
雨の降る中を忍人は一人で歩いていた。
宮の周辺の見回りをしている間に雨が降り出して、全て終了した頃にはずいぶんな雨足になっていた。
それでも忍人がそんなことを気にするはずもなく、全身ずぶ濡れで雨に打たれたまま宮へ向かって歩き続けていた。
あとは宮へ戻って王に異変がなかったことを報告するだけだ。
だが、忍人の表情は晴れない。
それというのも宮周辺の見回りで異常がなかったことを報告するついでに愛しい人を食事に誘おうと思っていたからだ。
先日、愛しい千尋の保護者でもある風早に指摘されてようやく気づいて、千尋にもっと優しくしたいと思った忍人の精一杯の思いつきなのだが…
女性を食事に誘ったことなどない忍人は、どう言って千尋を食事に誘えばいいのかがわからない。
千尋は常に王としての職務を全うし、良き王となってくれた。
普段、官人達の前では臣下の姿勢を崩さないからきっと寂しい思いをさせているだろう。
そういう態度を千尋が嫌うことを知っているだけに忍人としては心苦しい。
心苦しくはあるが、千尋の立場を思えば臣下としての姿勢を崩すわけにはいかない。
だからこそ、たまには二人きりの時間を作って千尋に安心してもらいたいと思ってはいるのだが…
どう切り出せばいいものか、それを歩きながら考え続けて忍人の眉間には深いシワが寄っていた。
一緒に夕食をとろうとそう言えばいいのはわかっているのだが、どのタイミングでどんなふうに切り出したものか…
そんなことをつらつらと考えている間に忍人は宮へと到着してしまった。
深い溜め息をついて髪から落ちる雫を払うこともせずに、忍人はまっすぐ千尋が政務を行っているはずの部屋へ向かう。
この時間なら千尋はまだ政務を行っているはずだった。
暗い廊下を歩く間もずっと忍人の頭の中はどうやって千尋を夕食に誘うかでいっぱいだ。
雨のせいか宮の中には人も少なくて、忍人は黙々と考えながら歩き続けた。
そうして歩くと、いつもは長く感じられる千尋の部屋までの道のりもあっという間で…
すぐにたどりついてしまった千尋の部屋の扉の前で一つ深呼吸をして、考えがまとまらないまま忍人は扉を叩いた。
ここまで来てしまってはもう悩み続けている場合ではない。
今日の見回りの結果はどうしたって報告しなくてはならないのだから。
「誰?」
扉の向こうから愛らしい声が聞こえてきて、忍人は一つ溜め息をついた。
声を聞いたらなおさらなんといって誘っていいかわからなくなる。
「忍人です、本日の見回りの報告に参りました。」
「どうぞ!入って下さい!」
ぱっと明るくなった声にそう言われて、忍人はゆっくりと重い扉を開くと中へ入った。
そこには、山のような竹簡を横に積んで政務に励む千尋と、それを補佐していたらしい風早の姿が…
千尋は満面の笑みで忍人を迎え入れて、そして次の瞬間、顔を真っ青にして立ち上がると忍人の方へ駆け寄った。
「忍人さんっ!」
「陛下、本日の見回り、終了致しました。近隣にはなんの異変もなく、本日もつつがなく……。」
「そうじゃなくてっ!」
「は?」
千尋はキョトンとしている忍人から視線を外すと辺りをキョロキョロと見回した。
それに気づいた風早がどこからか布を持ってきて苦笑しながら千尋に手渡す。
「ありがと、風早。」
そう言って布を受け取った千尋はその布を忍人の頭にパサリとかけると、そのままガシガシと忍人の頭を拭き始めた。
「忍人さん、ずぶ濡れじゃないですか!もう、そんなになるまで見回りしなくてもいいですから!」
「はぁ…。」
そういわれてみれば外は雨だったとこの時、忍人は初めて自分がずぶ濡れであることに気づいた。
「忍人のことですから警備のことでも考えながら歩いて、ずぶ濡れになっていることにもかまっていなかったんでしょう。俺は何か暖かいお茶でもいれてきますね。」
「うん、お願い。」
必死にガシガシと忍人の頭を拭き続ける千尋を置いて、風早は部屋を出て行った。
二人に背を向けて部屋を出て行く風早がクスリと笑みを漏らしていたことには二人とも気づかなかった。
「陛下、もうそれくらいで…。」
「ダメっ!ちゃんと拭かないと風邪ひいちゃう…。」
忍人の抵抗もむなしく、千尋はガシガシと忍人の頭を拭き続け、ようやくこれで髪はいいかというところまで拭き終えると今度は肩や腕をぬぐい始めた。
「陛下、もう…。」
「ダメです!もう、ちゃんと拭かないと!」
いくら忍人が止めようとしても千尋は熱中してしまっているようで…
忍人は小さく溜め息をつくと、千尋の両手をつかんだ。
「千尋、それくらいでいい。」
「はい?」
急に名を呼ばれて驚いて、千尋の手が止まる。
その隙を見て、忍人は千尋の手から布を取り上げると、あとはざっと自分で雨水をぬぐった。
「陛下、本日の見回り、終了いたしました。どこも不審な者は見当たりませんでしたのでご安心を。」
「あ、はい、ご苦労様でした。」
雨をぬぐった布をたたんであらためて報告されて、千尋も慌ててペコリと忍人に一礼した。
これがいつもの日課なのだ。
何か問題が起きたりしなければこうして毎日一度は報告に来てくれる忍人の姿を見て声を聞くことはできる。
それが千尋の楽しみでもあるのだが、普段は報告が終わるとすぐに忍人は出て行ってしまう。
それが寂しくもある千尋だ。
ところが、今日は雨に濡れたせいか忍人はなかなか出て行く気配を見せなくて…
「あの…もしよければ少し休んでいきませんか?風早がお茶を持ってきてくれるはずだし。」
「……。」
千尋の問いかけに忍人は無反応だ。
ただ湿った布を握り締めてうつむいている。
「忍人さん?大丈夫ですか?どこか具合でも悪いんじゃ…。」
「あ、いや、そうじゃない…。」
「でも、なんか上の空だし…。」
「それは…。」
忍人は言い淀んでそのまま口を閉ざして、布を握り締めた。
いつもと様子の違う忍人の様子に千尋が不安を感じ始めたその時…
「千尋。」
「は、はい!」
急に名前を呼ばれて千尋の返事がうわずった。
背筋を伸ばして忍人の次の言葉を待つ千尋。
そんな千尋の様子を見て、忍人は一つ深呼吸をした。
「その…話がある。」
「…はい……。」
千尋の顔に不安の色が濃くなった。
その顔を見て忍人が溜め息をつく。
「そんなに緊張しなくてもいい。たいした話ではないんだ…。」
「でも、忍人さんが真剣だから…。」
「……。」
「あの…それで、なんですか?話って。」
「その…今日の夕飯を共にとらないか?」
「はい?」
忍人の口から紡がれた言葉は確かに千尋の耳に届いているのに、千尋には一瞬、言われていることの意味が理解できなかった。
あまりにも忍人にしては予想外な言葉が飛び出したから。
「今日、共に夕食をと誘っているんだが……嫌、だろうか?」
「……ま、まさかっ!全然大丈夫です!嬉しいです!絶対一緒に食べます!」
千尋の碧い目がキラキラと輝いてその顔が嬉しそうにほころんで…
やっと忍人は安堵の溜め息をついた。
「デートの定番ですもんね!嬉しいです!」
「でーと?」
「ああ、いえ……。」
千尋がデートについて説明しようとしたその時、扉が開いて手に茶器を持った風早が入ってきた。
「忍人、寒くありませんか?」
「いや、大丈夫だ…。」
二人だけの時間を邪魔された気がして忍人の顔が不機嫌そうになるのを見て、風早が苦笑しながら千尋に茶器を手渡した。
「風早?」
「俺は自分の仕事でも片付けてきます。千尋は忍人にお茶飲ませてやってください。まだ政務が残ってますから少ししたら戻ります。どうやら邪魔をされて忍人がへそを曲げたようなので俺はいったん退散です。」
『風早っ!』
顔を赤くした二人に同時に名前を呼ばれて、風早は「あはは」と楽しそうに笑った。
「それじゃ、俺はいったん退散します。あ、あと、夕飯の時間になったら俺が千尋を忍人の部屋まで送りますから、迎えにこなくてもいいですから。」
「……。」
「風早っ!聞いてたのね!」
「あはは。」
あきれる忍人と顔を赤くして怒る千尋に背を向けて、楽しそうな笑い声を残した風早は扉の向こうへと姿を消した。
「もぅ、風早ったら。ごめんなさい、忍人さん。あれでも風早はたぶん気を使ってくれたんだと思いますから…。」
「わかっている…。」
「あ、お茶いれますから、温まってから帰ってくださいね。」
千尋はそう言ってニコリと微笑むと風早から預かった茶器で器用にお茶を入れ始めた。
一国の王にしてはあまりにも手際よくお茶を入れる千尋を眺めて、忍人はその顔にうっすらと笑みを浮かべる。
そして、夕飯はどんな献立で千尋をもてなすべきかと考え始めた。
千尋が喜ぶ食事など思いもつかない。
千尋がお茶をいれる間に今度は献立のことで悩み始めた忍人は、千尋とお茶を一杯飲む間に千尋の食べ物の好みをどうやって聞き出せばいいものかとそればかりを考えるのだった。
管理人のひとりごと
忍人さんの性格からして、デートに誘うのも一苦労なんだろうなぁと。
今までそんなことまったくしたことなさそうだからなぁ(’’)
柊は得意そうだけど(w
忍人さんはまったく逆って感じですからねぇ。
で、夕飯に誘ったら誘ったで今度は献立で悩むんですよ(笑)
千尋ちゃんも恋愛上手ってことはありえないし、忍人さんもこれなのでここは進展がないのなんのって…(マテ
またもや風早父さんが邪魔してますが管理人の趣味です、お付き合い下さい(’’)
二人を冷やかす風早父さんとか好きなんです…
でもね、最終的にはちゃんと忍人さんと千尋ちゃんは二人の時間を楽しみますから大丈夫ですよ!←何が
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