、かまわん。せっかく来たのだゆっくりしていけ。」
「ゆっくりしていけったってなぁ…あかね、お前、顔がゆるみきってんぞ、どうした?」
訝しげな顔であかねを覗き込む天真。
そんな天真にあかねは幸せ一杯の笑顔を見せた。
「うん、頼久さんのおかげで今年はいい初夢が見られそうだなぁと思って。」
「初夢…そっか、今日か、初夢って…………頼久、お前、あかねに何したんだ?」
天真の問いにあかねと頼久は微笑を交わしただけで何も言わなかった。
そんな二人を見比べて天真は深い溜め息をつくと、酒瓶をテーブルの上に置いて床にあぐらをかいて座った。
「今年も相変わらず仲がいいな、お前らは。」
「神子殿のお心が広くていらっしゃる故だ。」
「ま、そうだろうなぁ。」
「そんなことないです!頼久さんが大人だからです!」
「ハイハイ、新年早々ごちそうさん。」
「天真君!」
呆れる天真と顔を赤くするあかねとを見て微笑を浮かべた頼久は、黙って一人台所へ向かった。
あかねには紅茶でもいれて、それから天真には酒を注ぐためのグラスを与えなくてはならない。
天真とあかねがにぎやかにわいわい何か言い合っているのを背に聞きながら、頼久は茶器に手をかけた。
管理人のひとりごと
やっとあかねちゃんが成人する年になりました!
ってことで新年はこんなお話。
本当は年越しの話を書こうとしてたんですが、時期がずれたので新年のお話に(TT)
成人式の話も時期がずれてもやるつもりですが、いつになるかは…
遅くなりすぎないように頑張ります(TT)
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