
千尋は王として頑張っている姉に少しでも楽になってもらいたくて自分から政務をかってでた。
それはもちろん、自分からやりたいと申し出て引き受けたことだから一生懸命やるし、嫌だなんて思ってはいない。
思ってはいないけれど…
自分の背後に座ってじっと見守ってくれている人のことを思うとちょっと悪いことをしたなという気分になってしまう。
背後にいる人…風早。
二ノ姫の従者にやっと落ち着いて、あっという間に周囲の信頼を勝ち取って、四六時中側にいてくれる人。
文字通り従者として常に千尋の側に付き従って何かと面倒を見てくれるのだが、千尋が政務に専念している間は風早の仕事は多くない。
千尋が疲れて溜め息をついたらお茶をいれる。
千尋が目を通し終わった竹簡の片付け。
風早の仕事はそれくらいのものだ。
だから、千尋が政務に専念している間は、その大半の時間をただ千尋の後ろに座って過ごすことになる。
いきなりどこかへ出かけていなくなったりしたらそれはそれで千尋は不安になるのだけれど、それでも何もしないでずっと風早を座らせておくのも気の毒で…
以前、風早も行き先さえ断ってくれれば出かけたっていいし、何か他にやりたいことがあるならやっていてもいいんだと話したことがあるけれど、特にないからと言われてしまった。
千尋が姉から仕事を引き受けてさえ来なければ一緒に散歩をしたり、昼寝をしたり、色々できたのだけれど、それでは千尋の気がすまなくて…
結局、千尋は背後の気配に申し訳ないなと思いながら政務を続けていた。
黙々と何時間も政務にはげんでも、風早が立ち上がる気配はない。
本当に申し訳なくなって仕事が一段落したところで千尋が振り返ると、風早はいつものように穏やかな微笑を浮かべて見せてくれた。
「お疲れ様です。一休みしますか?」
「あ、うん、そうしようかな…。」
ここで休まないという選択をすると風早はまた、ただひたすら千尋の背後に座り続けることになる。
ちょうど肩もこってきたしと千尋が休憩をとることを決めると、風早が手早くお茶をいれて千尋に差し出した。
「有難う。ごめんね。」
「はい?何がですか?」
「私が仕事してるせいで風早暇でしょう?」
申し訳なさそうに千尋がそういうと風早はクスッと笑みを漏らした。
「またそんなことを気にしてるんですか。千尋はちゃんと自分の仕事をしているだけなんですからそんなこと気にしなくていいんですよ。俺も従者として仕事をしているだけですし。」
「でも、ただそこにじっと座ってるだけって苦痛だと思うし…。」
「そんなことありませんよ。俺は千尋の後ろ姿を眺めてるだけでも幸せですから。」
「うぅ…。」
うめき声をあげて千尋はあっという間に顔を赤くした。
風早は昔から千尋には甘い所があったけれど、一度離れて再会して、こうして千尋の従者になってからはもう千尋にべったりだ。
風早が自力で千尋の従者というポジションを勝ち取って、千尋もみんなの前で風早は自分にとって大切な人で一生離れるつもりはないと宣言した。
つまりは風早と千尋は目下、ほぼ公認の恋人同士になるわけで…
だから風早が千尋にべったりでも問題はない。
問題はないけれど、千尋にはまだそれは少し恥ずかしい。
「それより、俺は千尋が心配です。」
「へ?なんで?」
「最近、無理をして仕事を詰め込んでいるから、体を壊すんじゃないかと…。」
いつもたいていのことでは消えることのない風早の微笑がその顔から消えた。
そしてかわりにその顔にはとても心配そうな表情が浮かぶ。
千尋は一瞬キョトンとしてからぶんぶんと音が出そうなほど激しく首を横に振った。
「だ、大丈夫だよ!私はほら、けっこう頑丈だし。それに姉様の方がよっぽど大変な仕事をしているんだし。私なんてちょっと肩がこるくらいだよ!そうだ!急いで仕事終わらせるから、もうちょっとだけ待ってて!」
珍しい風早の心配そうな顔がなんだかとても苦しくて、千尋はお茶を一気に飲み干すとくるりとまた机に向かって仕事を始めた。
とりあえずこの目の前の仕事を片付ければ、風早と何かすることができるはず。
そう思って仕事に集中し始めたその時。
ふわりと肩にぬくもりを感じて、千尋は視線を上へ上げた。
そこには風早の微笑が…
「風早?」
「肩がこっているのでしょう?」
「へ?」
千尋がそれ以上何を言うまでもなく、やさしく千尋の肩はもみもみされて…
「ちょっ、いいよ、そんな!」
「よくないです。肩こりは万病の元ですよ。」
「そ、そんなことは…。」
「痛いですか?」
「痛くはないけど…。」
「痛くないってことはこってるんですよ、千尋は仕事を続けてください。」
「でも…そんな…いいよ、そこまでしてくれなくても。」
「千尋は俺から仕事を取り上げるんですか?」
「へ?なんで?」
「俺はニノ姫付きの従者ですから、これも仕事のうちです。」
「こ、これは仕事じゃないと思うけど…。」
そうつぶやいてみても風早が止めてくれる気配はなくて、千尋はとりあえずそのまま肩をもまれることにした。
実際、数時間、竹簡と格闘を続けた肩は悲鳴をあげ始めていたから。
風早の肩もみは優しくて暖かくて、竹簡に目を通しながら千尋はなんだか幸せな気持ちになってその顔に笑みが浮かんだ。
風早はいつもそうだ。
どんな時でも優しい時間と安心と幸せを与えてくれる。
そんなことを思いながら仕事を続ければあっという間に終わってしまった。
「よしっと、これでおしまい。」
「お疲れ様でした。」
「さてっと、じゃ、風早、二人でどこか出かけようか?」
「俺はかまわないんですが…。」
「何?ダメ?」
「いえ、俺はいいんですが、千尋はこの後、予定が入っているでしょう?」
「へ?そうだっけ?」
予定なんか入っていただろうかと千尋がうめき声をあげそうなほど真剣な顔で思い出してみても何も思い出せず…
風早は困ったような苦笑を浮かべた。
「一昨日、忍人と約束してましたよ、新兵訓練の様子を見に行くって。」
「ああああああっ!」
風早に言われてやっと思い出して、千尋は飛び上がるように椅子から立ち上がった。
そう、姉の代わりに入ったばかりの新兵の訓練を視察しに行くと、新兵を鍛えている忍人と約束したのだった。
政務に追われてそのことをすっかり忘れていたのだ。
「有難う、風早。すっぽかすところだった。」
「いえ、特に準備することがないならすぐに行きましょうか?忍人のことですから準備万端で待ってますよ、きっと。」
「うん。」
こうして千尋と風早は足早に部屋を出た。
向かうは忍人が待っているはずの練兵場だ。
真剣な顔で軽く走るみたいに歩く千尋と、その半歩後ろをニコニコと微笑みながらついていく風早。
こんな二人を見かけるのはいつものこと。
すれ違う官人や采女達は軽く礼をして二人に道を譲った。
そうして慌てている千尋と微笑んでいる風早が練兵場へ到着すると、案の定そこにはいつものように難しそうな顔をした忍人が腕を組んで新兵の訓練を眺めていた。
「忍人さん!遅くなってすみません。」
「いえ、ニノ姫様にはお忙しいところを…。」
「ああ、もう、そんな堅苦しくしなくていいですってば。」
「そうは参りません。」
相変わらずの忍人に苦笑して千尋は新兵達に目を向けた。
みんな元気に剣を振ったり弓を引いたりしている。
「調子よさそうですね。」
「そうでもありません。脱落者が既に15名ほど。」
「あはは。」
忍人の訓練は厳しいことで有名だ。
それもこれも、忍人の親心がそうさせるのだが、それが理解できない者は多い。
つらい訓練に耐えられなければ実戦に出て生き延びることができるはずもない。
だから葛城忍人という人は厳しい訓練をかすのだと理解できずに脱落していく者は少なくないのだ。
「じゃぁ、入隊希望者は更に募った方がいいですね。」
「今のところはまだ問題ありませんが、これ以上脱落者が増えるようであれば考慮頂いた方が。」
「わかりました。みんな真剣に頑張ってくれてるし大丈夫そうですけどね。」
千尋がそういいながら新兵の訓練を見守っていると、いつの間にか忍人の視線は風早に固定されていた。
「忍人さん?」
「……本当にいつもついて歩いているのだな…。」
「俺ですか?」
「ああ…。」
「それはまぁ、ニノ姫付きの従者ですから。」
臆面もなくそう言ってにっこり微笑む風早。
あまりにも自然にすんなりそういわれてはもう忍人に言葉はなくて…
忍人はあきれて深い溜め息をついた。
「そ、それじゃぁ、忍人さん、新兵訓練、引き続き宜しくお願いします。更に募集が必要になるかもしれないって話は姉様にしておきますから。」
「御意。」
軽く一礼する忍人に手を振って、千尋は練兵場を後にした。
「さ、これで……あれ、そういえばまだ何かあったような…。」
「あ、思い出しましたか?」
「やっぱり何か予定があった?」
「ええ、柊から戦術の講義を聞くって言ってましたよ?昨日。」
「ああああああっ!そうだった!」
こうして千尋はまた足早に歩き出し、風早がその後を追う。
そんなことがこの後まだ数回繰り返されるのだった。
「さすがに疲れたぁ。」
全ての予定をこなして夕飯を食べて、千尋がやっと自由な時間を手に入れたのはもうすっかり陽が暮れてからだった。
当然のように一日中千尋について歩いていた風早は、伸びをする千尋を今も見守っている。
いつもならここで食後のお茶が出てくるところで、千尋がそれを待っていると…
千尋の小さな体はあっという間に風早の腕の中に閉じ込められてしまった。
「風早?」
「一日お疲れ様でした。」
「うん、風早もお疲れ様。」
「いえ、俺はそんなには…。」
そう言う風早の声は優しくて、千尋はその腕の中で目を閉じた。
風早の腕の中はいつだって温かくて穏やかで、とても安心する。
でも、いつもならすぐに解放して笑顔を見せてくれるのに、今夜の風早はいつまでたっても解放してはくれなくて…
「風早?どうかしたの?」
腕の中で顔を上げて恋人の顔をうかがえば、風早は困ったような苦笑を浮かべていた。
「すみません、もう少しだけこうしていてもいいですか?」
「そ、それはまぁ、私は嬉しいけど…。」
千尋が顔を赤くしながらそう答えると風早は嬉しそうに微笑んで、更に力を込めて千尋を抱きしめた。
「でも、何かあった?今日の風早ちょっと変。」
「……何かあったというわけじゃないんですが…今日は一日中千尋はみんなのものだったので。」
「そう?」
「ええ。この国の王の妹姫ですからそれは当然なんですが…今やっと二人きりになれたでしょう?」
「ああ、そうだね。やっと二人きりだね。」
そういわれれば、夜の帳が降りてだいぶたって、辺りはとても静かだ。
そんな時間になってやっと二人きりになって、自由に共に過ごせる時間を得ることができたのだ。
そう思えば千尋もこの時間が愛しくて、うっとりと目を閉じたまま風早の胸に体を預ける。
「千尋…。」
耳元にかすれた風早の声が聞こえる。
その声はなんだかいつもの風早の声よりも艶があって…
「何?」
「その…そんなふうにされると…。」
「何が?」
風早が何を言いたいのかがわからなくて、千尋が顔を上げると風早と物凄く近い距離で目が合った。
すると風早の目はあっという間にに幸せそうに細められて、千尋がそんな風早の目が綺麗だななんて思っているうちにその目はすっと近づいて…
千尋の唇には暖かい感触が訪れて、すぐに離れた。
「か、風早っ!」
「断らなくてもいいんですよね?」
「そ、それは…そうだけど…。」
にっこり微笑んで確認されてはもう否定もできなくて…
千尋は真っ赤な顔でうつむいた。
「もう少ししたら自分の部屋へ戻りますから、それまでこうしててもいいですか?」
「…うん。」
耳元で囁かれて、千尋は小さくうなずいた。
もうすぐ夜が更ける。
そうしたら風早は自分の部屋に戻ってしまって、次に会えるのは明日の朝。
明日になればまた忙しい一日が始まるのだ。
だから、せめて今だけは、こうして幸せな時を過ごそう。
千尋はうっとりと風早の腕の中で再び目を閉じた。
管理人のひとりごと
千尋ちゃんの隣をゲットしたその後の風早の日常です♪
ぼーっとしてそうでそれでいて頼りになる従者。
でも、ぼーっとしてる内心はずっと千尋ちゃんを独り占めしたいって思ってる。
そんな感じです(^^)
そんなふうにずと想っていてもらえるから千尋ちゃんも安心♪
安心?想われすぎて恐い、かもしれない(’’)
それくらい風早は外見が静かだけど、内心はいっぱい千尋ちゃんを想ってるってお話。
たぶん(’’)(コラ
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