風物詩
「あっついねぇ。」

 千尋は今日、何度目になるかわからないつぶやきをもらした。

 隣では風早が竹と木の葉で作ったうちわで千尋をあおぎながら苦笑している。

 季節は夏真っ盛り。

 向こうの世界で冷房というものに慣れ親しんでしまった千尋にとって豊葦原の夏は暑くてしかたがない。

 湿度も高くてうだるような暑さとはまさにこのことだ。

 言ってどうなるものでもないとわかってはいても、こう暑いとどうしても暑い暑いと口から出てしまう。

 千尋は深い溜め息をついて風早の方を振り返ると苦笑を浮かべて見せた。

「ごめんね、暑い暑いって言っても涼しくなるわけじゃないってわかってはいるんだけど…。」

「いえ、俺はかまいませんが、千尋は本当に暑そうですね。」

「うん…。」

 そう答えて苦笑して、千尋は額の汗をぬぐった。

 朝からとてもいい天気で、天気がいいのはいいことなのだが、こう暑くては少しは曇ってもらいたいとも思ってしまうほどだ。

 いつものように従者としての仕事をしようと朝早くから尋ねてきてくれた風早は、もう既に暑さにやられてくたっとしている千尋の髪を涼しくなるようにまとめてくれた。

 そしてその後はささっと材料をかき集めてうちわを作って千尋をあおぎ続けている。

 そうやって風早が送ってくれる風も生暖かくて涼しいとは言いがたくて…

 しかも風早にずっとそうやってあおがせておくのも申し訳なくて、千尋は首の汗をぬぐうとうちわを持つ風早の手をとって止めた。

「千尋?」

「有難う。もういいよ。風早だって暑いでしょう?動いてたらなおさら…。」

「俺は大丈夫です。千尋よりは暑さに強いみたいですから。」

「そうみたいだけど…でももう大丈夫。あとは慣れ、だと思うし。」

 そう言って千尋に無理に微笑まれてはこれ以上風早も抵抗できなくて…

「わかりました。」

 風早は渋々承知して、傍らにうちわを置いた。

「やっぱり向こうは便利だったね。エアコンは恋しいかも。」

「そうですね、夏は涼しく、冬も凍えることはありませんでしたから…。」

「まぁ、季節感がないというか、味気ないっていうふうにも言えるかもしれないけど……こんなに暑いとやっぱりエアコンは恋しいかな。」

 そう言って苦笑して、千尋はいつもの席についた。

 そこは政務を片付けるための机。

 姉である王が政務のほとんどをこなすとはいえ、姉にも大好きな人と過ごす時間を増やしてほしくて千尋はなるべく自分が代われる政務は引き受けることにしている。

 だから、今日も片付けなくてはならない仕事が山積みだ。

 山と積まれた竹簡を眺めて深い溜め息をついて、千尋は竹簡の一つに手を伸ばした。

「エアコンも恋しいけど、カキ氷とかアイスクリームとかプールとかなんか色々恋しくなってきたかも…。」

「まぁ、気持ちはわかります。プールは無理ですが、水浴びならこっちでもできますよ。」

「あ、そうだね!じゃぁ、これ全部片付けたら水浴び行こうかなぁ……ってこれ全部って絶対夜までかかりそう…。」

 そういいながら竹簡を広げて、千尋は額の汗をぬぐいながら政務を開始した。

 暑い暑いとぼやいていても仕事が減っていくわけではないのだ。

 夜までかかってこれらの竹簡を全て片付けても、今度は熱帯夜がやってくる。

 ここ3日は夜もとても暑くて、あまりの暑さによく眠れないほどだ。

 氷なんて冷蔵庫一つないこの豊葦原ではもちろん手に入らないし、冷たい水だって湧き水の美しい泉までくみに行かなければ手に入らない。

 もちろん、持ってくるまでの間に冷たさは失われてしまう。

 つまり、この暑さには打つ手なしというのが正直なところだった。

 昼間も夜も暑いからといって政務が減ってくれるわけもないので、千尋は持ち前の気丈さでなんとかこの猛暑の中、竹簡を黙々と片付け続けた。

 ところが、いつもならすぐに手伝って一緒に竹簡を片付けてくれる風早が、何か考え込んでしまって一向に手伝う気配がない。

 しばらくして千尋が小首を傾げると、風早はポンっと軽く手を叩いて立ち上がった。

「風早?」

「すみません、これから2週間ほど自由行動させてもらえませんか?」

「へ、うん、かまわないけど…。」

「すみません、仕事、手伝いが必要なら柊を呼びますが…。」

「ああ、えっと、どうしても手が必要なら自分で呼ぶね。今は大丈夫。でも、どうしたの?急に。」

「ちょっと思いついたことがあって……じゃぁ、ちょっと行ってきます。」

「あ、うん、いってらっしゃい…。」

 2週間はちょっと長いなとか、やっぱり一人で仕事は寂しいなとか、何をするわけでもないのだけれどやっぱり風早とは一緒にいたいなとか…

 千尋がそんなことを考えている間に風早はそれこそ風のように部屋を出て行ってしまった。

 こんなことは風早と再会してからは初めてのことで、一瞬の出来事に千尋はしばらく呆然としてしまった。

 それでも、夏の容赦ない暑さはすぐに千尋を現実へと引き戻して…

 千尋は腑に落ちない寂しさの中で仕事を再開するのだった。





 見事に風早は2週間の間、千尋の仕事を全く手伝わなかった。

 朝は挨拶に来るのだけれど、千尋の髪を梳いて病気などしていないことを確認するとすぐに出て行ってしまう。

 そんな日々が2週間続いた。

 風早と再会してからこんなにも一緒にいないことは今までになかった。

 あんまり風早にべったりしてもきっと風早にも迷惑だろうし、そんなに頼りきりなのもいけないと思ってもいるから千尋はこの2週間頑張って我慢した。

 どうしても寂しくて泣きそうになったこともあったけれど、そんなときは仕事を手伝ってほしいといって柊や道臣に来てもらってなんとか自分をごまかした。

 それでも、我慢できるのは風早が宣言した2週間が精一杯。

 もしこれ以上風早が一緒にいてくれなかったらきっと泣きながら風早を探しに行ってしまう。

 風早が仕事を手伝ってくれなくなってちょうど2週間。

 その我慢も最後の一日を千尋は自分の部屋で竹簡と格闘して終えようとしていた。

 最後の竹簡に目を通して片付けて、窓から外を眺めれば真っ赤な夕陽が沈もうとしている。

 うだるような暑さはまだまだ続いていて、風早がいない寂しさもあって、最近、千尋はあまり寝ていない。

 それでも眠くなんかならなくて…

 夜がやってくることがなんだか寂しくて…

 これ以上我慢するなんて絶対に無理。

 そう思って千尋が風早を探しに行こうと立ち上がりかけたその時、扉の向こうに人の気配がした。

「千尋、いますか?」

「風早っ!」

 千尋はどうしても聞きたかったその声に素早く反応して扉へ駆け寄ると、力いっぱいその扉を押し開けた。

 するとそこにはにっこり微笑んでいる風早の姿が。

 泣きそうになりながら千尋が風早に抱きつけば、そっと風早も優しく抱きとめてくれた。

「千尋?」

「本当にずっとどっか行っちゃうんだもん!」

「ああ、すみませんでした。ちょっとどうしてもやりたいことがあって…で、中へ入れてはもらえないんですか?」

 悪戯っぽく風早がそういえば千尋は慌てて風早を部屋の中へ引き入れた。

 それからもう一度しっかり風早に抱きつく。

「千尋……そんなにくっついていたら暑くないですか?」

「へ?風早暑い?」

「いえ、ずっと暑い暑いって言っていたでしょう?」

「それは、まぁ……でも今はいいの!」

 そう言って千尋がギュッと抱きつけば風早は「あはは」と楽しそうに笑って千尋を抱き返した。

 しばらくそうしていればやっと千尋は落ち着きを取り戻して、風早を解放した。

「凄く、寂しかったんだから……。」

「すみません。でも、千尋が暑いと言っていたので…。」

「へ?何?暑いから風早いなくなっちゃったの?」

「いえ、そうではなくて、千尋に少しでも涼しくなってもらいたいと思ったので。」

「涼しくって、ここじゃそんな、涼しくなれるなんて思ってないから気にしないで。」

 それよりずっと側にいてくれたほうが嬉しいのに。

 心の中でそう付け足して、千尋は苦笑を浮かべた。

「ええ、物理的には無理なんで…。」

 そう言って風早は懐から何やら小さなものを取り出して千尋に手渡した。

 小首を傾げながら千尋が受け取ったそれは…

「これ……風鈴?」

「ええ、いくつか作ってやっと綺麗な音が出るものができたんで。」

 千尋が窓辺で風早手作りの焼き物の風鈴をかざすと、ゆるやかな夏の風でカラリと可愛らしい音をたてた。

「うわぁ!凄い!かわいい!」

「向こうの世界でも冷房がない頃はこうして音で涼をとっていたわけだから、こちらでも使えるかと思って。少しは涼しくなりましたか?」

「うん!すっごくいい気分!」

「よかった。」

「でも、どこにつるしておこう…。」

「窓辺がいいでしょう、貸してください。」

 千尋から風鈴を受け取ると風早はそれを器用に窓辺の一画につるした。

 するとたまに流れ込む風で風鈴は優しい音をたてて…

 千尋は満面の笑みで風鈴を見上げた。

「寝苦しい日が続いていますから、これで少しは千尋がよく眠れるようになるといいんですが。」

「うん、大丈夫!これなら毎日気持ちよく寝れる!」

 大はしゃぎの千尋を見て風早もその顔に幸せそうな笑みを浮かべた。

 人の身になった自分は失ったものも多いけれど、こうして千尋を笑顔にすることはまだできる。

 それに人になったからこそ得たものは、失ったものよりもずっと多くて…

 風早は思わず後ろから風鈴を見上げる千尋を優しく抱きしめた。

 すると千尋もうっとりと風早にもたれて…

「ずっと風早がいなくて凄く寂しかったけど、風早は2週間ずっと私のために頑張ってくれてたんだね。」

「これを作ると言っていけばよかったんでしょうが、ちゃんとできるという確信がなかったので。ぬか喜びさせてはいけないので話さなかったんですよ。ちゃんと完成してよかった。」

「有難う、風早。」

 風早の中でくるりと振り返って、千尋は長身の恋人の顔を見上げてにっこり微笑んだ。

 すると嬉しそうな笑みを浮かべた風早の顔が近づいて、千尋が目を閉じると優しく口づけてくれた。

 2週間ゆっくり会えなかったその人の口づけはとても嬉しくて、千尋は風早の胸にもたれてうっとりと目を閉じた。

 部屋の中はとても暑いはずなのに、風早のぬくもりはとても心地良くて…

 ここ2週間、満足に熟睡していないことも手伝って千尋はそのまま意識を手放した。

「千尋?」

 自分によりかかる千尋の重みが増して、風早は千尋がうとうとし始めたことに気付いた。

 もちろん、起こすなんて考えもしないが、立ったまま寝せるわけにもいかない。

 愛らしい恋人を見つめて幸せそうに微笑んで、風早は優しく千尋を横抱きに抱き上げるとそのまま寝台へと寝かせた。

「風早……もうちょっとだけ…。」

「はい、ちゃんと側にいます。」

 可愛らしく風早の服の袖をつかんで止める千尋にそう囁いて、風早は千尋の髪を優しくなでた。

 すると吹き込む風で風鈴がカラリと音をたてて…

 それを聞いて千尋は満足そうに微笑むと、そのまま眠りへと落ちていった。

 すっかり暗くなるまで千尋の側にいた風早は、その後、後ろ髪引かれる思いで千尋の部屋を出ることになるのだが…

 扉の向こうで鳴る風鈴の音が千尋の眠りを守ってくれるような気がして…

 風鈴の音色は夜の訪れと共に千尋の側を離れなくてはならない風早の心も少しだけ軽くするのだった。








管理人のひとりごと

夏、暑かったなぁと思いまして(笑)
あの世界じゃ夏の暑さは尋常じゃないだろうなぁと。
で、風早なら全力で千尋ちゃんを涼しくするはず!
とは言っても物理的に涼しくしてあげることは無理なんで、きっと得意のかわらけで解決!っていうお話でした(笑)
管理人、風鈴大好きで夏はこれで涼をとります。
我が家にも冷房はないもので(’’)
風早が作ってくれた風鈴ならもっと涼しそうだなぁ…
と憧れる管理人でありました(’’)







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