
前日から夜通し左大臣警護の任を終えて頼久は帰路を急いでいた。
つい先日から新しい住まいとなった屋敷へ帰れば愛しい妻の顔を見ることができるからだ。
屋敷では新妻のあかねが夜通しの仕事を終えた頼久のために軽い朝餉と寝所の用意をしてくれているはずだ。
わざわざ縁まで出てきて出迎えてくれる新妻の笑顔を見るだけで疲れなど吹き飛ぶというのに、そんな新妻と食事を共にすればそれこそ天にも昇る心地の頼久なのだ。
夢のような日々の連続にこれは本当に夢ではないかと思うことさえある。
そんな頼久は出迎えてくれるだろう新妻の笑顔を思い起こして自然と口元をほころばせながら自邸の総門をくぐった。
ところが、いつもならニコニコと微笑みながら出迎えてくれる妻の姿が見当たらない。
頼久は慌てて庭の方へと回った。
昨日出かける時も微笑を浮かべてそれでもしっかり気をつけて下さいねと言って送り出してくれた妻が、よもや自分を見限って元いた世界へ戻ったなどということはあるまいが、そう信じてはいてもやはり頼久の背には冷たい汗が流れた。
だが、頼久がかけつけた庭の片隅に愛しい妻の姿はあった。
小柄だが存在感のあるその姿はちらちらと舞う桜の花弁の中で美しくも神秘的にたたずんでいた。
出会った頃から見るとかなり伸びた髪が風になびいて桜の花弁の中で流れるように見えて美しい。
頼久はそんな妻の姿に一瞬見惚れて、そして次の瞬間にはあかねのあまりに神秘的な姿に圧倒され、身動きできなくなった。
露顕(ところあらわし)以降、頼久は毎晩妻のぬくもりを腕に感じながら眠ってきたが、今、桜の下で花を見上げている女性がとても自分の腕の中にいた女性と同じ人物とは思えないほど神々しくて、言い知れぬ不安と恐怖にその身が震えた。
龍神に選ばれしその身は清らかで神々しく、血なまぐさい世界に生きてきた自分にはとうてい手の届かない存在のような気さえして…
自分などこの神秘的な神子にはふさわしくない、そんな思いが鳩尾辺りに淀んだようで、息苦しくなって頼久は両手を力いっぱい握り締めた。
身分違いであることなどもとより承知。
それでもと望んだ人のはずだった。
そしてそれを受け入れてくれた神子だった。
だが…
「あ、頼久さん。ごめんなさい。桜があんまり綺麗だからすっかり見入ってしまって、お迎えに出なくて…。」
頼久が黒く淀んだ想いにとらわれている間にあかねは帰ってきた夫の気配に気付いて振り返った。
その顔にはいつもと変わらぬ優しい微笑。
その微笑さえも手の届かぬ高貴なものであるような気がして、頼久はぐっと息を詰めた。
「頼久さん?どこか具合でも悪いんですか?」
「いえ…神子殿があまりにお美しいので…その……。」
褒めている割には苦しげな頼久にあかねはつつと歩み寄ると、間近でその顔を見上げた。
「また私が元の世界へ帰るんじゃないか?とか、身分違いだとか、そういうこと考えてましたね?」
「はぁ……。」
「それ、頼久さんの悪い癖です!直して下さいね!私はずーっと頼久さんと一緒にいるんですから!」
そう言ってあかねはにっこり微笑むと頼久の胸に抱きついた。
頼久は華奢な体を優しく抱きしめて、そしてそのぬくもりを確かめると少しだけ腕に力を込める。
今、腕の中にあるこのぬくもりを決して離さないと誓うかのように。
管理人のひとりごと
散り際の桜の下に立つあかねちゃんはきれいなんだろうなぁと。
で、頼久さんは見惚れちゃうんだろうなぁと(爆)
「願わくば花の下にて春しなむ」確か西行だったはず。
今後のSSにも出てきます、管理人の好きな歌です♪
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