綺麗に晴れ上がった空はどこまでも青くて、京から帰ってきた数日は空など見上げる余裕もなかったあかねだったが、今はそんな空を見上げながらゆっくりと歩いている。
手にはちょっとした食材が入ったビニール袋。
最愛の人、頼久と再会してから数日後、初めての週末。
あかねはその最愛の人と休日を共に過ごそうと昼食用の食材を手に歩いているところだ。
頼久に会えた安堵感は本人が思っていたよりも大きくて、一週間何もしないで泣き続けていたあかねは再会した翌日からすぐ学校へ通い始めた。
学校から帰るとすぐに頼久の家を訪ねてちょっとだけ挨拶を交わしてから家に帰る、そんな毎日が続いていたが、やっと待ちに待った週末になったのでゆっくり二人で過ごそうとあかねは張り切って買い物をしてから頼久の自宅へ向かって歩き出したところだった。
携帯の番号やアドレスも交換して、メールのやり取りもしていたし電話でも話をしていたけれど、やはり顔を見ながら話をしたい。
そんな想いはつのるばかりで、あかねの足はいつの間にか駆け足になっていた。
だからいつものようにチャイムを鳴らす前に開いたドアの向こうから顔を出した頼久は、息を切らしているあかねに目を丸くした。
「神子殿、走っていらっしゃったのですか?」
「えっと、はい、あの…早く会いたくて……。」
最後の方は恥ずかしさで声を小さくしながらあかねは顔を真っ赤にしてうつむいた。
そんなあかねに頼久は優しい微笑を浮かべ、あかねの手からビニール袋を取り上げた。
「中へどうぞ、この荷物はなんですか?」
「あ、えっと、お昼ご飯、作ろうかと思って…。」
中へ入りながらあかねは更に顔を赤くする。
料理は詩紋の抜群に上手なものに舌が慣れているからあまり自信はなかったけれど、二人で一日過ごすのにわざわざ食事をするために外出するのもなんだしと考えて出したあかねの結論が、手料理を作ろう、だったのだ。
「神子殿が作って下さるのですか?」
「はい、あの、詩紋君みたいに上手じゃないし、簡単なものしかできないんですけど…。」
「いえ、神子殿が作ってくださるものならどのようなものでも喜んで頂きます。」
そう言って微笑む頼久は京にいた頃よりも表情が豊かで、その笑顔はあまりにも幸せそうで輝いて見えて、あかねは思わず見惚れてしまった。
「神子殿?どうかなさいましたか?」
「いえ、なんでもないです。」
あかねははっとしてうつむいた。
自分のことを思ってか京にいた頃のように髪を結い上げてくれている頼久のその笑顔がまぶしくて、やわらかな笑顔がなんだかとても魅力的で何故か見つめるだけで恥ずかしくなってしまう。
「さぁ、中へどうぞ。」
「あ、はい。」
長身の頼久に促されてやっとあかねは家の中へ足を踏み入れる。
前を歩く頼久の広い背中は怨霊から自分を守ってくれていた頃と全く変わらず、絶対の安心感を与えてくれた。
「昼食まではまだ時間がありますし、飲み物でも用意してきましょう、くつろいでください。」
「あ、お茶なら私、いれますよ?」
「いえ、そういうことも苦手ではありませんので、神子殿は何がよろしいですか?」
「えっと、なんでもいいですけど。」
「冷たいものと温かいもの、どちらがよろしいですか?」
「走ってきたので、冷たいもの、かなぁ。」
「承知しました。」
穏やかな笑顔でキッチンへ消える頼久を見送って、あかねはソファに腰を下ろした。
この部屋へ入ったのはまだ二度目なのに、頼久のいる場所だというだけでひどく落ち着く自分に気付いて苦笑する。
自分の部屋にいる時より居心地がいいのはどんなものだろう?などと心の中で考えているうちに頼久が冷たい緑茶の入ったグラスを二つ持って戻ってきた。
「緑茶でよろしかったですか?」
「あ、はい、有難うございます。」
差し出されたグラスを笑顔で受け取るあかね。
その笑顔を見て頼久はほっと安堵のため息をついた。
そう、最初に再会した時のあかねは痩せ細っていて、顔色もひどく悪かった。
そのあかねがあっという間に京で過ごしていた頃の輝くような空気を放つ少女に戻ってくれたことに安堵したのだ。
「頼久さん?」
不思議そうに小首をかしげるあかねに微笑を見せて頼久は先日と同じように、あかねの斜め向かいに座った。
「少々心配しておりましたが、安心致しました。」
「安心?」
「はい、先日お会いした時はずいぶんと痩せていらっしゃいましたし、お顔の色も優れませんでしたのでお体を壊したりはなさらないかと心配しておりましたが、今はお元気そうなので。」
「そ、そりゃもう…元気です…。」
赤くなってうつむくあかねは照れ隠しにグラスの緑茶を一口飲んでみた。
他にできることもなくて、何を話していいのかもわからなくて。
「あれ、これ…。」
「お口に合いましたか?」
「あ、はい、とってもおいしいです…でも、これって…ひょっとして市販のお茶じゃないんじゃ…。」
「はい、茶葉からいれてみました。」
さらりと頼久の口から出た答えにあかねは目を丸くした。
あの頼久さんが、熱いお茶ならともかく冷茶を、それも茶葉からいれた?
朝は剣の鍛錬、昼は自分の護衛、夜も自分の護衛で、そりゃ手先が器用かどうかなんてわからなかったけど…
そんなことを心の中でつぶやくあかね。
手先が器用かどうかなんて考えたこともない。
だが、あの剣の道一筋、無骨で実直な武士の頼久がおいしく冷茶をいれている場面はあかねにはとうてい想像もつかなかった。
「何か?」
「あ、えっと…頼久さんが冷茶をおいしくいれてるところが想像できなくて…。」
「あぁ、そうですね、京にいた頃の私からは想像できないかもしれませんが、こちらで生活していた私はそういうことも苦手ではないようで…。」
「さらっとできちゃうものなんですか?記憶があるっていうだけで。」
「はい、意外となんでもできるようです。もともとが一人暮らしですから料理も簡単なものなら一通りできますし、洗濯、掃除、車の運転、まぁ、生活に困らない程度のことはたいてい意識せずにできます。京にいた頃のことを思えば確かに信じられない状況ではありますが。」
そう言って微笑んでしまう頼久の順応ぶりにはあかねもただただ驚くしかない。
普通、自分の中に記憶が二つあるというだけでそうとう戸惑うのではなかろうか?
「こちらの世界で一通りのことができるというのはよいことですから。」
「それはまぁ…。」
「こちらの世界へくると決めた時、かなり覚悟をしておりました。おそらくこちらの世界では私は何一つできぬであろうと。神子殿をお守りすることはおろか、おそらく自分が生きていくことさえ満足にはできぬであろうと覚悟しておりましたから、記憶が二つあることくらいどうということはありません。」
あかねははっと目を見開いてからすぐに表情を曇らせてうつむいた。
そうだった、この人に自分はとんでもない決意をさせたのだった。
そしてその決意はあかねが思っているものよりもずっと重くて、ずっと苦しかったはずで…
「神子殿?」
「…ごめんなさい…。」
「は?何を謝っていらっしゃるのですか?」
「だって…私、頼久さんにとんでもないことを決意してもらって、凄く凄く大変なことになちゃってて…。」
「神子殿…この頼久にお謝り頂く必要はございません。」
どこかで聞いたようなセリフにあかねははっと視線を上げた。
そこには少しだけ悪戯っ子のような笑みを浮かべた頼久の笑顔がある。
そう、それは京で一度、あかねが聞いたことのある言葉。
「京にいた頃も今も、この想いは変わっておりませんから。どうか神子殿はお気遣いなく。」
「で、でも…。」
「色々と覚悟は致しましたがつらくはありませんでしたので、本当にお気遣いなく。神子殿を失う覚悟をしなくてはならなかったかもしれないのです。それを思えばどんな覚悟もたいしたものではございませんので。」
頼久の笑顔はどこまでも穏やかで、自然とあかねの顔にも微笑が浮かんだ。
その覚悟ならあかねもよく知っている。
二度と頼久には会えないと覚悟した一週間があったから。
いっそのこと死んでしまおうかと一度ならず考えた。
それほどつらい覚悟だったから。
だから、頼久があんな思いをせずに済んだというのなら、確かにそれだけはよかったかもしれないとあかねは少しだけほっとした。
「その後、学校はいかがですか?」
「あ、はい、楽しいですよ。天真君も蘭もいるし。」
「それは何よりです。」
二人は微笑み合い、そして会話が途切れてしまった。
もともと頼久は饒舌な方ではないし、京と違って毎日事件が起きるわけでもないからあっという間に話題が尽きるのだ。
あかねはなんだか二人きりの沈黙の時間に戸惑ってしまって、京とは違って余裕を持って微笑んでいる頼久がなんだか恨めしくて必死に頭の中で話題を捜した。
「えっと…そうだ、ずいぶん綺麗に片付いてますよね、家の中。」
「はぁ、この部屋にはあまりいませんので、必然的に散らかることもありませんから。書斎の方はかなり散らかっています。仕事柄、なかなか片付けられませんので。」
「書斎?お仕事って、この前急に来た時も頼久さん家にいましたけど、何してるんですか?」
「何といわれると……わかりやすく一言で言えば物書き、でしょうか。」
「物書き?!」
あかねは驚きのあまり一瞬思考が停止してしまった。
剣を振るう頼久、武士団の部下を指揮する頼久、主の前に跪く頼久は想像できても何か書き物をしている頼久は想像できない。
「はい、小説を少々と、あとはコラムなどの雑記を。」
「小説…コラム……。」
もうここまでくるとあかねの想像力は全く追いつかない。
「天真も今の神子殿と同じような顔をしていました。」
そう言って頼久は微笑む。
そりゃそうだろうとあかねは心の中でため息をついた。
天真は京で誰よりも頼久と親しかったし、毎日のように共に鍛錬もしていたから書き物をする頼久を想像できなくても当然だ。
「自分でも驚いています。こんな仕事が私にできるとは思えませんでしたから。ですが、こちらの世界の私は今までこの仕事で生きてきていますし、記憶をたどればなんとかなりました。天真からも剣道の道場の師範とかボディガードとかの方がよほどイメージに合っているといわれましたが、今の仕事ができるなら転職する必要もないと思いましたので。」
「はぁ…。」
「ごらんになりますか?」
「へ?」
「書斎です。」
「あぁ…。」
「というより、家の中をご案内しましょう。合鍵もお渡ししましたし、これからはこの家に自由に出入りして頂いてかまいませんので。」
「あ、はい。」
立ち上がって歩き出す頼久にあかねはあわててついていく。
「一階にはダイニングキッチンとリビング、書斎と寝室、それに浴室があります。二階には本が詰まっている部屋が二つと客間があります。客間にはベランダがついていて、晴れた夜には星がよく見えます。」
「はぁ。」
「二階からご案内致しましょう。」
そう言って先を行く頼久についてあかねはとことこと二階への階段を上る。
「こちらとそこが書庫になっています。二階が書庫というのも妙なものですが、他に部屋がなかったので。中にあるのは仕事に使った本ばかりです。興味がおありでしたらどうぞ。あと、こちらが客間になります。」
そう言って頼久が開けたドアの向こうは客間というよりはただの空き部屋という状態だった。
客間としては使われたことがないらしい。
「えっと…客間っていうことはこのお家にはお客さんがたくさん来るってことですか?」
「いえ、全く。」
「はい?」
「客間はあっても客はないようです。まぁ、書庫になるまでの間、客間にしてあるといった程度です。」
「はぁ…。」
「二階はこの三部屋のみです。」
そういって頼久はすたすたと階段を下りてゆく。
「ここが寝室です。私は体が大きいので大きめの寝具を入れてあります。」
男の人の一人暮らしの寝室をこんなに簡単に見てしまっていいものだろうか?なんて考えながらあかねが顔を赤くしているのにも気付かずに、頼久はあっさり寝室のドアを開けた。
そこには確かに大きめのベッドが窓辺に置いてあって、壁際にはぎっしり本棚がつまっていた。
「うわぁ、ここにも本がいっぱい…。」
「寝る前まで仕事の調べ物をぎりぎりしていたりしますので。」
「……寝る時はその…ゆっくり寝た方が…。」
「二、三日寝ずとも支障はありませんので。」
そう言って微笑む頼久はまたすたすたと歩き出す。
相変わらずの自分の体を考えない発言にあかねが怒る暇さえ与えない。
「こちらが厨、台所ですね、狭いですが一人暮らしには充分です。」
「いえ、うちと同じくらいです。狭くないですよ。」
台所というものはどこの家も大差がないようで、どことなく見慣れた感じがする。
一人暮らしには大きめの冷蔵庫とその側にテーブルと椅子が置かれている。
「食事はここでするんですね。」
「いいえ。」
「はい?」
「食事はたいてい書斎でとります。仕事をしながら。」
またすたすたと歩き出す頼久。
あかねは混乱しながらもその背中を追いかける。
「ここが浴室です。狭いですがいつでも好きなときに風呂に入れるというのはいいものですね。」
「あぁ、京だとそうはいきませんでしたからねぇ。お風呂に入っちゃいけない日とかあったし。」
「神子殿は無視して湯浴みしておいででしたね。」
そう言って微笑む頼久にあかねはちょっとだけふくれて見せた。
「だっていつでもお風呂に入れるこの世界の生活に慣れてたら、縁起が悪いっていうだけで何日もお風呂に入らないなんて耐えられませんよぅ。」
「確かに、今では私もそう思います。」
そういうが早いか浴室のドアを閉めて頼久はまたすたすたと歩き出す。
どうも頼久は今まで紹介された場所にはあまり執着がないようだ。
「ここが書斎です。一日の大半はここで過ごしています。」
そう言って頼久が開けてくれた扉の向こうは確かに紙が散らかっていて、あかねは目を丸くした。
几帳面に見える頼久からは想像もつかない乱雑さだ。
窓辺にライティングデスクがあり、その横にパソコンが一台置かれている。
壁という壁が書棚で覆われていて、書棚には入りきらないほどの本がぎっしり詰まっていた。
部屋の中へ入ったあかねは辺りを一通り見回して呆然と立ち尽くした。
剣の道一筋、実直な武士だった頼久からは全く想像できない部屋の様だ。
「本当はいきなりパソコンで書けばいいのでしょうが、性分なのか一度紙に書かないとうまく書けませんのでこのように部屋中紙だらけになってしまいます。」
「はぁ…。」
そんなことを説明されても全くピンとこない。
「神子殿?」
「あ、えっとですね…なんていうか、ほら、頼久さんといえば剣っていうイメージがあるから…。」
とにかくギャップについていけないのだと説明しようとしたあかねは、頼久が眉間にシワを寄せて何か考え込んでしまったのに気付いた。
「よ、頼久さん?」
「神子殿を戸惑わせることになるのでしたら、真剣に転職を考えますが…。」
「考えなくていいですっ!そんな、私が戸惑ったくらいで転職しなくてもいいですからっ!」
「はぁ…。」
「ほんっとーに考えないでいいですからね?」
「はい、神子殿がそう仰せならば。」
やっと笑顔を見せた頼久にあかねはほっと安堵のため息をついた。
さっきまでは以前の頼久よりよほど余裕があってなんだか悔しいくらいだったのに、どうやら神子殿のためならば何事も厭わないというその姿勢は変わらないらしい。
「えっと…あ、そうだ、頼久さんがお仕事で書いたもの、見せてもらえませんか?一つでいいんで。」
「仕事で書いたもの、ですか…神子殿がどのようなものをお好みなのか…。」
「なんでもいいです……その…難しいものじゃなければ…。」
あかねは言っているうちに自分が理解できないような難しいものかもしれないということに気付いてうつむいた。
頼久は立派な大人で、自分はまだ高校に入ったばかりの女子高生でしかないことを思い出さずにはいられない。
そんなあかねに頼久は紙の束をそっと差し出した。
「どうぞ、これなら神子殿にもわかりやすいかと。京にいた頃の経験をもとに書きましたので。」
「あ、はい。頑張って読んでみます!」
「いえ、気楽に、さらりと目を通して頂ければ。」
そう言って微笑む頼久から受け取った紙の束をあかねは大事そうに胸に抱えると、頼久にうながされてリビングへ戻った。
「あの…。」
「はい?」
「今読んでもいいですか?これ。」
「はい、どうぞ。たいして長くもありませんから。」
「頼久さんも本でも読んでてくださいね。」
「はい、承知致しました。」
頼久がすぐに書斎へ入るのを見届けてあかねは一枚目の紙をめくった。
「神子、殿?」
あかねが頼久の渡した原稿に目を通すこと一時間。
書斎から持ってきた本に目を通していた頼久はいつの間にかあかねが泣いていることに気付いてはっと視線を上げた。
見ればあかねは原稿を全て読み終わったようで、紙の束を胸に抱きしめて泣いていた。
「どうなさいました?」
「これ……すごく悲しくて……。」
「そう、でしょうか?」
「この主人公…モデル、頼久さんでしょ?」
「……意識はしませんでしたが、そうかもしれません…。」
「相手の女の人……京にいた頃の私がモデル、でしょ?」
「……。」
「これ、完全な悲恋ものじゃないですか……こんな……こんな悲しいこと、頼久さん、今も考えてたりするんですか?」
きっと自分を見つめるあかねの瞳が鋭く冴えていて、頼久ははっと息を呑んだ。
そうだ、この女性は龍神の神子として一つの世界を救った方なのだ。
頼久は胸の内でその事実を再認識した。
「こんなこと、身分が違うとか、手が届かないとか、そういうこと、今も考えてたりするんですか?」
あかねの顔は必死で、その瞳は涙で濡れているのに力強い光に満ちていて…
「京にいた頃は考えていました。龍神の神子と武士、どのようなことがあろうと釣り合わぬと思ってもおりました。ですが、今はそのようなことは考えておりません。ご安心下さい。それは京にいた頃のことを思って書いただけですので。」
あかねは静かにテーブルの上へ紙の束を置いた。
「この世界に来て、身分というものが存在しない世界が本当にあるのだとわかりました。あなたが京で語ってくださった世界です。その世界に自分もあなたと共にいるのだと今はちゃんとわかっています。」
「……。」
ここまで頼久が語ってもあかねの頬を伝う涙は止まらない。
あかねは懸命に涙をぬぐいながらも泣くことをやめられないようで、頼久はそんなあかねの隣に座って涙をぬぐい続ける手をとった。
「神子殿がそれほど悲しまれるのなら、物語の終わり方を変えてしまいましょう。」
「はい?」
「もっと幸せな、報われる物語に変えることにします。」
目を見開いて驚くあかねに頼久は優しく微笑みかける。
「でも、いいんですか?そんなことして。」
「締め切りまでまだ間がありますから大丈夫です。」
そう言う頼久の笑顔にはやっぱり余裕があって、あかねはほっと安堵のため息をついた。
本当に頼久が京にいた頃のように考えているわけじゃないのだとわかる笑顔だったから。
だからあかねも安心して微笑みながら上げた視線の先には端正な頼久の顔があって…
よくよく状況を把握してみると、自分の両手は頼久にしっかりと握られていて…
あかねは急速に顔を真っ赤にして、慌てて頼久の手を振り払うと飛び上がるように立ち上がった。
「えっと、あの……お昼ご飯作りますねっ!おなか空いてきちゃった!」
慌ててキッチンへと走っていくあかねを見送って、頼久はテーブルの上の紙の束を手に書斎へ向かった。
神子殿が料理を終えられるまでにラストシーンを書き換えてしまおう。
そして神子殿がお帰りになるまでに新しい物語の結末を読んで安堵して頂こう。
頼久は新しい物語の結末を読み終えた時に見せるであろうあかねの笑顔を想像しながら、書斎の扉を開けた。