
千尋は森の中をあちこち見回しながら歩いていた。
何故かというとそれは大好きな人の姿を探しながら歩いているから。
大急ぎで仕事を済ませて風早に遠夜の居場所を聞いたら、この森にいると教えてくれた。
遠夜は人ごみよりもこういう自然の中が大好きだから、森の中にいるのは不思議じゃない。
けれど、森の中というだけではどの辺に遠夜がいるのかわからなくて、千尋はキョロキョロしながら森を歩くことになったというわけだ。
助かることに天気は今のところとてもよくて、寒い季節ではあるけれど、木漏れ日を浴びるとほっとする温かさを感じた。
いつもなら遠夜と待ち合わせをするなりなんなりしているのだけれど、今日はどうしても遠夜を驚かせたくて約束をしていない。
おかげで千尋は遠夜をこんなふうに探す羽目になっているのだが、それでも約束しなかったことを後悔なんてしない。
何故なら、今日はその遠夜の誕生日だから。
遠夜はできる限りの時間を千尋の側で過ごしてくれる。
それでいながら忙しい千尋のことを気遣って、千尋が仕事をする時にはちゃんと一人の時間を過ごしてくれていた。
悲しい過去を覚えている遠夜だから、きっと本当はずっと一緒にいたいに違いない。
けれど、実際に生活してみるとそんなことはとうてい不可能で、遠夜にはきっといつもつらい思いをさせているに違いないから…
だからどうしても誕生日だけは、幸せな驚きで満たしてあげたかった。
千尋ははぁっと小さく溜め息をついてからすぐにまた辺りをキョロキョロと見回した。
絶対遠夜を探し出す。
そして今日は一日中一緒にいてあげるとニッコリ笑って言うのだ。
遠夜は物を欲しがったりはしないから、千尋は自分の時間をプレゼントする。
そう決めていた。
けれど、約束をしておかなかったせいで、こうして千尋が探し回っている間に遠夜と一緒に過ごす時間はどんどん減っていってしまう。
千尋が焦って前へ進む足を速めたその時、風に乗って綺麗な声が千尋の耳へと届いた。
高く低く、流れるように紡がれる美しい歌声。
それは間違いない、今は誰の耳にも聞こえる遠夜の声だった。
千尋は嬉しそうにニッコリ微笑むと、風に乗って聞こえてくる遠夜の歌声を頼りに歩き出した。
まるでいざなわれるように千尋が歩みを進めると、遠夜は小さな湖のほとりで一人静かに歌っていた。
木々の葉が風で鳴る微かな音がまるで遠夜の越えにあわせて一緒に歌っているように聞こえる。
しばらくその歌声に聞き惚れてから千尋は遠夜へと歩み寄った。
「神子。」
自分の隣へと歩みを進めた千尋をみつけて遠夜が目を丸くする。
「驚いた?」
千尋の問いには何も言わずに、遠夜はただ一つゆっくりとうなずいた。
今日も千尋は一日中仕事だと思っていたところでの出会いだっただけに、遠夜の驚きはかなり大きいようだ。
「今日は遠夜のお誕生日だから、これからずっと一緒に過ごそうと思って休みをもらってきたの。」
「神子…。」
千尋の説明に嬉しそうな笑みを浮かべた遠夜は、すぐに千尋の細い体を抱き寄せた。
こうして触れることが一番嬉しいと、そう包み隠さず言う人だから、千尋は顔を真っ赤にしながらもしばらくは黙って腕の中にとらえられていることにした。
ところが…
「と、遠夜、ちょっと離れていい?」
なかなか離してくれない遠夜の腕の中でそう尋ねてみれば、遠夜は嫌々というように首を横に振った。
「あのね、でも、これじゃなんにもできないから…。」
「何もしなくていい。ただこうしていられるなら…。」
思いの詰まった言葉に千尋は黙り込んだ。
そんなに寂しい思いをさせていたのだと実感したから。
自分の体を抱く遠夜の腕の力がいつもよりもずっと強くて、千尋はどうしてもその腕を解くことができない。
「…ごめんね、遠夜……。」
思わず千尋の口をついて出た言葉はそれだけだった。
心優しい遠夜を傷つけているのかと思うと謝罪の言葉しか出てこない。
ところが、思いがけなく千尋のこの言葉を聞いた遠夜は今まで決して離そうとしなかった千尋の体を解放した。
「遠夜?」
不思議に思って千尋が遠夜の顔を見上げると、遠夜は悲しそうな顔で千尋の顔をのぞきこんでいた。
「碧目が悲しみで曇っている…。」
「そ、それは…その…遠夜に寂しい思いをさせて申し訳ないなと思って……。」
「神子がそれを気にして悲しむのならオレは寂しがったりしない。」
「遠夜…。」
「神子が悲しむのが一番苦しい。」
どこまでも優しい遠夜の声に千尋が思わず涙ぐむと、遠夜はその涙をそっとぬぐって千尋の髪を撫でた。
髪に伝わるぬくもりが底なしに優しい。
「オレのワギモ、泣かないで欲しい。」
「うん、有難う、私は大丈夫。」
せっかくの遠夜の誕生日に悲しい思いをさせてどうするのか。
千尋は一人胸の中でそう気合を入れて、何とか笑みを浮かべた。
「今日は遠夜のお誕生日だから、楽しく過ごそうね。遠夜は贈り物はいらないって言うだろうから、今日はずっと二人で一緒に楽しく過ごすって決めてたの。」
「オレは神子の側にいられればそれでいい。」
「うん、そう言うと思った。でも、ただ一緒にいるだけって言うのもつまらないし、何かして欲しいことはない?」
「して欲しいこと…。」
「うん、なんでもいいよ、私にできることなら。たとえば…肩揉みとか…ってこれは子供の頃風早にしてあげたことか…あとは…お散歩とか、膝枕とか!」
何とか恋人らしいシチュエーションになろうと想像しているうちになんだか楽しくなってきて、千尋は満面の笑みを浮かべた。
今言ったことならどれでも遠夜のためになら喜んで実行する。
ところが遠夜は、そんな千尋に嬉しそうな笑顔を見せると、あっという間にかすめるような」口づけを贈った。
「遠夜!」
「これが一番嬉しい。」
「……そういわれると……。」
嬉しそうに断言されてしまってはもう何も言えなくて…
千尋は首まで真っ赤になってしまった。
すると何も言わない千尋を遠夜が再び腕の中へ閉じ込めて、耳元へと唇を寄せた。
「愛してる、オレのワギモ。」
「……。」
さっきまで風に乗って届いていた歌声を奏でていた綺麗な声が千尋の耳に艶っぽく囁いて、千尋は頭から湯気を上げそうなほどに赤くなってしまった。
それでも遠夜は上機嫌だ。
上目遣いに恋人の表情をのぞいてみるとそこには本当に幸せそうな顔があって…
千尋は照れ隠しに遠夜にギュッと抱きつくと、その胸に額をつけたまま口を開いた。
「こんなことばっかりしてたら私が恥ずかしくて溶けてなくなっちゃう…。」
「神子がいなくなるのはいやだ…。」
「い、いなくなるわけじゃなくて…。」
急に遠夜の声が悲しそうになって、千尋は慌てて視線を上げた。
捨てられた子犬のように心細げな遠夜に千尋は思わず苦笑した。
「いなくなったりしないから、だから、そんなに恥ずかしくないことで、他に私にしてほしいことない?」
「神子にしてほしいこと…。」
再び重ねられた同じ問いに遠夜は深く考え込んだ。
本当にただ側にいて触れることさえできたら、遠夜にはそれでじゅうぶんだ。
けれど、大切な人が何かしたいというのなら…
「歌を…。」
「え?」
「歌を歌って欲しい。」
「歌?」
驚く千尋に遠夜は楽しそうにうなずいた。
確かに綺麗な歌声を持っている遠夜にとっては人の歌を聞くことも楽しみなのかもしれない。
それはわかるけれど、遠夜の綺麗な歌声を聞いているだけに千尋は戸惑ってしまった。
歌はそんなに苦手ではないけれど、そんなに得意でもなかったから。
あんなに綺麗な歌声を放つことができる人の前で歌って聞かせてあきれられたりはしないだろうか…
「私の歌なんてどう頑張っても普通って言うレベルだし…。」
「神子の声は綺麗だから、きっと歌も綺麗だ。」
そう言って千尋を解放して、ニコニコと楽しそうにしている遠夜。
こんなふうに楽しみにしている顔を見せられてはもう歌わないとはいえない。
「じゃぁ、ちょっとだけ歌うけど、あんまり上手じゃないから、笑わないでね。」
赤い顔でそう前置きして、千尋は深呼吸した。
もうこれはイチかバチか歌ってみるしかない。
すっと静かに息を吸い込んで、千尋は歌い始めた。
ゆっくり、なるべく優しく、遠夜を想っている気持ちが届くように…
その歌声は遠夜の耳に届いただけでなく、風に乗って湖の上を走った。
辺りに人の気配はなくて、その歌声が他の人の耳に届くことはなかったけれど、ただただ一人、その歌声を耳にした遠夜は満足そうな笑みを絶やさなかった。
長くはない千尋の歌が終わると、遠夜はさっと千尋を抱きしめた。
その素早さはそうせずにはいられない、そんな感じだった。
「遠夜?」
「素晴らしかった。」
「そう?」
「オレのワギモは心を震わす音を持ってる。」
そう囁いてギュッと千尋を抱きしめて、遠夜は幸せそうに目を閉じた。
ほめられて顔を赤くした千尋は遠夜を優しく抱き返しながらほっと安堵の溜め息をついていた。
心を震わす音を持っているのは遠夜の方。
でも、その遠夜は自分の歌声を気に入ってくれたようで…
どうやら遠夜の誕生日を祝ってあげられたようだと思えば千尋も嬉しくて…
二人は誰もいない森の中、そうしてしばらく風に乗った歌声をお互いに思い出しながら、静かに抱き合あっていた。
管理人のひとりごと
今年は元旦から猛スピードで原稿書いてるぞΣ(゚д゚lll)
相変わらず今年も新年早々誤字脱字はご容赦をm(_ _)m
遠夜といえば歌声ということで、今年のお誕生日は千尋ちゃんから歌のプレゼントにしてみました!
千尋ちゃんは声も綺麗だし歌も上手そうなのでそんな感じで!
ちなみに管理人は歌得意ですが、楽器の方が好きです(’’)
音楽は全般的に好きなので、ネタも音楽関係多いかも。
遠夜にもまた歌ってもらいたいなと思っています(^^)
ブラウザを閉じてお戻りください