心痛
 めったに個人的なことでこんなことはしない千尋だが、今日だけは特別、どうしてもと頼み込んで忍人を呼び出していた。

 呼んできてほしいと風早に頼んでからまだ数分しかたっていないのに、なんだかとても長い時間待っているような気がする。

 それというのも忍人の身が心配でならないからだ。

 前向きで闊達な千尋にしては珍しく、部屋の中を何往復も腕を組んだまま行ったり来たりして千尋はひどく長く感じる時を過ごした。

 風早が忍人を探して呼んで来るまできっと15分とかかっていない。

 それなのに千尋は風早が少し扉を押し開けたところで、自分から力いっぱい扉を引き開けてしまった。

 扉の向こうには驚いて目を丸くしている風早と忍人。

 千尋は何か言おうとして一度口を開いて、すぐにその言葉を飲み込んで二人を部屋の中へ招き入れるべく体を脇へずらした。

 こんな部屋の入り口で済むような話のために忍人をわざわざ個人的に呼び出したりはしない。

「俺は席を外しますね、千尋、二人きりでゆっくり話したいことがあるのでしょう?」

「うん、有難う、風早。」

 忍人が何を言う間もなく風早はとっとと去っていってしまい、千尋に無言で促されて忍人は一人、千尋の部屋へと足を踏み入れた。

 千尋の顔には厳しい表情が浮かんだまま消えない。

 なんでわざわざ王の名を出してではなく、個人的に呼び出されたのか忍人にはよくわかっていた。

 その理由が千尋の表情を厳しくさせているということも。

 事の始まりは先日の会議にあった。

 地方豪族がこの中つ国を狙って兵を集めて進軍してきているとう情報が入り、先日、会議が開かれたのだ。

 その場で、真っ先に兵を率いて掃討に向かうと申し出たのが忍人だった。

 この国の将軍であり、軍事をあずかる者としては当然の行動だが、これに千尋が何も思わなかったわけがない。

 それでも会議中に思ったことを口にしなかっただけでも千尋は頑張った。

 思いのたけを会議中にぶちまければ王の威厳はあったものではないし、忍人の立場もなかったのだから。

 そういう意味では忍人は千尋を評価しているのだが…

 こうして個人的に呼び出さずにはいられなかったかと溜め息をつかざるをえなかった。

「忍人さん、私が言いたいこと、わかりますよね?」

「わかっているつもりだ。」

「それでも自分が兵を率いて先頭に立って戦ってくるって、そう言うんですか?」

「ああ。」

 忍人の答えは淀みなく、端的だった。

 いつものように揺らぐことのない忍人を見て千尋がきりりと表情を引き締めた。

「せっかく大きな戦いが終わって、せっかく平和に暮らせるようになったのに忍人さんがわざわざ戦いに行く必要なんてないでしょう?大きな敵じゃないって柊も言っていたし。」

「敵が大きくはないからといってこの国の軍事をあずかる俺が部下を戦地へ送っただけで後ろでふんぞり返っていていいということにはならない。」

「ふ、ふんぞり返ってって…。」

「部下だけ危険な地へ送り出して俺がここにいるということはそういうことだ。」

「じゃぁ、私も行きます!」

 忍人は深い溜め息をつきながらよくこれを会議で言わずにいてくれたと内心少しだけ感謝した。

 こんなことを会議の場で発言されてはそれこそ会議は大混乱になっていただろう。

 今は国を立て直すのに重要な時期だというのに王自らが戦に出て行くなどありえない。

 それがわからないような千尋ではないはずなのだが…

「必要ない。軍の将が兵を率いるのと王が率いるのとでは意味が違う。君ならわかるだろう?」

「それは……。」

 さすがに千尋が唇を噛んで黙り込んだ。

 それくらいのことはわかっているのだ。

 王が簡単に敵の前に出て行ってはいけないことくらいわかっている。

 でも、それでも、愛しい人の側で共に戦い、その命を守りたいとそう思ってはいけないのだろうか?

 千尋は言いたいことがあるはずなのに何一つ言葉の出てこない自分の唇を噛み切りそうなほどに噛んだ。

「宮周辺の警備については師君が請合ってくださった。君の身辺警護については布都彦に任せてある。側にはいつも風早がいるのだろうし、ここにいれば君は心配ない。」

「私の心配なんかいいんですっ!私はいつだって誰かが守ってくれるんですからっ!私が心配なのは忍人さんで……。」

「君に心配されるほど俺は弱くないつもりなのだが。」

「弱いから敵にやられちゃうとかそんな心配してません!そうじゃなくて…忍人さん、すぐ無理をするから……。」

 そう言った千尋の目に涙が浮かんだ。

 忍人が仲間のため、国のため、勝利のため、そして何より千尋のために簡単に無理をすることを千尋はよく知っている。

 命を削って敵と戦ってきたことを知っている。

 だから、一人で戦場へは行かせたくないのだ。

 忍人は涙を浮かべながらもまっすぐ自分を見つめてくる千尋にそっと手を伸ばした。

 いつもは剣を握っているその手が千尋の頬を優しくなでる。

「無理はしない、約束する。それに、無理をするような相手でもない。」

「でも…。」

「君との約束は違えない。」

 そう言って忍人は口元を緩めた。

 少しでも穏やかな表情を千尋に見せて信用してもらいたかった。

 もう、命を削って戦うようなことはしないと。

 自分が傷つくことで悲しんでくれる、そういう大切な人を得たからこそそんな無理はもうしないと伝えたい。

 そんなことを言葉にすることは忍人にはとてもできないから。

 だから表情で、仕草で伝える。

「忍人さん……わかりました。じゃぁ、もう私もわがままは言いません。だから、選んでください。」

「選ぶ?」

「忍人さん一人じゃどうしても心配だから、一緒に戦う仲間として布都彦を連れて行くか、軍師として柊を連れて行くか選んでください。その二人のうちのどちらかが一緒なら私も納得します。」

「……。」

 忍人は千尋へとのばしていた手を引いて、その手で自ら顎に触れながら考え込んだ。

 布都彦にはもう千尋の身辺警護を頼むと言い置いてきた。

 宮の警備も千尋の身辺警護も両方を岩長姫に任せるというのはさすがに気が引ける。

 千尋の身辺は風早が守るからいいといわれればそれまでなのだが、軍をあずかる者としては王の身辺にくらい気を配ってから出立したい。

 では、布都彦を残すとなると残る選択肢は柊だ。

 忍人はあの口から生まれたような胡散臭い軍師が一番苦手だ。

 苦手だというよりは鬱陶しい。

 柊は昔から口数が多く、その頭脳に詰まっている情報量は賞賛に値するが、それ以上に全てを言葉で煙にまくような所がある。

 そこが鬱陶しい。

 戦場で味方と腹の探り合いをするような趣味は忍人にはないのだ。

 だが、千尋の身辺を思えば、ここは柊を選択するのが正解だった。

 何故なら、柊の軍師としての能力は非常に優れたものがある。

 それは認める。

 だが、そんな軍師が王に意見しなくてはならないような大きな問題はそうは起きないと思っていい。

 些事なら岩長姫や風早の助言で十分だろう。

 それよりは布都彦に千尋の身辺をしっかり警護しておいてほしい。

 大きな敵がいなくとも、懐に害虫が潜んでいることは少なくないのだ。

 忍人はそれらを一人で考えて額にうっすらと汗さえ浮かべて決断した。

「わかった……柊を連れて行こう。」

「有難うございますっ!柊が一緒なら安心です!」

「……柊がいないと心配だと俺は思われているのか…。」

「そうじゃなくて!忍人さんは柊が苦手だから、無理をしようとした忍人さんを柊なら止められるでしょう?」

「……。」

 そういうことかと納得して忍人は更に深い溜め息をついた。

 確かに、柊には口ではかなわないし、妙に先見の明があるから無理をしようとしても止められるかもしれない。

 もちろん、柊に止められるまでもなく、今回は千尋を悲しませるような無理はしないつもりなのだが…

「色々わがまま言ってごめんなさい。でも、柊を連れて行ってくれるなら、私、ちゃんとここで忍人さんを待ってますから。だから…。」

「わかっている、怪我一つせずに帰って見せる。だから、そんなに心配するな。」

「はい…。」

 今にも泣き出しそうな千尋を優しく抱きしめて、その額に軽く口づけて、忍人は千尋を解放した。

 次の瞬間、忍人は千尋の前に片膝をつくとその頭を深々と下げた。

「王の忠実なる将、葛城忍人、賊軍の征伐へ行って参ります。」

「…はい、気をつけて……。」

 涙をこぼすまいと必死になっている千尋を一度だけ見上げて…

 次に立ち上がった忍人はもう千尋の方を振り返ることなく、中つ国を出て行った。

 千尋にはただその背を見送ることしかできなかった。





 5日後。

 千尋は自分の部屋でそわそわとしていた。

 忍人が賊軍と呼んだ地方豪族との戦いは一瞬にして勝敗が決したと報告があったのだ。

 行軍日程を考えてももっとずっと時間がかかるはずだったのだが、なんと忍人は柊が予言して行った日数よりも二日も短い期間で全てを解決して帰って来ることになっていた。

 戦闘はあっさりしたもので、忍人が先頭にたって戦うこともなく、鍛え上げられた中つ国の兵士達はあっさり勝利をおさめたのだという。

 軍師柊の策が功を奏したという話もあったが、中つ国の兵士達の士気の高さは豪族達のかき集めた兵の比ではなかったらしい。

 忍人はもちろんのこと、下々の兵士達に至るまで大きな損害はでなかったと報告があった。

 それでも、やっぱり無事な姿を見るまでは安心できなくて…

 千尋がうろうろと部屋の中を歩き回っていると、扉の向こうで物音がした。

「陛下、葛城忍人、戻りまし……。」

 そこで忍人の言葉が途絶えたのは千尋がいきなり部屋の扉を力いっぱい開いたからだ。

 その目いっぱいに涙を浮かべた千尋はいつもと変わらぬ忍人の姿を見て凍りついた。

 頭の先から爪先まで本当に怪我一つないらしい。

 長旅の汚れ一つ見えないその姿に千尋は見惚れた。

 忍人はというと、安堵で凍り付いている千尋に溜め息をついて、その体を押すようにして千尋の部屋へと入って後ろ手に扉を閉めた。

「忍人さん…。」

「約束しただろう、怪我一つせずに戻ると。」

 そう言って忍人が表情を緩めれば、千尋は思い切り忍人に抱きついた。

 たいした敵ではないとわかってはいたけれど、忍人が強いということは誰よりもよく知っているけれど、それでもやっぱり心配だった。

 大好きな人だから心配だった。

 その想いをこめて千尋が力いっぱい忍人に抱きつけば、忍人は優しく受け止めてくれた。

「柊のおかげで俺は剣を抜くことさえさせてもらえなかった。完全勝利といっていい。」

「はい…。」

 どうやら嬉しさと安堵が重なって言葉にならないらしい千尋に苦笑して、忍人は小さな体を抱きしめた。

 落ち着くまでしばらくはこうしているのが得策らしいと気付いたから。

 そうして抱き合うこと数分。

 千尋がやっと顔を上げた。

「お帰りなさい、忍人さん。」

「ただいま、と言うべきなのか?」

「そうですね。」

 こんなふうに誰かに帰りを迎えてもらうのは久々で、忍人は少しだけ戸惑った。

 それでも嬉しそうな笑顔を見せてくれる千尋は可愛らしくて愛しくて…

 しばらく会えなくてつのった想いもあって…

 忍人はニコニコと微笑む千尋にゆっくりと顔を近づけてその唇を自分の唇で掠めた。

「お、忍人さんっ!」

「王のために手柄を立てた将への褒美と思ってくれないだろうか?」

「褒美って…ご、ご褒美ならもっとたくさんいいものあげますよっ!」

 そう言って顔を真っ赤にして千尋はうつむいた。

 自分にとっては千尋に触れられることほど貴重な褒美はないのだがと思いながらも、そんなことを口に出しては言えない忍人は小さく溜め息をついた。

 そして…

「今日は夕餉を共にしてもらえるのだろうか?」

「も、もちろんですっ!喜んでっ!」

 忍人が口にしたのはかつての約束の確認。

 それは千尋を喜ばせるために守ると風早にも宣言した大切な二人の儀式の約束だ。

 忍人は心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる千尋をそっと抱き寄せた。

 夕餉まではまだ少し間がある。

 その間だけでも自分の身を案じてくれた大切な人を安心させなくては。

 忍人はそんなことを思っていたが、その腕の中の千尋は、ただひたすら忍人のぬくもりにうっとりとしていた。

 そのぬくもりは生きている証だから。

 ただそのぬくもりだけで今は幸せになれる千尋だった。








管理人のひとりごと

忍人さんでもちょっと悲しい千尋ちゃんを書いてみたかったので一本♪
最後は幸せそうに糖度上げて終わってみました(^ー^)
忍人さんは同門組がたぶん苦手だと思う(笑)
最年少できっと子ども扱いされてきただろうし。
特に柊はゲーム中であれだけ牽制してましたし(w
ということで究極の選択で柊同伴で賊討伐♪
戦場でどんなやり取りしてたのかちょっと気になります(’’)






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