
「千尋、今日は…。」
「まず、竹簡に目を通して、それからお昼ご飯、午後は謁見だって。さっき柊が急に謁見が入ったって。」
「そうでしたか…。」
「なに?どうしたの?風早。」
「いえ、なんでもありません。」
風早はいつものように朝一番に千尋の部屋にやってきて、千尋の髪型を整え、その髪に花を挿して微笑んだ。
いつもは千尋の予定など風早の方が詳しいくらいなのだけれど、今日ばかりは急ぎの謁見だといって風早が来る前に柊が駆け込んできた。
どうやら王である姉の都合がどうしてもつかず、そこに急ぎの謁見が入ったらしかった。
王の代理となるとやはり千尋が一番の適任で、仕事が回ってきたというわけだ。
いつだって姉の力になりたい千尋が断るわけもなく、今日一日の千尋のスケジュールはこれでいっぱいいっぱいになったということだった。
こんなに忙しくてはと風早が千尋の身を心配するのはいつものことだが、この日ばかりは風早の顔に寂しげな苦笑が浮かんでいた。
その様子に気付いて、千尋は風早の正面に回ると、長身の恋人の顔を見上げた。
「どうかした?今日の風早、何か変だよ?」
「いえ、本当になんでもありません。」
「本当に本当?」
「はい。」
本当に体の調子が悪いとか、機嫌が悪いとかいうことではないのだ。
ただ、少しだけ、今日は千尋と出かけたい場所があった。
そこには行けなくなったというだけのこと。
風早は千尋の心配をかけまいと、その顔にいつもの優しげな笑みを浮かべた。
「ならいいけど。何かあるならちゃんと話してね?」
「はい、わかりました。」
心配してくれる千尋に笑顔を見せて、風早は竹簡に手をつけた。
今日一日はしかたがない。
風早は予定していた千尋との外出をあきらめて、千尋と共に竹簡との格闘を開始した。
「風早。」
呼びかけられたのはもう夜。
一日中詰まっていた仕事を千尋が終えて、二人でゆっくり夕食をとった後のことだった。
窓の外はもうすっかり暗くなっていて、部屋の中も小さな明かりで照らされているだけだ。
今すぐ眠りにつくというほどの夜更けではないけれど、これから何かを始めるという時間でもない。
つまりは、食後の一時をゆっくりくつろいで過ごそうというような時間。
風早は千尋にお茶をいれて、今日一日忙しかった愚痴でも聞こうかと、千尋の向かい側に座ったところだった。
「はい?」
「もしかして、風早は今日、何かしたいことがあったの?」
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
「朝、いつもと様子が違ったし、それになんだか今日一日、少しつまらなそうだったから。」
心配そうに覗き込まれて風早は苦笑した。
いつも千尋の様子に気を配って、千尋が少しでも楽になるようにと心を砕いているつもりだったのに、どうやら今日は千尋の方が風早のことをよく見ていたらしい。
今日は一日良く晴れて、外はとても気持ち良さそうだった。
風早が予定していた外出にはもってこいの日和だったのだ。
そのことがどうしても少し惜しい気がしてしまって、無意識のうちにそれが顔に出てしまっていたらしい。
「心配させてしまってすみません。」
「ううん、そんなことはいいの。私の方こそごめんね。風早にもやりたいことがあるのに仕事手伝ってもらっちゃって…。」
「あ、いえ、別に俺一人でやりたいことというわけではないので。」
自分一人でやりたいことなど風早には多くない。
千尋のそばを離れるのは風早にとって苦痛以外の何物でもないからだ。
「一人でじゃないとしたら誰かと一緒にやりたいことがあったの?」
「千尋とですよ。」
やっぱり風早は苦笑した。
どうやら千尋は風早が柊や忍人辺りと出かけたいのかとでも思っていたらしい。
自分が千尋以外の誰を指名するというのだろう。
胸の中でそう思うと苦笑しか出てこなかった。
「私と?何をしたかったの?」
「デートに誘おうかなと思っていただけです。」
「そんなの!明日だって明後日だって、いつだって仕事のない時なら…。」
「いえ、今日が一番見頃かなと思っていたので…。」
「見頃?」
千尋が愛らしく小首を傾げた。
風早とデートなら場所がどこでも、時間がいつでも大歓迎だ。
けれど、見頃といわれても何があったか見当がつかない。
「桜が、ちょうど満開なんですよ。」
「ああ!」
言われて初めて気がついて、千尋は窓から外を眺めた。
窓の外に広がっているのは満天の星空。
そしてその星空の中に浮かぶ月。
どちらも見えているということは間違いなく晴れてはいるのだろうけれど、でも夜は夜だ。
「もしよかったら、明日、一緒に見に行ってくれませんか?綺麗に咲いている大きな木を見つけたんです。」
風早の優しい誘いに千尋は少しだけ考え込むと、急に立ち上がって風早の手を取った。
「今から行こうよ!」
「ですが…。」
「夜桜でもいいじゃない!明日になったら雨が降るかもしれないし、また急な仕事が入るかもしれない。だから、ね。」
「もうすっかり暗いですから危ないですよ。」
「風早が守ってくれるでしょう?」
ニッコリそう言われては風早にはもう抵抗する術などあるわけがない。
千尋に強引に手を引かれるまま、風早は結局、夜桜見物へと連れ出されてしまった。
もうすっかり昼の喧騒からは想像できないほど静かになった宮の廊下を抜けて外へ出ると、そこは月明かりにだけ照らされた幻想的な世界だった。
綺麗な夜空を見上げて上機嫌な千尋の手を引いて、風早は見つけた桜の木へ向かって歩き出す。
千尋は嬉しそうに風早の隣に並んで歩いた。
昼間は仕事でいろいろな人が二人の間に入っていて…
だからこうして二人きりになれたことも嬉しくて…
二人は風一つない静かな夜道を何も言わずに歩き続け、そして月に照らし出された桜の大木へとたどり着いた。
花は満開。
風がなくともヒラヒラと花びらが舞うところを見るともう散り際と言ってもいいだろう。
千尋はそんな桜の大木に駆け寄ると、満開の花を見上げて声をあげた。
「わぁ〜、ステキ。」
「やっぱり一番の見頃でしたね。」
「昼間見るのもキレイだけど、夜見るのも凄くステキ。」
千尋は風早の方へ振り返ると、嬉しそうに微笑んで、それからすぐに桜へと視線を戻した。
風早の言う通り、花は今が一番の見頃で、その花が月明かりに淡く照らされて、なんだか現実の世界ではないみたいだ。
千尋はその美しい花に見惚れて一心不乱に次々に舞い落ちる薄紅の花びらを目で追った。
そうしていると夢を見ているようで幸せで…
ところが、春の夜はまだまだ寒さが残っていて、千尋はくしゅんと小さくくしゃみをしてしまった。
風邪をひいたというわけではなくても、寒さは小さな体にこたえているらしい。
「千尋、もう帰りましょう。これ以上は千尋が風邪をひいてしまいます。」
「でも、せっかくだし、もう少しだけ。」
悲しげな顔で懇願されて、風早は頭をかきながら苦笑した。
こんなふうにお願いされてはそのお願いを聞かないわけにはいかない。
けれど、このままでは千尋に風邪をひかせてしまうから…
風早は千尋を桜の方へ向かせると、その小さな背を後ろから優しく抱きしめた。
「風早?」
「こうしていれば少しは寒さがしのげるでしょう?」
「うん!」
嬉しそうに返事をした千尋は満開の桜を見上げて、その顔に満面の笑みを浮かべた。
「あったかいよ、風早。」
背に安心するぬくもりを感じながら、千尋はゆっくりと幻想的な夜桜を鑑賞した。
そして風早は、思わぬ形で千尋と楽しみたかった花見が楽しめて、その顔に絶えることのない笑みが浮かぶのだった。
管理人のひとりごと
桜企画、風早バージョンでした♪
現代を舞台にしたものと迷ったんですが、夜桜見るならこっちの世界の方が二人きりできれいなのが見れるかなと。
現代は夜桜なんて大量の酔っ払いの方が花よりも多そうで…
管理人の生息地は夜桜とか寒くて毛布必要です!って感じなので、寒いお話になりました(’’)
関西とかはそんなに寒くないのかなぁ?
管理人も一度でいいから寒くない夜桜を見てみたいです(’’)
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