花の褥で
「本当に?!」

 思わず千尋が身を乗り出して聞き返してしまったのは、この世界でこんなふうに風早にお花見に誘ってもらえるとは思ってもみなかったから。

 急に近づいた千尋の顔に一瞬驚いた風早は、すぐにいつもの温かな笑みを浮かべてうなずいた。

「はい、たまたま見つけたんですよ、すごく大きな桜の木を。」

 いつもの穏やかな口調に千尋の顔は反射的に微笑んだ。

 その優しい声を聞くだけで、自分を慈しんでくれる微笑みを見るだけで、今の千尋はあっという間に幸せを一身に感じている微笑を浮かべてしまうのだ。

「ということで、今から行きませんか?」

「今から……いいの?」

「はい、千尋さえよければ。」

「でも、仕事が……。」

「それは昨日のうちに調整しておきました。今日の午後は休みにしてあります。」

 人畜無害を絵で描いたような、春の日差しを集めて作ったような、とにかく優しい顔の風早はこれでもかなりのやり手だ。

 剣を持たせれば千尋の敵全てを殲滅して見せるほどの腕前であるだけでなく、千尋の側近としての事務処理能力もそこはかとなく高い。

 そんな能力は微塵も感じさせない穏やかな雰囲気の風早に、千尋は嬉しそうに微笑んだ。

「俺と一緒に花見に出かけてくれますか?」

 そう言って風早が伸ばした手を千尋がとらないわけがない。

「もちろん!」

 ほっそりした白い手が風早の伸ばした手の上に乗せられると、風早はその手をしっかりと握って歩き出した。

 風早は千尋の手を引いたまま、足取りも軽く執務室を出た。

 軽快に歩きながらも歩調はちゃんと千尋のことを考えている風早に、千尋も最初のうちは楽しい気持ちいっぱいでついていった。

 ところが…

「風早…。」

「はい?どうかしましたか?」

「その……恥ずかしいんだけど……。」

「恥ずかしい?」

 風早は足を止めて小首を傾げた。

 その言葉通り、千尋の顔は恥ずかしそうにほんのりと紅に染まっている。

 千尋は少し視線を下げながら、辺りをちらりちらりと上目遣いに見ているようだ。

 風早が千尋の視線を追うように辺りを見回すと、遠巻きに自分達を見守っているらしい人々が見渡せた。

 もちろん、誰の顔にも微笑ましいと言わんばかりの笑みが浮かんでいる。

 どうやら千尋は彼らの視線を恥ずかしいと言っているらしかった。

「そんなに恥ずかしいですか?」

 風早としては千尋が周囲の視線を気にする必要は全くないと思っていたから、思わずそう聞き返してしまった。

 何しろ、風早と千尋は周囲の誰もが認める婚約者同士なのだ。

 手をつないで歩くくらいどうということはないはずだ。

 だからこそ、周囲の人々も温かく見守ってくれているのだから。

 ところが千尋は風早のことも上目遣いに見つめながら、風早が予想もしていなかったことを口にした。

「だって……なんだか子供扱いされてるみたいで……。」

 千尋は風早から繋がれている手に視線を移した。

 改めて指摘されてみれば、昔は幼い千尋の手をこうして引いて歩いたことが確かにあった。

 気付いてみれば風早もなるほどとばかりに一つうなずくと、そっと千尋の手を離した。

 一瞬ほっとして、それから少し寂しそうに風早を見た千尋は、いつも通りにニコニコと微笑みながら自分の方へ差し出された風早の腕にきょとんとしてしまった。

「へ?」

「手をつなぐのが子供のようだというのなら、こっちならいいでしょう?」

「こっちって……。」

 じっと千尋は差し出された風早の腕を見つめた。

 これはどう見ても自分の腕をとってくれと言われているわけで…

 それは千尋の中で、なんだかとても大人のカップルのすることのような気がして…

 でも、子供のような扱いが恥ずかしいと言ったのは間違いなく自分だ。

 そんなことを頭の中でぐるぐる考えて、そして千尋は風早の腕に手を伸ばした。

 最初は恐る恐る伸ばされたその手は、最後にはしっかりと風早の腕をつかむ。

 その様子に風早は楽しそうにクスッと笑みを漏らした。

「え、違った?」

「いいえ、違いません。ですが、俺としては腕を抱いてくれた方が嬉しかっただけです。」

「そ、それは……ムリ……。」

 顔を真っ赤にしてうつむく千尋はそれでも風早の腕をしっかり両手で握ったままだ。

 その愛らしい仕草に笑みを深めた風早はゆっくりと歩みを再開した。

 歩いている間、周囲の視線は手をつないで歩いていた時よりも明らかに更に温度の高いものになった。

 初々しいカップルを見守る視線に千尋は外へ出るまでうつむき通しだった。

 どんな顔をして歩けばいいかわからなかったからだ。

 けれど、外へ出てしまえば空はとても青くて、陽射しが心地よくて…

「気持ちいい…。」

 そうつぶやいて頭上を見上げて微笑んで、千尋は深呼吸をした。

 緑を含んだ風が鼻腔に心地いい。

「本当に気持ちいいです。」

「ね。」

 風早も同じ気持ちでいてくれるのだと思えば嬉しくて、千尋は空から風早へと視線を移して微笑んだ。

 ところが、風早はと言えば満足げな笑顔で自分の腕の辺りを見つめている。

 不思議に思って千尋も風早の視線の先へと目をやれば、いつの間にか千尋は風早の腕をしっかりと抱きしめていた。

「わっ!」

 驚いて千尋が離そうとしても、風早の空いている方の手がそれを優しくとどめた。

「俺はこっちの方が嬉しいんですが。」

「そ……そう?」

「はい。」

 満面の笑みでうなずかれては千尋ももう腕を離すことはできなくて、二人は腕を組んで再び歩き出した。

 青々とまでは言わないが、緑に染まる周囲の景色は新しく芽吹いた命に輝いてとても美しい。

 人気のない辺りまでくれば千尋も風早の腕を抱いていることを気にすることもない。

 道端に咲く名もなき花を愛で、空の青さを全身で感じながら二人が歩くこと数十分。

「わぁ、綺麗…。」

 とうとう千尋の視界に薄紅に染まる大きな木が見えてきた。

 それは千尋の腕では抱えられないほど太い幹を持つ、巨大な桜の木だった。

 しかも時期はちょうど散り際。

 大木の周囲はまるで薄紅の毛氈を敷き詰めたかのように桜の花弁の色に染まっていた。

「すごい……。」

 桜の木の前に茫然と立つ千尋を見て、風早は満足そうに微笑んだ。

「ここのところは天気が良くて、雨も風もありませんでしたから、すっかり花びらが積もっているでしょう?」

「うん。」

「寝転がっても気持ちいいと思いますよ。」

「え?寝るの?ここで?」

「はい。小さい頃、千尋は桜の布団で寝てみたいって言ってたじゃないですか。今ならその夢、かなえられると思いますよ。」

「あ……。」

 言われて千尋は初めて思い出した。

 確かに幼い頃、風早に連れられて行った花の名所でそんな話をしたかもしれない。

 それは幼い子供のほんの憧れで、今思えば夢物語だ。

 微笑ましいと笑って忘れてしまうのが普通だろうその夢物語を風早はしっかり覚えていたらしい。

「そんなこと覚えてたんだ…。」

「覚えてますよ。千尋のことですから。俺は千尋のことならどんな些細なことでも、一つも忘れません。」

 少しだけ自慢げに、けれどそれよりも温かい想いのこもった笑顔で見つめられて千尋の顔はあっという間に赤くなった。

「あ、有り難う…。」

 それが千尋の素直な気持ちだった。

 いつもどんな時も自分を想ってくれている人。

 自分を想ってくれていることにも、そして何一つ忘れずにいてくれることにもどうしても感謝したかった。

 その想いがあったからこそ、こうして今、二人でいられるのだから。

「お礼なんて、俺がしたくてしていることですから。それより、寝てみてください。」

「うん!」

 せっかくの風早の好意だ。

 千尋は満面の笑みを浮かべて桜の巨木の下に寝転んだ。

 かさりという音は降り積もった桜の花びらが軋んだ音。

 その音さえも愛しくて、千尋はにっこり微笑みながらも青い空が透けて見える散り際の桜に目を細めた。

「寝心地はいかがですか?」

「すっごく気持ちいい!」

「ん〜…。」

 千尋は心の底からの本心を口にしたのだが、風早は何故か考え込み始めた。

 突然の風早の豹変に驚いて千尋が半身を起こせば、突然風早が千尋の隣へと座った。

「こうしましょう。」

 小首をかしげている千尋の隣で今度は風早が寝転がる。

 ただし、その左腕はまっすぐ横へと伸ばされていた。

「え?何?」

「枕がないと寝にくいでしょう?なので、どうぞ。」

「へ……。」

 それは間違いなく腕枕というものだ。

 そうと気付いて千尋の顔は突然真っ赤に染まった。

「千尋?」

「えっと……その……。」

「俺の腕では嫌ですか?」

 切なげな瞳が悲しそうな翳りを見せるのを見てしまっては、千尋の首は反射的に横に振られていた。

 もちろん、嫌だなんてことあるわけがない。

 ただ少し恥ずかしかっただけ。

 そう言おうとして千尋はふわりと浮かんだ風早の嬉しそうな笑みに言葉を失って…

 結局、そっと風早の腕に頭を乗せて体を横たえた。

 頭の下に感じる温かさがなんだかくすぐったくて恥ずかしくてもぞもぞしていると、風早がクスッと笑みを漏らす声が聞こえた。

「風早?」

「幸せです、俺は。」

「そ、そう?」

「はい。」

 風早は千尋の頭を落とさぬように気をつけながらゆっくり半身を千尋の方へと起こすと、その顔を覗き込んだ。

 そこには真っ赤な顔をしながらも幸せそうな千尋の姿があった。

 自分だけではない、千尋も幸せを感じてくれているのだとそうわかれば、風早はにっこり微笑んで千尋の頬に一つ口づけを贈った。

「ちょ…風早!ここ外!」

「誰もいませんよ。」

「そ、そうだけど……。」

「千尋。」

「なに?」

「また来年も来ましょう。腕枕、しますから。」

「うん。」

「再来年も来ましょう。」

「その先もずっと毎年ね。」

「はい。」

 幸せに満ちた声でこたえて、風早は空いている腕を千尋の体へと回した。

 その小さな体を抱き寄せれば幸せは更に大きくなって…

 頬を赤く染めながらも満足そうに微笑んでくれる千尋を抱きしめる風早の上にはいつの間にかいくつもの花弁が舞い落ちていた。








管理人のひとりごと

すっかり時間がかかってしまいましたが、桜企画の〆は風早にお願いしました!
今年の桜はなんだか足が速くて、管理人は散るところばかり見たわけです。
でも、一斉に散って、花びらが道路に吹き溜まっている様はそれはそれで壮観でした。
ということで、その上に寝てみようっていうお話です。
現代では車の排気ガスとか空気が汚いから下に落ちてる花びらもどうなの?って気がします。
が、古代では空気も綺麗!人が来ないところならきっと下に落ちた花びらだって綺麗!
管理人も一度、花びらがふわってなってるところで寝てみたいものです!









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