花の下にて君を待つ
 京の夜はとても暗い。

 あかねが育った世界では光が皆無という夜はまずなかった。

 部屋にはスイッチ一つでともる灯りがあったし、他にもテレビにスマホと光を発するものはいくらでもあった。

 でも京は違う。

 夜、灯りを必要とするなら紙燭に火をともさなくてはならない。

 しかもそうしてわざわざ灯りを用意しなければ、他に光るものは皆無だった。

 静まり返った夜の屋敷に一人佇むあかねは、一度は褥に横になったものの、眠れずに起き上がったところだった。

 いつもなら隣で眠っているはずの旦那様がいないのは、もちろん仕事で遠出をしているから。

 帰ってくるのは明日の午後の予定だ。

 あかねはそれを思い出して一つ溜め息をついてから立ち上がった。

 単を一枚手に蔀戸を開けて縁へ出ると、そこには想像もしていない風景が広がっていた。

 かすかな風さえない春の夜。

 見上げるとそこには見事な満月が輝いていた。

 そしてその月に照らされているのは、庭に植えられている満開の桜だった。

 あかねの屋敷には大きな桜の木が植えられていて、それが昼間、満開になったのを女房達と一緒に眺めて楽しんでいた。

 きっと頼久が帰ってきてから散り際を迎えるだろうから、綺麗な散り際の花見を楽しみにしていたのだ。

 ところが、今、あかねの目の前には幻想的な美しい風景が広がっていた。

 風のない満月の夜に、月明かりのみに照らされて浮かび上がる満開の桜は溜め息が出る美しさだ。

「きれい…。」

 そうつぶやいてあかねは縁に立ち尽くした。

 あまりの美しさに圧倒されて、ただただ見つめることしばし。

 あかねはその場にぺたりと座った。

 せっかくこんなに綺麗なのに、見ているのが自分一人だというのがなんだかもったいない。

 だからといって女房達を起こすのも気が引ける。

 いつもならきっと頼久が隣にいてくれるのにと思った瞬間、あかねは寂しさで溜め息をついた。

「あかね?」

 自分を呼ぶ夫の声が聞こえたような気がしたのはきっと、恋しいと思ってしまったからだとあかねが溜め息を深くしたその時、月明かりの中にその姿は現れた。

 京の人間にしては長身なその姿は、月明かりに浮かび上がっているだけでもすぐにわかる頼久のものだ。

 一度目をこすって夢ではないことを確認して、あかねは目を丸くした。

「頼久さん!」

「起きておいでとは思いませんでした。」

「私も、頼久さんが帰ってくるなんて思ってませんでした。」

 そう会話している間にも歩み寄ってきた頼久は、手にしたまま忘れられていたあかねの単をその細い肩にかけて小さく息を吐いた。

「寒くはありませんか?」

「有り難うございます。持ってきたのにすっかり忘れてました。あんまり桜が綺麗で。」

「ああ、確かに。」

 あかねと頼久、並んで夜桜を見上げることしばし。

 ひらりと一枚、風もないのに薄紅の花弁が地面へとゆっくり舞い落ちた。

「あ、今、散りましたね。」

「はい。散り際まではもう少々あると思っておりましたが…。」

 頼久が仕事へ出かけるその日、今目の前にある桜はまだ花開いたばかりだった。

 だから、満開の花が散りゆく美しい散り際は間違いなく仕事から帰ってからあかねと共に見られるものと思っていた。

 その桜がもう散り始めている。

「きっと今のが最初の一枚ですよ。」

「そうなのですか?」

「はい。夕方までは散る気配もありませんでしたし、地面に落ちてる花びらも見ませんでしたから。今年最初の一枚を頼久さんと見られましたね。」

 嬉しそうにそう言うあかねは満面の笑みで頼久を見上げた。

 そんな笑顔を見せられて頼久の顔が笑み崩れないはずがない。

「早く戻れて何よりでした。」

「お仕事、無理してませんか?」

「はい、今回は何事もなく、体が少々なまったほどでしたので終わってすぐに戻ってきたのです。」

「何もなかったならよかったです。でも、旅をして帰ってきたんですから、早く休んで下さい。」

 頼久の仕事が体力勝負であることはあかねもよく知っている。

 目の前のこの大切な人に四六時中守られていたことがあるのだから。

 どんなに体に負担のかかる仕事をしているか知っているからこそ、あかねはすぐに奥へ戻ろうと立ち上がった。

 ところが…

「せっかくの花です、もう少々このままで。」

 頼久の大きな手があかねの肩をそっと押さえた。

 その顔には穏やかな笑み。

「でも、頼久さん、疲れていませんか?」

「私は普段から鍛えておりますので。あかねは眠いですか?」

「いいえ。頼久さんが帰ってきてくれて、すっかり目が覚めました。元々眠れなくて出てきましたし。」

「では、是非、しばし共に花を愛でて下さい。」

「じゃあ、少しだけですよ?」

「御意。」

 わざと悪戯っぽくそう言って頼久は腰の太刀を外すと、あかねの隣へと腰を下ろした。

 武士としてあかねを守っていた頃には考えられなかったその場所に腰を落ち着けて、頼久は花を見上げる。

 生まれてからこれまでの間にも何度も見た桜が、今はとても特別な花に見えた。

「私が育った世界には電気っていうものがあって、夜も部屋の中を昼みたいに明るくできるって話しましたよね?」

「はい。」

「それはそれで便利なんですけど、月とか星とかはよく見えなくなっちゃうんです。夜の空も明るくなりますから。」

「なるほど。」

「だから、ここじゃないとこんなに綺麗な夜桜は見られないなって思うと、暗い夜も明るい月も、そして月の下の桜もとっても大切に思えます。」

 ゆっくりと穏やかなあかねの言葉は、頼久の心を温かく包み込んだ。

 夜の闇をさえ昼間のように照らすことができるものがある世界はどれほど便利なものか。

 そう考えると頼久はいつもあかねに対して申し訳ないという気持ちを抱かずにはいられない。

 ところが、あかねはその便利な世界とは逆のこの京にある物を大切だと言ってくれる。

 それがどれほど頼久の心に救いと幸福をもたらすか、おそらくあかねは気付いていいない。

 そんなあかねだからこそ、頼久は言葉が不得手なりに想いの全てを込めて一言を口にした。

「光栄です。」

 他に言葉が思いつかなかった。

 この場に適当な言葉なのかも自信はない。

 けれど、隣に座るあかねの顔を見て、頼久は想いは伝わったと確信した。

 あかねがほんのりと頬を赤く染めて嬉しそうに微笑んでいたから。

 頼久が思わず手を伸ばして小さな体を抱き寄せれば、あかねはそっと体を預けてくれた。

 お互いのぬくもりを確かめながら、二人はゆっくり夜の桜を楽しんだ。

 そして、あかねの瞼が静かに閉じられた後は、頼久がそれこそ壊れ物を扱うかのように大事に大事に抱きかかえて寝所へと運ぶのだった。








管理人のひとりごと

すっかり遅くなってしまいましたが、桜企画です!
これだけはやりたいんですよ!
今回は夜桜。
管理人の生息地は寒くて夜桜なかなか楽しめないので(TT)
平安時代の京は今よりずっと暖かかったという説があります。
であれば、夜桜もきっと楽しめたはず!ということで、二人に楽しんでもらいました(^^)










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