嵐の夜は
 豊葦原の中つ国の小さな姫、千尋は一人で夜の闇の中、膝を抱えて小さくなっていた。

 部屋の一番奥の隅でそうして小さくなってただ一人で震えていた。

 小さなお姫様のために用意されている寝台は空っぽで、窓の向こうからは強い風が吹き荒れる音が聞こえてくる。

 女官達に寝かしつけられてしばらくしてから、嵐はやってきたのだった。

 昼間、周囲の人間から浴びせられた冷たい視線や、鋭い憎悪のこもった言葉を忘れることができなくて眠れなかった千尋は嵐がやってくるとすぐにそれに気づいた。

 気付いてしまうと恐ろしさは時を経るごとにつのってしまって、とうとう横になってはいられなくなった。

 助けを呼んでもきっと誰も来てくれない。

 何故なら自分はみんなに疎まれているから。

 物心つくかつかないかという頃から外見のせいで周囲から迫害されてきた千尋は、決して女官を呼ぼうとは考えなかった。

 たとえ呼んで来てもらえたとしても、きっとわがままな姫だと口では言わなくても顔で内心を露わに見せて、そしてただ自分を寝台へと押し込んで去っていくだけだろう。

 まだ幼い千尋はそう考えずにはいられなかった。

 だから、部屋の隅で一人で小さくなって、嵐が過ぎるのを待っているしか小さな千尋には選択肢がない。

 ただ、たった一人、どんな時でも味方をしてくれる人の姿が千尋の脳裏に浮かんではいた。

 風早。

 初めて出会った時からずっと千尋の味方でいてくれるたった一人の人。

 けれど彼は男性で、夜は千尋と一緒にいてはいけないと言い渡されている。

 きっと怖いから一緒にいてほしいと彼の部屋へ訪ねて行けば、優しい笑顔で一緒にいてくれることは間違いない。

 でもそれではきっと、いや、必ず夜が明ければ風早が誰かにひどく怒られることになる。

 それが千尋にはわかっていた。

 自分のたった一人の大切な人。

 その人が自分のせいで怒られるのは絶対に嫌だ。

 だから、千尋は部屋の隅で小さくなって震えていることを選んだ。

 千尋がそうして小さな体で恐怖と戦っている間に窓の外の嵐はだんだんとひどくなって、とうとう雷とひどく大粒の雨が降ってくる音まで聞こえてきた。

 暗い部屋に一瞬きらめく閃光、そしてその後に続く何とも言えない低い轟音。

 部屋の中が閃くたびに千尋はふるりと体を大きく震わせて両手で耳をふさいだ。

 何も聞かないように、恐ろしい音は何も耳に入らないように。

 ぎゅっとかたく目を閉じて、両手でしっかり耳もふさいで…

 そんな千尋の小さな体が突然ふわりと宙に浮いたのは、まだ窓の向こうでは嵐が大暴れしている時だった。

 驚いて千尋が目を開ければ、いつの間にか部屋の中に一つだけ灯された明かりに照らされて千尋が最も頼りにする人 ― 風早の苦笑が闇の中に浮かんで見えた。

「風早…。」

「こんなところで小さくなっているなんて、もう少しで見逃して、姫が姿を消したと大騒ぎをするところでした。」

 そんなことを言いながら風早は千尋をひょいと抱き上げると、そのまま寝台へと小さな体を下ろしてやる。

 そのまま自分も隣に座って、きょとんとしている千尋に笑顔を見せた。

「どうして?」

 小さな声で千尋が尋ねれば、風早の笑みは深くなる。

 その瞬間、部屋の中に一瞬、閃光が満ちた。

 そしてすぐ轟音が響き渡る。

 小さな千尋は「きゃっ」と声をあげて風早にしがみついた。

「こうなるんじゃないかと思ったので様子を見に来たんです。」

 風早は予想していたというように微笑みながら千尋を受け止め、その小さな体を膝の上へ乗せると優しく抱きしめた。

 女官達が千尋の心配をして夜通し付き添ってくれることなど有り得ない。

 風早にはそれがよくわかっていた。

 だからこっそり一人でこの部屋へやってきたのだ。

 案の定、千尋は暗闇の中、一人で小さくなって震えていた。

 風早は朝まで一人きりにしなくてよかったという安堵のため息をつきながら小さな千尋の体から震えが去っていくのを感じた。

「一人で恐かったでしょう?」

「恐いけど、でも……。」

 千尋はゆっくりと恐る恐る顔を上げた。

 恐怖で涙目になっているその美しい目で風早の顔を必死に見上げる。

 そんな千尋に笑顔を見せて、風早は金の髪を優しく撫でた。

「風早、怒られちゃう…。」

「それを気にして俺を呼ばなかったんですか?」

 驚いたような風早の問いに千尋は小さなうなずきで答えた。

 こんな夜に暗い部屋で一人きりで、どんなにか恐ろしかっただろうに…

 風早は小さく息を吐くと、千尋をしっかりと抱きしめた。

「俺は大丈夫ですよ。」

「でも……。」

「怒られたって恐くないですから。でも、姫がそんなに気にするなら、空が明るくならないうちに自分の部屋へこっそり戻ります。それなら怒られません。」

 この小さな尊い人のためなら女官だろうが女王だろうが、誰に怒られたってかまわない。

 風早はそう思っているけれど、それでは千尋がきっと気にする。

 だから、皆には内緒の二人だけの秘密の夜を過ごすことを約束して、風早はその顔に笑みを浮かべた。

 すると、やっと千尋の顔にもふわりと愛らしい笑みが浮かぶ。

 ほっと風早が安堵するのも一瞬のこと。

 次の瞬間にはまた雷が鳴って、千尋は小さな悲鳴と共に風早にしがみついた。

「雷は音が大きくて恐いかもしれませんが、大丈夫。部屋の中が光ってから音が聞こえるまで少し間があるでしょう?」

 少しでも小さな姫の恐怖を取り除こうと風早が口を開けば、千尋は必死にその声に耳を傾け、恐る恐る顔を上げてうなずいて見せた。

「光が見えてから音が聞こえるまでの時間が長ければ長いほど、雷は遠くに落ちているんですよ。さっきまではずいぶん音がすぐ聞こえましたが、今はかなり音がするまで時間がかかるようになりました。きっともう雷はものすごく遠くに行きましたから、安心してください。」

 優しい風早の声に小さくうなずいて、千尋は風早の胸にすり寄った。

 風早の言っていることはわかっても、やはり嵐の音は恐ろしいのだろう。

 風早は笑顔で小さな体を抱きしめて、ぽんぽんと優しく背を撫で始めた。

「眠くなったら眠ってしまっていいですからね。きっと嵐がおさまるまで側にいますから。」

「でも…。」

「大丈夫、朝になる前に嵐は去りますよ。そうしたら自分の部屋へ帰って、誰にも見つからないようにしますから。姫も、朝、目が覚めて女官達に何か言われても内緒にしてくださいね。」

 今度は千尋が力強くうなずいて、そのまま風早にもたれて目を閉じた。

 早く自分が眠れば風早がそれだけ早く部屋に戻ることができるとでも思ったのだろう。

 そんな千尋が愛しくてしかたがなくて、風早は口元に笑みを灯したまま千尋の背を撫で続けた。

 するとあっという間に千尋はかわいい寝息をたて始めた。

 嵐に怯えて疲れていたのと、風早が来て安心したから…

 風早は大切でたまらないその小さな姫を嵐がたてる音からさえ守るかのようにずっと抱きしめ続けた。







 窓から入り込む朝陽に照らされて輝く千尋の髪が美しくて、風早の顔に浮かぶ笑みは自然と深くなった。

 一晩中千尋を抱いていた風早は、明け方近くに嵐が去って静かな夜がやってきても千尋のそばから離れなかった。

 万が一にも千尋が目を覚まして心細い想いをさせたくなかったからだ。

 人が来れば自分がここにいたことがばれて千尋が心を痛めることになるとわかってはいる。

 それでもどうしても部屋の中が明るくなるまで立ち去れなかった。

 いや、部屋の中が明るくなればなったで、今度は愛しい姫の愛らしい姿に目が釘付けになって離れられない。

 どうしたって自分はこの姫のそばにいることがこの上ない幸せなのだ。

 そう実感しながら風早は優しく千尋を起こさないように、美しく輝く金の髪を撫で続けていた。

 すると、朝陽がすっかりその姿を青い空に現した頃、扉の向こうに足音が聞こえた。

 千尋を起こし、着替えをさせる女官がやってきたのだろう。

 風早は小さく息をため息をつくと、すやすやと眠っている千尋の小さな額に軽く口づけを落として窓辺へと走った。

 足音さえもたてずに窓へと駆け寄った風早はその窓を開けると、ためらうことなく窓の外へとその身を躍らせた。

 千尋の部屋は地面からはずいぶんと高い位置にある。

 けれど、風早が窓の外へとその身を躍らせても地面にその身が落ちる音は聞こえず、ただふわりと嵐の後の爽やかな風が窓から吹き込んだだけだった。

 女官が部屋に入った時、千尋はまだ寝台で幸せそうな寝顔で眠っていた。

 不思議なことに、嵐から部屋を守っていたはずの窓が開けられて、穏やかな風がふわりふわりと部屋の中を満たしていた。

 その風のせいか自然と目を開けた千尋は、まだ眠い目をこすりながら上半身を起こすと、部屋いっぱいに広がる光に目を細めた。

 そして次の瞬間、窓の向こうに見える風景に目を見開いて、すぐに微笑を浮かべた。

 風早が愛してやまない千尋の美しい瞳には、嵐の後、葉の上に露の輝く木々の葉が映っていた。

 女官に言われるまでもなく寝台から出て着替えを始めた千尋の脳裏には、いつの間にか優しい風早の笑顔が浮かんでいた。








管理人のひとりごと

恐ろしい嵐の夜も風早みたいな人が一緒なら大丈夫!
という一本です。
先日の台風では管理人の生息地も大変な嵐で、洪水警報が発令されました(><)
管理人の根城は川のすぐ近くにあるので、増水した川がおそろしいのなんのってもう…
風早がいてくれたら管理人も安心だったのに(’’)という気持ちを込めてみました!









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