
頼久は膝の上にあかねを乗せて、軽くその小さな体を抱きしめ、うっすらと口元を緩めていた。
視線を巡らせて目に映るのは晴れ渡った空の下に広がる整えられた美しい庭。
そして視線を戻せばそこには恥じらう愛らしい妻の顔がある。
今この時を幸せであると実感することこの上ない一時だ。
ただし、頼久に抱きかかえられているあかねの方は顔を真っ赤にしてうつむいて、それでもしっかりと頼久の胸に寄り添っている。
何度もこうして寄り添って過ごしていても、どうしても恥じらうあかねのその様子は頼久には微笑ましいものに映った。
「あの…。」
「はい、なんでしょうか?」
「本当に今年もこれでいいんですか?」
ためらいがちに視線を上げてあかねが問えば、頼久は「はい」と静かに答えて首を一つ縦に振った。
あかねがどうしてこんなことを問うのかと言えば、それはもちろん、これが毎年の恒例行事になっているから。
毎年の恒例行事とはつまり、頼久の誕生日のことだ。
あかねの頼久の誕生日を祝いたいという気持ちをくんだ藤姫の配慮で、毎年、頼久の誕生日は休みと決められている。
誕生日だけでなく、誕生日から3日ほどが休みだ。
その間、あかねは頼久の食事を作ったり、頼久のために香を焚いたり、琴を奏でたりしたいのだが…
実際はというとこうして頼久の膝の上に抱き上げられて幸せそうな顔で抱きしめらるだけで休暇が終わっていくのが常だった。
もちろんそれは頼久が望んだこと。
大切な人の望みをかなえられるならそれでもいいかと思っていたあかねも、さすがに毎年というのはどんなものだろう?と疑問に思い始めていた。
疑問に思ったきっかけはといえば友雅だった。
先日、藤姫の使いでやってきた友雅は、同じ相手と同じことばかりしていては飽きるだろうと言ってあかねをからかった。
頼久に限ってそんなことはないとその時は突っぱねたけれど、あかねの心のどこかで友雅の言葉は引っかかっていた。
だから、思い切って単刀直入に聞いてみたのだけれど…
「はい、この上なく、幸福な時を過ごさせて頂いております。」
「そう、ですか…。」
返ってきた答えは予想通りで、頼久の顔には正真正銘幸せいっぱいの微笑が浮かんだものだから、あかねは小さく息を吐いてうつむいた。
頼久がこう言うのだから幸せなのは間違いないだろう。
少なくても今は。
けれど、これから先は?とあかねは思わず考えてしまう。
最近は争い事も多くなく、頼久は毎日あかねの屋敷に帰ってきてくれる。
平和なのはいいことだし、頼久と毎日ちゃんと顔を合わせられることは嬉しい。
だいたい、大好きな人に毎日会えると言うだけでもこの世界では奇跡的に幸せなことだということももうあかねにはよくわかっていた。
だから、これ以上のわがままなんて言えるはずもない。
「神子殿?」
「はい?」
少しばかり翳りの宿る声で呼ばれて、あかねはハッと視線を上げた。
物思いにふけっていたせいで、いつの間にか頼久の表情が変わっていたことに気付かなかった。
悲しげに曇る頼久の顔を見上げて、あかねは目を丸くした。
「ど、どうしたんですか?」
「もしや神子殿は…。」
「はい?」
「こうしていることを不快と思っておいでなのですか?」
「へ?」
喉の奥から絞り出すような声で問われて、あかねはキョトンとしてしまった。
まさかそんなことを聞かれるとは夢にも思っていなかったから。
「ち、違いますっ!」
「では、何故そのように沈んでおいでなのでしょうか?」
「それは…あの…毎年同じことばかりでいいのかなってちょっと考えてしまって…。」
「神子殿は何か他のことをなさりたいのですか?」
「私は色々頼久さんにやってあげたいことありますけど、それは頼久さんがしてほしいことじゃないので…。」
「いえ、神子殿がなさりたいとあらば…。」
「だから、それじゃダメなんです。だって、今日は頼久さんのお誕生日だから、頼久さんがしてほしいことをしてあげないと意味がないじゃないですか。」
「はぁ…。」
「でも、いくら頼久さんがこうしていたいからって毎年これじゃぁ…なんていうか…。」
「?」
「頼久さん、飽きちゃうんじゃないかなって…。」
「は?」
今度は頼久が目を大きく見開いて凍り付く番だった。
この世で何よりも大切な妻は今、飽きると言ったのだろうか?
頼久の頭の中がにわかに混乱し始める。
「その…飽きる、とは…。」
「毎年毎年同じことしてて飽きませんか?」
「一向に…。」
「なら、いいんですけど…。」
いいとは言いながらあかねの表情は冴えない。
頼久は一つ深く息を吐いて、膝の上に抱えているあかねをギュッと抱きしめた。
「神子殿にはまだ何か憂いがおありですか?」
「う、憂いっていうほどのことじゃ…その…。」
「なんなりとおっしゃってください。」
頼久に誕生日にしたいことが、もしこうしてあかねを抱きしめて過ごすこと以外にあるとしたら、それはあかねの内にある悩みをすべて解いてやることより他にない。
優しい声で促して、髪を撫でればあかねは顔を赤くして頼久を上目づかいに見上げながら、ためらいがちに口を開いた。
「毎年同じお祝いしかしてあげられなくて…その、そんなことはないって思ってはいるんですけど…。」
「はい。」
「頼久さん、私に飽きちゃったりは…。」
「ありえません!」
間髪入れない大声の宣言。
あかねの体に回されている腕には更に力が入り、真剣な頼久のまなざしがあかねを射抜いた。
「そ、そうですよね…。」
「神子殿はそのようなことを案じておいでだったのですか?」
「案じてたっていうほどじゃ…。」
「友雅殿ですか?」
「へ?」
いつの間にやら眉間にシワを寄せている頼久の口から思いがけない名が出て、あかねはじっと夫の端整な顔を見つめた。
常日頃から朴念仁だ気がきかない男だと自分を評する頼久だけれど、あかねと二人で過ごす時間が長くなって少しその人となりが変わってきたらしい。
あかねは心の中で「鋭い」とつぶやいていた。
「あの、えっと…。」
「また友雅殿がいらぬ入れ知恵をなさったのではありませんか?」
「半分くらい、当たり、かも…。」
「まったく、あの方は…。」
「あ、でも、友雅さんはお誕生日のお祝いをもっと違った形にした方がいいんじゃないかって提案してくれただけで…その…悪意はないと…思います、たぶん…。」
断言できないところが悲しいが、あかねにとっては友雅は良き相談相手だ。
もちろん真面目に問題を解決してくれたことだってあるし、頼りにしている。
その人に悪意があるとは言いたくない。
「悪意はともかく、あの方は私をからかって楽しんでいるだけです。神子殿はお気になさらぬよう。」
「からかわれてるのは私も一緒ですけど…でも、いつも同じことばかりしてたら頼久さんが飽きちゃうかなって思ったのは事実で…。」
「そのようなことは決してございません。現に、私はこうして神子殿に祝って頂くようになってから、己の生まれた日を忘れぬようになりました。」
「ああ、頼久さんって昔は忘れてましたもんね。」
「はい、ですが、今では一月も前から指折り数えて待つようになりました。」
「そうなんですか?」
「はい。」
短く「はい」と返事をした頼久が幸せそうに笑うから、あかねの顔にも自然と笑みが浮かんだ。
指折り数えて待っているほど楽しみにしてくれているのなら、やっぱり毎年同じことをするのも悪くないのかもしれない。
あかねがそう思い始めたその時、頼久が不意にあかねに口づけた。
あまりに突然の出来事であかねがぽかんと驚いた顔のまま頼久を見つめる。
「はい?」
「毎年同じことばかりで飽きてしまわれるのでしたら、時折このように…。」
「このようにって……頼久さん!ここ、外から丸見えなんですからっ!」
「大丈夫です。このあたりに人の気配はありませんので。」
ニコニコと機嫌よさそうに微笑みながらそう返されてはもうあかねには何も言えない。
頼久には分かっていてもあかねには誰かがどこかに隠れていたらわからないのだから心臓に悪いことこの上ないのだが…
「神子殿とこうして過ごさせて頂く時がどれほど長く続こうと、どれほど同じことが繰り返されていようとも、私が飽きるなどということはございません。」
「頼久さん…。」
「ですので、また来年のこの日にも同じように神子殿のおそばにいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。頼久さんが嫌だって言ったって、私、くっついて離れないんですから。」
「それは…光栄です。」
嬉しそうな頼久の笑顔。
自分を膝の上に乗せているだけでこんなに幸せそうにしてくれるのなら、いつまでだってこうしている。
あかねはそう心に決めて、それから何かに気付いたように目を開くと、頼久の首に腕を回した。
「神子殿?」
頼久が驚いたのもつかの間、次の瞬間にはあかねが霞めるような口づけを頼久に贈っていた。
真っ赤な顔であかねが元の姿勢に戻っても、頼久はしばらく驚きで目を見開いたまま、微動だにしない。
「あの…えっと……お誕生日、おめでとうございます。」
この口づけはお誕生日のプレゼント。
そう伝えたくてあかねが小さな声でそう言えば、あかねを抱く頼久の腕に力がこもった。
優しくて確かな力で抱きしめられて、あかねが首まで赤くなる。
「誕生日、とは、まこと、良いものです。」
あかねの耳元に届いた声は、幸福と穏やかさに満ちていた。
10月9日の午後。
二人の前には温かい陽射しに照らされている穏やかな秋の庭が広がっていた。
管理人のひとりごと
頼久さんお誕生日おめでとう\(^O^)/
京バージョンでした!
急いで書いたから少し短め(TT)
でも、どうしても両方で祝いたかったんです…
急いだので誤字脱字はご容赦を(><)
なんとか完成にこぎつけてよかった、今年のすべり込みハピバでした(^^;
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