
千尋は窓辺でニコニコと微笑みながら外を眺めていた。
政務が早いうちに終わって、体が空いたのだ。
外は天気がよくて気持ちいい。
これからどこかへ散歩に出かけるのもいいし、散歩といわずひょっとするともう少し遠出もできるかもしれない。
柊に政務について色々話を聞くのもいいし、布都彦に弓を習うのもいいかも。
これから何をしようかと千尋がウキウキしているとすっと背後に人の気配がして、そのまま後ろからきゅっとその気配に抱きしめられてしまった。
この力強い腕、背中に伝わるぬくもり、間違いないこの人は…
「かかか、風早!何やってるの!」
「何って、後ろから千尋を抱きしめてるんですが…。」
「冷静に説明しないでよ…。」
「千尋が何をやっているのかと聞いたんじゃないですか。」
「そ、そういうことじゃなくて、こんなところでそんなことしてたら外から見えるでしょ!」
「いけませんか?」
逞しい腕の中でくるりと体の向きを変えてその顔を見上げれば、風早はいつものようにニコニコと微笑んでいる。
これは本当に別に人に見られてもなんてことないと思ってるようで…
「か、風早はなんともないかもしれないけど、私は恥ずかしいの!」
「どうしてですか?」
「ど、どうしてって……普通恥ずかしいでしょ?」
「そうですか?」
と、今度はキョトンとされてしまった。
この人はもう…
そりゃ周りから見てればいきなり見たこともない青年を私の大事な人と言って姫様が連れてきたわけだし、そのまま姫の従者としてほぼ四六時中側にいるわけで…
これは姫の恋人かと思われているのかもしれないけれど、だからってこうも公然と抱きしめられたりすれば年頃の千尋としては恥ずかしい。
ところが風早はそういうことをどうも気にしてはいないようで…
「ところで千尋、今日はもう政務は終わったんですよね?」
「うん、終わったよ。」
「何か予定は入ってるんですか?」
「予定は入ってないけど、せっかく時間ができたし、といっても常世へ遊びに行けるほどじゃないから、柊に政務についての勉強を教えてもらうか、布都彦に弓を教えてもらうかしようかなって思ってたんだけど…。」
「他には?」
「ん〜、道臣さんに地方のお話を聞くのもいいし、あ、姉様とお茶っていうのもいいかも、姉様忙しいかな?」
「……候補はそれだけですか?」
「他に何か楽しそうなことある?」
可愛らしいく小首を傾げてそう尋ねられて、風早は珍しく微笑を消して溜め息をついた。
「風早?」
「俺とのお茶の時間は楽しくないですか?」
「へ?」
そういわれて初めて千尋が部屋の中へと視線を巡らせれば、しっかりとお茶の用意がしてあって…
これはまずいと千尋が顔色を変えたとたんに風早はぎゅっと腕の中に千尋を閉じ込めてしまった。
「べ、別に風早とのお茶の時間が楽しくないなんていってないよ、そうじゃなくて…。」
「そうじゃなくて?」
「えっと、風早とはいつも一緒にいるし、ね?」
「……いつも一緒にいるからたまには離れたいですか?」
「そんなこと言ってない!」
「俺はもっと千尋といたいですが…。」
頭上から降ってくる声は悲しそうで、千尋が慌てて顔を上げたその時。
「よっ、姫さん、元気にしてっか?って、おっ、悪い、邪魔したか?」
いきなり窓辺に姿を現したのはサザキだ。
サザキが目にした光景はというと、千尋が若い男と抱き合っている様子で…
真っ赤な顔でおののくサザキに風早は微笑を浮かべて見せ、千尋は慌てて風早の腕から逃れた。
「久しぶりですね、サザキ。」
「お、おう。悪いことしたな。」
「わ、悪くない!全然大丈夫!サザキも元気だった?」
「おう、俺はいつだって元気だぜ。」
一度は風早のことをすっかり忘れたサザキだが、何度か会って話をするうちに以前と同じように親しくなっていた。
サザキだけじゃない、他のみんなとも風早がすぐに仲良くなったのは昔の記憶がみんなのどこかに残っているかもしれないからというよりは、風早のもともとの人当たりのよさのせいらしい。
「サザキが来たというこはカリガネも来てますか?」
「もちろんよ。早速こっちの方でしか手に入らない果物で何か作るって言ってたぜ。」
「それは、急がないと…。」
「か、風早?」
「すみません千尋、急ぐので。」
「ちょっ、お茶は?」
「サザキとどうぞ。」
そういうが速いか風早はさっさと部屋を出て行ってしまった。
千尋はあっけにとられて身動きができない。
「姫さん?俺、とんでもなく間の悪い時にきちまったか?」
「……もういい!風早なんか知らない!サザキ、どっか行こう!」
「おいおい、いいのか?」
「うん、いいの!久しぶりにサザキと空を飛びたいの!」
「ま、まぁ、姫さんがそういうなら俺はかまわねーが…。」
果てしなく不穏な気配を感じながらサザキは千尋を横抱きに抱き上げた。
そしてそのまま音を立てて翼を羽ばたかせると、一気に空高く飛び上がる。
遙か下方にはどこかへ駆けていく風早の姿が見えた。
−夜−
風早は扉の前で大きな籠を手に困り果てていた。
ここは千尋の部屋の前。
大きな扉は全く動こうとしない。
「千尋、そろそろ開けて下さい、悪いと思ってますから。」
「ダメ!絶対開けてあげない!自分からお茶に誘っておいて私を放ってどっか行っちゃうなんて最低!」
と、千尋の怒りの原因はそれだ。
風早は苦笑しながら考え込んだ。
確かに千尋を放って行ったのは自分が悪いとは思っているが、問題はそこじゃない。
そのことで損ねてしまった千尋の機嫌が問題だ。
さて、へそを曲げてしまった千尋にはどうするべきか…
「すみません…本当に…。」
「……。」
「でも、俺はどうしても千尋の役に立ちたかったんです。」
「へ?」
「前にも言いましたよね?俺は人となって千尋にしてあげられることが減ってしまったんで、増やしたいって。」
「どういうこと?」
「千尋に喜んで欲しくて、千尋の役に立ちたくて…。」
バンッ
悲しげな風早の声に耐えられずに、千尋は思いっきり扉を開けた。
そこにはニコニコといつものように微笑んでいる風早が大きな籠を両手で抱えて立っていて…
もっと泣きそうな顔をしているかと思ったのに、予想していたよりも普通だった風早に千尋は思わず目を見開いた。
「さ、お茶をいれますね。」
「はい?」
ここぞとばかりにスタスタと部屋の中へ入った風早はさっさとお茶の準備を始めてしまい…
面食らった千尋はとりあえず座って風早の後ろ姿を見つめた。
そして思ったことは…
もしかしてさっきのは、扉を開けさせるための…演技?
「風早、さっきもしかして私に扉を開けさせようと思って…。」
「嘘はついてませんよ。」
そう言ってにっこり笑ってお茶を差し出されてしまってはもう千尋に追求することはできなくて…
千尋はなんだかすっかりしてやられたような悔しい気持ち半分、風早の顔を見られた安堵半分の複雑な気持ちでお茶を受け取った。
「なんか…理不尽を感じるんだけど…。」
「昼間はすみませんでした、本当に。でも、どうしてもカリガネに教わりたいことがあったので…。」
「カリガネに教わりたいこと?」
「はい、これ、どうぞ。」
そう言って風早がすすめてきたのはあの大きな籠。
千尋が中を覗いてみれば…
「うわぁ、すごーい、たくさん。」
色々な種類のお菓子が籠一杯につまっていた。
籠からはおいしそうな甘い香りが立ち上っていて、拗ねていた千尋も思わず微笑んでしまう。
「好きなだけどうぞ。」
「カリガネに教わりたいことって…。」
「ええ、これの作り方を。」
「…それって……私の、ため?」
「千尋は甘いものが好きでしょう?」
「うん、好き…。」
籠からお菓子を一つ取って口に運べば、とても優しい甘さが口の中に広がる。
その甘さがとても優しくて、千尋の大好きな甘さで…
「…ごめん、ね、怒ったりして…風早は私のために頑張ってくれてたのに…。」
「いえ、黙って千尋を放って行ったのは俺も悪かったですから。それで機嫌を直してくれますか?」
「もちろん…ていうか…怒ってた私が子供なんだよね、ごめんね。」
「ほら、そんなこと気にしないで、たくさん食べてください。なくなったらまたいつでも俺が作りますから。」
「うん…有難う…。」
風早の優しさや思いやりが嬉しくて、ちょっとだけ泣きそうになりながら千尋はお菓子を楽しんだ。
果物が入っているものや、甘い餡が入っているもの、何が原料かはわからないけれどとてもいい香りがするもの、お菓子はどれもとてもおいしい。
「だめだなぁ、私、まだ全然子供で…。」
「そんなことありませんよ、俺にデリカシーがないだけです。昔からよく千尋に言われてましたし。それより、これで今度からはちゃんと候補に入れてもらえますか?」
「候補って?」
「千尋が休日を楽しく過ごすためにすることの候補に、俺とのお茶を入れて欲しいなと。」
「い、入れる!絶対入れるからっ!」
慌ててそう答えて顔を赤くしながら千尋は次のお菓子に手を伸ばす。
その様子を風早は満足げな笑みを浮かべて見守った。
管理人のひとりごと
風早さんってば意外と策士(爆)
小さい頃から千尋ちゃんを育ててますからね、ご機嫌とるのなんてお手のものです(w
扉を開けてもらえなくて激謝罪してるアシュヴィンとは大違いですよ(w
風早のボーっとしてるところはたぶん神様の部分なんだろうなぁと思いました。
で、人になってからもそのボーっとしたところだけ残って、千尋ちゃんといちゃついても恥ずかしくないみたいですよ(マテ
まぁ、千尋ちゃん抱き上げるとか風早には普通のことだったろうしねぇ。
「大好き」の意味が変わってきた千尋ちゃんが一人で右往左往しそうです(w
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