
あかねはいつになくそわそわしながら藤姫の前に座っていた。
たまには自分を姉とも慕ってくれる藤姫に顔を見せなくてはと訪ねてきたのはいいものの、あかねの頭の中はあることで一杯なのだ。
おかげで目の前に綺麗な扇や貝殻などを並べてあかねに勧めていた藤姫は、小首をかしげてあかねを見上げることになった。
くりくりの目で見上げられてもあかねが気づく気配はない。
「神子様?どうかなさいましたか?」
「へ?」
声をかけられてやっと我に返ったあかねは、小さく溜め息をついて苦笑した。
「ごめんね、せっかく藤姫に会いに来たのに私ったら考え事ばっかり…。」
「とんでもありません。神子様のお心を煩わせる問題がおありなのでしたら、この藤にも是非お話し下さいませ。わたくしではいい考えなど浮かばぬかもしれませんが、神子様のお力に少しでも…。」
「あ、違うの、そんな凄い悩み事じゃなくて…。」
「まぁ。」
藤姫は苦笑するあかねに小首をかしげる。
「では、どのような…。」
「それが…もうすぐ14日でしょ?」
「はい、それが何か?」
「私がもといた世界ではね、2月の14日はバレンタインデーって言って、その…す、好きな人にチョコレートをあげる日なの。」
「ばれん…ちょこれ…。」
「あぁ、えっと、つまり、大好きな人に贈り物をして想いを告白する特別な日って言う意味。」
顔を赤くしてそういうあかねを見上げてから、藤姫はまた小首を傾げた。
夫を持つ身のあかねがそんな日にいったい何を悩んでいるというのだろう?
この清らかな神子様に限って他に想い人がおいでとは思えないし…
藤姫は幼いながらにあかねを気遣って色々と考えをめぐらす。
「あの…神子様…その…それで神子様はいったい何をお悩みで…。」
「あ、あぁ、えっとね。私の世界では2月14日は女の子にとっては特別な日なのね。それで、私、この京で頼久さんを好きになるまで好きな人っていなくって…その…バレンタインデーに誰かにチョコレートをあげたことがなくて…。」
「その、ばれんたいんでーなる2月14日にちょこれーとなるものを贈るということをなさりたい、ということでしょうか?」
「そうそう。よ、頼久さんにね、あげたいなーと思って。」
「頼久に、で、ございますか?」
「うん、だって私が好きなのは頼久さんだけだし…。」
「ですが、頼久は神子様の想いをよく存じているかと…。」
「あ、うん、そうなんだけど…なんていうか…い、一度はやってみたいんだよね、チョコレート渡して告白って。」
「はぁ…そのようなものでしょうか…。」
「うん、憧れてたから…。」
そう言って苦笑するあかねはとても愛らしくて、藤姫はきりりと表情を厳しくすると両手をきゅっと握った。
「承知致しました。では、神子様がばれんたいんでーに頼久に想いを伝えられるよう、この藤もできうる限りのことをさせて頂きます!」
「え、えっと、そんなに頑張るほどのことじゃないんだけど…ただ、京でチョコレートは用意できないだろうからどうしようかなと想ってただけで…。」
「そのちょこれーとなるものはどのような物なのでしょうか。」
「えーっと、ん〜、甘くてちょっとほろ苦かったりして、でもやっぱり甘いものっていう感じかなぁ。茶色くて、手作りしたりなんかして。形も色々に作れて…。」
「茶色く甘く…形が色々…難しゅうございますねぇ。」
「やっぱりそう?」
しばらくうつむきかげんで考え込んでいた藤姫は、あかねが心配そうに見つめる中、ぱっと顔を上げてパンと手を叩いた。
「皆で知恵を出し合いましょう。」
「へ?」
あかねが何がなんだかわからずキョトンとしている間に、藤姫は屋敷中の女房に招集をかけてしまった。
姉とも慕う大事な神子様の望みを叶えるため、この幼姫は緊急招集をかけたのだ。
「ふ、藤姫、そんなにおおげさにしなくても…。」
「いいえ!この京において何不自由なくお暮らし頂くようはからうのはこの藤のつとめでございます!必ずや神子様のお望みをかなえて差し上げます!」
「そ、そんなに力入れなくても…。」
あかねの抵抗もむなしく、藤姫は屋敷中から召集された女房達にすぐにも茶色くて甘いお菓子を開発するように命じた。
この京を救ってくれた神子様のためならばと女房達も藤姫と同じくらいの張り切りようで、ああでもないこうでもないとすぐに意見が出始める。
白熱する議論は夕方まで続いて、あかねはとうとう土御門の屋敷に泊り込んで藤姫や女房達とバレンタインデーの計画をねることになるのだった。
−数日後−
頼久は庭で木刀を振り下ろしていた。
もう昼近くになっているが、陽が上ったばかりという早朝からずっと木刀を振り続けている。
女房達が何事かと最初のうちは遠巻きに見つめたりしていたのだが、どうやらしばらく妻に会えないのが原因らしいとわかると半ばあきれたような苦笑を浮かべていつもの仕事に戻って行った。
そう、頼久はここ数日、藤姫のところへあかねが泊り込んでしまって、ほとんど会えないためにいらついているのだ。
しかも本日は仕事のない休日で、本来なら一日中妻と共に過ごせると大喜びをするところなのだが、その妻がいない。
一日中共に過ごそうと思っていた妻がいないとなると趣味を持ち合わせない頼久はもう木刀を振るしかないのだった。
そもそも、何故あかねがこんなに長期間、藤姫の所に泊まりこんでいるのか、その理由も全くわからない。
何もしないで黙っているとろくな考えが浮かばなかった。
例えば、あかねが元の世界へ帰る方法がわかって、藤姫の館でそのための準備が行われているのではないか?
こんなことは考えただけでも妻への裏切りになると頭を振ってその考えを打ち消せば、次には自分が何か妻の気にさわることをしたので愛想をつかされたのではないか?という考えが浮かび…
それを頭を振って否定すれば、今度は…
といった具合で、とにかく体を動かしていないとろくなことを考えそうにない。
体を動かすとなると馬に乗るか弓を射るか刀を振るしか頼久にはやることがなく、馬に乗って出かけては妻が帰ってきた時に会うことができないし、弓を射るような場所はこの屋敷にはないのでこうして木刀を振り続けている。
それでも脳裏には妻の姿がちらついているから修行になどなりはしない。
淡々とただ木刀を振り続けていた頼久は、門の方から聞こえてきた音に気づいて木刀を下ろした。
「ただいま〜。」
頼久の耳に届いた清らかで美しいその声は間違いなくあかねのものだ。
はっと頼久が声のする方へ目をやると、そこには門から直接庭へ入ってきたらしいあかねの姿があった。
「ごめんなさい、頼久さんお休みだったのにすっかり帰りが遅く…。」
それ以上あかねは何も話させてもらえなくなってしまった。
何故なら、木刀を放り出した頼久が物凄い勢いで駆け寄ってきてあかねを腕の中に閉じ込めてしまったからだ。
「ちょっ、よ…。」
「もうお帰り頂けぬのではと…。」
「はい?」
頭上から降ってくる苦しそうな頼久の声に、これは何か大きな誤解が生じていると気づいたあかねはその小さな体を全力で突っ張って、やっとの思いで頼久の腕の中から抜け出した。
「帰ってこないわけないじゃないですか、藤姫のところにちょっとお泊りしてただけなんですから…それはまぁ、せっかくの頼久さんのお休みなのに帰ってくるのが遅れたのは私が悪いですけど…。」
「神子殿は何も…よもやこの頼久、神子殿に愛想をつかされるような何かをしでかしたのかと…。」
「な、ないです!そんなのは全然ないですからっ!そうじゃなくって、藤姫にちょっと相談したいことがあって、話をしてたら色々出てきちゃってそれで時間がかかって…。」
「相談をしていたら色々……。」
あかねの説明を聞いて再び頼久の顔色が青くなる。
どうやら藤姫だけに相談したい何事かがあかねにあり、それを相談しているうちに色々なことがでてきたとあればやはり自分に何か粗相があったのではと思い始めたのだ。
「あ、あのですね…色々っていうのはその…何を作るか?っていうのでみんなの意見が割れちゃって…。」
「は?」
「結局、よさそうなのはみんな作ろうってことになっちゃって…。」
「はぁ…。」
「作ってたらお昼近くなっちゃって、ごめんなさい。」
キョトンとしている頼久に気づかずに、あかねはぺこりと頭を下げた。
「お、おやめ下さい!神子殿が頭をお下げになるなど…。」
「また頼久さんはそういうことを言って…悪いことをしたら謝るんです。私は頼久さんのつ…妻なんですから…。」
真っ赤な顔で言ってくれるあかねの言葉が嬉しくて、頼久の顔にやっと幸せそうな笑みが浮かんだ。
「神子殿…。」
嬉しそうに微笑みながら思わず伸ばした頼久の腕からあかねは慌てて逃れる。
このままここで抱きしめられてしまうと今度こそ逃がしてもらえそうにない。
「あのですね、藤姫のところにお泊りしていたのには理由があるんです。」
「はぁ。」
伸ばした手から逃げられて肩透かしをくらった頼久はとりあえず伸ばした腕をおさめて神妙にあかねの話に耳を傾けた。
「今日は2月14日でしょ?」
「はい、それが何か?」
「私のもといた世界では今日はちょっと特別な日なんです。」
「特別、ですか…。」
さて、誕生日というものを祝うという話は聞いているが今日は別に頼久の誕生日でもあかねの誕生日でもない。
頼久が小首を傾げていると、何やら大きな葛篭がごそごそと縁に運び込まれた。
「頼久さん、こっちこっち。」
頼久は持ち込まれた葛篭の方へとあかねに手を引かれ、二人がそろったところで女房達が大きな葛篭の蓋をあけた。
「今日はバレンタインデーって言って、私がいた世界ではその…あの…女の子が男の子に告白する日なんです…。」
「告白、ですか?」
「う、うん…えっと、す、好きな人に好きですって告白する日。」
「あぁ、そういう意味ですか。」
「そういう意味です…だから、その…あの…よ、頼久さん!」
「はい?」
「す、好きです!受け取ってください!」
と、あかねに葛篭を示されて、頼久が葛篭の中身を覗き込むと、そこには何やら甘い薫りのする茶色い物体がぎっしり詰まっていた。
受け取ってくださいとあかねが言っているからにはこれは自分は受け取るべきなのだろうと、とりあえず判断してみる。
「有難うございます、謹んで受け取らせて頂きます。」
こういって頼久が一礼すると、今度はあかねが何やら不満げだ。
「神子殿?」
「なんだか頼久さん、主人からご褒美もらってるみたいな、そんな感じです…。」
「そう、でしょうか…。」
そういわれても頼久には他に受け取りようがない。
「あのですね、これを受け取るってことは、告白した女の子の想いを受け取るってことなんですよ、私のもといた世界では。だからもっとこう、謹んでとかじゃなくて…。」
「でしたら問題はございません。」
「はい?」
「謹んで神子殿のお気持ちも受け取らせて頂きます。」
「はぅっ。」
嬉しそうににっこり微笑まれて、その笑顔があんまり素敵であかねは顔を真っ赤にしてうつむいた。
いつもは刀を手に仏頂面の頼久だが、こうしてあかねの前では時折、本当に幸せそうな笑みを浮かべて見せるようになった。
あかねはこの笑顔にとても弱いのだ。
どうやらあかねの機嫌が戻ったようなので、頼久は改めて葛篭の中を覗き込んだ。
「神子殿、これは…。」
「あ、えっとですね、本当はチョコレートがよかったんですけど、京にはないから…。」
「ちょこれーと、でございますか?」
「はい。私のもといた世界ではバレンタインデーに好きな人にチョコレートっていう甘いお菓子をプレゼントするんです。で、その時一緒に告白をして、付き合ってもいいって男の子が思ったら受け取るんです。まぁ、こっそり机の中に入れて置いたりして受け取ってもらったりすることもあるんですけど…。」
「つまりこれは…。」
「そのチョコレートのかわりにと思って…チョコレートって茶色くて甘いお菓子なんです。それを説明したら藤姫と女房さん達が似たようなものを作りましょうって、あれこれ作ってるうちにこんなになっちゃって…頼久さん、甘いもの大丈夫、でしたよね?」
「はい。では、これは全て…。」
「甘いお菓子、なんです…よく考えたら、こんなにたくさん食べられないですよね…ごめんなさい…。」
「何をおっしゃいます!神子殿のお心のこもったものです、全て頂きます。」
「ええっ。」
にこにこと笑顔でさらりと全て頂くという頼久だが、葛篭一つにぎっしり詰まったお菓子はそう簡単に食べられるものではない。
この世界、もちろん防腐剤などないからそうそう日持ちもしないだろう。
ここにいたってあかねはそのことに気づいて顔色を青くした。
「い、いいです!全部とか無理です!やめましょう!」
「いえ、神子殿のお心ごと頂いたものですので。」
爽やかな笑顔でそう言って、頼久はさっそく葛篭の中身の一つを口にする。
このまま放っておけば頼久は間違いなく葛篭一つ分のお菓子を食べきるだろう。
だが、自分の気持ちを受け取るのと同じといってお菓子を渡してしまったあかねとしては食べるなというのも…
「よ、頼久さん、本当にちょっとでいいですから、もう、こんなにたくさん食べたら体壊しちゃいますよ…。」
「いえ、大変美味ですが。」
「おいしいかどうかじゃなくて…。」
目の前で嬉しそうにパクパクとお菓子を食べられて、あかねは困り果てた。
どう考えてもこれは体に悪いのだが、目の前の頼久はどこから見ても幸せそうで…
「神子殿?どうかなさいましたか?」
「ごめんなさい、私のせいで頼久さんが体壊しちゃうかも…。」
「そ、そのようなことは…。」
「だって絶対体に悪いですもん…。」
「神子殿…。」
しゅんとしてしまったあかねを前に頼久もすっかり考え込んでしまった。
せっかくの妻の想いだからと張り切って食べているのだが、それもどうやらこの妻を喜ばせるには至らないらしい。
さて、これはどうしたものか。
「これを全て食しても私が体を壊すことはないかと思うのですが…。」
体の丈夫さには自信のある頼久だ。
だが、あかねは納得しない。
「いくら頼久さんだってこんなに甘いもの食べたら体に悪いに決まってます。私がこんなに用意しちゃったから…好きな人に初めてバレンタインデーのプレゼント準備したから張り切っちゃって…。」
初めての相手が自分であることに一瞬浮かれた頼久だったが、軽く頭を振って浮ついた思いを振り払い、あかねににっこり微笑んで見せた。
「神子殿がどうしても心配だと仰せならば、では、これは屋敷の者達で少々分けることに致しませんか?神子殿の想いをこめたものを他人に分けるのは忍びないですが、屋敷の者でしたら普段から神子殿がお心を砕いていらっしゃる者達でもありますし…。」
「そうですね!うん!そうしましょう!八葉のみんなにっていうのもちょっと考えたけど…。」
「男に渡すのは少々…。」
「う、うん、そう思って…女房さん達に手伝って食べてもらいましょう!」
「はい。」
ようやく解決策が見つかって、二人はにっこり微笑み合った。
そして、呼び集められた女房達のおかげであかねが用意したバレンタインデーのお菓子はあっという間に片付けられた。
もちろん、頼久も御簾の内側であかねと二人きりで楽しく甘いものを思いっきり食べた。
あかねにとっても頼久にとっても、2月14日は忘れられない一日になったのだった。
管理人のひとりごと
京ではチョコレートどころか甘いもの自体があまりありませんから、あかねちゃんのバレンタインは大変です(笑)
久々に頼久さんにあかねちゃん禁断症状が出ましたね(爆)
たぶんこの症状が出ない状態で耐えられるのは3日までです(’’)
腕まくりして頑張る藤姫は想像しやすいです。
神子様のためならたとえ火の中水の中っていう感じは頼久さんと肩を並べるものがあると思っています(笑)
プラウザを閉じてお戻りください