
風早が目を覚ましたのは風の音がひどく耳についたからだった。
いつもフワフワと人当たりのいい風早だが、これでもいっぱしの武人だ。
研ぎ澄まされた感覚はいつもと違う音をすぐに感じて、眠りの底から風早の意識を引き剥がした。
半身を起こして辺りを見回しても特に変わった様子は無い。
ただ、閉じられた窓がガタガタと風で音をたてていた。
「嵐、か。」
暗闇の中で一人そうつぶやいて風早はくしゃりと自分の髪をかき回した。
嵐だからといって王族が住まうこの宮はそう簡単に倒れたりはしない。
この宮の住人は皆それを心得ているから、扉の向こうもいたって静かだった。
けれど、風早にはどうしても気になることがあった。
自分が守り育てている小さな姫はこの嵐の音で目覚めてはいないだろうか?ということだ。
もし目覚めていたらきっとこの大きな音に恐怖を感じているだろう。
もしかしたら泣いているかもしれない。
そこまで考えて、風早は寝台から飛び降りるとすぐに上着を一枚はおっただけで自分の部屋を飛び出した。
自分の足音がやけに廊下に響くのを聞きながら、風早はこれ以上はないほどの速度で走って千尋の部屋へとたどり着いた。
ノックはせずにそっと扉を開いて中を覗く。
もし眠っていたらノックで起こしてしまうのはかわいそうだと思ったからだ。
薄く開いた扉の隙間から中を覗けば、寝台に千尋の姿は無かった。
風早は慌てて扉を開けると中へとその体を滑り込ませる。
なるべく音をたてないようにしたのは千尋を驚かせないため。
もし、目が覚めて嵐が恐くて寝台を抜け出したのなら、この部屋の中のどこかに必ずいる。
風と雨が激しく窓をたたくせいで部屋の中には常に音が響いている。
風早は千尋の気配を探りながら部屋の隅の方へと足を進めた。
すると……
「姫。」
寝台の向こうの部屋の隅に、小さな千尋はその体を更に小さくして震えていた。
風早の声を聞いてハッと振り返った千尋の目には涙が浮かんでいる。
「もう大丈夫ですよ。」
わざと明るい声でそう言って、風早は千尋を抱き上げた。
すると千尋は何も言わずに風早の首に抱きついてきた。
よほど恐ろしかったのだろう、全身が小刻みに震えている。
風早は大切な千尋の体を優しく抱きしめて、その金の髪をなでた。
「もう大丈夫です。ずっと俺が側にいますから、ね。」
「風早……。」
「朝までずっとこうしています。だから、安心してください。」
風早が優しく問いかければ千尋は可愛らしくこくりとうなずいてくれた。
やっと体の震えがおさまって、風早がほっとしたその時……
ガタンッ
大きな音がして風早は目を開けた。
辺りを見回してもおかしなところはない。
ただ、窓がガタガタと大きな音をたてていた。
「夢……。」
上半身を起こして軽く頭を振って、風早は何が起こっているのかを必死に考えた。
嵐がきて、風が吹いて、窓が鳴っている。
ここは豊葦原で……
そうだ、千尋の様子を確かめなくては。
反射的にそう思いついて寝台から降りると、上着を羽織った。
そして、そこではたと気がついた。
今の千尋はそう、嵐に怯えて震えるような、そんな年ではない。
あの頃のようにただ背を丸めて泣いているはずがないのだ。
もう千尋はこの立派な大人で、大きな戦いに勝ち、神の意思さえ変えて見せた。
だから、嵐の夜に一人で恐がって泣いているなんてありえない。
そうわかっていても風早の足は自然と部屋の外へ向いていた。
たとえばそうだったとしても、一目安らかに眠る千尋の姿を見なくては落ち着かない。
もし、万が一、嵐を恐がって眠れずにいたら、その眠りを守るのは自分しかいないはずだ。
風早はいつかの夜のように千尋の部屋の前までやってくるとそっと扉を押してみた。
すると、薄く開いた扉の間から光が漏れてきた。
どうやら千尋は起きているようで、部屋の中にたった一つある灯りが千尋の姿を浮き上がらせていた。
千尋は灯りを一つともしただけで寝台の上にちょこんと座っている。
何をするわけでもなく、ただボーっと座っているだけだ。
これはやはり嵐を恐がっていたのかもしれない。
そう思って風早はゆっくりと扉を開くと、音をたてないように静かに中へと入った。
もちろん、千尋がそれに気付かないわけがなくて、はっと綺麗な碧の瞳が風早の姿を捉えた。
「風早?」
「こんな時間にすみません。」
「ううん、嵐が凄いから心配して様子を見に来てくれたんでしょう?」
「まぁ、そんなところです。」
「もう子供じゃないんだから大丈夫なのに。」
「そうは思ったんですが…。」
苦笑しながら頭をかく風早に千尋はクスッと微笑んだ。
もう子供じゃないとわかっていてもなお心配してもらえたのはなんだか少し嬉しい。
「でもね、窓が鳴って目が覚めちゃって…。」
「眠れないんですか?」
心配そうに歩み寄った風早に千尋は首を横に振って見せた。
「眠れないんじゃなくて、ちょっと思い出してたの。昔、風早がこんな夜、恐くて恐くてしかたがなかった私のために駆けつけてくれたことがあったなぁって。」
「それは…俺も夢に見てました、さっき。」
二人は視線を交わして微笑んだ。
こんなに激しい嵐の夜でも思い起こすのは同じ思い出。
そんな小さなことでも今は心が温かくなった。
「千尋は大丈夫みたいですから、俺は戻りますね。」
「もう?」
「側にいないと恐いですか?」
「まさか…でもせっかく来てくれたんだし、もう少し……。」
「でも、こんな時間ですし。」
そう言って風早は苦笑した。
今は真夜中、しかも嵐がひどくて物音も遮断されているような有様だ。
こんな時に千尋の部屋に男がいたことが知れれば明日は大騒ぎになってしまうだろう。
そうとわかっているから、そうなれば千尋の立場が悪くなるということもわかっているから風早はどうしてもここにはいられない。
「じゃぁ、恐い。」
「はい?」
「嵐が恐いからもうちょっとだけここにいて?」
「千尋…。」
「朝までなんて言わないから、もうちょっとだけ……嵐が少しおさまるまで…どうしてもダメ?」
悲しそうな顔でそんなふうに言われては風早に抗うことなんてできるはずがない。
誰かが起きだす前にこの部屋を立ち去らなくてはならないことはわかっているが、それでも千尋が嘘までついて引きとめようとしてくれているのにこの場を去るなんてとてもできない。
風早は小さく溜め息をつくと、千尋の隣に腰を下ろした。
「嵐がおさまったらすぐに戻ります。おさまらなくても皆が起きだす前には戻りますよ?」
「うん、有難う。」
嬉しそうに微笑んだ千尋は小さな灯りに照らされてとても愛らしくて、風早は思わず見惚れてしまった。
いつだって、初めて会った時だって可愛らしく、神々しい美しさを持っていた千尋だけれど、こうして大人になるとまた一段と美しくて…
風早は再び深い溜め息をついて苦笑した。
「風早?」
「参りました。」
「何が?」
「いえ、千尋があんまり綺麗になったので。」
「な、何言ってるの急に……。」
顔を赤くする千尋の腕を風早が軽く引くと、あっさり千尋は風早の胸に倒れこんできた。
それを優しく抱きとめて、風早は千尋の耳元に唇を寄せる。
「あまり綺麗になったので、このまま静かに千尋の側で眠りを守るのは難しくなりました。」
「え?」
予想外のことを言われて千尋が聞き返そうとしたその時、風早の唇がその言葉を飲み込んだ。
一瞬の口づけの後、風早に優しく頭を抱きかかえられて千尋は真っ赤になりながらもその胸に顔をうずめた。
「こんな状況でそんなことするのずるい……。」
「これくらいは許してください。これ以上は我慢してるんですから。」
「それもずるいよ…。」
「あはは。」
首まで赤くなりながら一大決心で発した千尋の一言を、風早は楽しそうに笑って流してしまった。
だから、千尋はちょっとだけ上目遣いに睨みつけて自分がどんな思いかわからせてやろうとしたけれど、でも風早はやっぱり優しく微笑んだままで……
参ったって言いたいのはこっちの方だよ。
千尋は再び風早の胸に顔をうずめながら、心の中でそうつぶやいた。
管理人のひとりごと
豊葦原の王族の私室の警備はどうなってるんだ!とか思ったら負けです!(マテ
そもそも風早父さんが護衛してるはずだからね!
野獣を側に置いてるようなもんだからね!(コラ
でもまぁ、父さん、なんか笑ってごまかしてますがね(’’)
千尋ちゃんが小さくても大きくても眠りを守るのは父さんのお役目!
ただ、大きい千尋ちゃんが相手の場合、それはとっても大変な仕事になっているようです(’’)
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