
「あ、そうだ!」
「はい?」
朝一番。
身なりを整えた千尋のもとへ穏やかな笑みと共にやってくるのはいつも風早だ。
そして、風早は朝の挨拶もそこそこに千尋の髪を整える。
それは千尋の望みでもあり、風早の希望でもある作業で、毎朝の日課になっていた。
髪を整えた後は二人で執務ということになるのがいつもなのだけれど…
この日、千尋はちょうど風早の手が髪を整え終わったところで大きな声をあげて、小首を傾げる風早の方へくるりと振り返った。
「風早、お誕生日、おめでとう。」
にっこり微笑む千尋の顔を見て少しだけ驚きに目を見開いて、そして風早はその顔にふわりと優しい笑みを浮かべた。
「有り難うございます。」
正直なところ、風早は自分の誕生日なんてすっかり忘れていた。
常に風早の頭の中にあるのは千尋のことばかりだから。
だから、千尋が誕生日を祝ってくれるなんて思ってもみなかった嬉しい出来事で、風早の顔にはこれ以上ないほど幸せそうな笑みが浮かんでいた。
「それでね。」
「はい?」
祝ってもらった、それで終了、そう思っていた風早は何やら顔を赤くしてもじもじと言葉を続ける千尋に首を傾げた。
『それで』の後ろに続く言葉を想像できなかったからだ。
千尋はと言えば何かを決心したように小さく一つうなずいて、風早の目をまっすぐに見つめた。
「今日は風早の誕生日だから、なんでも一つ、風早のお願いを聞いてあげる!」
「お願い、ですか…。
「もちろん、私にできることならっていうことなんだけど……。」
あっという間に顔を真っ赤にしてうつむく千尋を見つめながら考えること数秒。
風早はすぐに答えを出した。
「では、休んで下さい。」
「へ?」
「千尋が休んでくれると俺は嬉しいんです。」
「………えっと……それが誕生日のお願い?風早の。」
「はい。」
「それは全然、風早のためのお願いじゃないような…。」
「いえ、俺は千尋の側にいて千尋の笑顔を見ることができるだけで幸せですから。千尋がたまには仕事を休んでくつろいでくれるともっと幸せなんです。俺の幸せのために千尋が休んでくれるんですから、ちゃんと誕生日のお願いだと思いますよ。」
そう言ってにこりと微笑む風早に千尋は顔を赤くしながらも納得がいかない。
納得がいかないというか、予想とあまりにも違う展開に戸惑っているという部分もある。
千尋がどんなことを想像していたかといえば…
肩たたきはちょっとばかり保護者っぽいお願いだからされたら却下と決めていた。
膝枕をお願いされた時には喜んでしてあげよう。
デートなら丸一日付き合う気満々。
千尋からのキスなんてお願いをされたらどうしよう!
などなど…
千尋は千尋なりに色々想定していたわけだ。
ところが風早はといえばそれらの想像を一気に吹き飛ばしてくれた。
千尋は小さく溜め息をついてから、おや?という顔で自分を覗き込む風早を恨めしそうに上目づかいに見上げた。
「やっぱり私の休みっていうのはちょっと…それに、今日は一日もともと休みだし…。」
「そうなんですか?」
「風早の誕生日だからお祝いしようと思って空けてあったの。だから、今日はもともと一日休み。」
「そうでしたか。」
「そう!だからお誕生日のお願いはもっと他のことにして!」
「はぁ……さて、困りましたね……。」
そう言って苦笑して風早は考え込んでしまった。
これはもう真剣に悩んでいるらしい。
「そ、そんなに思いつかない?」
沈黙に耐えられなくなって千尋がそう尋ねてみれば、風早は苦笑を深めた。
「そう、ですね。こうして毎日、千尋の側にいられることがもう、俺にとっては想像もしていなかった幸福なので、この上千尋に何か望むなんてなかなか思いつかないんですよ。」
なんということはない様子で語られた風早の本音。
けれどそんな風早の胸のうちは千尋の胸の中にかすかな痛みを思わせた。
もしかしたら二度とこんなふうには一緒にいられなかったかもしれない。
そのことを風早は千尋以上に強く思うことがあるのだ。
すっかり忘れていた風早のことをやっと思い出した千尋とは違って、ずっと千尋を思い続けていた風早だからこそ。
そう気付いてしまうともう千尋はいてもたってもいられなくなって、風早の首に抱きついた。
「千尋?」
「せっかく一緒にいるんだもん、私にできることをいっぱいお願いして!」
千尋がより力を込めてギュッと抱きつくと、風早の手がそんな千尋の体を優しく抱き返した。
その腕の力強さに千尋は思わず目に涙を浮かべてしまった。
「そういってくれるのは嬉しいんですが……。」
「風早が何も思いつかないなら私、今日はずっとこうしてるから!」
「は?」
千尋の体を抱きかかえつつ、風早はきょとんとした顔で宙を見つめた。
その間も千尋は風早の首に抱きついたまま動こうとしない。
これは本当に千尋は風早が何も望まなければこのままでいる気らしいと気付いて、風早はクスッと笑みを漏らすと、千尋の体をギュッと抱きしめ直した。
「風早?」
「それもいいですね。」
「へ?」
「今日一日ずっとこのままというのもいいかもしれません。」
静かに穏やかに風早がそうつぶやくと、ばっと千尋が体を離して風早の目を凝視した。
「ほ、本気?」
「千尋が言い出したんですよ。俺は別に他に千尋にかなえてもらいたい願いもありませんし。」
「そ、それはそうなんだけど…。」
いざとなると恥ずかしいらしい千尋が顔を赤く染めていくのを風早は楽しそうに見つめていた。
こんなふうに他愛ない戯れの一つ一つがもう風早にとっては幸福そのものだ。
「か、風早がそれでいいならいいけど…でもそれじゃあ、何もできないし…。」
とっさに風早に抱きついて宣言はしたものの、抱き合ったまま一日過ごすのではもったいない。
千尋はようやくそのことに思い至ったのだけれど、風早に何も望みがないのなら風早の望みはかなえようがなくて…
「俺は千尋に触れているだけでとても幸せなので、そばにいられるなら何でも構いませんよ。」
昔から何一つ変わらない優しくて穏やかな笑顔。
この笑顔に千尋はいつだってかなわない。
だから、千尋は諦めて小さく息を吐くと、わかったとばかりに一つうなずいた。
「じゃあ、風早の希望通り、今日は一日風早にくっついてることにする。」
観念してそう言って風早の左腕に抱きつくと、風早は穏やかな笑みもそのままに千尋の体を軽々と横抱きに抱き上げてしまった。
「風早?」
「黙ってくっついているというのも千尋が退屈でしょうから。」
「そ、そんなことないけど…。」
千尋がもともととても活発な少女だということを風早は良くわかっている。
だから、そんな千尋が退屈しないように。
風早が抱き上げた千尋を運んだのは窓辺だった。
外の様子が良く見えるその窓辺に、風早は千尋を抱いたまま腰を下ろした。
つまり、座った風早の膝の上に千尋が座る体勢に落ち着いたわけだ。
「ここなら外の様子が良く見えますから、千尋も退屈しないでしょう?」
「た、確かに外の様子は見えるんだけど…その…外からもこっちが見えるような…。」
「いけませんか?」
「いけなくはないんだけど…恥ずかしいというか…。」
千尋の体を優しく抱きしめて満面の笑みを浮かべる風早の顔を見て千尋は言葉を飲み込んだ。
今のところ、窓から見えるのは綺麗な秋晴れの空と黄金色の草原と、あとは美しい鳴き声を聞かせてくれる鳥が飛び交う姿が見える程度。
人が通る気配はない。
それならと千尋は覚悟を決めた。
これが風早の望む誕生日の過ごし方だというのなら、その望みをかなえよう。
そう心に決めた千尋は風早の胸に赤い顔で寄り添った。
「大丈夫、人が近付いたら俺が千尋を隠しますから。」
「どうして?」
「こんな愛らしい俺の姫を他人に見せるなんてごめんです。」
にっこり優しく微笑んだままそう言う風早の顔を至近距離で見つめて、千尋はあっという間に首まで赤くなると風早の胸に顔をうずめた。
風早の言葉はとても恥ずかしくて、でも、他人に見せたくないとまで言ってくれるその気持ちはとても嬉しくて…
これじゃあどっちの誕生日かわからない。
そんなことを思いながら千尋は一日、風早に抱きしめられたまま過ごすことになった。
管理人のひとりごと
某アニメで後ろから抱きってのをやってたので、誰かにやらせたいなぁと思って(’’)
そんな動機です(^^;
ちょうど風早の誕生日だったんで書いてみましたが、結局間に合ってません○| ̄|_
でも書いた以上はUPするのが管理人なのです!
二日遅れましたが、風早お誕生日おめでとう!(>▽<)
もうほんと、行事には遅れずUPしたいものです、次は頑張ります(TT)
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