
忍人は一輪の花を手に、眉間にシワを寄せていた。
というのも、橿原宮周辺の見回りをしていた際に美しい花を見つけて思わず千尋の顔を思い浮かべて手折ってしまったからだ。
千尋の髪に挿したら似合うだろうとか、部屋に飾ってくれればいいとか、ただこの花を見たら千尋はきっと美しく微笑むだろうとか…
そんなことをつらつらと考えてしまってはいるのだが、ではどうやって渡せばいいのかが忍人にはわからない。
一臣下である自分が王に花を贈るなどとてもできることではない。
もちろん、それが互いに想いを通わせた間柄であったとしてもだ。
公式に婚約者なり夫になったわけではない。
そんな自分が主たる王に贈り物などしていいはずがないのだ。
口さがない周囲の人間達がそれをネタにどんなふうに王を批判するかわかったものではない。
では、この手折ってしまった花はどうしたらいいかというと、それがわからず…
捨ててしまうのも哀れな気がして、忍人は手にした白い花を見つめながら眉間にシワを寄せている、というわけだ。
そうすることどれくらいの時が経ったか。
「忍人?そんなところで何をしてるんです?」
宮の入り口で悩み続ける忍人を見つけて声をかけてきたのは兄弟子の風早だった。
歩み寄った風早は忍人が手にしている物を見て目を丸くした。
無敗の将軍葛城忍人と花。
これほどつりあわないものもない。
「どうしたんですか?それ。」
「……これは…。」
まさか、王に贈りたくて手折ってきたとは言えず、忍人は黙り込んでしまった。
黙りこんだまま凍りつく忍人を前に風早はふっとやわらかく微笑む。
忍人がどうして花など手にしているのか、その理由に思い当たったから。
「千尋のために手折ってきてくれたのなら、しおれないうちに届けてあげた方がいいと思いますよ。」
「そ、そんなことは…。」
「でも、千尋のためにと思ったのでしょう?」
「……。」
そういわれてしまえばその通りで、忍人には否定することもできない。
それでも、やはり自分の主に花を贈ることには抵抗があって…
「忍人の人となりは知っているつもりです。千尋が王である以上、臣下としての礼儀を失してはいけないと考えているのはよくわかるんですが…。」
「…必要以上に俺が王と親しくしては周囲に示しがつかん。それでなくてもあの戦いを共に戦った従者達は王に対してなれなれしいと不平を口にする者は少なくないのだ。」
「まぁ、そう批判される筆頭は俺なんでしょうね。」
そう言って風早が苦笑すると、忍人は深い溜め息をついた。
そうなのだ。
この中つ国に平和を取り戻すための激しい戦いを戦いぬいた一同は、結束力が違う。
だから、最近になって王に仕えるようになった者達から見れば、まるで王が贔屓しているように見えるらしい。
特に、風早は保護者のように千尋にべったりとついて歩いているし、那岐も千尋を名前で呼び捨てにする。
この二人は王をたぶらかすかもしれない不埒なやから筆頭と言われている。
それだけじゃない。
もとは裏切り者の柊や、土蜘蛛である遠夜も評判は決してよくないし、アシュヴィンは常世の住人、サザキは海賊とこの二人にいたっては評判云々以前の問題だ。
不平の的になっていないのは布都彦と忍人くらいのもので、ここで忍人が王の恋人の如く振る舞っていると噂がたてば、千尋の周りにまともな臣下は布都彦一人となってしまう。
忍人はそれが心配だった。
「忍人の心配はわからないでもないんですが…俺としてはもっと違う方を心配してほしいんですよ。」
「は?なんのことだ?」
「千尋のことをもう少し心配してください。」
「だから、俺は王の風評を案じて…。」
「そうではなくて、千尋の気持ちを心配してほしいんですよ。」
「気持ち?」
「ええ。千尋はああ見えてけっこう繊細なんです。今は王としての勤めを必死にこなしてますし、気丈に振る舞ってますが、たぶん忍人に他人行儀に振る舞われるたびに傷ついてます。」
「そんなことは…。」
「お育てした俺が言うんです、間違いないですよ。強がってますけど千尋は絶対寂しく思ってます。だから、風評よりももっと千尋の気持ちを考えて、千尋に優しくしてあげてください。」
「しかしそれでは…。」
忍人もできることなら千尋の側で千尋を守りたいと思ってはいる。
だが、それをやってしまっては最終的に千尋のためにならないとわかっているのだ。
だからこうして花一輪贈ることにも躊躇しているというのに…
「忍人、たとえそれが原因で妙な噂をたてられたり、自分の評価が下がったりするとしても千尋はやっぱり忍人に優しくしてもらった方が嬉しいと思いますよ。」
「それは…。」
「悪い風評なんて自分でいくらでも払拭してみせる、千尋ならそう言います。それに、そんな風評のせいでどうこうなるほど我々の千尋への忠誠は半端なものではありませんしね。」
「風早…。」
「まぁ、忍人が恥ずかしくて女性に花を贈ることなどとうていできはしないというのなら話は別ですが…。」
「そ、そんなことはないっ!」
急に話の方向を変えられて忍人は思わずそう叫ぶと、自然と歩き出していた。
向かうは千尋の部屋だ。
女性に花を贈るくらいのこと、できないわけがない。
まるでこれから女性の部屋に向かうとは思えないような勇ましい足取りで歩み去る忍人の背を風早は暖かい微笑で見送った。
忍人は風早に見送られて勇んで千尋の部屋の前までやってきて、そこで10分以上逡巡していた。
手には一輪の白い花。
千尋の気持ちの方をこそ心配してもらいたい。
そう風早に言われてここまで来てはみたものの、いざ王の私室を訪ねるとなるとやはり忍人にはためらわれた。
しかももう夕暮れ時だ。
もちろん、そんな時刻でなければ王には自由になる時間がないのだからしかたがないのだが…
それでもやはりためらわれて、忍人は手にした花を物凄い形相で睨みつけながら考え込んでいた。
だいたい、王の私室を訪ねるとして、いったいなんといって訪ねればよいのか?
忍人が扉の前で黙々と考え込んでいると、いきなり目の前の扉が開いた。
「忍人、さん?」
「……。」
いきなり目の前に現れた千尋の愛らしい驚き顔に、忍人は目を丸くして何も言えない。
ただその場に忍人が凍り付いていると、こちらも驚いていた千尋の目が忍人の手にしている花にとまった。
「うわぁ、きれい!」
キラキラと光る瞳で千尋は忍人の手にある花にぐっと顔を近づけた。
すると慌てて忍人が一歩後ろへと身を引いて、千尋と花との距離は縮まらない。
小首を傾げて千尋が忍人を見つめると、忍人はコホンと一つ軽く咳払いをした。
「あ、ごめんなさい。忍人さん、何か私に用があるんですよね?」
「いや…。」
「ごめんなさい、もしかして通りかかっただけ、でした?」
「いや…陛下こそ何か用があって出てこられたのでは?」
「…私はそうじゃなくて…。」
今度は問われた千尋の表情が曇った。
今までキラキラしていた千尋の瞳が急に翳って、忍人は慌てた。
「用がおありなら私は…。」
「違うんです、用があって出てきたわけじゃなくて………忍人さんに会いたいなと思って…会えないっていうのはわかってるんですけど、でも黙っていられなくて…少し散歩でもしようかなって……ごめんなさい。」
小さな声でそんな告白をされてぺこりと頭を下げられて…
一瞬大きく目を見開いた忍人はすぐに深い溜め息をつくと、一歩千尋に近づいて手にしていた花を差し出した。
「はい?」
「これは君に。」
「え?」
「今日、見回りをしている間に見つけた。君に贈りたくて手折ってきた。受け取ってもらえないだろうか?」
「君?じゃなくて…よ、喜んでっ!有難うございますっ!」
思わぬ忍人の言葉に嬉しそうに声をあげると、千尋は両手で大切そうに花を受け取った。
「それと、君は謝るようなことはしていないだろう、俺に謝る必要はない。」
「あ、えっと…でも、また一人で散歩に行こうとしてたし…。」
「そうだな、一人というのはよくない。だから、散歩にいきたくなったら俺を呼べばいい。」
「はい?」
「だから、俺を呼べばいいと言っている。」
千尋は大きく目を見開いて忍人をまじまじと見つめた。
忍人の顔は至って真剣だ。
いや、真剣すぎるくらいで少し恐い。
「あ、はい、でも……。」
「ん?」
「忍人さんは迷惑じゃないですか?私にそんな、気紛れに散歩に行きたいからって呼び出されたりして…。」
「迷惑だなどということはない。そもそも俺は君の臣下で武官だ、君の警護は仕事のうちでもある。」
「まぁ、そう、ですよね…。」
「それに…俺も君と共にいる時間を得られるのは嬉しい…。」
「はい?」
眉間によるシワを深くしながらも忍人が語ってくれる今日の言葉はどうもいつもとは違っていて…
千尋は目をまん丸にして硬直してしまった。
今日の忍人はなんだかとってもおかしい。
しかも、千尋にとっては嬉しいおかしさだ。
更に気づけば、いつもなら用が済むとすぐにいなくなってしまう忍人が、今日はまだ立ち去ろうとしない。
顔は難しそうにしているけれど今日の忍人はいつもより優しいかも、と思って千尋は一つうなずくと思い切って口を開いた。
「あの、もしよかったら中へどうぞ…その…私は散歩がしたかったっていうか…忍人さんに会いたかっただけなので…。」
「お邪魔しよう。俺も少し話したいことがある。」
「あ、はい。」
珍しくすんなり千尋の私室に入って、忍人は後ろ手に扉を閉めた。
初めて足を踏み入れる千尋の部屋は広々としていて綺麗に片付いている。
ごちゃごちゃとしたものが置かれていないのはとても千尋らしくて、忍人はその顔にやっと微笑を浮かべた。
「えっと、風早にお茶でも持ってきてもらいましょうか?」
「いや、喉は渇いていない。それよりも…。」
「あ、そうか、忍人さん、私に話があったんでしたね。」
「俺が君に対して臣下の礼を尽くすのは君のためだと思ったからなのだが。」
「はい?」
千尋は急に展開された忍人の話についていけずにキョトンとしてしまう。
すると忍人は少し考えて真剣な顔で再び口を開いた。
「さっき、風早に言われたのだ。俺が君に臣下の礼を尽くすたびに君は悲しんでいるのだと。」
「か、悲しくはないです、けど…その…ちょっと寂しいというか…。」
「やはりそうなのか…。」
「で、でも大丈夫ですから!忍人さんが私の立場が悪くなったりしないようにって気を使ってくれてるのはわかってますから…。」
そう言って微笑んでみせる千尋の顔はどこか寂しげではかなくて…
忍人は小さく溜め息をついた。
「すまない。」
「あああ、謝らないで下さい!」
「これからは気をつける。」
「はい?」
「風早に言われた、君への風評ではなく君の気持ちを思いやれと。」
「そ、それは…。」
「風早の言う通りかもしれない。悪い噂をたてる者があれば、その者からも俺が君を守ればいいだけのことだ。」
「忍人さん…。」
「そんなことより、何よりも俺は君の心を守るべきだった。」
そう言って忍人はそっと千尋の体を抱き寄せた。
「あ、あの…。」
「嫌、だったか?」
「まさかっ!ちょっと驚いただけです…忍人さん、こういうふうには一生してくれなさそうだったから…。」
腕の中でそうつぶやいてうつむく千尋に忍人は深い溜め息をついた。
「君は俺をいったいなんだと思ってるんだ…。」
「だ、だって…」
「これでも俺は君を慕う一人の男だ。」
そう言って忍人は千尋を抱く腕に力を込める。
始めは驚いた千尋も忍人の背に腕を回してしっかりと忍人に抱きついた。
「俺もただの男だ。普通に愛しい人に会いたいと思っている。」
「忍人さん?」
「これからは時折こうして君のもとを訪れてもいいだろうか?」
「も、もちろんです!もう毎日でもどうぞっ!」
顔を上げて千尋が力いっぱいそういえば、やっと忍人の顔にはやわらかな微笑が浮かんで…
まぶしいほどの笑顔に千尋は息を呑んで見惚れた。
「有難う。」
千尋は忍人の優しい声に顔を真っ赤にして、そのままぽすっと忍人の胸に顔をうずめた。
これ以上はとても恥ずかしくて視線を上げてはいられなかったから。
忍人はそんな千尋を愛しそうにぎゅっと抱きしめる。
窓の外はもうすっかり陽が落ちて、もすうぐ夜の帳がおりそうだ。
忍人はそんな窓の外をちらりと見やって、すっかり空が暗くなるその時まではこうしていよう。
千尋をしっかりと抱きしめながらそう決めていた。
管理人のひとりごと
一気に甘くなった忍人さんでした!
うん!管理人頑張った!(マテ
最初、風早パパがでしゃばってますが、その辺は管理人の趣味です(’’)
忍人さんはとても礼儀や分別にうるさい人ですが、それが何故かといえばやっぱり千尋ちゃんのためなんだろうなと思うわけです。
でも、それがもし千尋ちゃんのためにならないのなら、ちゃんと改める。
忍人さんはそういう人だと思います。
で、気づかせるのは風早パパなわけです(’’)
ああ見えて一応年上で兄弟子で麒麟ですから(’’)(マテ
柊はそういう気を回しそうじゃないしね、風早じゃなかったら岩長姫かなぁと思います。
那岐は面倒だから絶対そんなことしないし(爆)
ここからは今までより糖度の高い忍人さんを書けたらなぁと思っております(’’)
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