
テーブルの上に並べられた御馳走は頼久が全く想像していなかった量だった。
予想できないほど大量の御馳走を作ったのはもちろん、婚約者であるあかねだ。
朝から台所にこもって夕飯用の御馳走を作り続けていたあかねは、満足そうに頼久の向かい側に座っていた。
栗ごはん、さんまの塩焼き、茄子の煮びたしにふろふき大根、カボチャの煮つけなどなど…
頼久が和食を好むのを知っていて、あかねは大量の和食料理を作ったのだった。
「こんなにして頂いて…。」
食事を始める前にも恐縮した頼久だったが、食事を終えても再び恐縮せずにはいられなかった。
何しろこれだけの料理を作るのはかなり手間と時間がかかる。
それを作るあかねの背中をずっと見つめていたのだから、どれほど苦労してくれたかは良く知っていた。
「いえ、私が作りたかったんです。秋っておいしいものがいっぱいで、どれにしていいかわからなくなっちゃって…。」
「確かに。」
「頼久さんのお誕生日だから色々作りたいしとか思ってたらこんなことになっちゃったんです。余った分は明日以降に食べてもらえると…。」
「もちろんです、必ず全て頂きます。」
一日ではとても食べきれない量の料理も独り暮らしの頼久にとっては有り難い保存食になる。
冷凍できるものは全て冷凍し、できないものは明日からの頼久の食事になるのだ。
万が一にも頼久があかねの手料理を廃棄する、などということはありえなかった。
「でも、本当にこんな感じでよかったんですか?」
あかねが心配そうに頼久を覗き込んだのは、テーブルの上に並んでいる料理こそがあかねから頼久への誕生日プレゼントだったからだ。
何をプレゼントしようかと悩んでいたあかねに、今年は頼久の方からリクエストがあった。
それがあかねの手料理、だった。
季節の旬の食材を使ったあかねの手料理、が頼久が欲しがった今年の誕生日プレゼントだった。
「堪能させて頂きました。わがままを聞いて頂き、有り難うございました。」
「わがままなんかじゃないです!なんか、私の方こそ手抜きというか…。」
「手抜きなどなさっておいでのようには見えぬ出来栄えでした。どれも美味で。」
「なら良かったですけど。」
嬉しそうに微笑む頼久の顔にあかねもつられるように微笑を浮かべた。
最近の頼久は本当に幸せそうな笑顔を浮かべてくれるようになって、それがあかねには嬉しかった。
「私、後片付けしちゃいますから、頼久さんはくつろいでてください。」
「いえ、私もお手伝いを…。」
「ダメです!今日はお誕生日なんですから私がやりますから。後片付けが終わったらお茶入れますね。」
「はぁ、では。」
頼久は後ろ髪を引かれながらもリビングへ移動した。
リビングにあるソファに座れば後片付けをするあかねの姿を見つめていられた。
頼久にとってはあかねの後片付けの手伝いをすることも幸せなのだが、ここは頼久の誕生日を祝いたいというあかねの想いを尊重することにする。
カタカタと食器の鳴る音さえも幸福な音に聞こえて、頼久の顔には笑みが絶えなかった。
窓の外はもうすっかり暗くなっている。
もう少ししたらあかねを自宅へ送り届けねばと思うと、少しだけ寂しさがよぎる。
毎日のようにあかねはこの家を訪れてくれているし、頼久があかねの大学まで迎えに行って、帰りに一緒に出歩くことも最近では多くなった。
婚約してからというもの、以前よりはずっと顔を合わせる日が多くなっているはずなのに、それでもやはり別れる瞬間はつらいものだった。
朝から一緒にいてもそのつらさは変わらない。
天真がよく言う言葉を思い出して頼久は苦笑した。
天真曰く「重症」なのだそうだ。
まったくその通りだ。
頼久がそんなことを考えている間にあかねは手早く後片付けを終えると、温かい緑茶の入った湯飲みを手にリビングへとやってきた。
「どうぞ。」
「有り難うございます。」
「あ、でも、お酒の方がよかったですか?」
「いえ、酒は最近天真がよく来ますので。」
「もぅ、天真君またここで飲んでたんだ。」
すっかり呆れながらあかねは頼久の隣へと腰を下ろした。
「天真なりに私に気を使ってくれているのでしょう。」
そう、こちらの世界ではどうやら家を訪ねてくる友人が他にいない生き方をしてきたらしい頼久を気遣って天真はよく酒瓶片手にやってくるのだった。
頼久は京でも決して人付き合いがよかったわけではない。
自他共に認める朴念仁だし、酒の席の大騒ぎも得意ではなかった。
けれど、それでも武士団の若棟梁をやっていた頼久の周囲には常に仲間達の姿があった。
そのことを知っている天真がそれとなく酒を飲むのを口実にやって来てくれるのは気遣い以外の何ものでもないだろう。
もちろん、頼久は一人で過ごす時間を苦手としているわけではなかったが…
「でも、頼久さんをダシにして飲んでるだけじゃないですか?天真君。家で飲むと蘭がうるさいから。」
「それは……無きにしも非ずですが。」
頼久は苦笑しながら受け流した。
あかねの言うことも一理あるが、ここは天真の気遣いであるという方を信じてやりたいのが友というものだ。
一通りの雑談が終わると二人の間に沈黙が降りてきた。
さすがに頻繁に顔を合わせていると話題が途切れることはしばしばで、こうして黙っている時間も二人にとっては苦痛ではなくなった。
黙って寄り添って座っているだけでも頼久にとってはじゅうぶんに幸せな時間だ。
ところが、突然聞こえた大きな音がそんな幸せな時間をかき消してしまった。
一瞬光る窓の外。
そしてその後に聞こえてきた轟音。
更には激しく水が屋根を叩く音。
秋には珍しい激しい嵐の到来だった。
「今の、雷、ですよね?」
「そのようです。」
あかねが立ち上がって窓から外をのぞいてみると、暗くて良くは見えないけれど、どうやらものすごい雨が降っているようだった。
「これは本格的な嵐ですね。」
すぐあかねの隣に立った頼久は嵐がすぐにはおさまらないことを感覚で察知していた。
天気予報などというものが存在しない京で暮らしていた頼久は、雨や風の様子で嵐がどの程度のものかをある程度感じ取ることができた。
そんな頼久のカンによると、この嵐は通り雨という程度のものではないようだった。
「台風とか来てませんでしたよね?」
「台風ではないと思いますが…。」
台風はきていないはずだった。
そんな、帰り道が歩きづらくなるような日に、いくら誕生日だからといってあかねを自宅に招いたりする頼久ではない。
どうしても会いたいとあかねが言うのなら、自分の方からあかねの家を訪ねただろう。
だから、天気予報はチェック済みで、台風は来ていないはずだった。
「傘、持ってこなかったなぁ。」
「私のをお使いいただければ。もちろん、お送りしますので。」
言いながら頼久はどんどん雨脚が強くなるのを感じていた。
それでなくても秋の雨は冷たい。
しかも夜にそんな雨にあかねをさらして風邪などひかせては大変だ。
これは早々に送って行った方がいいと頼久は判断した。
「神子殿、まだ雨は強くなりそうです。すぐにお帰りになった方がよろしいかと。」
「え、でも、せっかく今からゆっくりしようと思ってたのに…。」
「ゆっくりはまたよく晴れた日にでも縁側で。」
「…そう、ですね……。」
頼久が何を心配しているのかあかねには良くわかっていた。
いつだって自分のことを一番に心配してくれる人なのだ。
だからわがままは言えない。
一刻も早くあかねを送り届けようと先を行く頼久の広い背中を追いながら、それでもあかねはこぼれるため息を止めることができなかった。
「せっかく頼久さんのお誕生日なのに…。」
「もうじゅうぶんに祝って頂きました。それに、雨に濡れて風邪をひくようなことがあってはいけません。」
やっぱり、とあかねは心の中でつぶやいた。
頼久が自分のことを心配してくれているのは間違いない。
それでもどうしても今日は離れたくなくて、あかねは玄関で立ち止まった。
「神子殿?」
「傘をさして歩いても絶対濡れると思いますけど…。」
「車でお送りしますが?」
「それでも全く濡れないってことはないですよね?」
「はぁ…。」
頼久は靴を履こうとしていた足を止めて小首を傾げた。
あかねが何を言おうとしているのかが全くわからない。
それは雨の中を歩くのだから、いくら車に乗るとは言っても雨粒が一つも当たらないということはないだろう。
だが、今はそんなことが問題ではないはずだ。
京を離れ、こちらの世界にやってきてからというもの、天真やその妹の協力もあって頼久はいくらか女心というものがわかるようになった気がしていた。
けれど、こうして何がなんだかわからないことを言われてしまうと、まだまだ自分は朴念仁なのだと思い知らされてしまう。
これは直接何を言いたいのか聞くしかないかと頼久が覚悟を決めたその時、あかねが恐る恐る上目づかいに頼久を見上げた。
「ここに泊まると濡れないと思うんですけど…。」
やっぱり駄目ですよね?とあかねの視線は問いかけていた。
この申し出は過去にも何度か受けたことがあって、そのたびに頼久は断っている。
何故なら、この世で最も尊く、大切な女性を結婚前に傷物になどしたくはないからだ。
ところが、今回は少しばかり事情が違った。
なんといっても二人は婚約済み。
つまり、結婚はしていなくても結婚することは約束されているわけだ。
そんな状況でこの申し出は頼久にとって強烈な誘惑だった。
「頼久さん?」
珍しく黙り込んでしまった頼久を心配してあかねがその顔を覗き込む。
上目遣いのその瞳にさえ吸い込まれそうなほどの魅力を感じて、頼久はじっとあかねを見つめ返した。
目の前のこの愛しい人と離れる、そんなことはもうとうていできそうもない。
じっと自分だけを見つめてくれる恋人の瞳に頼久は白旗を上げた。
「本当に…。」
よろしいのですか?と尋ねようとしたその時、何はなくともと手にしていた携帯が鳴った。
慌てて確認してみればかけてきたのは天真だ。
頼久は小さく深呼吸をしてから電話に出た。
「天真か?」
『ああ、これからそっち行くから鍵開けとけ。』
「……。」
いつもと同じぶっきらぼうな物言いの相棒の一言に頼久は思わず絶句して、それから深いため息をついた。
『頼久?おい、どうした?もしかしてあかねが来てるのか?』
「いらっしゃっているが、今送って行こうと思っていたところだ。30分もすれば戻る。」
『……了解。じゃ、30分後にな。』
頼久は小さくため息をつきながら電話を切った。
電話から目を離した瞬間、何か、目の前の世界が変わったような不思議な感じがした。
「天真君から、ですか?」
「はい、30分後にこちらへ飲みに来るそうです。」
「こんな嵐なのにくるんだ…。」
「雨風は関係なくバイクで来るので、雨の日はいつも酒の前に風呂に入るくらいです。」
そう言って苦笑しながら頼久はすぐに靴を履いた。
「えっとじゃぁ…。」
「お送りします。30分で戻らねばなりませんのでお急ぎください。」
「はい……。」
すぐにしゅんと落ち込みながらもあかねは女性らしい小さな靴に足を入れた。
天真が来るとなればもう帰るという選択肢しか残っていない。
「あの…頼久さん。」
「はい?」
「天真君が来なかったら、もしかして泊まってもいいって言ってくれてましたか?」
「それは…。」
改めて問われて頼久はどきりとした。
確かにあの瞬間はそう言おうとしていたかもしれない。
けれど、そんなことをあかねに言ってしまっては、何よりこれ以降の自分が止まらなくなりそうで、頼久は苦笑と共に首を横に振った。
「そう、なんですか?」
「神子殿は確か、明日も大学で講義があるとおっしゃっておいででした。」
「あ、はい、あります。」
「講義に間に合わなくなるといけませんので、たぶんお帰り頂いていたかと。」
「でも、ここから大学ってそんなに離れてないですけど…。」
「いえ、そういう意味ではありません。」
「へ…。」
困ったように笑う頼久の言っている意味に気付いてあかねはあっという間に顔を真っ赤に染めた。
よくよく考えてみれば泊めてくれという発言自体がなんだかとっても恥ずかしかったような気もする。
口に出す時は必死で気付かなかったのに、断られてみると恥ずかしさは倍増だった。
「ですので、今日のところはお帰り頂けますか?」
「あ、はい!そうします!」
真っ赤な顔のままあかねは差し伸べられた大きな手を握った。
頼久の反対の手には大きな傘。
その傘の下に入れてもらいながら、あかねの顔の赤さはしばらく引きそうにもなかった。
「天真、よく来たな。」
「………気持ちわりぃ。」
頼久の予想通り天真はずぶ濡れの状態でやってきた。
いつも歓迎などされない天真は珍しく「よく来たな」などと言われて顔をしかめた。
濡れ鼠のままどかどかとリビングに入ると、そこにはまだあかねの気配が残っているような気さえする。
「あかねがいたんだろう?邪魔だったんじゃねーのか?」
「いや、おかげで愚かなまねをせずに済んだ。」
一瞬キョトンとした天真は次の瞬間、それでなくてもヘルメットのせいで乱れている髪をぐちゃぐちゃにかき回した。
「がーーーーー、そういうことかよ!後であかねに恨まれるの俺だろ!それ!」
「そのようなことはあるまい。」
「ある!婚約者が泊まるって言ってんのに何が愚かなまねだ。ったく、お前はどこまで生真面目の朴念仁だ?据え膳くわぬは男の恥だぞ!だいたい、お前の生きてた京はもっとこう、色々自由だったろ、少しは友雅見習え。」
「……あの方を見習うのはどうかと思うが……。」
「まぁ、それもそうだが……。」
当の本人、友雅がいたら呆れただろう会話を交わして二人は同時にため息をついた。
「お前のそういうところにあかねは惚れたんだろうしな。その堅物っぷりはもうどうにもならねーか。」
「ああ。それに、今ではそれでよかったと思ってもいる。」
「あ?」
「楽しみは後々までとっておいた方が幸せがつのろう。」
「……………好きにしてくれ。」
いつの間にか幸せそうな笑みを浮かべる友に海よりも深いため息をついて天真は風呂場へと直行した。
もちろん頼久が止めることはない。
そのままシャワーを浴びて出てきた天真は頼久と何ということはない会話を交わしながら一晩中、酒を酌み交わすのだった。
管理人のひとりごと
もんのすごく遅れてますが、頼久さんお誕生日記念短編現代版でした(TT)
遅れに遅れてるのはわかってますが、書き始めた以上は完成させてUPするのが紫暗の主義なので(’’)
書きかけ原稿はもったいない!(マテ
今回は現代版ということでいつもの天真君にも登場して頂きました。
相変わらず天真君は色々気を遣ったり心配したりしてますが、バカップルは勝手に幸せな感じで(’’)
ずいぶん遅くなってしまいましたが、頼久さん、お誕生日おめでとうございました!の気持ちを込めて!
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