ハプニング
 千尋は深い溜め息をついてから辺りを見回して、もう一度溜め息をついた。

 ここ数日とても暑い日が続いていて、どうやっても汗が止まらない。

 それでもそんな千尋を思いやって風早が風鈴を作ってくれて、多少なりとも風のある日は気分だけでも涼しくなるのだけれど、今日は風もない。

 千尋はじっとりと汗をかいている首をサラリとなでて、自分の手のひらに汗の雫がのっているのを見てまたため息をついた。

 もちろん少し涼しい衣に変えたとはいっても服の下は汗でべたっと濡れている。

 朝からずっと政務にかかりきりで暑い部屋にこもっていた千尋はもう体中が汗でべとべとだった。

 本当はここで休憩でもとって近くの泉へ行って水浴びの一つもすれば気持ちがいいのかもしれない。

 けれど、この国の王である姉が最近忙しすぎて恋人に会えなくて、みんなにはわからないところでこっそり寂しがっているのを見てしまった千尋としては午後からも姉の政務の代行をサボるわけにはいかなかった。

 明日一日、姉に恋人と楽しく過ごしてもらうためにはどうしても午後からの政務を手伝わなくては無理だから。

 自分は従者となってくれた風早がいつも側にいようと努力してくれるおかげで恋人といる時間を多く取れる。

 最近では岩長姫に風早が呼び出されたりして寂しい思いをすることもあるけれど、それでも姉よりはずいぶんと恋人に甘えているはずだ。

 だから、こんな時くらいは自分が頑張らないと!

 と気合を入れてみても、暑さがなくなるわけではなくて、千尋は深い溜め息をついて辺りを見回した。

 この暑さはどうやっても逃れることができそうにない。

 でも、このままでいるとベタベタで気持ち悪すぎる。

 なら、これはもう着替えるしかない。

 一つうなずいた千尋はすたすたと衣装箱へ歩み寄ると、そこから比較的涼しそうな着替えの服と何枚かの布を取り出した。

「よーし、これでっと。」

 体にベタベタとまとわりつく衣をなんとか脱ぎ捨てて、千尋は布で体中の汗を拭いた。

 窓から入ってくるかすかな風が汗を乾かして少しだけ涼しくなる。

 それを感じてほっと一息ついて、では新しい衣を着ようと手にかけたその時…

「千尋、入りますよ、冷たい水を持ってきました。」

 それは間違いなく、共に昼食をとった後、デザートでも探してきましょうといって出て行った風早の声。

 あっと思って千尋が声をあげる前に扉は開けられてしまって、なんとか手にしていた衣で胸は隠したものの、扉に向かって背を向けていた千尋は入ってきた風早に裸の後ろ姿を見られてしまった。

「ダメ!風早!今ダメ!」

 思わずそう叫んだけれど遅かった。

 手に水差しを持っている風早は一歩、部屋に入ろうとして千尋を見つけて一瞬凍りついた。

 が、数瞬の後、真っ赤な顔の千尋にニコリと微笑んで見せた。

「すみません、外で待っていますから、着替えが終わったら呼んでください。」

 いつもと全く変わらない調子でそう言って、風早は再び部屋から出て行った。

 後に残された千尋は服で胸を隠したまま呆然と立ち尽くしていた。

 自分を見た時の風早の態度が信じられない。

 まるで何事もなかったかのようにいつものように微笑んでいつもの声で話して、何気なく出て行ってしまった。

 もうちょと慌てるとか照れるとか騒ぐとかないものだろうか?

 それとも自分の体は慌てるほどの魅力がないとでもいいたいのだろうか?

 千尋は怒ったような顔で服を着るのを再開しながら忍人のことを思い出していた。

 初めて忍人に会った時も似たような状況だった。

 あの時は泉で水浴びをしていて、忍人に裸を見られたはずなのだけれど、忍人はというと武器を側から離すと危ないだとかいう忠告をしただけで平気な顔で去って行ったのだ。

 今となってはもう当人は覚えてはいないかもしれないが…

 今となれば、忍人は生粋の武人で武人としての思考回路しか動いていない人だとよくわかっているから理解もできるが、女心としては少しくらい驚いてほしかったというのが本心だ。

 それが、まさか自分の恋人にまで似たような反応をされるとは思ってもみなかった。

 着替えを終えた千尋はゆっくりと扉を開けてその向こうにいる風早を上目遣いで見上げた。

 すると水差しを持ったままの風早はその顔に困ったような苦笑を浮かべた。

「着替え、終わったんですね。すみませんでした、まさか着替えているとは思わなくて。」

 そういいながら部屋へ入った風早は千尋専用の器に水を注いでそれを手渡した。

 水は本当に冷たくておいしそうで、千尋はすぐに一口飲んでしまった。

 飲んでしまってから、はっと思い出して風早を睨む。

「怒ってるんですね、本当にすみませんでした、次からはちゃんとノックするようにしますから。」

「違う!」

「はい?」

「そこに怒ってるんじゃないもん。」

「じゃぁ、何に怒ってるんですか?」

「風早は私が好き?」

「好き、ですよ?いつも言ってるつもりだったんですが、たりませんでしたか?」

 そう言ってにっこり微笑まれて、思わず顔を赤くした千尋はぶんぶんと首を横に振った。

 風早の甘い笑顔に負けている場合ではない。

「そうじゃなくて!風早は女の子の私が可愛いの?それとも女性の私が好きなの?どっち?」

「両方です。」

 即答。

 これ以上ないほどの幸せそうな笑顔でそう言われて、千尋は言葉に詰まった。

 裸を見ても平気だなんてどういうつもりだと詰め寄ろうと思ったのに、こんなふうにこんな返事をされてはやりづらい。

「どうしたんですか?そんなことを聞いてくるなんて珍しいですね?」

「だって……風早平気そうだから…。」

「何がですか?」

「さっき、私の裸、見たでしょう?」

「あぁ、平気、じゃぁ、ないんですが…。」

 そう言って風早は苦笑しながら頭をかいた。

 それでも千尋は許さない。

「私の周りにはそういう人しかいないのか、それとも私が全くどうしようもなく魅力がないのかどっちかと思って…。」

「なんの話ですか?」

「前にも同じようなことがあったから…忍人さんと、って、まぁ忍人さんは覚えてないんだろうけど、忍人さんと初めて会ったのって私が泉で水浴びしてる時だったの。だから、たぶん裸を見られたと思うんだけど、忍人さんってば私に武器は体から離すなって言っただけで慌てもしないでどこか行っちゃったの。今の風早もたいしたことでもないっていう感じでいつもみたいに笑ってるし。私の裸ってどんな男の人が見てもスルーしちゃうような体?」

「まさか。」

 そう言って風早は千尋を抱き寄せた。

 平気だなんてとんでもない。

 そう思って千尋をぎゅっと抱きしめる。

「平気を装っていないと困るのは千尋だから、これでも努力したんですよ。」

「へ?」

「俺だって愛しい千尋がすっかり女性らしくなった裸を見てくらっとしましたよ、でも、そのまま千尋に抱きつくわけにもいかないでしょう?」

「か、風早っ!」

「だから、これでも平静を装う努力をしたんです、認めてくれませんか?」

「う、うん…じゃぁ、風早はドキッとした?」

「もちろん。」

「よかったぁ。」

 心の底から安心しているらしい千尋が愛しくて風早はぎゅーっと千尋を抱きしめると、千尋はその胸にうっとりともたれかかった。

 さっきまで暑い暑いと騒いでいたのに、風早のぬくもりは心地良くて…

 ところが、いつまでもこうしていたいと千尋が思った瞬間、風早がその体を離してしまった。

 ちょっとだけ不機嫌そうに顔をゆがめる千尋。

 午後からも姉の政務の手伝いをしなくてはならないことはわかっている。

 でも、今の雰囲気ならもうちょっとだけ甘えさせてくれてもいいのにと、風早が仕事をするようにうながしてくるのだろうと予想した千尋の考えはだが、すっかり裏切られた。

 いつものようにニコニコと微笑んでいる風早はいきなり扉へ向かって歩き出したのだ。

「風早、待って、どこ行くの?」

「ちょっと野暮用です。」

「……。」

 振り返って見せた風早の笑顔に果てしなく嫌な予感がして、千尋は今までの会話を頭の中で再生してみた。

 そして……

「ま、まさか、忍人さんの所に行くんじゃ…。」

「さすが千尋、俺のことをよくわかってますね。」

 ニコッ。

 目が全く笑っていないその風早の笑顔にぞっとして、千尋は慌てて風早の腕に抱きついた。

「ダメ!行っちゃダメ!」

「千尋…大丈夫ですよ、帰ってきたらそれからはずっと千尋の側にいますから。」

「そうじゃなくてっ!風早、忍人さんに何か言うつもりでしょ!忍人さんはもう覚えてないんだから行っても無駄だよ。」

「覚えていないとしても千尋の裸を見たなんて、俺には許せないので。」

「ダメだってば!もう私は気にしてないからっ!」

「気にしてたじゃないですか。」

「もう大丈夫だからいいの!」

「俺が大丈夫じゃないんです。」

 顔はニコニコと微笑んでいるのに、その目だけがギラギラとあやしく光っている風早の腕にすがり付いて、千尋はきりっと風早を睨んだ。

「風早が忍人さんに何かしたら、私、忍人さんの方が可愛そうになって、風早より忍人さんの方が好きになっちゃうかもよ?」

「千尋…。」

 突然風早の目の色が変わった。

 千尋に他の人を好きになると言われて我に返ったのだ。

「千尋、それは…。」

「だから、忍人さんのところには行かないで。私はもう気にしてないから。風早がちゃんとドキドキしてくれたならもうこの話はいいから、ね?」

「俺はいつだって千尋にドキドキし通しですよ。」

 必死な眼差しでそんなふうに言ってくる風早にクスッと笑って見せて、千尋は風早を部屋の中央へと引っ張った。

「じゃぁ、今日はこれからずっと私の仕事を手伝って?そうしたら許してあげる。」

「喜んで。」

 どうやら千尋を忍人に奪われずに済みそうだと風早がほっと安堵の溜め息をつけば、風早が忍人に変なことを言わないでいてくれそうだと千尋も同時に安堵の溜め息をついた。

 そして二人で顔を見合わせて微笑んで…

 午後の政務はゆっくりと開始された。



 この日からしばらくの間、忍人は会うたびに風早から凍りつくような微笑を向けられるのだが、その理由が一向にわからないのだった。








管理人のひとりごと

風早には嫌いになるとか他の人を好きになるという千尋ちゃんの一言が必殺技です(マテ
この路線でいじめすぎるとパパ泣いちゃうかも(コラ
忍人さんとの出会いは衝撃的でした。
たぶん千尋ちゃんはずっと気にする(笑)
風早もたぶん同じ状況になったらニコニコしたまま去っていくんだろうなぁと思って書いてみました。
まぁ、風早の場合は顔と中身は違ってますが(w
あとは、忍人が千尋ちゃんの裸を見ていたということを知った時の風早が書きたかった(笑)







プラウザを閉じてお戻りください