涼と言えば
「本当に、その…するんですか?」

 千尋は大きな布を一枚抱きしめながら赤い顔で正面に立つ人―忍人の顔を見上げた。

「毎日暑い暑いと言っているのは君だろう。」

 言われて千尋が見上げたその顔は真剣そのもの。

 腕を組んで立つその姿は不敗将軍のそれに違いない。

「それはそう、なんです、けど……。」

「この時期、涼をとるならこの方法が一番だと思うが?」

「それもそう、なんですけど……。」

 何が問題だ?と言わんばかりの忍人の顔を見て、千尋は小さく溜め息をついた。

 確かに暑いと毎日連呼していたのは自分だ。

 それもあまり頻繁にはとれない忍人との逢瀬の時間にまで連呼していたのは確かに自分だ。

 だから、忍人としては愛しい千尋のために考えた結果、この行動に及んだということも千尋には良くわかっている。

 わかっていても、はいそうですかと言えないこともあるのだ。

 特に乙女には。

「わかっているのならさっさと行って涼んでくるといい。」

「忍人さんは…。」

「もちろん、辺りの見回りをしている。」

 そう言って忍人は腰の剣をパンと軽く一つたたいて見せた。

 これで安心だろうと言わんばかりだ。

 千尋は再び小さく溜め息をついた。

 事の始まりは、当然、千尋が暑い暑いと毎日つぶやき続けたことなのだが…

 だからといって今の状況は千尋の予想外だった。

 暑い暑いと口に出していれば少しは気が晴れるのでなんとなく口に出してしまっていただけ。

 ところが目の前に仁王立ちしている恋人は、その言葉を真に受けてしまっていて…

 どうしても、今日は泉で水浴びをしろと言ってきかないのだ。

 千尋の立場が立場だから、一人で水浴びなんてことはもちろんできない。

 千尋が盛大に警護をつけてまで泉に水浴びに出かけるなどという選択をする人間じゃないことは忍人が一番よく知っている。

 だから、忍人は自分から千尋を泉の水浴びに誘ったのだ。

 警護なら、自分が一人で立派にやり遂げて見せる。

 だから安心して涼むといい。

 千尋に忍人はそう言い放った。

 そして、有無を言わさず千尋をここまで連行してきたのだ。

 千尋にしてみれば、忍人の気遣いはとても嬉しい。

 泉で水浴びをすれば汗も流せるし涼しくもなって一石二鳥だ。

 けれど、忍人に警護してもらうという辺りがどうしても引っかかってしまった。

 近くで警護してもらうのが一番安心だけれど、そうすると水浴びする姿を見られるような気がする。

 見ないでくださいと言えば見ないでいてくれることは間違いないけれど、

 でも、それはそれでなんだか忍人を拒絶しているみたいになってしまって嫌だ。

 それじゃあ離れて警護していればいいかというと、それはそれで心細い。

 千尋はどうしてもらうのが一番いいんだろうと、体をふくための布を抱きしめたまま考え込んでしまった。

「何を心配しているのか知らないが、俺は覗いたりはしないぞ。」

「そ、そんなこと心配してません!」

「もちろん、他の何者にも覗かせない。」

「そんな心配もしてません!忍人さんが警護してくれるんですから。」

「では、何が気に入らない?」

「き、気に入らないんじゃなくてですね……。」

 千尋が何を考えているかがわからなくて、忍人の眉間にシワが寄った。

 それを見て、千尋は覚悟を決めた。

 このまま悩んでいたらきっと忍人が怒るか呆れるかして気まずくなってしまう。

「あの、忍人さん。」

「ん?」

「その…私から見えるところで警護しててもらえませんか?」

「そのつもりだが?」

「へ…。」

「万が一にも君に何か起こった時に駆け付けられないようでは警護している意味がないだろう。」

「でもさっき、辺りを見回るって…。」

「泉を一周するつもりだっただけだ。君から離れてどうする。」

「そ、そう、ですね……。」

「覗かないから安心しろと言っているだろう。俺は目を閉じていても敵の気配は感じ取れる。」

「べ、別にそんなに心配してません!」

 千尋は顔を真っ赤にしながらスタスタと泉の方へ歩みを進めた。

 そう大きくもない泉の水はそれでもとても透き通っていて、見ているだけで涼しくなるほどだ。

 忍人が見回りのために動き出した気配を背に感じながら、千尋はそっと衣を脱ぐと、ゆっくり泉の中へと足を踏み入れた。

「冷たい。」

 座っても肩までしかない浅いところで腰を下ろして、ほっと一息つけば今までの暑さが嘘のようだ。

 上を見上げると青空が広がっていてとても気持ちがいい。

 聞こえてくるのは囀る鳥の声と忍人の足音だけだ。

 その忍人はというと、約束通り千尋の方へはちらりとも振り返ることなく、ゆっくりと泉の周りを一周して辺りを警戒していた。

 千尋は無意識のうちにその姿を目で追って、そしてくすっと笑みを漏らした。

 これじゃあ覗いているのは自分の方だ。

 そんなことを考えて楽しくなって、体が茹で上がるんじゃないかというくらいの暑さから逃れて…

 何とも言えない心地良さと安心感とで思わず千尋がこくりこくりと居眠りを始めた刹那、呆れた様な声が千尋の背後から響いた。

「その状態で眠っているんじゃないだろうな?」

「うわっ、忍人さん?」

「君は……まったく、警戒心があるのかないのか…。」

「す、すみません、あんまり気持ち良くて、その…忍人さんが側にいると思ったら安心してつい……。」

「安心して、か。」

「はい?」

 より呆れた様な声を出されて、千尋は思わず背後の声の主を振り返った。

 振り向いた千尋の目に映ったのは忍人の後ろ姿だった。

 約束通り千尋の方を見ないように気を配ってくれているらしい。

 そんな律儀な人に千尋が笑みを浮かべていると、その律義な恋人が深いため息をついた。

「一応、俺は男なんだが。」

「それはそうです。私が知る中で一番強い男の人ですから、誰が襲ってきても安心です。」

「そういう意味じゃない。」

「違う意味でも安心です。忍人さんは覗かないって言ったら覗かない人です。」

 自信満々といった様子の千尋の声に忍人は思わず苦笑した。

 確かに覗かないと宣言した以上、そんなことをする気は毛頭ない。

 ただし、覗く、以外のことをしないとは言っていないということに彼女は気付いていないらしい。

「あ、私、出ますから、次は忍人さんがどうぞ。」

「は?」

 振り返りそうになって慌てて踏みとどまって、忍人はまたため息をつく羽目になった。

 まったく、この恋人はいきなり突拍子もないことを言いだすものだ。

「だって、忍人さんだって暑いのは変わらないですし、いつも警護してもらうだけなんて申し訳ないというかもったいないというか…。」

 ぶつぶつとつぶやくようにそう言いながらがさごそと音を立てて着替えを終えた千尋は、ぱたぱたと忍人の前へ駆け寄ってきたかと思うと「どうぞ」とにっこり笑顔で忍人に泉を勧めたものだ。

 その笑顔が幸せそうで愛らしくて、あきれ果てそうになった忍人の顔には自然と笑みが浮かんでいた。

「忍人さん?」

「君は涼めたのか?」

「はい!とっても!なので、次は忍人さん、どうぞ。」

「いや、俺はいい。」

「でも…。」

 せっかくだからともう一度勧めようとした千尋の視界はあっという間に真っ暗になった。

 自分の状況を把握した千尋の顔が一瞬で真っ赤に染まっていく。

「俺はこれで十分だ。」

 泉に入らなくても泉で冷えた千尋を抱きしめればそれで十分。

 忍人がそう言っているのだと気付いて、千尋は首まで赤くなった。

「こ、これじゃあ、私、もう一回入ってこないと暑くなっちゃいます…。」

「なら、後でもう一度入ってくればいい。俺が見張っている。ただし、それ以上の時間はないからな。」

「はい?」

 ないから?と疑問を目で伝えて、千尋が小首を傾げて見せれば、幸せそうに微笑む忍人がそっとその唇に口づけた。

 当然、千尋はわたわたと慌てふためいた上に、顔はさっきよりもずいぶんと赤くなってしまって…

「さあ、もう一度涼んで、それから戻ればいい。」

「はい!」

 艶のある忍人の声に送り出されて、千尋は再び泉へと足を踏み入れた。

 今度は時間がないから、服を脱がずに足だけ。

 そうしながらそっと背後を振り返ってみれば、律儀な恋人はやっぱり背を向けていて…

 その首の辺りがほんのり薄紅になっていることに気付いて、千尋はなんともいえない幸せな気持ちで冷たい泉の水を足でかき回した。








管理人のひとりごと

忍人さんで涼といえば水浴びでしょう(’’)
さすがに今回は武器を身近に置いておけとか言いませんよ。
千尋の剣は俺だ!くらいの気持ちで側にいますよ。
そして絶対覗きませんよ!
襲いたい気持ちはあるけどやりませんよ!
どこぞの殿下とは違うから(’’)
生真面目で、しっかり者で、ちょっと口うるさくて、でもやることはやる(゚Д゚|||)それが忍人さん!
…違うかもしれない(’’;










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