幼姫
 千尋は部屋で一人で窓から空を眺めていた。

 そこには青く晴れ渡った空。

 それなのに千尋の顔は冴えない。

 龍神様に祈りを捧げるためにさっきまで外にいたのだけれど、とても嫌な話を耳にして慌てて自分の部屋へ戻ってきたところだから。

 いつもならずっと側にいて守ってくれている風早は今はここにいない。

 千尋がお祈りをしている間、風早は自分も仕事をしてきますと言って朝分かれたのだ。

 『すぐに戻りますね』といった風早の優しい笑顔を千尋ははっきりと思い浮かべることができる。

 初めて会った時から風早はいつも優しく微笑んでくれて、その笑顔を見るだけで千尋はすぐほっとしてしまう。

 風早が大丈夫といえば大丈夫だし、風早がにっこり微笑むとそれまでどれだけ悲しくても千尋の胸は温かくなるのだ。

 でも、今はその風早がいない。

 風早の他にこの部屋に入る人は誰もいなくて、千尋はいつまでも一人きりだ。

 すぐに戻ると言った風早は全く戻ってくる気配がない。

 すると千尋はとても心配になってその愛らしい碧い瞳に涙を浮かべた。

 さっき、龍神様へのお祈りを済ませて帰ってくる途中、若い女の人が何人か立ち話をしていた。

 最初は楽しそうに男の人の噂話をしていた。

 柊様がステキとか、羽張彦さんの方がいいとか、そんな話だ。

 千尋にはよく意味がわからなかったし、知らない人の名前ばかりだったからそのまま黙って通り過ぎようとしたのだけれど…

 突然、千尋の知っている名前が挙がって思わず千尋は立ち止まってしまった。

 風早。

 女性達の話題に上ったのはあのいつもやわらかく微笑む青年だった。

『風早様はお気の毒ね、王族だというのに龍神様の声を聞くことができず、王に見放された二ノ姫の従者になるなんて。』

『容姿もステキだけれど岩長姫様のお弟子さんなのでしょう?剣の腕もそうとうでしょうに、どうして二ノ姫の従者になんて…』

『誰も二ノ姫の面倒を見たがらないから本当は一ノ姫様付きになるはずだったのに二ノ姫に回されたってもっぱらの噂よ。本当は一ノ姫様の従者におなりになりたかったのでしょうけど、一ノ姫様には羽張彦様がいらっしゃるでしょう?』

『二ノ姫の従者では先も見えているものねぇ。戦でも起こって武勲を立てない限りは出世なんて見込めないでしょうし。せっかくステキな方なのに貧乏くじをお引きになったものね。』

 そこまで聞いて、千尋は駆け出した。

 それ以上は聞いていられなかった。

 自分の従者でいるかぎり風早は偉くはなれない。

 羽張彦という人がいなかったら姉様の従者になるはずだった。

 本当は嫌だったのに風早は無理やり自分の従者にされてしまった。

 そんなことが千尋の頭の中でグルグルと回って、千尋は必死で走って自分の部屋へ飛び込んだのだ。

 それが数時間前のこと。

 どんなにお祈りしても龍神様の声は聞こえなくて、髪は色が薄くてみっともなくて、目の色だってこんなに青い色はみたことがなくて…

 千尋は考えれば考えるほど自分のことが嫌になって、一度おさめた涙がまた頬を伝った。

 さっきの女の人達が言っていたことがもし本当だったらどうしよう。

 どんなにお祈りをしても龍神様の声が聞こえない自分じゃ、風早はずっと迷惑なんだろうか。

 そんなことを泣きながら考えていると、扉がゆっくり開いた。

 千尋にはそれだけですぐにわかる。

 この優しい扉の開き方は風早だ。

「すみません、遅くなってしまって…姫?」

 慌てて千尋が服の袖で涙をぬぐっているのを目ざとく見つけて、風早は足早に千尋に駆け寄った。

 すると千尋は真っ赤に泣き腫らした目で風早を見上げて、一生懸命に笑って見せる。

「おかえりなさい。」

「姫…何かあったんですか?また龍神様の声が聞こえなくて泣いていたんですか?」

 千尋はフルフルと首を横に振るだけで何も話そうとはしない。

 それでも、風早の目には千尋に何かあったことが一目瞭然だ。

「それじゃぁ、そうですね、おいしいお菓子でも食べましょうか。」

 追求してもきっと千尋は何も話さない。

 こう見えて千尋は意外と強情な所がある。

 それを知っているから、風早は無理に追求はしないで千尋が大好きな甘いお菓子を出してみた。

 いつもなら嬉しそうに飛びついてくるのに、千尋は窓辺に座ったまま動こうとしない。

「俺がみんな食べてしまいますよ?」

「……いいよ、風早にみんなあげる。」

 そう言って微笑んで見せる千尋の顔は痛々しいほど力がなくて…

 風早は溜め息をついて再び千尋の隣へと歩み寄った。

 今度は顔が見えるように千尋を自分の方へ向かせてその顔をのぞきこむ。

「何があったんですか?」

 もう一度聞いてみても千尋は首をフルフルと横に振るばかりだ。

「俺の帰りが遅かったから怒ってるんですか?」

 この質問に千尋はさっきよりも激しく首を振った。

 どうやらそうではないと必死に否定しているらしい。

 そんな千尋が愛らしくて、風早は千尋の頭をポンポンと優しくなでた。

「姫がそんなふうに悲しそうにしてると俺も悲しいです。何があったか話してくれませんか?」

 優しく尋ねても千尋は首を振るばかりだ。

 これはもう無理かと風早は苦笑して千尋の側から離れた。

 時間を置いて落ち着くのを待つしかない。

 そう思っていったんあきらめて、風早は少し千尋から離れたところに座ってまるで千尋には興味がないような態度を見せてみた。

 きっと千尋をかまえばかまうほど千尋はかたくなになるだろうということがわかっていたから。

 すると、しばらくして千尋がちらりちらりと風早を見たかと思うと、小さな体でてとてとと風早に歩み寄ってきた。

「風早。」

「はい?」

「風早は姉様の従者になるはずだったの?」

「は?誰がそんなこと言ってたんですか?」

「……。」

 やっと口を開いてくれた千尋だが、風早の問いには答えてくれない。

 風早はこのまま追求するとまた千尋が口をつぐみそうなので、その顔にいつもの微笑を浮かべて首を横に振った。

「そんなことはありませんよ。俺は始めから姫の従者に決まってました。」

「はばりひこっていう人がいなかったら風早は姉様の従者になれた?」

 これには風早も目を丸くした。

 そんなことはもちろん全くないのだが、いったいこの小さな姫に誰がそんな話を吹き込んだのか…

「いいえ、それも違います。俺は最初から姫の従者でした。一ノ姫の従者になるという話はいっさいなかったですよ?」

「私といると風早は偉くなれない?」

「はい?」

「姉様の従者になっていたら偉くなれたのに、私の従者になったから偉くなれないの?」

「……。」

 これにはさすがの風早も驚きで一瞬身動きできなくなってしまった。

 まだ幼い少女である千尋にこんな話を吹き込んだのはいったいどこの誰なのか。

 いや、そんなことを詮索するよりも今は千尋を落ち着かせるのが先決と、風早は一つ深く呼吸してその顔に微笑を取り戻した。

「姫は二ノ姫ですから、将来王におなりになるわけじゃないですからね。偉くなれるかなれないかと言われればなれないかもしれません。でも、俺は別に偉くなりたくて姫の側にいるわけじゃないですから。」

「…私の従者には誰もなりたいって言わなかったからいてくれるの?」

「姫…。」

「私の従者じゃなくなったら風早はもっと楽しくなれる?」

「なれません。」

 間髪入れずに風早は即答した。

 冗談じゃない。

 この姫と離れて楽しくなどなれるはずがない。

 風早の小さな主は目の前でその目にいっぱいに涙を溜めて必死に泣くまいとこらえている。

 風早は深い溜め息をついてから千尋を優しく抱き上げた。

「俺は自分で姫の側にいたいと思うから側にいるんです。姫の従者になりたいと思ったからなりました。偉くなりたいとは思いませんが、なるべく長く姫の側にいて姫を守りたいと思ってます。こうして姫と一緒にいる時が一番楽しいです。それとも、姫は俺なんかいない方が楽しいんですか?」

 千尋は今までで一番激しく首を横に振った。

 そのせいでせっかくこらえていた涙がこぼれてしまった。

 風早は片腕で千尋を抱いたままその涙をもう片方の手でぬぐった。

「風早が、いないと、寂しいの…でも、風早が、楽しくなるなら、我慢する…。」

「楽しくないですから、我慢しないで下さい。」

 そう言って苦笑して風早は両腕で千尋を抱き直す。

 成長期でどんどん大きくなる千尋はずいぶんと重くなった気がした。

「私、たくさんお祈りしても、龍神様の声、聞こえないし…髪の色も目の色も変だし…風早が嫌がってるかなって…。」

「あれ、前に言いませんでしたか?俺は姫の髪も目もとても綺麗だと思いますよ、大好きです。龍神様の声が聞こえないのは姫が正直だからでしょう?何も悪いことなんてありませんよ?」

「でも、姉様なら…。」

「一ノ姫様は一ノ姫様、姫は姫です。俺が一緒にいて楽しいのは姫だけです。」

 そう言ってギュッと抱きしめて、綺麗な金の髪をなでると千尋は風早の首に可愛らしく抱きついた。

「誰が姫に俺のことをそんなふうに話したか教えてくれますか?」

 幼い姫に余計なことを吹き込まないようにと釘をささなくてはと風早は優しく尋ねてみた。

 千尋のことを悪く言う者は多い。

 だが、何もこんな幼い少女に直接吹き込む必要などないはずだ。

「みんな、言ってるから…。」

 泣きながらそういう千尋の言葉に風早は溜め息をついた。

 なるほど、みんな言っていると言われればそうかもしれないと気づいたから。

「みんなじゃありません。俺はそんなこと言いませんよ?」

「風早…。」

「俺の友達もそんなことは言わないでしょうね。だから、みんなじゃありません。姫のことを悪く言っている人達が言っていることは嘘だってわかってもらえましたよね?姫は俺が今言ったこと、信じてくれるでしょう?」

 コクコクとうなずく千尋。

「じゃぁ、もう泣かないで下さい。俺はいつだって姫に本当のことだけを言いますから。」

 千尋は慌てて涙をぬぐって、風早にうなずいて見せた。

「俺は姫と一緒にいるのが一番楽しいです。だから、これから一緒に散歩に行ってもらえませんか?」

「あんまり人がいないところがいい…。」

「ははは、そうですね。誰もいない花が綺麗なところに行きましょう。」

 風早は千尋を下ろすとその手を引いて歩き出した。

 可愛らしく風早に手を引かれてついてくる千尋はまだ真っ赤な目をして必死に風早を見上げてくる。

 そんな小さな主に、風早はいつも通りの優しい笑顔を浮かべて見せた。

 すると千尋の顔にもやっと微笑が浮かんで、風早は内心ほっと胸を撫で下ろす。

 これからもこの正直な姫にはきっとつらいことがたくさんあるだろう。

 それでも、自分だけは絶対に姫を見放したりはするまい、姫が自分に慈悲を与えてくれたことを忘れはすまい。

 風早は小さな手を握りながらそう胸の中で誓いを新たにした。








管理人のひとりごと

初めて書いてみましたチビ千尋とお父さんです(笑)
ちょっと書いててしんどいくらい暗い話になりましたが(’’;
でも、チビ千尋はもうちょっと色々書いてみたい気がしてます♪
頑張るチビ千尋と超絶甘やかすお父さんとかいい!(爆)
デレデレのお父さんもちょっと書いてみたい気がしています(^−^)





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