千尋は窓を大きく開けて伸びをした。

 窓の外には綺麗な月が昇っていて、辺りをうっすらと照らし出している。

 昼間は中つ国の女王である姉の代わりに、他国からの使者に面会した。

 そこは中つ国に敵対心を抱いているという噂がある国だったから、使者との面会は緊張した。

 けれど、その面会も何も問題なく終了して今に至る。

 一日中仕事をしていたから体が少し重くて疲れている気がする。

 だから、夕食を風早と一緒にとった後、千尋はすぐ自室に戻っていた。

 本当は風早と少しおしゃべりをしたり、そんな一時を過ごしたいところだけれど、今日はそんな体力は残っていない。

 早く眠って疲れをとって、そしてまた明日の仕事に備えなくては。

 窓から外を眺めて千尋がそんなことを思っていると、部屋の扉が控えめにノックされる音が聞こえた。

「はい?」

「まだ起きてますか?」

 聞こえてきたのは風早の声。

 千尋は慌てて扉へ駆け寄るとすぐに扉を開けた。

 扉の向こうに立っていたのは苦笑しながら頭をかいている風早だ。

「どうしたの?」

「その……少しだけ、いいですか?」

「へ?何か話したいことでもあった?」

「いえ…。」

 千尋が小首をかしげていると、風早は困ったような苦笑を浮かべた。

「えっと…。」

「千尋はもう寝たいですか?」

「寝ようかなとは思ってたけど、でも風早が何か用があるなら全然…。」

「用、というわけではないので……。」

「へ?」

「今日は夕食の後、すぐに分かれてしまいましたから…もう少しだけ側にいたいと…。」

 これ以上はないというくらいの情けない苦笑を浮かべた風早に、千尋は目を丸くした。

 いつも風早はどこか余裕で、どんな時も千尋に優しい笑顔を向けてくれる。

 その風早が自分からこんなふうに共に過ごす時間をねだるなんて珍しい。

 千尋はすぐに風早の腕を引いて部屋の中へ入れると、パタンと勢いよく扉を閉めた。

「すみません、俺は千尋を休ませてあげないといけない立場なのに…。」

「そんなのっ!私だって風早と一緒にいたいんだから!」

 顔を赤くしながらも必死に大きな声でそう言う千尋を風早は優しく抱きしめた。

 さっきまではもう寝ようかなんて考えていた千尋だったのに、こうして大好きな人に抱きしめられてそのぬくもりを感じるとそれがとても愛しくて思わずギュッと抱きついてしまった。

 どうしてだろう。

 離れてる時よりこうして抱きしめてもらっている時の方が、もっともっとと思ってしまうのは…

「まいったな…。」

 耳元に小さく聞こえた風早の声はどこか切なくて、千尋は思わず視線を上げた。

 さっきまで風早の顔に浮かんでいた苦笑は更に情けなくなっていて、千尋は小首をかしげる。

「何が?」

「そんなふうに抱き返してもらえると、ちょっとだけ話をして引き上げようと思っていたのに、ずっと離せなくなりそうです。」

「いいよ、ずっと離さなくても。」

 それはさすがに無理ですという風早の言葉が聞こえてくるとばかり思っていたのに、千尋は次の瞬間、ギュッと強く抱きしめられていた。

 息が詰まるほど強く抱きしめられて千尋が顔を真っ赤に染め上げる。

 灯りは小さなものが一つだけ。

 薄暗い夜が更けてからの静かな部屋。

 そんな場所でこんなふうに抱きしめられたのは初めてで、千尋は少しだけパニックになりながらもギュッと風早を抱きしめ返した。

 少なくてもそうしていれば、風早がもう少しここにいてくれるということはわかっていたから。

「千尋。」

 少しかすれた声で名を呼ばれて、反射的に千尋が顔を上げると、すぐにその唇が風早の唇でふさがれた。

 体はギュッと抱きしめられて、唇もふさがれて、千尋は思わずうっとりして目を閉じた。

 風早はあたたかくて口づけは優しくて…

 長い長い口づけの後で、風早はすっと唇も体も千尋から離した。

 突然の出来事に千尋がはっと風早を見つめる。

 千尋の目には寂しさや不安や、動揺みたいな負の感情が滲んでいて、風早はその目を見つめて苦笑した。

「千尋、そんな顔しないで下さい。」

「だって、何かあったのかと思って…その……私がキス下手であきれたとか…。」

「は?」

「急にやめちゃうし…離れちゃうから……。」

 悲しそうに涙目で言う千尋に驚いて目を見開いた風早は、次の瞬間あきれたとばかりに深く息を吐いた。

「たとえば千尋のキスが下手だったとして、その場合、俺は嬉しいんですが…。」

「嬉しいの?」

「嬉しいですよ。慣れていないってことでしょう?」

「あ、当たり前じゃない!か、風早が初めてだし、他にしたことないんだから!」

「だから、あきれたりしません。」

「でも……。」

「ちょっと、外で物音がした気がしたんです。」

「物音?」

 コクリとうなずく風早を見て、千尋は耳を澄ましてみた。

 そこにはただ穏やかな静寂があるだけ。

 物音なんて何一つ聞こえない。

「本当に音なんてした?」

「ええ、確かに…。」

 風早は千尋の唇に優しく人差し指を当てると、ニッコリ微笑んで千尋を背にかばうように立った。

 風早が見ているのはさっきまで千尋が外を眺めていた窓だ。

 窓は開け放たれていて、そこからは月明かりが射し込んでいる。

 二人が息を潜めて耳を澄ますことしばし…

 千尋が気付いた時にはもう人影が窓から音もなく侵入していて、風早がすらりと抜刀していた。

 何が起きたのか千尋が把握する前に風早はもう行動を起こしていて、千尋はしっかり風早の背にかばわれている。

 キンッという金属音が2回響いた後で、千尋はようやく自分が何者かに襲われたのだと悟った。

 もちろん、抜刀した風早がそれを撃退しようと応戦中だ。

 小さな灯りに照らされた刃が時折鋭い輝きを放つのを見ながら、千尋は息を飲んだ。

 薄明かりに浮かぶ風早の顔は厳しい武人のもので、鋭い眼光が覆面をしている敵を睨みつけている。

 当然のことながらその表情が武人らしい強さを持っていて、千尋は思わず見惚れてしまった。

 いつも風早は千尋に優しい笑顔ばかりを見せてくれるから。

 もちろん、いつもの優しい風早は大好きだけれど、こんなふうに厳しい表情の風早も風早なのだと思うと、千尋は状況を忘れて見惚れてしまったのだった。

 けれど、状況は千尋のそんな悠長さを許しはなしない。

 じりじりと風早は敵を追い詰めている。

 壁際まで追い詰めてしまえばあとは…

 そう、あとは斬り殺すだけだ。

 そこまで考えて千尋は思わず、とどめとばかりに剣を振り上げた風早の背に叫んでいた。

「風早!殺さないで!」

 風早からの返事はない。

 ただ振り上げた剣を右脇へと素早く引き下ろした風早は、自分の方へと打ち込んでくる敵の鳩尾に一瞬で剣の柄を叩き込んでいた。

 うめき声とドサッという音が響いて、風早は一つ息を吐くと剣を鞘へおさめた。

「千尋、怪我はありませんか?」

「私は大丈夫。風早が守ってくれたから。」

 千尋はゆっくりと歩み寄ってくる風早に笑顔を浮かべて見せた。

 すると風早がほっと安堵の溜め息をついてやっとその口元にいつもの優しい微笑を浮かべた。

「恐い思いをさせてすみません。俺がもっと早く気付いていれば。」

「ううん、私、全然恐い思いなんてしてないよ。だって風早が一緒だもの。」

「千尋…。」

 嬉しそうに微笑んで風早が千尋を抱きしめるのと同時に部屋の扉がもの凄い勢いで開けられた。

 飛び込んできたのは忍人と柊だ。

「これは…。」

 壁際にうずくまったまま気絶している怪しげな男と、抱き合ったままキョトンとした顔で二人を見つめる風早と千尋を見比べて忍人が深い溜め息をついた。

「これはこれは、風早がここにいたのなら慌てることもありませんでしたね。」

 そう言って苦笑したのは柊だ。

 逆に忍人は何も言わずに気絶している侵入者の息を確認すると、その体を縄でぐるぐる巻きにしてしまった。

「どうしたの?二人とも、そんなに慌てて。」

「これはこれは、二ノ姫には命を狙われたにも関わらず、ずいぶんと余裕のご発言で。」

「え、そりゃ、だって別に恐くなかったし…。」

 何を言うのかと言いたげな千尋に柊は苦笑を浮かべ、忍人は深い溜め息をついた。

 二人とも千尋の身を案じて駆け込んできただけに肩透かしもいいところだ。

「それより、忍人と柊はどうしてここに賊が入ったとわかったのかな?」

「ああ、それは私が情報を得たので。」

「情報?」

「ええ、今日、二ノ姫と面会した使者が実は間者であったことが発覚したのです。しかも刺客を連れてきたというので慌てて行方を追ったところ、王の部屋はさすがに警備が厳しくて忍び込めず、こちらへ標的を変更したらしいことがわかったので急いでこちらへ駆けつけたというわけです。」

「なるほど。」

 柊の説明に納得して風早はニコニコといつもの人懐っこい笑みを浮かべた。

 対して柊は苦笑を深くしたまま、忍人はむっつりと黙り込んだままだ。

「二人とも慌てて駆けつけてくれたんだね。有難う。でも、私は風早が守ってくれてなんともないから安心して。」

「そうでした、二ノ姫には優秀な護衛がついていたのでした。では、刺客は我々が預かりますので、風早、あとは頼みます。」

 苦笑しながらそう言って柊はさっさと退散し、忍人は刺客の襟首をわしっと掴むと無造作にその体を引きずりながら歩き出した。

 ところが、部屋を出る寸前で立ち止まったかと思うと、くるりと振り返って風早を凝視した。

「まだ何か?」

「いつまでそのままでいるつもりだ?」

「はい?」

 言われて風早が自分の状態を確認すれば、その腕はまだしっかりと千尋を抱いたままで、千尋もキョトンとした顔を忍人に向けながら風早に抱きついていた。

 なるほどと気付いて苦笑しながらも風早が千尋を解放することはない。

「だいたい、こんな夜更けに、いくら立場が立場とはいえ、二ノ姫の部屋に二人きりでいるのはどうかと思うが。」

「忍人の言うこともわかりますが…。」

「それは!私がいてっていったから!」

 自分が命じたのだと言おうと身を乗り出す千尋を抱きしめて黙らせて、風早は忍人にニッコリ微笑んで見せた。

「そう思うなら刺客が千尋の部屋に入り込むようなことがないように、警備を強化してもらえるとありがたいです。」

 ニコニコと微笑みながらそういう風早の目が笑っていないことに忍人はすぐに気付いていた。

 これは本気でなじられているのだと悟って忍人の口から溜め息が漏れる。

「了解した。」

 疲れきったように一言そういって、忍人は刺客を引きずりながら去っていった。

 その足音がすっかり聞こえなくなってから風早と千尋は同時に溜め息をついて、クスッと笑みを交わした。

「ねぇ、風早。」

「はい?」

「忍人さんはあんなふうに言ってたけど…もうちょっとここにいてくれる?」

「それは……。」

「あ、あんなことがあったから…その……恐い、し……。」

 千尋が赤い顔で上目遣いに風早を見つめると、風早は困ったような苦笑を浮かべた。

 恐いというのはもちろん嘘。

 自分のことをいつだって何からだって守ってくれる大好きな人がいてくれたのに恐いなんてことあるわけがない。

 けれど、恐いといえば風早がここを立ち去れないことは明白。

 これは千尋の甘い嘘。

 そうとわかっていてもやっぱり千尋を置いて立ち去ることなんてできなくて、風早は恋人の小さな体を抱きしめた。

「わかりました。じゃぁ、千尋が眠りにつくまで今夜はここにいます。たぶん忍人も今夜だけは文句も言えないでしょう。」

「うん、有難う。」

 千尋はニッコリ微笑んで風早に抱きついた。

 風早の腰の辺りでカタリと剣が鳴るのを聞きながら。








管理人のひとりごと

風早父さんは千尋ちゃんの剣であり盾でもあるっていう話になるはずだったんだけどなぁ(’’)(マテ
剣だけになった(コラ
長くなってしまって……
柊と忍人さんが出てきたりするから!(オイ
風早父さん、今回けっこう押してたんだけどなぁ、邪魔入ったなぁ(’’)
でも、久々に戦う風早が書けて管理人は満足!
たまに書きたくなるんですよ、戦闘シーンって(w









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剣と盾