
千尋はうーんとのびをしてから竹簡を片付けた。
傍らにはそれを手伝う風早の姿がある。
いつものように穏やかな笑みが浮かんでいる優しいその顔をちらりと見上げて、千尋は口元をほころばせた。
一度は離れ離れになって、存在そのものを忘れてさえいた人だから、こうして一緒にいられるだけでもとても幸せだと思える。
「千尋?何かいいことでもあったんですか?」
「うん、風早がここにいてくれるから。」
「それは…嬉しいな。」
独り言のようにそう言って心からの笑みを浮かべながら、風早は最後の竹簡を片付けた。
陽はまだ頭上にさんさんと輝いている時刻だ。
窓から入る陽の光に千尋の金の髪がきらきらと輝いている。
「これから、どうしますか?まだ日が暮れるまでにはかなり時間がありますが。」
「忍人さんのところに訓練の様子を見に行こうかなぁ。」
「いいですね、散歩も兼ねられそうですし。」
「柊のところでちょっと戦術の勉強とかもいいんだけど…。」
「柊なら今日は忍人のところにいると思いますよ。新しい戦術を訓練で実際に使ってみるとかで…。」
「じゃぁ、忍人さんのところに決定。」
「はい。」
ニコニコと微笑みながら部屋を出る千尋について風早も部屋を後にした。
ついてこいと言われたわけではない。
でも、千尋の隣を歩くのは風早にとってはごく自然なことだ。
特に、現在は千尋の護衛でもあり、婚約者に近い微妙な立場でもある。
誰はばかることなく千尋の側にいられるなら、できうる限り側にいるに決まっている。
足取りも軽く歩く愛しい人の隣で、風早もその顔に笑みを浮かべて表へと出た。
外は陽射しが温かくて、穏やかな風が流れていた。
訓練をするにはもってこいと千尋は一つうなずいて歩き出す。
もちろん、風早はその隣に並んだ。
「これだけ天気がよければ訓練もはかどりそうね。」
「そうですね。忍人は雨でも平気で訓練しますが…。」
「だから、天気でよかった。」
そう言って微笑む千尋に風早もうなずいてクスッと笑みを漏らした。
どうやら忍人のひととなりは千尋もよく把握しているものらしい。
「こんなふうに天気がいいと、どこまでも散歩して歩きたくなっちゃうね。」
「俺はそれでもかまいませんが。」
「だーめ、姉様の代わりにちゃんと視察しなきゃ。姉様の仕事が増えたらまた羽張彦さんとの時間が減って……。」
「減って、なんですか?」
珍しく途中で言い淀んだ千尋の顔をのぞきこんだ風早は、予想だにしない真っ赤な千尋の顔を目にして小首をかしげた。
「姉様の結婚が遅れたら……私が風早のお嫁さんにしてもらうのも遅れちゃう……。」
なるほど。
と心の中で納得して、だから千尋の顔が赤かったのかとこちらにも納得して風早は嬉しそうに微笑んだ。
そんなにも自分の妻になる日を楽しみにしてくれているとはなんとも面映いながらも嬉しい事実だ。
「だから!今日は絶対忍人さんのところに行くの!」
「了解です。」
張り切る千尋にそう答えて、風早はその笑みを深くした。
いつも一生懸命な千尋はとてもいとおしいが、それが自分のためとなれば更に愛しさが増すというものだ。
風早が果報者な自分を自覚してニコニコと微笑んでいる間に、二人は兵士を訓練している忍人のもとへと到着した。
「これは、姫。」
「二ノ姫、これはこれは本日も咲き誇る……。」
「ハイ、柊はそこまで。」
この先、体中から湯気が出そうな言葉の数々を浴びせられるのだと、これまでの体験で学習している千尋は早々に忍人の隣に立つ柊の言葉をさえぎった。
だが、それさえも楽しい出来事であるとでも言いたげに柊の目は細められた。
「忍人さん、訓練の調子はどうですか?」
「順調です。脱落者も出ていないし、女王陛下のお心を煩わせることは何一つ起きていないと言っていいでしょう。」
「布都彦も頑張っていることですし。」
付け足した柊の視線の先には兵を指揮する布都彦の姿があった。
その様子は兄の羽張彦にも劣らぬほど凛々しい。
「うわぁ、布都彦も凄い。忍人さんの訓練の賜物ですね。」
「布都彦は将としての才がありますから。俺がどうこうしたから腕を上げたというわけでは。」
少しだけ千尋から視線をはずしてそう言う忍人がどうやら照れているらしいと気づいて、千尋は隣にいる風早と微笑みを交わした。
不敗の将軍、葛城忍人はどうやら照れるとかわいらしくなるらしい。
だが、忍人と柊の二人はというと、その視線を風早に集中させていた。
「二人とも?風早がどうかした?」
視線にいち早く気づいたのは千尋だった。
風早はいつものようにニコニコと微笑んでいるだけなのに、忍人と柊は何やら困ったような顔で風早を見つめている。
「いえ、まあ、護衛なわけですし、不自然ではないのですが…。」
「何が?」
無邪気に小首を傾げられて、柊はその視線を忍人へと向けた。
後は頼むといわんばかりの柊の態度に、忍人の表情があからさまに不機嫌になった。
「側にいることが不自然だとは言わないが、こうも四六時中側にいるのもどんなものかと言いたいのだろう?柊は。」
「風早のこと?」
「ええ。」
「でも、風早は私のことを守ってくれているわけで…私が側にいてほしいって言ってもいて…。」
それがそんなにおかしいことだろうかと千尋が考え込んだその時、柊がクスッと笑みを漏らした。
「忍人の言葉が足りないのでもう少し付け足しますと、お二人は許婚といってもいい間柄なわけですから、もう少し二人きりの蜜なる時を過ごされても良いのではないかと思うのですが?」
「蜜なる時間?」
「ああ、なるほど。」
小首をかしげる千尋に対して、風早はどうやら慧眼とばかりに一つ大きくうなずいた。
「風早?」
「柊は、二人で仕事ばかりしているのはどんなものか?といってるんですよ。」
「さすが、話が早いですね。そのとおりです。二ノ姫が仕事熱心なのは歓迎すべきことではありますが、もう少し年頃の女性らしく恋人と甘い時を過ごすことをなさっても宜しいのではないか、と。」
つややかな声でそんなことを言われて、千尋の顔は一瞬にして真っ赤になった。
なんと言っていいのかわからなくて、だまってうつむいてしまう。
そんな愛らしい千尋から忍人と柊の視線は再び風早へ向かった。
そこには人当たりのいい穏やかな笑顔がある。
これは駄目かと二人が溜め息をつこうとしたその時、風早は行動を起こした。
ニコニコと微笑んだまま千尋の正面に回りこむと、何事かと小首をかしげる千尋に向かって口を開いた。
「千尋、視察も終わりましたし、問題もなさそうですし、これから俺と二人きりになれるところへ一緒に出かけてくれませんか?」
「そ、それはいいけど……でも…。」
「何か問題がありますか?」
「なんていうか…特にすることもないのにふらふら歩くのも……。」
「そういうのをデートって言うんだと思うんですが…。」
「で、デート?!」
「はい。」
楽しそうに微笑む風早に対して、忍人と柊はキョトンとしている。
「そ、それはちょっと楽しいかも……。」
「だから、俺と二人きりになれるところまで散歩してくれませんか?」
「う、うん…。」
真っ赤な顔でうなずく千尋の手をとって、風早はその顔いっぱいに幸せそうな笑みを浮かべた。
「あ、二人とも訓練が終わったらちゃんと休んでくださいね。私は、その……風早とちょっと出かけてきます。」
「はい、いってらっしゃいませ。陛下には私からお知らせしておきます。」
「うん、お願いね、柊。」
「千尋のことは俺が責任を持って守りますから安心してください。」
「それは心配していない。」
風早に答えたのは意外にも忍人だった。
こう見えて忍人は風早の腕前を意外とかっているものらしい。
そんな忍人と柊に見送られて、風早は千尋の手を引いて歩き出した。
「デート、かぁ…。」
「向こうの世界ならそうなりますね。」
「なんか不思議。風早とデートなんて…。」
「俺は、いつも側にいられて千尋が俺のことを好きでいてくれればそれでいいと思ってたんですが…柊の言うとおりですね。たまには千尋とこんなふうにデートもしないと。」
「そう?」
「したくないですか?」
「まさか!」
「俺は千尋の喜ぶことなら何でもしたいんですよ。」
「…それなら……側にいてくれるだけでも全然いいんだけど…。」
「でも、やはり二人きりで甘い時間も悪くないでしょう?」
「それは…うん…。」
真っ赤な顔でうなずく千尋の様子を眺めながら風早はその顔に絶え間なく笑みを浮かべ続けた。
千尋が幸せならそれでいい。
千尋がより幸せになってくれるならなんだってする。
ましてやデートなんて簡単なことだ。
それは自分にとっても幸せなことこの上ないことなのだから。
しばらく手をつないで歩いて、人気のない森までやってくると、風早は足を止めて千尋を抱きしめた。
千尋が驚いている間にその唇も掠め取って、その顔に満足そうな笑みを浮かべる。
突然の出来事に千尋が口をパクパクさせていると、風早はそんな千尋を優しく抱きしめた。
「愛しています、千尋、今も、昔も、これからもずっと…。」
「か、風早!」
突然何を言い出すのかと風早の腕の中で少しだけ身じろぎした千尋は、次の瞬間、すっと視線を上げた。
そして幸せそうな顔をしている風早の唇に自分の唇をそっと重ねてから、長身の恋人の胸に顔をうずめる。
「私も、大好き。」
その声は風早の胸に阻まれてくぐもって聞こえたけれど、風早の耳にはしっかりと届いて…
千尋の小さな体を抱く風早の腕に優しい力がこめられた。
管理人のひとりごと
いや、風早が書きたかったというだけです(’’)(マテ
それにしても、恋愛ものがおそらく最も苦手だった管理人なんですが「愛しています」とか平気で書けるようになりました。
成長したなぁ(コラ
その昔はオリジナルでどうしても必要な恋愛のシーンを書くためにいちいち酒飲んでました(’’)(オイ
そういうものも書けるようになりたいというのもあって二次創作に手を出したわけですが、いや、やればできるようになるもんですね(マテコラ
風早父さんにはもうちょっと千尋ちゃんを押させてあげたい気もしています(爆)
そのうち殿下レベルにはしてあげたいなぁ(’’)
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