春はそこまで
 あかねはテーブルに向かって眉間にシワを寄せていた。

 テーブルの上に乗っているのは古典の教科書とノートだ。

 お正月を楽しく過ごしたらやってくるのは3学期。

 3学期をむかえるためには冬休みの宿題を終わらせなくてはならない。

 そしてそんなあかねと同じような状況下にある人物が二人、あかねの前に座っている。

 もちろん天真と蘭の二人だ。

 こちらは二人そろって数学の教科書を睨み付けていた。

「あーーーわっかんねー。」

「お兄ちゃん、うるさい。」

「天真君、数学やってるの?」

「おう、進んでねーけどな。」

 そう言って天真はがっくりうなだれた。

 するとそんな天真の前にバサリと一冊の参考書が置かれた。

 3人がいっせいに視線を上げるとそこには…

「それに解き方がわかりやすく載っている。」

 いつものように無愛想な顔でそういったのはこの家の主、頼久だ。

 そう3人は冬休みも終盤に入って頼久の家に集まって一緒に宿題をしていたのだ。

 そして頼久はというと、近くのソファに座って資料を読んでいたはずなのだが、どうやら天真が唸り続けているのを見かねて書斎から参考書を持ってきたものらしかった。

「頼久…お前、なんで高校数学の参考書持ってんだよ。」

「先日、神子殿がわからないと悩んでおいでだったので、解き方を調べたのだ。」

 あっさりそう言って頼久がソファへ座り直すと天真と蘭の目がゆっくり頼久からあかねへと向いた。

 それに気付いたあかねはさっと顔色を赤くして黙って宿題を再開する。

 天真はそんなあかねを見て苦笑しながら深い溜め息をついた。

「つまり、お前はあかねのために自分が苦手な数学を勉強してまで教えてやったってわけか。」

「いや、神子殿には共に考えて頂いた。どうもこちらで生きてきた私の記憶をたどっても数学は苦手だったらしくてな。一人ではどうにもわからなかったのだ。不甲斐ないが…。」

「不甲斐ないっていうか……お前の神子殿バカはやっぱかなりのもんだな。」

 あきれたように天真がそういうと頼久は納得がいかないという表情を浮かべたが、ここで抗議しようものなら更にとんでもなく真の友にバカにされると過去の経験からわかっているのでかろうじて口をつぐんだ。

「ということは、あかねちゃんは数学の宿題はもう全部終わったてこと?」

「へ、あ、うん、頼久さんが手伝ってくれたからだいぶ前に……。」

「ふっふ〜ん、ねぇねぇ、あかねちゃん、ノートみ〜せてっ。」

 そう言って蘭があかねににっこり微笑むとあかねは困ったような苦笑を浮かべながらノートを一冊蘭に手渡した。

「見るのもうつすのもいいけど、後でテストできなくても知らないよ?」

「大丈夫、わからないところをちょっと教えてもらうだけだから。ね、お兄ちゃん。」

「あのな…俺は見ねぇからな。」

「なんで?」

「なんでってお前……頼久の力借りて宿題なんかできっかよ。」

 憮然とした顔でそう言い放った天真はそのままノートに向かった。

 どうやら全部自力で解答することに決めたらしい。

「お兄ちゃんは意地っぱりなんだから。」

「天真君はしっかり者だから。」

 そう言ってあかねがにっこり微笑めば天真は聞いているのかいないのかただひたすらノートに向かうばかりだ。

 ただし、その背中にはソファに座っている頼久からの刺さるような視線を感じていたが…

「あーあ、あかねちゃんはいいよねぇ。」

「へ?」

「得意教科だけじゃなく、苦手な教科の宿題まで手伝ってくれる大人の恋人がいて。」

「蘭は天真君に教えてもらえるじゃない。」

「あのね、あかねちゃん。お兄ちゃんは同級生なの。年上でも同級生。つまり教えてなんてもらえないの。」

「それはそうだけど…でも、しっかり者だから頼りになるじゃない。」

「頼りにねぇ…。」

 隣に座る天真をじろりと見つめてから蘭はこれ見よがしに深い溜め息をついた。

 何か言いたそうな妹にも現状で天真に言えることはない。

 蘭の言うとおり、宿題なんて教えてやるどころの騒ぎではないのだから。

「天真君は頼りになるよ。京に飛ばされちゃった時だって、私達とはぐれてたった一人だったのにちゃんと自活して自力で何とかしようとしてたし。ただおろおろしてた私とは大違いだもの。」

「お兄ちゃん、野生児だからねぇ。」

「そ、そういうことじゃないと思うんだけど…戦いの時だって凄く強くて頼りになったし。」

「喧嘩はお兄ちゃんの唯一の特技だからねぇ…。」

「そ、そんなことないよ。凄く頼れるじゃない。」

 褒めまくるあかねとそれら全てを否定する妹に散々色々言われている本人の天真は、ひたすらただ黙って聞き流しているのだが…

 その背に刺さる相棒の視線が痛くてしかたがない。

 あかねは何かと言うと天真をよく褒めるのだが、褒められるたびに天真は頼久の痛い視線を浴びることになるのだ。

「私はお兄ちゃんっているといいなぁって憧れるけどなぁ。」

 あかねのこの一言で天真の顔色が青くなった。

「あかね、憧れるは勘弁してくれ…。」

 たまらず天真がそう言って溜め息をつくと、あかねは何を言われているのかわからずにキョトンとしてしまい、蘭は声を殺して笑い出した。

 そして警戒されている頼久はと言うと、溜め息をついたかと思うと読もうとしていた本を置いて台所へ向かった。

 やっと視線から解放されて天真が安堵の溜め息をつく。

「天真君、私がお兄ちゃんに憧れるのはいけないの?」

「いけないってわけじゃねーけどな…お前が何かに憧れるだのかっこいいだの言うと妬くやつがいるだろうが、一人。」

「へ?」

 言われて初めてあかねは台所で何やら作業している頼久の背中へと視線を向けた。

 あかねにしてみれば別に頼久よりかっこいいとか頼久より頼りになるとか言ったつもりはないので、そんなことを頼久が気にするとは思ってもみなかった。

 だから、天真に言われて初めて頼久のその背中と困り果てている天真とを見比べた。

 確かに、もし目の前で頼久に他の女性を褒められたら、自分だっていい気分ではないかもしれない。

「お前らほんと、バカップルだからなぁ。」

「そ、そんなことないもん!」

「あかねちゃん、自覚なさすぎ。」

 蘭にまであきれられてあかねは真っ赤な顔でうつむいた。

 この二人にはいつもからかわれてばかりいるけれど、あかね自身はそんなにべったりしているつもりはない。

 そういう関係は頼久が嫌いそうな気がしたし、だいたい自分が恥ずかしい。

 それなのに天真と蘭はことあるごとにこうして二人をからかうのだ。

 あかねが真っ赤な顔で何もいえないでいると、目の前にティーカップが置かれた。

 見れば天真と蘭の前にも同じティーカップが置かれている。

 中には湯気の上がるいれたての紅茶が…

 あかねが視線を上げるとそこには優しく微笑む頼久の笑顔があった。

「あ、有難うございます。」

「いえ、お気になさらず。」

 あかねの言葉にそれだけ答えて、頼久はもといたソファへと座りなおすと本を開いた。

 それはあかね達がやってきてからずっと頼久が手にしている本で、仕事の資料だということだった。

 そんな頼久を見て天真が深い溜め息をつく。

「なぁ、頼久。押しかけてる俺が言うのもなんだけどよ、お前、仕事すんなら書斎行った方がいいんじゃねーの?ここは何かとうるさくて気が散るだろ。」

 言われて視線を上げた頼久はあかねをじっと見つめて、不安げな顔をするあかねににっこりと微笑んで見せた。

「いや、ここでいい。神子殿の側に置いて頂いた方が落ち着く。」

「……そうかよ…。」

 うんざりだと言う表情の天真とは反対にあかねの顔にはぱっと幸せそうな笑みが浮かんだ。

 それを見て頼久も安堵の笑みを浮かべる。

 そんな二人を見比べて蘭は凍りつくような苦笑を浮かべた。

「お、お兄ちゃん、私達ほんとにすっごく邪魔してるみたいだから、家帰って二人で宿題やらない?」

「えっ、そ、そんな邪魔なんてことないよ。」

「いや、帰るわ。頼久の仕事の邪魔ってかお前ら二人の邪魔だもんな。」

「だから邪魔じゃないってば!頼久さんからも言ってください!」

 あかねが助けを求めてみれば、頼久はあかねから相棒へと視線を移しただけで何も言わない。

 その様子に再び溜め息をついて天真と蘭はさっさと勉強道具を片付けた。

「ちょっ、頼久さん!」

「じゃ、俺達は帰るわ。」

「天真。」

「ん?」

「神子殿のおっしゃる通り、邪魔と言うことはないぞ。」

「……いや、帰るわ。」

 頼久が本心で言っているのはわかっている。

 仲間を大切に思う男だということは京での戦いでよく知っている天真だ。

 それでも、これ以上ここにいるのは天真の方がつらかった。

 あかねに何か褒められるたびに刺さるような視線を浴びるのもつらいが、京では背筋の伸びた武士だった男が目の前のあかねにでれでれになっている様子を見るのもしんどいというのが天真の本音だった。

 だから、天真は蘭を促してさっさと頼久の家を出て行ってしまった。

「あーあ、本当に帰っちゃった。」

「私がここにいるばかりに逆に天真達に気を使わせてしまいました。」

「そ、そんなことないですよ。ここは頼久さんの家なんだから頼久さんがどこで何をしようと自由じゃないですか。」

「それはそうですが…せっかく残り少ない冬休みを神子殿が楽しく過ごしておられたものを…。」

「それは…別に頼久さんと二人でも楽しいですよ……。」

 あかねはやっとそれだけ言って真っ赤な顔で紅茶を口にした。

 二人きりの時間にはだいぶ慣れてきたけれど、ついさっきまで天真と蘭がいた賑やかさがまだ残っていて、なんだか二人きりが気恥ずかしい。

 頼久が何も言わないのであかねが視線を上げてみれば、頼久はソファに座ったままあかねを見つめて幸せそうに微笑んでいた。

 そう、二人きりでいるとき、こうして会話が途切れることはよくあることだ。

 最近では全然苦には思わなかったのに、急に静かになったリビングで二人きりでこうして見つめられるとあかねは胸がドキドキするのを押さえられない。

 そんな様子に気付いたのか頼久が心配そうにあかねに歩み寄った。

「神子殿?どこかお具合でも?」

「違います!全然元気です!」

 慌てて答えたあかねの声はどこか上ずってしまっていて、頼久の表情が曇った。

 これはあかねに何かが起きているに違いないと思ったのだ。

「いえ、先ほどからずいぶんと様子が…。」

 そう言って頼久はあかねの隣に座り込む。

 あかねは更に顔を赤くしてうつむいた。

「だ、大丈夫ですよ。ただその、ちょっとだけ……緊張したと言うかドキドキしたと言うか…。」

「は?」

「急に二人になったのに頼久さんがなんかこっち見てるし…。」

 一瞬キョトンとした頼久は、あかねの言っている意味に気付いてすぐに口元を緩めた。

 そういうことならば心配はない。

 それどころか頼久にしてみれば嬉しい出来事だ。

「お手伝い致しましょうか?」

「へ?」

「このままでは宿題が終わらないのではと。」

「あ……。」

 頼久に言われてノートを見てみれば、宿題のノートはさっきから全く進んでいない。

 あかねは軽く溜め息をついてノートを閉じた。

「神子殿?」

「宿題はもう明日にします。こんなんじゃなんか集中してできそうにないから…。」

「……申し訳ありません。」

「へ?なんで頼久さんが謝るんですか?」

「私のせいで神子殿の気が散っているのではと……。」

「ち、違います!天真君や蘭と騒いで疲れちゃったし…それに後はこれだけなんでそんなに急がなくてもちゃんと終わりますし。」

「では、明日、お手伝い致します。」

「はい、わからなくなったらお願いしますね。」

 あかねがそう言って微笑するとやっと頼久もその顔に笑みを浮かべた。

「それじゃぁ、今日はもう夜までゆっくりしちゃいますね。あ、夕飯、作りましょうか。」

「夕飯にはまだ間がありますから。」

「ん〜、出かけるには時間が遅いし、中途半端になっちゃいましたね。」

「いえ、私は別に。」

「はい?」

 あかねが小首を傾げるのと同時に頼久の手があかねの肩に回った。

 天真や蘭がいない上にあかねが終わらせなくてはならない宿題が先送りとなったのだ、頼久としてはあかねと二人きりの時間が楽しめればそれでいい。

 あかねは頼久にされるがままに肩を抱き寄せられてうつむいた。

 こんなふうにされるのはいつものことなのに、やっぱり今日はなんだか胸がドキドキしてしまう。

「もうすぐ春ですね。」

「へ?あ、はい。」

 慌ててあかねが視線を上げれば頼久の目は窓の向こうの庭を見つめていた。

 そう、冬休みが終わってしばらくすれば庭の桜がほころび始めて、あっという間に春が来る。

「またお花見しましょうね。」

「はい、是非に。」

「今年は桜餅、自分で作るのに挑戦しちゃおうかなぁ。」

「……。」

「頼久さん?」

 あかねが春の楽しい行事に思いをはせていれば、頼久は急に何かを考え込んでしまった。

 そっと覗き込むあかねを真剣に見つめたかと思うと、形のいい唇がそっとあかねの唇を奪った。

「よ、頼久さん?」

「春になれば…。」

「はい?」

「神子殿は受験生ですね。」

「あぁ……そう、ですね……。」

 そう、受験戦争はそんなに甘いものじゃない。

 あかねは今まで以上に勉強をしなくてはならないだろうし、そうなればこうして二人でいる時間は減ってしまうのだ。

 そのことに気付いてあかねは寂しそうにうつむいた。

「神子殿には希望の大学へ進学して望むとおりの人生を歩んでいただきたいと思っております。」

「はい。」

 それは頼久が常日頃から言っていることだ。

 自分のために人生を変えるようなことをしないでもらいたいのだと。

 だから、あかねもできるだけのこと、やりたいことをやってみようと思ってはいる。

 いるのだが…

 頼久につかまえてもらいたいというのもあかねの本音だ。

「しっかりなさっている神子殿のことです、そのようなことはないかと思いますが…。」

「はい?」

「もし、受験に失敗なさるようなことがあれば、その時には私がおりますので何もご心配なく。」

 そう言って抱きしめられてあかねは一瞬何を言われているのかわらず、頼久の腕の中で固まってしまった。

 そして暖かい腕の中でよくよく言葉をかみ締めて、あかねは目を閉じた。

 いつもこうして自分を気遣ってくれる恋人の優しさが今はとっても嬉しい。

「そんなこと言うと、勉強しなくてもいいかなって思っちゃうじゃないですか。」

「それは……。」

 慌てた頼久があかねを解放すると、あかねはにっこり微笑んで見せた。

「冗談です。ちゃんと頑張りますから、万が一失敗しちゃったときは頼久さんを頼ってもいいですか?」

「もちろんです、いつなりと。」

 二人は笑みを交わして、それからどちらからともなく庭へと視線を向けた。

 窓の向こうにはまだ冬景色。

 でも春はすぐにやってくる。

 春の先に何が待っているのかわからないけれど、こうして二人でいればどんなことがあっても大丈夫だ。

 二人はそう胸の中で思いながら窓の向こうの桜が満開になる様子を思い浮かべるのだった。








管理人のひとりごと

あかねちゃんはとうとう受験生になりますなぁ。
いいよなぁ、受験失敗したら永久就職が滑り止めだもんなぁ(’’)(マテ
頼久さんはあかねちゃんに幸せになってほしいと心から願ってるとおもいますが、天真君には容赦なく妬きます(笑)
あかねちゃんが天真君を選んだりしたら悲惨だな(’’)(コラ
管理人的には早くあかねちゃんのキャンパスライフを書いてみたいですが、先は長いです(TT)










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