
千尋は朝から政務に励んでいた。
それは姉である王を助けるために千尋が自分から望んだことだったのだけれど…
一人でこなす政務はどことなく重々しくて、千尋は昼になるまでに何度も溜め息をついていた。
というのも、昨日、岩長姫がやってきて風早を借りたいというのを許可してしまったのだ。
今ではすっかり岩長姫に弟子として認められてしまっている風早を独り占めにしておくわけにもいかなくて、千尋はあまり深く考えずに岩長姫に風早を貸し出してしまった。
すると当然のことだが、いつも側で色々世話をやいてくれる風早は不在で…
千尋は一人で一日中政務に励むことになってしまったのだった。
もちろん、千尋だっていつも風早を拘束していて悪いとは思っていた。
思っていたから岩長姫の申し出にも即答でOKしたのだけれど…
千尋が自分で思っていたよりもずっと風早が側にいてくれないのは寂しくて、なかなか政務もはかどらない。
千尋がまた溜め息をついたその時、背後で扉の開く気配がした。
「風早?」
「風早ではなくて申し訳ありません。」
振り返った千尋の目に映ったのは苦笑している柊だった。
そう、入ってきたのは風早ではなく、柊だ。
「ご、ごめんね、つい…。」
「いえ、かまいません。ニノ姫の様子が気になるからお側にと風早に頼まれて参りました。」
そう言って柊はクスッと笑った。
千尋が小首を傾げる。
「ああ、申し訳ありません。そんなに風早のことばかり気にしていらっしゃっては政務も滞っていらっしゃるだろうと思いまして。」
「べ、別に風早のことばっかり気にしてるわけじゃないからっ!」
真っ赤な顔でそう否定する千尋を見てまたクスッと笑って、柊はすぐに千尋の側に歩み寄ると今まで千尋が眺めていた竹簡を手にとった。
「この程度なら私が目を通して重要な部分だけご説明致しましょう。私がこれらに目を通している間に姫には思う存分愛しい風早のことを想っていて頂いてかまいませんので。」
「だからっ!そんなことしないからっ!」
真っ赤な顔で怒る千尋に笑って見せて、柊は黙々と竹簡に目を通し始めた。
そのスピードと言ったら千尋の今までのペースの倍以上。
千尋は怒るのも忘れてぼーっと柊の作業に見惚れた。
みるみるうちに竹簡は柊に平らげられて…
あっという間になくなってしまった。
「さて、では、姫にご理解頂きたい部分を説明させて頂きます。」
「へ、あ、はい。」
あまりにもあっという間の出来事で、ボーっとしていた千尋はあわてて姿勢をただした。
自分のために竹簡全てに目を通してくれた柊の説明だ。
これはきちんと聞かなくては。
そんな千尋に柊は手短に内容を説明する。
重要だったのは他国の動静報告、中つ国の軍隊の訓練状況、農作物の育成状況くらいのものだった。
判断を必要としているものは全て王である姉に回されるので千尋には関係ない。
千尋はただ黙々と真剣に柊からの説明を聞き続けた。
全ての政務を終えて千尋が解放されたのは午後になってからだった。
昼食を柊と共にとって、上の空だとからかわれて、午後も少しだけ政務をこなした。
全て柊が手伝ってくれたから終わるのは予想していたよりもとても早くて、千尋は政務が終わるとすぐに追い立てられるように部屋を出た。
何故なら、柊がすぐにでも風早に会いに行けばいいと言ってきかなかったから。
もちろん千尋だって会いたくないわけじゃない。
でも、たった一日会わないだけでいきなり会いに行ったりしたら、それこそ風早のことしか考えていないように思われそうで…
それはそれで恥ずかしいと思って千尋が躊躇していると、柊にぐいぐいと肩を押されて部屋から出されてしまった。
そうなるともう千尋は風早のところに行くしか選択肢がなくて…
もともと風早には会いたかったのだから、自然と千尋の足は岩長姫の家へ向いた。
風早には自分のやりたいことをして、なるべく楽しく幸せに暮らしてほしいと思う。
自分が大切に想う人だから絶対に幸せであってほしい。
そう思ってはいるのにこうしてわがままにも一日だって会わずにいられない自分がうらめしくて、千尋は今日何度目になるかわからない溜め息をつきながら歩いた。
岩長姫は後輩達の指導のために風早を借りたいといっていた。
だから、きっと風早はもう岩長姫にもかなり見込まれて、頼りにされているはず。
なのに、主の自分がこんなでは風早は何一つ自由にできないんじゃないだろうか?
そんなことまで考えてとぼとぼと歩いていると、やがて千尋の耳に声が聞こえてきた。
「風早は少々てぬるい。」
「そうでしょうか…俺としては厳しくしてるつもりなんですが…。」
「甘やかすと後々、あいつらのためにならん。」
「厳しくするのは忍人と先生に任せますよ。」
見れば、岩長姫の家の前で忍人と風早が立ち話をしていた。
どうやら後輩達の指導は終わったところらしい。
あきれたように溜め息をつく忍人の前でいつも通りの笑顔を見せている風早を目にして、千尋は駆け出した。
今までのためらいはどこへやら。
風早の姿を見たとたん、千尋の体は勝手に動いていた。
「風早っ!」
呼ばれて声のする方へ視線を向けて風早は目を丸くする。
千尋はそんな風早におもいっきり飛びついた。
「千尋?何かあったんですか?こんなところまで…。」
千尋の小さな体を抱きとめて、風早は目を丸くして驚いた。
こんなところまで王族である千尋が一人でふらふらとやってくるなど、よほどのことが起きたのかと思ったからだ。
向かい合って立ち話をしていた忍人も何事かと眉をひそめた。
「別に何もないけど…。」
「何もないという様子じゃありませんよ。俺にはわからないとでも思ってるんですか?」
「本当に何かあったわけじゃないの……ただ…その……今日はずっと離れてたから……。」
風早の腕の中で小さな声で千尋が恥ずかしそうにそういうと、風早の顔にはあっという間に嬉しそうな笑みが浮かんだ。
と、同時に、忍人が安堵ともあきれたともつかない微妙な溜め息をつく。
「風早、俺は仕事に戻る。」
「ああ、はい。お疲れ様でした。」
片手を上げて去っていく忍人には目を向けることさえせずに答えて、風早は千尋をギュッと抱きしめた。
「寂しいと思ってくれたんですね。」
「……ごめんね、たいして時間がたってるわけでもないのに…。」
「いえ、俺は今凄く嬉しいんで。」
驚いて千尋が顔を上げるとそこには満面の笑みの風早が…
「側にいられなくて、寂しい思いをさせてすみませんでした。これからはずっと側にいますから。」
「ずっとって…その…えっと…こんなことで寂しがる私がいけないんだし…。」
「いけなくなんかないですよ。俺はとても嬉しいです。」
本当に心の底から嬉しそうな笑顔を見せられて、千尋は顔を真っ赤にした。
「それに、俺もとても千尋に会いたいと思っていましたし。」
「そう、なの?」
「ええ、訓練している後輩の顔に千尋の顔が重なって見えてしまって、なかなか厳しく指導できなくて今も忍人に注意されていたところです。千尋には似ても似つかない後輩達が千尋に見えてしまうんですから俺も重傷ですよ。」
そう言って風早は千尋を抱く腕に力を込めた。
千尋に話したことは本当で、今朝、千尋のもとを離れてからずっと風早の頭の中は千尋のことでいっぱいだった。
おかげで訓練に身が入らずに忍人に多少迷惑をかけたかもしれない。
一生、こうして千尋の側にいることはできないと思ったこともあったから、少しでも千尋の側を離れるともう会えなくなるかもしれないのだという思いが脳裏をかすめて…
風早はしばらく抱きしめた千尋を離せなくなってしまった。
千尋も一日会えなかった寂しさからか、風早から離れようとしない。
二人がそうして抱き合っていると…
「あんた達…ここをどこだと思ってるんだい、まったく…。」
あきれたような岩長姫の声で二人は我に返ってその身を離した。
「ああ、すみません。」
「ご、ごめんなさい!」
「風早はたいした腕だし、ニノ姫が見込んだんならあたしゃあんた達が交際しようが結婚しようが反対はしないがね。あたしの家の前でそれだけは勘弁しておくれ。」
「けけけ、結婚ってっ!」
「まったく、おちおち弟子を借りることもできやしない。」
「すみませんでした。早々に退散しますので。」
ぼやく岩長姫にもめげずにそういった風早は結婚の一言ですっかり凍り付いている千尋をあっさり横抱きに抱き上げるとスタスタと歩き出した。
「ちょっ、風早?」
「先生が迷惑がってるようなので。」
「そ、それはわかるけど、歩けるからっ!」
「はい。」
「はいって…下ろして?」
「お断りします。」
「ど、どうして?」
「俺が千尋を離したくないので。」
ニッコリ。
自分を抱き上げて歩く風早はとても幸せそうに微笑んでいて、触れている風早の体は温かくて…
千尋は抵抗するのをやめた。
すると風早は上機嫌で歩き続けて…
行き過ぎる官人達が微笑ましそうだったり、不機嫌そうだったり、色々な視線を投げかけてくるのもかまわずに、風早はそのまま千尋の部屋までやってきて部屋へ入るとすぐに千尋を下ろした。
「風早、ありがっ…。」
千尋は最後まで言わせてもらえずに、後ろ手に扉を閉めた風早の唇でその唇をふさがれた。
いつもより少し長いこと口づけて、やっと離れた風早の顔はこの上もなく幸せそうで…
「か、風早っ!」
「これからは千尋が眠るまでずっと側にいますから。」
「へ、あ、うん…。」
「やはり柊に手伝わせて良かったです。」
「へ?」
「千尋の仕事が早く終われば少しは一緒にいられるかなと思いましたから。」
「それで柊をよこしたの?」
「千尋が心配だったというのもあるんですが…仕事を手伝わせるんじゃなければ柊をよこしたりはしませんよ。」
「どうして?」
「千尋を横取りされるかもしれないでしょ?」
「さ、されないからっ!」
耳元で囁かれて千尋は力いっぱい否定した。
柊が自分のことをそういうふうに見ているとは思えないし、たとえば見ていたとしたってその気持ちに自分に応えるつもりはないのだから。
でも、再び自分を抱きしめる風早の腕には力がこもっていて、本当に自分を心配してくれていたのだと伝わって…
「風早、大好き。」
千尋は自分も風早の背に腕を回して抱きついて、そっとそう言ってみた。
自分から口づけるなんてとてもじゃないけれど恥ずかしくてできないから。
その代わりに、想いがちゃんと伝わるように。
すると…
「俺もです。」
頭上から優しい風早の声が降ってきて、千尋はうっとりと目を閉じた。
管理人のひとりごと
とにかく風早には幸せになてほしい管理人ですので、容赦なく甘くなった気がします(’’)
サザキとかに比べると雲泥の差だな(’’)
他のキャラは照れるところが可愛いとか、つんとしてるところがステキとかあるんですけどね…
風早の場合はもう、ひたすらデレっと千尋を甘やかしているのがいい(’’)
とか思ってしまいます。
風早はひたすら甘やかす、それがわかっているから千尋が自分でちゃんと頑張る。
二人はそんな関係がいいかなぁと。
ここはこれからも甘くなりそうです(’’)
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