「何か思いつかない?」
千尋は目の前にいる頼りになる軍師の顔を覗き込んだ。
戦においては敵のみならず味方でさえもハッと目を見開く策を思いつく頼もしい千尋の策士は今、その顔に苦笑を浮かべていた。
そう、事が戦に関することであったなら彼はすぐに千尋の望む策を授けることができただろう。
けれど、今千尋が彼にねだっている策はというと、戦とは全く関係のないものだった。
「柊なら何か思いつくと思ったんだけど…。」
「私の能力をかって頂くのは光栄の極みですが、事が事ですので、本人に尋ねた方が早いのではありませんか?」
「それをしたくないから柊に聞いてるんだけど…。」
まだ朝もはやいうちから千尋は柊の部屋を訪れていた。
仕事に入る前の柊をつかまえるためだ。
どうしてそんなことをしたのかと言えば、もちろん、柊が仕事を始めて忙しくなる前に知恵を借りたかったから、だ。
そして千尋は少しばかり申し訳ない顔をしながら柊に問いかけた。
『風早の誕生日には何を贈れば喜んでくれると思う?』
と。
そして稀代の軍師はこの問いに言葉を失ったというわけだ。
「申し訳ありません、私は風早とはそう付き合いが長いわけでもありませんので…調べてみることはできますが…。」
「そっか、そうだよね…そんなに長い付き合いじゃないんだもんね…。」
千尋は深いため息をついた。
そう、千尋の記憶の中に蘇った風早との時間は柊達と共有することはできない。
だから、彼には風早の知識が千尋ほどにはない。
それを実感するとなおさらいい知恵を借りることはできないような気がしてしまう。
「調べてみましょうか?」
「ううん、そんな時間ないの。だって明日なんだもん、風早の誕生日。」
「それはまた…。」
千尋としてはなるべく自分一人の力で何とかしようとした結果、今まで柊にさえ相談せずに過ごしてしまったわけなのだが…
柊にしてみればもう少し早く相談してくれれば話は違ったかもしれないと思わずにはいられない。
少なくともそれとなく情報を収集することはできただろう。
だが、明日となってはもうそれも無理だ。
「あー、どうしよう…。」
千尋が途方に暮れて目の前の机に突っ伏すと、柊の顔に浮かんでいる苦笑が深くなった。
これほどまでにニノ姫に慕われている風早をうらやましいと思う一方で、この厄介な相談事をどう処理したものかと思案する。
もちろん、放っておいてもいいのだろうがと柊が思考を巡らせた刹那、部屋の扉がゆっくりと開いた。
「柊、千尋は来ていませんか?」
姿を現したのは話題の人、風早だった。
穏やかな声も口調もいつものまま、姿を現せばその顔にはいつもの柔らかな微笑が浮かんでいる。
が、柊は一瞬でその笑顔の向こうに自分を警戒する気配が潜んでいることに気付いていた。
「いらっしゃっていますよ、ほら、そこに。」
「風早…。」
慌てて顔を上げた千尋は自分の方へ歩いてくる風早をちらりと見つめてからすぐに視線を下げた。
聞かれてはまずい話をしていたことが少しばかり後ろめたい。
「やっぱりここにいたんですね。朝、急いで出て行ったと聞いたので。」
「うん、ちょっと柊に相談があって…。」
「相談、ですか。」
うつむく千尋に見られていないのをいいことに風早が柊へと剣呑な視線を向ける。
柊はこれはたまらないとばかりに苦笑しながら両手を上げた。
「相談して頂いたのは光栄なのですが、どうにも私では解決できそうにないのですよ。風早、後を頼めますか?」
「柊っ!ひどい!」
慌てて立ち上がって抗議した千尋は、すぐにその腕を風早にとられて目を丸くした。
振り返ればそこにはいつもの風早の笑顔がある。
けれど、その空気はどこかとげとげしくて…。
「了解しました。千尋、部屋へ戻りましょう。」
「でも…。」
「相談なら俺がのりますよ。」
思ったよりもずっと強い力の風早の手に引かれて、千尋はバタバタと柊の部屋を後にした。
その足はいつもよりも速い速度で千尋の部屋を目指している。
「風早、あのね、本当に柊に協力してもらいたいことがあるの。」
「柊の代わりに俺が協力しますよ。」
「それは無理なの…。」
「俺じゃ役に立ちませんか?」
「へ…。」
急に聞こえた風早の悲しそうな声に、千尋は思わず視線を上げた。
声のする方を見れば、風早の悲しそうな笑顔が…
「ち、違うの!そうじゃなくて!その…えっと…。」
千尋がどう言い繕おうかと右往左往しているうちに、二人は千尋の部屋へと到着した。
朝、慌てて出かけたままの部屋に戻って、千尋は小さくため息をつく。
せっかく早起きして頑張ったのに、何の解決にもならなかった。
そう思うとなんだか悲しい。
「あのね、風早じゃ役に立たないとかそういうことじゃないの…風早に相談したんじゃ意味がないことなの…。」
「わかってますよ。」
「え?なに?」
どう説明したらいいだろうと悩みながら口を開いた千尋に、風早は思いもよらない言葉をかけた。
そして、ついさっきまで悲しそうに翳っていた顔には穏やかな微笑が浮かんでいる。
「風早?」
「俺の誕生日のことを考えてくれていたのでしょう?」
「……ばれてたんだ…。」
「千尋は昔からずっと毎年色々考えてくれてますから。」
「どうしてもいいプレゼントが思いつかなくて柊の知恵を借りようと思ったの…ごめんね。」
「そうですね。いくら俺でも朝一番から柊に千尋を独り占めされるのはあまりいい気分じゃありませんから、やめてもらえると嬉しいです。」
「独り占めって!そんなんじゃないから!」
「でも、一つの部屋に二人きりだったでしょう?」
「それは…。」
言われてみればその通りで、千尋は言葉に詰まった。
千尋は仲間のつもりで一緒にいたけれど、柊にしてみれば一緒に戦った仲間ではないのだし、風早の感覚の方が正しいのかもしれない。
だとしたら謝らなくてはと千尋が口を開こうとした刹那、その視界が一瞬で暗くなった。
「誕生日のことなんですが。」
「な、なに?」
自分が風早に抱きしめられたのだとわかったとたんに千尋の耳元に風早の声が届いた。
囁くような優しい声に、風早の腕の中で千尋の顔が真っ赤に染まる。
「プレゼントの代わりに俺の頼みを聞いてほしいんです。ダメですか?」
「わ、私にできることならなんでもするけど…それで風早が喜んでくれるなら…。」
「なんでも、ですか。」
「う、うん…。」
なんでもを確認されるとどんな頼みごとをされるのか少しばかり恐くなる。
けれど、ここは風早のたのめにと千尋は覚悟を決めた。
「それじゃあお言葉に甘えて。明日の朝は千尋が俺を起こしに来てくれませんか?」
「へ?」
「千尋の声で起きることができたら俺は誕生日を一日、とても幸せに過ごすことができるんですが。」
「起こすって……それだけ?」
「はい、それだけです。」
思わず視線を上げた千尋の目には風早の満面の笑顔が映った。
本当に朝起こしてもらうだけでこの世で一番幸せだとでも言わんばかりだ。
間近で目にしたそんな恋人の笑顔は千尋の目に焼き付いて…
千尋は風早にそっと抱きついて、そしてしっかり一つうなずいた。
「わかった。必ず明日、起こしに行くね。」
「お願いします。」
朝一番に恋人を起こしに行く。
なんだかそれは千尋にとってもとても幸せな行事に思えた。
だから千尋は風早に抱きしめてもらいながら、今の自分がどれほど幸せなのかをかみしめていた。
「かーざーはーやっ!」
絶対に寝過ごさないようにと気を張って、そして千尋は風早の誕生日の朝、風早の部屋を訪れた。
寝台の上で一点の乱れもなく綺麗に横になっている恋人に足音を立てないように細心の注意を払って近づいて、そして一気に声をかけた。
すると、愛しい人の目は難なくすっと開いて、綺麗な瞳が千尋の姿を映しだした。
「おはようございます。」
「おはよう。って、もしかして起きてた?」
「日の出前に目が覚めてしまって…でも千尋が起こしに来てくれるとわかっていたんで、うつらうつらしてました。」
「日の出前って…。」
「それくらい楽しみだったんですよ。」
それじゃあ意味がないじゃないと抗議しようとした千尋は、起き上がった風早に抱きしめられて何も言えなくなってしまった。
「いいものですね、こういう朝は、本当に。」
「そんなこと言って…起きてたんじゃない…。」
「それでも、です。」
そっと千尋を解放して本当に幸せそうに微笑む風早。
そんなふうに風早が喜んでくれるのは嬉しいけれど、でもやっぱりこれじゃあ全然誕生日のプレゼントには足りない気がする。
千尋は正面から風早を見つめながら考え込んでしまった。
「千尋?」
「風早の方が先に起きちゃってたわけだし、なんだかこれじゃ全然誕生日のプレゼントって感じがしない。」
「そう、ですか?俺は嬉しかったですが…。」
「……。」
「おかげで今日はとても幸せな誕生日になりましたよ?一日幸せな気分で過ごせますし。」
「……。」
「千尋?」
どうしたら風早を喜ばせて、今日を幸せな一日にしてあげられるだろう?
千尋は必死にそれを考えて、決意したように一つうなずくと、キョトンとしている風早に思い切って口づけた。
それは一瞬のことだったけれど、唇を離した刹那、驚きで目を丸くしていた風早の顔にはすぐに満面の笑みが浮かんで、千尋は自分の判断が間違っていなかったと安堵のため息をついた。
「有難うございます。千尋からのプレゼント、確かに受け取りました。」
「まだまだ!」
「はい?」
「まだまだ誕生日は始まったばかりでしょう?」
「それは、まぁ…。」
「午前中は二人で散歩、お昼ご飯は私が作ってあげる。それから、午後は私の膝枕でお昼寝、夕飯も私が作るから!」
「千尋…。」
「こうなったら完璧な誕生日を一日演出してあげる!」
腕まくりしそうなほどの勢いでそう宣言する千尋に、風早はにっこり微笑んだ。
「千尋の手料理は久しぶりだなぁ、楽しみです。で、夜はどうなるんですか?」
「へ?夜?」
「朝、昼、夕方ときて、残るのは夜、ですよね。」
「夜、だね。」
「何をしてもらえるんでしょう?」
「何って……こ、子守唄を歌うくらいなら…。」
急に顔を真っ赤にする千尋にくすっと笑みを漏らして、風早は寝台から立ち上がった。
「風早?」
「千尋の子守唄、楽しみです。」
「か、風早っ!意地悪っ!」
「本当に楽しみなんです。でも、その前に、まずは散歩ですね。」
風早は千尋があたふたする前でさっさと着替えを済ませると、千尋と手を取り合って歩き出した。
外は晴天。
少しばかり肌寒い風も二人で歩けばなんということはない。
始まったばかりの幸せな一日。
風早は胸の内でそっと千尋へ感謝の言葉を贈るのだった。