星空の下で
『今日は眠らずに部屋で待っていてく下さい!』

 忍人の耳の底で何度も千尋の声が再生されていた。

 恥ずかしそうに頬を赤らめながら朝のうちに千尋はそう言ったのだ、夜は眠らずに自分を待っていて欲しいと。

 昼間はいつもと変わらぬよう、細心の注意を払って仕事をしていた忍人だったが、日が暮れて自室で一人になるとそうもいかない。

 昼間から雲一つない青空だった今日は、夜になっても風音一つ聞こえてはこない。

 しんとした穏やかな静けさの中で一人で座っていると、どうしても千尋の声が耳の奥で蘇ってくるのだった。

 そもそも、愛しいと思えばこそ婚姻の約束を交わしたのだ。

 愛しい女性の愛らしい声だというだけで耳に残るというのに、その声が語った内容が内容だ、忍人が少なからずいつもの冷静さを失ったとしてもしかたがないというものだ。

 黙っていると自分の耳の中で何度も何度も千尋の声がこだまするので、しかたなく忍人は部屋の中を歩き回ることになった。

 体を動かしていないと、自分で何か音を立てていないと、また千尋の声が聞えてしまいそうで…

 扉を軽く叩く音が聞えたのは忍人が軽く部屋の端から端を20往復はした頃だった。

 この扉を叩くという行為は千尋特有のもので、ノックという行為なのだということを忍人は千尋から教わった。

 つまり、このノックの主は千尋しかありえない。

 忍人は一つ溜め息をつくとすぐに扉を開けた。

「こんばんわ。ちゃんと起きて待っててくれたんですね。」

 嬉しそうに微笑みながら千尋は忍人の横をするりと抜けて部屋の中へ入った。

 その様子はいつもと全く変わらない。

 忍人は後ろ手に扉を閉めると、くるりと自分の方へ向き直った千尋と向き合うことになった。

 いつもと同じ髪飾りで飾られた美しい髪、仕事をしていたのか着ているものもいつもと変わりない。

 千尋が浮かべている笑顔も朗らかなものだ。

「今日も忍人さん、一日中お仕事だったんですよね。」

「そう、だな。兵士の訓練と、新兵の試験と、兵士達への講義などもしていたか…。」

「そんなに……じゃあ、疲れて眠いですよね、わがまま言ってすみません。」

「いや、眠くは、ないが……。」

 申し訳なさそうにする千尋に忍人は溜め息をついた。

 千尋に声をかけられた朝から今までの間、ずいぶんと心の中では右往左往していた気がする。

 けれど、よくよく考えてみれば、千尋が何か裏の意味を含んであんな言葉を自分にかけたわけがないと忍人はここに至って気がついた。

 そう、同じ寝床で眠りたいから待っていてくれ、などという艶っぽい話を千尋が朝からするわけがなかったのだ。

「忍人さん?あの、凄く疲れてるなら私、残念だけど帰りますから休んで…。」

「別に疲れているわけじゃない。ただ、君があまり無邪気だったからな、肩透かしを食っただけだ。」

「肩透かし?私そんなことしました?」

 やっぱりだ。

 千尋は別に他意があって夜は眠らずに待っていてくれと言ったわけではなかった。

 これは今後のことも考えて、千尋にはきちんと説明しておいた方がいい。

 そう考えた忍人は千尋の前に歩み寄ると、心配そうにしている千尋をまっすぐ見つめて口を開いた。

「君は俺に今朝、こう言った。夜は眠らずに部屋で待っていて欲しい、と。」

「はい、言いました。それが肩透かし、ですか?」

「君が他意なく言っている場合は肩透かし、だろうな。」

「他意、ですか?」

「ああ。普通、男に対して…いや、少なくても結婚の約束をしている男に対して夜眠らずに部屋で待っていてくれと言った場合、男の方は期待する。」

「期待…。」

「そうだ。これはひょっとすると、今夜は共に眠って、共に明日の朝を迎えることができるのではないか?と期待する。」

「共に眠って……って、あ、そ、それはその…違います!」

「わかっている。」

 共に眠るの意味に気がついて急に慌て始める千尋に、間髪入れずに忍人は断言した。

 そう、少し考えればわかることだったのだ。

 千尋が自分から男を誘うわけがない。

「だから肩透かしだと言った。君は少し、言動に気を使った方がいいな。」

「ごめんなさい……でも、忍人さんも肩透かしだったんですか?」

「……多少は。」

 いつもは仏頂面の忍人が少しばかり頬を赤らめて視線をそらしたものだから、千尋は更に慌てた。

「ご、ごめんなさい!そんなつもりじゃなくて、その……どうしても今夜は忍人さんと一緒にいたくて…って言ってもそういう意味じゃないんです!」

「わかっているから落ち着け。君はその落ち着きのなさも少し直すべきだな。」

 慌てさせたのは自分だという自覚もあるので、忍人の顔には苦笑が浮かんだ。

 あまりに慌てたのでバタバタと意味もなく動いている千尋の腕を掴んで止めると、千尋はやっと一つ深呼吸をして落ち着きを取り戻した。

「それで、君はどうして今日に限って眠らずに待っていてくれなどと言い出したんだ?」

「あ、はい。それはですね、忍人さん、明日お誕生日だから。」

「そう、だったか…。」

 千尋が暮らしていた異世界では人が生まれた日を祝う風習があると聞かされてはいた。

 そして忍人の誕生日は千尋が祝うと言っていたことも覚えてはいる。

 けれど、特に気にしてはいなかったので明日がその日だとまでは気付かなかった。

「俺が生まれた日と眠らずに待っていることに何か関係があるのか?」

「はい!もちろん、お祝いは色々考えてるんですけど、それよりも、忍人さんが生まれたその日を二人だけで迎えたいなぁって思ったんです。」

「生まれた日を迎える?」

「あ、そっか、こっちじゃ日の出と共に一日が始まるんですよね。実は私が育った世界では真夜中に日付が変わる、つまり次の日になるって決まってるんです。だから…。」

「深夜に俺の生まれた日になるわけか。」

「はい。その瞬間を忍人さんと一緒にって思ったんです。」

 誰よりも先に一番に大好きな人におめでとうと言いたい。

 それが千尋の望みだった。

 その説明をせずに眠らずに部屋で待っていてくれと言ってしまったのが誤解の元だったということらしい。

 忍人は事の真相に気付くと小さく溜め息をついた。

「ごめんなさい、忍人さんがその……そういう誤解するとは思ってなくて…説明するべきでした…。」

「いや、誤解しかけた俺が悪い。気にしないでくれ。それに…。」

「それに?」

「つまりは俺が生まれた日を一番に祝ってくれるということなのだろう?」

「あ、はい、それはその通りです。」

「それは嬉しい。」

 そう言って忍人が微笑むと、千尋の顔がぱっと明るく輝くような笑みを浮かべた。

「それじゃあ、窓から外を眺めながら一緒に明日を迎えませんか?今日は星が綺麗でしたから。」

 千尋は張り切って窓辺に駆け寄ると、窓を開け放った。

 もちろんガラスなんてものは存在しないので、木でできた窓を開け放てば外気が直接部屋の中へ滑り込む。

 冬の夜だ。

 雪も風もないとはいえ、静かに滑り込む外の空気は冷たい。

 千尋は自分の肩を抱きながら空を見上げた。

「やっぱり、星が凄く綺麗ですよ。」

 寒そうにしながらも空を見てはしゃぐ千尋に忍人は苦笑しながら一枚の布を取り出すとそれを床に敷いてその上に千尋を座らせた。

 長時間過ごすことになるなら立っているわけにはいかないし、布を敷いた上に座れば少しは寒さもしのげるはずだ。

 千尋は「有り難うございます。」と愛らしく礼を言ってからちょこんと布の上に座った。

 少し思案してから忍人がぴったりと肌が合わさるほど近い千尋の隣に腰を落ち着けると、驚くかと思った千尋は少しだけ頬を赤らめて嬉しそうに微笑んで見せた。

「明かりを消した方が空が見やすいが、どうする?」

「ん〜、でも消しちゃうともっと寒くなるような気がするし……とりあえず日付が変わるまでこうしていられればいいのでこのままで。」

「わかった。」

 交わした会話はそれで終了。

 あとは二人並んで夜空を見上げるばかりだ。

 ただ黙って座っていると立っている時よりも寒さは身にしみて、千尋はあっという間にもぞもぞと動き始めた。

 膝を抱えてみたり肩を抱いてみたり、その仕草で寒がっていることは一目瞭然だ。

 忍人はといえば、寒い季節の行軍も経験済みだからそこまで寒さには弱くない。

 けれど、このまま千尋を放っておいては風邪をひかせてしまうのではないかと気が気ではない。

 結局、考えに考えた末、忍人は千尋の後ろに回ると小さな体を膝の上に乗せてすっぽりと抱きかかえた。

 当然のことながら驚いて小さな声をあげた千尋は、それ以上は抵抗せず、おとなしく忍人の膝の上に収まったので、忍人はほっと安堵の溜め息をついた。

「こうしていれば風邪はひかないだろう。」

「あ、はい、有り難うございます。」

 消え入りそうな小さな声が聞えてきて、忍人は苦笑を漏らした。

 膝の上に乗せただけでこの有様とは先が思いやられる。

 そうは言っても、こうして二人きりで過ごす時間はやはり幸せで…

 忍人が腕に抱え込んだ温もりに幸福を感じていると、やがて千尋が忍人へとすっかり寄りかかってきた。

 やっと緊張を解いてくれたのかと忍人が様子をうかがえば、千尋は小さな寝息をたてていて…

「君は、まったく……。」

 忍人は小さくつぶやいて溜め息をついた。

 ついさっきまで自分の膝の上で緊張していた少女の姿はどこにもない。

 今はただ、穏やかに眠る幸せそうな寝顔があるだけだ。

 朝から今まで結局、忍人は一日千尋に振り回されっぱなしだった。

 つまり千尋は忍人が思っているよりもまだ幼いということなのだろう。

 その幼さに振り回されているのだが、生まれて初めての困惑や、千尋を前にした時のなんともいえない甘い時間、何もかもが今は幸せな気がする。

 忍人は共に明日を迎えると言ったのに眠ってしまった恋人を抱え直すと、ゆっくり立ち上がった。

 このまま自分の寝台に寝かせてしまって、明日の朝、慌てふためく恋人の姿を見るのも悪くはないが…

 そこまで考えて苦笑して、忍人はゆっくりと歩き出した。

 やはりここはちゃんと千尋の寝室へと送り届けよう。

 そして明日の朝、きっと眠ってしまったことをもの凄い勢いで謝罪してくるだろう千尋と共に一日を過ごすのだ。

 そうして同じ時を重ねていくことが今は何より幸福だから。

 忍人はその小さな体に自分の幸せの全てを抱えている愛しい人を抱いて静かに自分の部屋を後にした。








管理人のひとりごと

そして翌日、当然のように大騒ぎする千尋がいまして、それをなだめる風早父さんがいましたとさ(^▽^)
そんなお話です。
ってことで遅れましたが、忍人さん、お誕生日オメデトウございます!
書いたのはちゃんと誕生日です!(っдT)
ああ、今年はクリスマス企画も何かやろうと思っているのに…
やっぱり師走って忙しいですね(’’;
って、去年も同じこと言ってる…
学習しよう、とちょっと反省した今年の忍人さんのお誕生日でした(^^









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