春の宴
 あかねは琴の練習に必死だ。

 朝、夫を仕事へと送り出してからはほぼ一日中練習しているといってもいい。

 それというのも再び花の季節が巡ってきたからだ。

 昨年は八葉のみんなを呼んで楽しくお花見をした。

 一応手料理でお弁当を作って持って行くこともできた。

 それに友雅と永泉の琵琶や笛の音を聞くことができた。

 そして今年である。

 今年もまたあかね主催の花の宴が催されることが決まっていて、八葉の一同もそれぞれちゃんと予定を空けてくれている。

 そして、今年はなんと、あかねがみんなの前で琴を演奏することになってしまったのだ。

 もちろん、今回も言いだしっぺは友雅。

 提案したのは友雅なのだが永泉辺りもすっかりその気になってしまって、あかねはどうしても一曲演奏しなくてはならない事態に陥っていた。

 といっても、練習を始めてからまだそんなに時間が経ったわけじゃないから、あかね本人はとても人前で弾く自信などなかったのだが友雅と永泉にどうしてもと言われてしまっては断りきれなかった。

 だから、本当に簡単な曲を一曲だけこうして一生懸命に練習しているというわけだ。

 その熱心さといったら、夫の頼久が体を壊しはしないかと心配するほどだった。

 明日はその花の宴という今日になってもあかねは練習を怠らない。

 明日演奏を聞いてくれるのは八葉のみんなで、間違えたりしても誰も気にしたりはしないのだろうけれど、それでもあかねはどうしても自分が納得いくまで練習をしたかったから。

「ただ今戻りました。」

 いつの間にか陽が西の空に傾いて黄金色に染まっていることに、あかねは夫の声を聞いて気づいた。

 それほど集中して練習し続けていたということだ。

「お、お帰りなさい。」

「神子殿…また琴の練習をなさっていたのですか?」

「明日が本番だし…。」

 体を壊しはしないかと心配している頼久の気持ちもわかるだけに、あかねは申し訳なさそうにうつむいてしまった。

 そんなあかねの側に膝をついて、頼久はあかねの両手を優しく持ち上げる。

「頼久さん?」

「指先が赤くなっていますね。これ以上練習すると明日弾けなくなってしまうかもしれません。」

「うわぁ、本当。」

「薬を持ってきましょう。少々お待ち下さい。」

「そ、そんなの自分でやりますよ、頼久さんお仕事で疲れているのに…。」

「いえ、衣を解いてきますのでついでです。」

 そう言って優しく微笑んだ頼久はさっと奥の方へ姿を消した。

 帰ってきたばかりの夫をまた見送って、あかねは深い溜め息をついた。

 一日中仕事をして帰ってきた夫に今度は心配をかけてしまうなんて…

 これじゃぁ奥さん失格だ。

 どんなに琴を上手に弾いても旦那様にに心配をかけているようじゃ全然ダメ。

 そう心の中で思ってあかねは目に涙を浮かべた。

 色々一生懸命やっているつもりだけど、なかなか上手くいかないことが多い。

 頼久にだってどれだけ苦労をかけているかわからないと思えば、どうしても涙が浮かぶのを止められなかった。

「神子殿?指が痛いのですか?」

「え、あ、うん、ちょっとだけ。」

「今薬を塗りますので。」

 そう言って優しくあかねの指先に持ってきた薬を頼久が塗れば、あかねはますます涙ぐんでしまって…

「神子殿?大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です。頼久さんが優しいから感動しちゃっただけ。」

「神子殿…。」

 優しいと言われて涙まで浮かべられては頼久が感動することは間違いなく…

 薬を塗り終わるとすぐに頼久は愛しい妻をかき抱いた。

「ちょっ、頼久さん、夕餉の支度がもうできますよ。」

「そう、ですね、明日は早くから出かけなくてはなりませんし、早く夕餉を済ませて早く休みましょう。」

 顔を赤くしている妻を珍しくすんなり解放したと見えた頼久は、そのままあかねをさっと横抱きに抱えて歩き出してしまった。

「よ、頼久さん?」

「せっかく神子殿に優しいと言って頂きましたので。」

 ので、更にサービスってこと?

 と心の中でつぶやいてあかねはまた顔を赤くしてうつむいた。

 自分を抱く夫の顔はというととても満足そうに微笑んでいて、とてもではないが下ろして欲しいとはいえなくて…

 結局、あかねは女房達に優しく見守られながら、頼久の手で夕餉をとるための局へと運び込まれてしまったのだった。





 花の宴当日。

 天気は快晴の花見日和。

 ゆるやかな風が吹けば散り際の桜の花弁がひらひらと舞ってとても美しい。

「神子の琴、とてもお上手でした。」

「え、永泉さん、褒めすぎです…。」

「いやいや、なかなかのものだったよ。神子殿はなんでも上達が早いね。これで一人身だったら風流な殿方達が放ってはおかないところだったね。」

「残念だったのは友雅殿でしょう。」

「これは相変わらず手厳しいね、鷹通。」

 八葉の一同が集まれば何話すことなど用意されていなくてもこうしていつも和やかに、楽しい一時を過ごすことができる。

 今では皆、それぞれに立場があって仕事があって、なかなかこうして会うことはできないけれど、それでも集まってしまえば共に怨霊と戦った仲間同士、すぐに意気投合するのだ。

「泰明さんは最近どうですか?」

「神子に報告するようなことは特にない。」

「えっと、報告じゃなくてですね…。」

「仕事は忙しい。だが、八葉の任に比べればどうということはないという程度だ。」

「まぁ、そうですよね、八葉として戦ってた時はもう本当に必死でしたもんね。」

「そうだよなぁ、オレもやっと鍛冶屋としての仕事を一人でやれるようになって忙しいけどな、八葉やってた頃に比べたら全然だな。」

「皆、普通ではありえない修羅場を潜り抜けていますから、たいていのことでは参りませんね、我々は。」

 鷹通の言葉に皆がうなずいた。

「鷹通さんもお仕事忙しいんですよね?」

「まぁ、以前よりは、という話です。私などよりは友雅殿や永泉様の方が色々と。」

 鷹通の言葉に一同の視線が一斉に友雅と永泉へ向いた。

「私はまぁ、いつものように、ね。」

 と、こちらは友雅。

 いつものように適当にサボっているということらしい。

「友雅さんは忙しくてもちゃんと自主的にお休みとるから大丈夫そうですよね。」

「言うねぇ神子殿も。」

「永泉さんはそんなに忙しくなったんですか?お坊さんなのに。」

「い、忙しくなったわけでは…。」

「永泉は忙しくなったのではない。周囲が騒がしくなっているのだ。」

 珍しくフォローを入れたのは泰明だった。

 いつものようにポーカーフェイスで淡々と話してはいるが、こうして永泉の話をフォローすることは珍しい。

 同じ玄武の八葉としての友情が芽生えたのかと、永泉本人以外の一同は微笑ましい思いで泰明を見つめた。

「泰明さん、永泉さんの周囲が騒がしいってどうしてですか?」

「還俗の話が出ているのだ。」

「や、泰明殿…。」

「げんぞく?」

 慌てる永泉に対してあかねはキョトンとして小首を傾げるばかりだ。

 あかねには還俗という言葉の意味がわからない。

「還俗というのはですね、僧の身分を捨て、俗世での身分を回復することをいいます。」

 鷹通の間髪入れない説明に、あかねは目を丸くした。

「つまり、お坊さんをやめて親王様に戻るっていうことですか?」

「ま、まさか!そのようなことはありえません!わたくしは、還俗など望んではおりませんので…。」

「あ、そうなんだ。」

「だが、周囲は放ってはおかぬ。八葉として龍神の神子と共にこの京を救ったのだ。その功績は大きい。」

「英雄的な話を持つ親王を是非とも帝にと考える輩がいるということですか。」

「泰明殿、鷹通殿、おやめ下さい。わたくしにそのつもりは…。」

「いつの世にもろくでもないことを考える輩というのはいるものですよ。永泉様も少しは私のように気楽に、ね。」

 そう言って友雅は膝に抱えた琵琶をさらりと鳴らした。

 その音色はとても美しいが、今の永泉の表情を晴らすには至らなかった。

「友雅殿は気楽過ぎるのです。永泉様のお悩みはごもっともです。」

「永泉の心は決まっているのだ、問題ない。」

 友雅に釘をさすことを忘れない鷹通と、永泉の胸の内を知る泰明。

 これこそが名コンビとあかねが嬉しそうに微笑む。

「ま、オレは永泉が帝になるならそれもいいかもしれねーって思うけどな。永泉がやる気ねーんじゃなぁ。」

「イノリ君、永泉さん嫌がってるんだから期待しちゃだめだよ。」

「オレはあかねが帝でもいいなって思ってるぜ?」

「残念でした、私は源武士団若棟梁の北の方ですから帝にはなれませ〜ん。」

 あかねがそう言って微笑むと、一同もにっこりと微笑んだ。

 いつの間にか永泉の顔にも笑みが浮かんでいる。

 今でも龍神の神子、あかねは八葉の心に暖かな光を差し込むことのできる、大切な存在に違いはないのだった。





 皆の楽しい会話で花の宴が終了して、あかねは屋敷へ帰ってくると縁に座ってほっと溜め息をついた。

 屋敷へ到着したのはもうすっかり辺りが暗くなった頃で、さすがのあかねも疲れていたが、それでも八葉のみんなとの会話はやっぱり楽しくて疲れているといってもそれは心地良い疲れだった。

 だが、そんなあかねに今、一つだけ気になっていることがある。

 というのも、大切な旦那様である頼久の様子がおかしいのだ。

 宴の最中、ほとんど口を開かなかったのはまぁいつものこと。

 二人でいる時はだいぶ話をしてくれるようになったけれど、今でも八葉全員がそろえば以前の寡黙さを取り戻すことがあるから。

 ところが、今日はどうしてか帰り道もほとんど何も話してくれなかった。

 しかも、眉間にシワを寄せて何か難しそうに考えている様子で、あかねからも声をかけづらかったのだ。

 それだけじゃない、帰ってきてからも屋敷の奥へと引きこもって今もまだ出てきてくれない。

 あかねが第一の頼久には珍しいことだ。

 あかねが疲れているだろうことがわかっているのに放置することなど、今までに一度もない。

 体調が悪いのだろうか?それとも何か心配事があるのか?もしかして宴の席で自分が何か気に入らないことを言ったのだろうか?

 あかねの頭の中は頼久への心配でいっぱいだ。

 そこへかさりと衣擦れの音が聞こえた。

「頼久さん?」

 あかねがすぐに振り返ると、そこにはやはりいつもとは違って難しそうな顔をしている頼久が立っていた。

「神子殿、今日はお疲れでしょう、疾くお休みになられたほうが…。」

 そういう声もいつもより低くて、どこかつらそうだ。

 あかねはすたすたと頼久に歩み寄ると、その端整な顔を見上げた。

「頼久さん今日は変です。どこか体の具合、悪いですか?」

「いいえ…。」

「じゃぁ、私、何か宴の席で頼久さんが嫌がるようなことを言ったりしたりしました?」

「…いいえ……。」

「それなら何か気になることでもあるんですか?」

「……いいえ、神子殿がお気になさるようなことでは…。」

「でも、今日の頼久さんは凄く変です。元気がないし、なんだか辛そうだし…心配、です…。」

 そう言って頼久を見上げるあかねの目にはうっすらと涙さえ浮かんでいて…

 頼久は一瞬はっと目を見開いて、次の瞬間、あかねをギュッと抱きしめていた。

「よ、頼久さん?」

「御心配をおかけして申し訳ありません。」

「そ、それはいいんですけど…どうしたんですか?急に…。」

「いえ…その……本日は八葉の皆ととても親しくしておいででしたので…。」

「それはまぁ、みんな久しぶりでしたし…。」

「……。」

「えっと…。」

「…あまりに神子殿が楽しそうにしておいでなので…その…。」

「もしかして、やきもち、ですか?」

「……。」

 この沈黙は図星ということ。

 あかねはほっと安堵の溜め息をついてからクスッと笑ってしまった。

「神子殿?」

「ごめんなさい、でも、こんなことでやきもちやいてもらえるなんて思ってなかったから。」

「……私にとっては笑い事では…。」

 そういう頼久の腕に力がこもって、あかねは笑みを収めた。

 どうやら本当に頼久の中では深刻な問題だったらしいと気づいたから。

 そして今度はあかねも頼久にきゅっと抱きついた。

「こんなことで妬いたりしなくても大丈夫ですよ。私は八葉のみんなが大好きですけど、中でも頼久さんのことが一番大好きなんですから。だからお嫁さんになったんですから、ね?」

「神子殿…。」

「そうだ、頼久さんだけは特別な人だから、二人きりでこれから庭の桜で夜桜を…。」

 あかねはそれ以上話をさせてもらえなかった。

 本当は、特別な旦那様とゆっくり二人きりで夜桜を楽しもうと誘いたかったのだけれど、そう言葉を紡ごうとした唇はあっという間に頼久の唇で塞がれてしまって…

 突然の長い口づけの後で抗議をしようとしたら、今度は軽々と抱き上げられてしまい…

 結局、夜桜見物の話はできないまま、褥が用意されている局へ連行されてしまったから。

 こうして、頼久は翌日の朝、有無を言わせぬ自分の行動ですっかり御機嫌斜めになってしまった妻の機嫌を一日中うかがわなくてはならないことになり、許してもらえたのはこの夜こそ二人で夜桜を見ると約束を交わした昼のことだった。








管理人のひとりごと

久々の京版更新です(^^)
こんな時期ですが、花見ネタです(’’)
八葉としての戦いが終わってしばらくたったみんなの様子を書いてみました♪
みんな成長して忙しくしてるだろうなと管理人は思うわけです。
なにしろ、京を救った英雄達ですからね(^^)
で、頼久さんはよりあかねちゃんとラブラブです(’’)





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