
冷たい空気が身にしみる夜。
柊は一人、自室で窓から空を見上げていた。
冬の冷たい空気に空は冴えて、月が出ているというのに強い光を放つ星もいくつかその隻眼に映っている。
一人小さく溜め息をついたのは、昼間のことを思い出したからだった。
昼間、彼は仕えるべき主であり、恋人でもある女性の側にいた。
その女性、千尋は一日ずっと上機嫌だった。
仕事をしている時でさえ楽しげにしている恋人の姿を見ることは柊にとっては穏やかな幸福に違いない。
それなのに、千尋の笑顔にほんの少しの寂しさを感じてしまったのは今まで意識したこともなかったものを意識してしまったからだ。
千尋は恋人だけでなく、仲間達の生まれた日をそれはよく覚えている。
そしてその日がやってくると、必ず「お誕生日おめでとう」と声をかけるのだ。
その様子を普段はにこやかに見守る柊だが、この夜ばかりは仲間達に声をかける千尋の顔を思い出さずにはいられなかった。
何故なら、本日は2月28日。
つまり、柊が生まれた2月29日の前日だからだ。
けれど、2月29日は4年に一度しかやってこない。
今年は29日が存在しなかった。
あの「お誕生日おめでとう」という朗らかな千尋の声が自分にはかけてもらえないのだと思うと、柊は自分で意識しないうちに溜め息をついているのだった。
これまで自分が生まれた日を意識したことなどなかったというのに…
千尋という女性は柊に大きな影響力を持っている。
それは恋人となった今、以前よりも大きな力になっていた。
千尋のたった一言で一喜一憂している自分に柊が苦笑をこぼしていると、そこへひょっこりと思い描いていた女性が現れた。
「柊、まだ起きてる?」
明かりのない部屋には月の光だけが差し込んでいて、その光に照らされた千尋はいつもよりも大人びて、美しく見えた。
柊はその顔にいつもの笑みを浮かべると、軽くうなずいて見せた。
「起きてはおりますが、このような時間に何か御用でしょうか?我が君。」
窓の外に輝く月の位置から考えて、今は既に深夜だ。
こんな時間にいくら恋人とはいえ、異性の部屋を訪ねるというのは千尋には珍しいことだった。
ということは、何か重要な用件があるに違いない。
そう考えて柊はすぐに、入り口でまごついている千尋の側へ歩み寄った。
「ごめんね、こんな時間に、中、入ってもいい?」
「もちろんです。が、急ぎの用では…。」
「あ、違うの。別に何か事件が起こったとか困ったことができたとかそういうことじゃないの。」
「はぁ。」
柊は珍しく小首を傾げながら恋人でもある主を中へと招き入れた。
月明かりしか差し込まない暗い部屋は一人でいるとよりいっそう暗く感じたものだが、千尋が中へ入っただけでぱっと明るくなったように思えた。
それほど千尋という女性の存在感は大きい。
「うわぁ、月がきれい。」
先ほどまで柊がいた窓辺へ歩み寄った千尋は月を見上げて微笑んだ。
夜の静けさの中で笑顔だけが美しく浮かび上がる。
「寒くはございませんか?我が君。」
「うん、大丈夫。柊、こんな時間にまだ起きてたんだね。」
「少々思うところがございまして…。」
「ふーん。でもよかった、起きててくれて。眠ってたら起こすの申し訳ないなと思ってたから。」
こんな深夜にやってくるということは何か急ぎの用があるはずだというのに、千尋は落ち着いた様子で何やら楽しそうだ。
柊は千尋の隣に立ってじっと横顔を見つめた。
昼間も共に仕事をする時間はあるが、こうして二人きりになることは少ない。
だいたい、風早だの忍人だのといった従者が千尋の周りにはついているからだ。
珍しい二人きりの時間に柊がじっと恋人の横顔を見つめていると、その横顔がくるりと自分の方を向いた。
「あのね、こんな時間に来たのは、この時間じゃないといけない理由があったからなの。」
「はぁ。」
「もう真夜中かな。」
「はい。」
「日付、変わる頃?」
「そうだと思いますが。」
「じゃあ、お誕生日おめでとう、柊。」
ニッコリ笑って見上げる千尋の顔に柊は目を丸くした。
誕生日を祝ってもらえるとは思ってもみなかった。
ましてや、二人きりでこんなに近くでこんなにも幸せそうな笑顔でこの「お誕生日おめでとう」を言ってもらえるとは。
「ほら、柊の誕生日って29日でしょう?でも今年は29日がないから、だったら日付がちょうど変わる時にお祝いするのがいいかなと思って。」
「我が君…。」
「4年に1回しかお祝いできないなんて私が寂しいし…そりゃ、4年に1回っていうのも有り難い感じがするのかもしれないんだけど……こんな時間に迷惑だった?」
「まさか、我が君が迷惑であることなどありえません。」
「よかった。あ、そうだ、柊に誕生日の贈り物って何にしていいかわからなかったの。だから、明日は一日休みにしたから、二人でどこか行かない?」
楽しそうに語る千尋の言葉に柊はまた目を丸くすることになった。
二人でということは明日が休みなのはどうやら自分一人ではないらしいと悟ったからだ。
未来の出来事を見通すことができる柊にとってこんなふうに驚きを与える人物は千尋ただ一人。
そんな恋人に柊はそっと手を伸ばす。
すると少しだけ頬を赤らめながらも避けようとしない千尋のその頬に柊の手は易々と届いた。
「どこかへ、行かなくてはならないのでしょうか?我が君。」
「へ?行きたいところ、ない?」
「いえ、ここで一日というのはいかがでしょうか?」
「ここで…。」
言われて初めて千尋は自分が柊の部屋に二人きりでいることを意識した。
つまり、柊は一日二人きりでこの部屋にいようと誘ってくれているのだ。
それはきっと、千尋が育った違う世界で憧れていた恋人同士の時間というものを過ごせるいい機会だ。
千尋はそう考えてニッコリ微笑むと大きく一つうなずいた。
「柊がそれがいいなら。」
「我が君を独り占めできるとは、身に余る幸福です。」
「また柊は大げさなんだから。」
「いえ、決して大げさなどでは。」
そう言って柊が千尋の頬から離した手を肩へと伸ばして抱き寄せると、千尋はあっという間に首まで真っ赤になった。
柊が予想もしないような大胆なことをする千尋だが、こうしてみればやっぱり柊の方に分がある。
柊はそれを確認して口元に笑みを浮かべると、恋人の細い体を抱きしめて微笑の浮かぶその口を耳元へと寄せた。
「我が君が今年はやってこない私の生まれた日を祝って下さるというのは、露ほども考え及ばぬ事態でしたが…我が君。」
「なに?」
「このような時刻に男の部屋を訪れるというのはいかがなものでしょうか。」
「へ、ごめん、眠かった?」
慌てて顔を上げた千尋が困ったような顔をしているのが愛らしくて、柊は思わずクスッと笑みをこぼした。
眠かったとはまたかわいらしい問いかけだ。
「いえ、一晩や二晩眠らずとも私は一向にかまいませんが、少しは警戒して頂きたいものです。」
「警戒?」
「はい、こう見えて、私は風早辺りにはずいぶんと警戒されている危険な男、だったのですが。」
そう、主大事の風早には危険だという理由で刃を向けられたことさえあった。
もちろん、その頃も今も千尋に危害を加えるつもりは毛頭ないが、危害を与える以外のことをする気は多少なりともある。
その辺がどうやらこのまだ幼さの残る恋人にはわからないようで、柊は危ういその恋人をまたしっかりと抱きしめた。
「柊は私にそんな危ないことしないでしょう?信じてるもの。」
「それはまた、光栄ですが…男が女にすることというのは危ないこと、だけではありません。」
「……。」
たっぷり10秒は静かに考えたらしい千尋は、10秒後、柊の腕の中でごそごそと身もだえしながらまた首まで赤くなった。
柊は言葉の意味を理解したのならおそらくは逃げ出したいだろう千尋を腕の囲いから解放すると、その顔に苦笑を浮かべた。
嬉しかった誕生日とやらはこれで終了。
あとはまた、明日の朝まで一人きりの時間が始まるのだと思えば、その顔は自然と歪んだ。
ところが、解放されればすぐに逃げるように自分の部屋へ帰っていくだろうと思っていた千尋は、柊の前でうつむいたまま微動だにしない。
柊がどうしたものかと考え込んでいると、か細い千尋の声がその耳に届いた。
「どうせ、明日は一日一緒にここにいるんだし…その……今からずっと一緒にいてもいいんじゃないかな。」
「は?」
「だから、明日の夜までずっと一緒にいたいんだけど…。」
この恋人は先ほどの話を聞いていなかったのだろうか?
もしくは言ったことの意味がわかっていないのだろうか?
柊は困惑しながらゆっくりと上げられた千尋の視線を受け止めた。
そこにはどこか必死な、それでいて熱っぽい感情が宿っていて、柊の心臓をドキリと跳ねさせた。
「我が君、それは…。」
「柊の言ったことの意味はわかってるつもり。でも、私は柊のこと信じてるし。柊は私の嫌がることは絶対しないでしょう?」
潤んだ目で見上げられて自信にあふれた問いを投げかけられて、そんな約束はできかねるといったい誰が言えただろう。
柊はあきらめたように一つ息を吐くと、苦笑しながらうなずいた。
「我が君の仰せの通りです。」
「じゃぁ、一緒にいてもいい?」
「お望みのままに。」
柊が答えて大仰に深々と一礼して見せれば、千尋は嬉しそうに微笑んだ。
この恋人はやはり数段自分よりは上手だと再認識しながらも、柊はしっかりとその軍師の思考で策をめぐらせる。
少しはこのかなわぬ恋人に意趣返しをしてもいいはずだ。
きっとそれをこの気高い女王は嫌がったりはしない。
柊は喜びで満面の笑みを浮かべている千尋との距離をあっという間につめると、驚いている間にうっすらと驚きで開かれていた唇を奪った。
いつもより長く口づけてから顔を離してみれば、千尋はあっという間に赤くなってぷいっと視線を外してしまった。
「そ、そういうことをこの状況でするのは…。」
「嫌がることはしないと申し上げましたが、嫌がらないことであればしても良いのかと。」
「へ…。」
それはつまり、キスは嫌じゃないだろうという意味。
そうと気づいて千尋は口をパクパクさせて混乱してから、いつものように不敵に微笑む忠実な軍師に溜め息をついた。
そして極めつけとばかりに上目遣いに睨みつける。
「き、今日は誕生日だから特別に許してあげるんだから。」
これが千尋にできる精一杯。
それでも上目遣いは柊にはどうやら効き目があったようで、一瞬目を見開いた柊は苦笑しながら千尋に一礼した。
「お許しいただけて何より。では、我が君、こちらへどうぞ、もう少し美しい月を眺めて気を落ち着かせてはいかがかと。」
柊にうながされて、千尋は窓辺に柊と二人並んで座った。
美しい月を見上げながら恋人に寄りかかれば、無理をして起きていた千尋はすぐに睡魔に襲われて…
恋人の温もりと夜の静けさと、翌日は一日中共にいられるという喜びに満たされて、千尋はあっという間に眠りについた。
そして、本当に信用されているらしいことに複雑な想いを抱きながら、柊はしっかりと恋人の小さな体を抱き支えて、月を見上げた。
どうやらこれは、愛しい恋人でもある主の安眠のために、自分は徹夜することになりそうだと覚悟を決めながら。
管理人のひとりごと
久々に当日にUP…いや当日じゃないっちゃないんですが(^^;
柊お誕生日おめでとう\(^o^)/
今年も28日しかなかったんで、2月…
こんな話にしてみました。
ないなら変わり目でやってみようという…
まぁ、あのゲームの時代にこういう時間の観念はたぶんなかったと思うし、暦も違ったんだろうけども、その辺はまぁ、いいかと(’’)
その辺はさらっと流して読みましょう(マテ
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