微熱
 頼久が珍しく風邪などひいたのは、急に入った仕事がどうしても断れない類のもので、それを消化するために三日ほど徹夜したのが原因だ。

 本人はそう思っているのだが、天真にはお前がそれくらいのことで風邪なんかひくもんかと言われてしまった。

 確かに三日徹夜などということは京ではよくあったことだし、三日徹夜な上にその間ずっと警護の任についていたって風邪などひいたことはない。

 天真の判断では三日徹夜の仕事をこなしてからあかねと朝早くからデートをした上に、そのデート中に雨が降り出し、あかねを濡らさないために自分の上着をぬいであかねにかぶせたから、らしい。

 天真には話していないが、その日、頼久を心配して電話をかけてきたあかねと深夜まで長電話してしまったという事実もある。

 それでも頼久はあかねに関係することのために自分が風邪をひいたなどとは絶対認めないのだ。

 だが、本人が認めようが認めまいが要はそれら全てが原因で、めったにひかない風邪をひいてしまった頼久はいつものように酒瓶片手にやってきた天真に赤い顔をしているのを発見された。

 天真に即刻安静を命じられて、頼久は自分のベッドへもぐりこむことになり、普段風邪などひかないせいで風邪薬一つなかったために天真がそれを買いに走るという騒動になった。

 頼久に風邪薬とコンビニで買ってきたインスタントのおかゆを与えた天真は、一人でひたすら酒を飲んでから帰宅した。

 その際、あかねにはこのことを黙っているようにと釘をさすのを頼久は忘れなかった。

 もしあかねが、自分が風邪で倒れたことを知れば心配するのはもちろんのこと、自分が頼久を引っ張りまわしたからだと自分を責めかねない。

 そう頼久は案じたのだ。

 天真はわかったと渋々ながらも承知したから、天真からこの事実が伝わることはない。

 頼久の真の友は約束を守る男だ。

 あとは自分があかねに気付かれないように注意を払えばいい。

 頼久は熱でぼーっとする頭でずっとそんなことを考えながらうつらうつらしていた。

 そうしているうちにいつの間にか朝はやってきたようで、あかねからいつもの朝の挨拶メールが着信した。

 慌てて起き上がって上半身をふらつかせながら、頼久は枕元に置いてある携帯を手にとって急いで返信した。

 いつものように、何気ない挨拶。

 送信ボタンを押してほっと安堵した頼久は再びベッドにもぐりこんで眠りについた。

 これで神子殿は今日一日、安らかに勉学に励まれるだろう。

 昼にはまたメールを送って下さるだろうから起きて返信しなくては。

 そんなことを考えながら。





 寒気がして、けだるくて、それでいて何故だかとても安らかな気持ちで頼久は目を開けた。

 部屋の中が暗く見えるのは自分の目がおかしくなっているわけではなく、どうやら夜になっているかららしい。

 ベッドサイドのランプだけがついている。

 頼久はそんなものをつけて寝ただろうかとぼーっと考えながら、自分が今どうしてこんな状況に陥っているのかをゆっくり考えた。

 確か、昨日風邪をひいて、天真に薬を買ってきてもらい、それを飲んで寝て、朝はあかねからのメールに返信をして…

 そこで頼久の記憶は途絶える。

 どうやら風邪薬の作用もあってすっかり眠り込んでしまったらしい。

 ということは…

 少しずつはっきりしてきた意識で考えて、頼久は慌てて枕元に置いてある携帯を手に取った。

「やはり…。」

 そうつぶやいて深い溜め息をついた頼久の紫紺の目には着信メール有の文字が映っている。

 もちろん、それは昼休みにあかねから送られたものだ。

 眠っていた頼久が返信しているわけもなく…

 これは神子殿に心配をおかけしたかと頼久が冷や汗さえかきながら返信メールをうちこもうとした刹那、寝室のドアが静かに開いた。

「あ、起きてたんですね。」

「神子…殿……。」

 頼久は一瞬まだ寝ぼけているのかと目をこすって確認して、ゆっくりと自分へ歩み寄ってくる女性が恋人だと再認識する。

 制服を着ているから学校から家へ帰らずに直接ここへ訪ねてきたらしい。

 思いもしなかった恋人の姿に見惚れて、頼久は息をするのさえ忘れた。

 そしてゆっくり歩み寄ってきたあかねが自然な仕草で自分の額に手を当てるのを頼久はただぼーっと見つめているしかできなかった。

「うん、だいぶ熱は下がったみたいですね。」

 少しだけ冷たくて気持ちのいいあかねの手が離れて、その愛らしい笑顔を見た時点でやっと頼久は自分の額に恋人の手が触れていたことに気付いて顔を赤くした。

「熱、下がってよかったです。」

「…その、神子殿は……。」

「あぁ、昼休みのメールに返事がなくて、頼久さん、メールの返事くれなかったこと今まで一度もなかったから気になって…お仕事忙しいのかな?とも思ったんですけど、でももし何かあったらって思ったらいても立ってもいられなくて、で、きちゃいました。」

 そう言って恥ずかしそうに微笑むあかね。

 頼久はそんなあかねの笑顔に見惚れて、それから我に返って深い溜め息をついた。

「申し訳ありません……御心配を……。」

「そんな!気にしないで下さい!心配したのは私の勝手だし…。」

「いえ、わざわざ授業でお疲れのところをここまでお運び頂き、申し訳なく…。」

「気にしないで下さいっ!私が来たくて来たんだし…それに天真君にバイクで送ってもらったし、そんなに疲れてないですから…って、頼久さんの方が寝てないと!あ、おなか空いてませんか?お粥作っておいたんです。」

「神子殿…。」

「食べられるようなら温めてきますけど、それとももっとしっかりしたもの食べられます?」

 自分のことを案じて学校から直接様子を見に来てくれて、制服のままで粥を作って看病してくれた愛らしい恋人をじっと見詰めて頼久はゆっくりベッドから抜け出した。

 体の調子はだいぶよくなっている。

 せっかく訪ねてきてくれた恋人と並んで食事をしようと思い立ったのだ。

 ところが、立ち上がろうとした頼久の方をあかねが力いっぱいに押さえた。

 もちろん、それくらいでよたつくような頼久ではないが、とりあえずあかねが自分を立たせたくないことはわかるのでおとなしくベッドに腰を落ち着けて恋人を見上げると、可愛らしい顔に厳しい表情を浮かべてあかねは仁王立ちして見せた。

「ダメです!ちょっと調子がよくなったからって無理しちゃダメなんですから!ぶり返したらどうするんですか!」

「ですが、もうすっかり…。」

「ダメです!食事は私が運んできますから。」

「しかし、神子殿がせっかくいらして下さっていますし…。」

「帰りますよ。」

「は?」

「そんなに私がいるのが気になるなら、私帰ります。」

「いや、その…。」

「ちゃんとベッドで休んでくれるならお粥温めて持ってきます。ちゃんと休んでくれますか?」

「…はい……。」

 ここまで言われてはもう頼久には抵抗する術がない。

 なんと言っても相手は神子殿。

 もとは頼久が女神ともあがめて仕えていた女性で、京という世界を救った天女なのだ。

 その天女が本気になれば頼久が勝てるわけもない。

 頼久はごそごそとベッドに体を横たえておとなしく布団をかぶった。

「それじゃお粥温めてきますから、少しだけ待ってて下さいね。」

 あっという間に機嫌を直したあかねは可愛らしい笑顔を残して寝室から出て行った。

 そうなると今まで明るく照らし出されていたようにさえ思われた寝室に、薄暗さと静寂が甦って頼久はほっと小さくためいきをついた。

 思いもしなかった愛しい人の出現でどうやら少しばかり頭に血が上っていたらしい。

 ドアの向こうでかたかたと音がするのを耳にして頼久の顔には微笑が浮かんだ。

 いつもは一人で暮らしているから隣の部屋から音が聞こえてくることなどありえない。

 こうして隣の部屋に愛しい人の気配があって、暖かな音が聞こえてくるのはいいものだ。

 そんなことを考えているうちにあかねが粥と香の物を乗せた盆を手に戻ってきた。

「はい、熱いですから気をつけて下さいね。」

 頼久は上半身を起こして盆を受け取ると、それを膝の上に置いた。

「ん〜。」

「何か?」

 さて、愛しい人が作ってくれた粥を早速食べようかと頼久が添えられているレンゲに手をのばしたその時、あかねがうめき声をあげた。

 見れば何か考え込んでいる様子だ。

「あーんってやりましょうか?」

「は?」

「病人を看病する時って普通そうするかなぁって。」

「そう、でしょうか…その…今は自分で食べることができますので…。」

 それはもちろん、あかねが食べさせてくれるというのならそれはそれで嬉しくはあるのだが、今そんなことをされては熱が上がってしまいそうだ。

 頼久はあかねに微笑んで見せて、食事を始めた。

「じゃぁ、ゆっくり食べて下さいね。私、何か口当たりのいいデザートか何か用意してきます。」

「いえ、これで十分ですのでおかまいなく。」

「ついでですから。」

 あかねはにっこり微笑んで再び頼久の前から姿を消した。

 頼久はあかねを見送って、ゆっくりと粥を口に運んだ。

 一日何も食べていなかった胃に粥はとても優しくて、それほど自分は弱っていたかと実感させられる。

 もしあかねが訪ねてきてくれなかったら、食事一つ準備するのにも四苦八苦していただろう。

 暖かい粥を口に入れながら、頼久は心優しい恋人の存在に改めて感謝せずにはいられなかった。

 風邪がよくなったらどんな恩返しをすればいいだろうか。

 粥を食べ終わる頃には頼久の頭はそのことだけで占められていた。

「冷蔵庫に適当なものなかったので、玉子酒作ってみました。デザートって感じじゃないですけど。」

「玉子酒とは、神子殿は器用になんでもお作りになるのですね。」

「なんでもじゃないです。玉子酒は前にお母さんに習ったことがあって…たまたまですよ。」

 そう言って微笑むあかねは頼久に玉子酒の入ったカップを渡して、自分はそのまま頼久の膝の上にあるお盆を持ち上げるとそれを持って再び部屋を出て行ってしまった。

 頼久としてはせっかくあかねが見舞いに来てくれたのだからもう少し一緒にいたい気がして…

 見舞いに来てもらっているだけでも迷惑をかけているのにこの上もっと一緒にいたいだなどと、自分はなんと強欲かと苦笑して玉子酒を口にした。

 ドアの向こうにある気配を感じて安らぐだけでも自分は幸せなはずなのに。

 そう思って頼久が苦笑していると寝室のドアが再び開いた。

「さっきまで寝てたから眠くないかもしれませんけど、でも風邪は寝るのが一番ですから、それ飲み終わったらお薬飲んで寝てくださいね。」

「はぁ…。」

 今度は薬と水の入ったコップを持って現れたあかねに頼久は苦笑した。

 やはりこのまま薬を飲んだら眠ることになって、あかねは家に帰ってしまうのだろう。

 それがなんだか寂しくて。

「どうかしました?」

「いえ、なんでもありません。」

 小首を傾げるあかねに即答して頼久は玉子酒を一気に飲み干した。

 このまましばらく一緒にいてほしいなどと言ってこれ以上あかねに迷惑をかけることは絶対にできない。

 だいたい、部屋の中が暗いということはもうけっこう遅い時間のはずだ。

 自分が送っていけないというのにあかねを引き止めるなどとうていできるはずもなかった。

「はい、薬、飲んで下さいね。」

「はい。」

 手渡された風邪薬を水で飲み下して頼久はおとなしくベッドに横になった。

 これ以上あかねに手間をかけさせるわけにはいかない。

 ところが、頼久から空になったコップを受け取ったあかねはそれをランプの横に置くと、そのまま立ち尽くした。

 すっかりすぐに帰宅するだろうと思った頼久が驚いて小首を傾げると、あかねはそれに気付いて苦笑した。

「頼久さんがお仕事大変なのに私のために無理して風邪ひいちゃったってわかってるんですけど…。」

「そのようなことはっ!」

「それでもやっぱりちょっとだけ一緒にいたいなって思っちゃって…もうちょっとだけここにいてもいいですか?」

 申し訳なさそうにしているあかねを見て頼久は目を丸くした。

 本当なら長く共にいればいるほど風邪をうつす可能性があるのだから、ここは丁重に断って帰宅してもらうべきなのだろうが、もちろんあかねと同様に共にいたいと思っていた頼久にそんなことはできなかった。

「いて頂くのはかまわないのですが…。」

 そういいながら頼久は首をめぐらせてランプの側にある時計を見た。

 夜遅くなってはあかねが帰れなくなると思ったからだ。

 時計の時刻は午後7時。

 既にあかねが一人で帰宅するには遅い時間だった。

「あ、時間は気にしないで下さい。」

「いえ、しかし…。」

「電話したら天真君がバイクで迎えに来てくれることになってるんです。絶対頼久さんがそういうこと気にするからって。」

「そうでしたか。」

 あかねと頼久は静かに微笑み合った。

 頼久にしても天真が送ってくるというのなら何の心配もない。

 何しろ京では背中を預けあった真の友だ。

 どんなものからでもあかねを守ってちゃんと家まで送り届けてくれるだろう。

「眠くなったら寝ちゃって下さいね。私、静かに帰りますから。」

「はい、お気遣い有難うございます。」

「そんな、気遣いとかじゃないです…私が気がつかないから頼久さんに無理させちゃって…。」

「そうではありません…これは自業自得なのです。」

「はい?」

「急の仕事が入って時間がなかったにもかかわらず、神子殿にもお会いしたいと、そう思ってしまったのは私の方ですので。」

「でも…あの日って確か夜電話もしちゃったし…。」

「それも、私が神子殿のお声をなるべく長く聞いていたいと思ってしまったのです。ですから、神子殿はそのようなこと、お気になさらずに。」

「頼久さん…でも、私のために無理、してほしくないです……。」

 うつむいたあかねの顔が悲しげに浮かんだ。

 あかねの脳裏には京で命を投げ出して自分を守ってくれていた頼久の姿が浮かんでいた。

 この平和な現代の日本で頼久が自分のために命を落とすことはまずないだろうと思ってはいる。

 それでも自分のことを省みない頼久のその価値観は変わっていないのかと思うと、あかねはどうしても悲しくなってしまうのだ。

「神子殿、今回は少々己を過信しておりました。」

「過信、ですか?」

「体力には少々自信がありましたので。」

「あぁ…。」

「ですから、今回はつらいとさえ思っていなかったのです。以後気をつけますので。」

「はい、そうして下さい。私も気をつけますから。」

 二人は微笑み合って、あかねは静かにベッドの端に腰掛けた。

 何も言わずに二人はただ見詰め合った。

 何も語らなくとも何もかもが伝わっているような気がしたから。

 そうしているうちに薬のせいか頼久の瞼はだんだんと重くなってきて…

 すぐ側にある恋人の気配を感じながら目を閉じた。

「おやすみなさい。」

 意識を手放す直前、頼久は優しい声と共に額に暖かい口づけを受けた気がした。

 だが、眠気に引き込まれて、目を開けて確認することはできなかった。





 翌朝、頼久は爽やかに朝を迎えた。

 恋人の看病のおかげか、昨日までの体調不良が嘘のようによくなっていた。

 恩返しに何をしようか考えなくてはと頼久が携帯で看病への礼を綴ったメールを送信するととんでもない返信がきた。

『ごめんなさい。せっかく頼久さんがよくなったのに遊びにいけません。風邪をひいて今日は学校を休むことになりました。でも、熱は微熱なので心配しないで下さい。』

 このあかねからの返信を見て、頼久は頭を抱えた。

 間違いなく、自分の看病をしたせいであかねは自分の風邪をうつされたのだ。

 どこまで愛しい人に迷惑をかけるのかと自分を責めながらも、頼久は勢いよく立ち上がった。

 もうこうなったら今度は自分がつきっきりであかねの看病をするしかないと悲壮なまでに決意を固めたのだ。

 あっという間に身支度を整えた頼久は家を飛び出した。

 この後、両手いっぱいに看病のために必要なものを抱えた頼久が一日ずっとあかねの傍らに張り付いたことは言うまでもない。








管理人のひとりごと

季節的に寒くなってきたので(笑)看病ものです。
頼久さんは普通に徹夜したくらいじゃ風邪はひきません(爆)
現代では怪我することもあまりないですし、看病してもらうとしたら無理に無理を重ねたときですね。
で、あかねちゃんは普通にうつされます(’’)
そして結局、とんでもなくべったりな看病されてしまうのです(^−^)






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