何事もなく
「我が君、柊でございます。」

 扉の向こうからそんな声が聞こえて千尋はすぐに扉を開けた。

 朝、髪を整えにきてくれた風早はあとは柊が来るだろうからともうとっくにいなくなっていて、部屋には千尋と山と積まれた竹簡だけが残されていた。

 政務を行うなら柊の方が役に立つだろうと、最近、風早は早い時間に退散してしまうのだ。

「おはよう、柊、入って。」

「おはようございます、我が君、では、失礼致します。」

 柊は千尋の部屋へと足を踏み入れて後ろ手に扉を閉めると、机の上の竹簡の山を見て苦笑した。

 自分が頼られているというのはこの上もなく嬉しいことではあるが、こうも仕事が山積みにされているのも複雑だ。

「我が君にはいつもとかわらず日輪のごとき神々しさでいらっしゃいますが…にしてもこの天にも届かん勢いの報告書の山は…。」

「でしょ、あちこちから色々報告が上がってて…常世からも来てるし、あと、近隣諸国からの挨拶とかもう凄い数なの。」

「で、風早は逃げ出した、と?」

「ん〜、逃げ出した、のとはちょっと違うんだけど…。」

 そう言って千尋は顔を真っ赤にしながら二人分のお茶をいれると一つを柊に手渡した。

「気をね、使ってくれてるんだと思う、風早は。」

「なるほど。」

 真っ赤な顔で千尋が席について竹簡を手に取れば、柊も無駄口をたたいているわけにもいかない。

 机をはさんで向かい側に座って、柊は一番近くにある竹簡を手に取った。

 仕事をさせる代わりに気を使って二人きりにしてくれると言うのだからありがたいと思うべきだろうか?などと柊が考えながら竹簡を次々に片付けていると、千尋の視線を感じた。

 竹簡から視線を上げてみれば、そこにじっと自分を見つめる千尋の碧い瞳が。

「我が君?どうかなさいましたか?」

「え、ううん、ただ、その…なんだか柊と一緒にいるのって仕事の時ばっかりだなって思って…。」

「私はこれでも我が君の最も忠実なるしもべと自負しておりますので、側近くで使って頂けるのは光栄の極みですが…。」

「そうじゃなくて。なんていうか、もっと仕事じゃなくて……デートとか、したいなぁっと思ったりして…。」

「でーと、でございますか?」

「ああ、えっと、一緒にお散歩するとか、一緒に食事をするとかそういう普通のことを二人でしたいかなって思って…なんか、柊とは一緒に仕事してばっかりだから…。」

 そう言って千尋は苦笑した。

 確かに、最近では毎日のようにこうして二人は顔を合わせているのだが、二人でいる時はたいてい竹簡と格闘している。

 それが何故かといえば千尋が柊を呼び出すのが仕事のあるときばかりだからなのだが…

 千尋としてはまだなんとなく、何か理由がないと柊を呼び出しにくくてそうなってしまっている。

 柊としてはまだ裏切り者という目を向けてくるものが多々いるのを気にして、なるべく自分からは千尋に近づかないようにしているらしくて、そうなると千尋もベタベタとするのは気が引けるのだ。

 それでも会いたいからと色々考えると、結局仕事を理由に呼び出すことになる。

 だから二人の間には常に仕事があるわけだ。

「ねぇ、柊。」

「なんでしょうか?我が君。」

「明日は一日、仕事とか関係なく、二人で一緒に散歩したいって言ったら、ダメ?」

 恐る恐る千尋がそう訪ねてみれば、柊は隻眼を細めてじっくりと千尋を見つめて…

「それが我が君のお望みとあらば、それを私がかなえて差し上げないとでもお思いなのですか?」

「じゃ、じゃぁ、明日は二人でデートね!デート!」

「なるほど。」

「へ?」

「ただ何事もなく二人で時を過ごすことをデートと言うのですね、あちらの世界では。」

「あ、ああ、うん、そうだね。そうかも。」

 千尋は満面の笑顔で嬉しそうにしている。

 それを見て、柊も口元をほころばせると次の竹簡へと手を伸ばした。

「明日一日を空けるのでしたら、今のうちにこれらを片付けてしまいましょう。」

「あああああ!そうだった!」

 千尋はあっという間にその顔に真剣な表情を浮かべて、竹簡とにらめっこを始めた。

 そう、今目の前にあるこの仕事を片付けてしまわなくては、明日一日を柊とのデートに使うなど到底できないのだ。

 柊は目の前で必死に竹簡と戦う主を見て微笑した。





 千尋は風早に見送られて部屋を出た。

 迎えにきてくれた柊を一歩も部屋にいれずに、大急ぎで自分が部屋を出たのは少しでも早く二人で歩き出したかったから。

 柊の手をとって千尋は楽しそうに歩きだす。

 いつも千尋の身の回りの世話をしている采女達は微笑ましくそれを見送ったが…

 宮の入り口付近までやってくるとその雰囲気は一変した。

 柊は誰しもから尊敬されているというわけでは決してない。

 共に戦った仲間達こそ全幅の信頼を置いているが、裏切り者であったことをいまだに根に持っている者が官人達の中には少なくなのだ。

 だから、宮の入り口付近までやってくると、そんな官人達からは千尋さえもが白い目を向けられた。

 自分だけならまだしも、大切な主にまでそんな目を向けられては気がすまないと、柊が官人達に嫌味の一つも放ってやろうかと思い立ったその刹那…

「いーーーーっだ!」

 柊の手を引いて先を歩いていた千尋が急に大声を出した。

 慌てて柊が様子をうかがえば、千尋は自分達を見つめていた官人達へ思いっきり舌を出しているではないか。

 一瞬、あっけにとられた柊は千尋に強く手を引かれて宮の外へと踏み出した。

「まったく!失礼しちゃう!」

 どうやら無礼な官人達に腹を立てているらしい千尋を見て、柊は思わずクスリと笑みを漏らしてしまった。

「柊?何がおかしいの?」

「いえ、我が君のお顔がまるで小リスの如く、あまりに愛らしくていらっしゃったので。」

「ひ、柊っ!私の顔はいいの!柊も怒ってよ!」

「実を申せば、私も怒ってはいたのですが、我が君が私の代わりにお怒り下さいましたので。」

「もぅ、私は別に柊の代わりに怒ったんじゃないんだから。」

 そう言ってむくれながらも柊の手をしっかり握って、千尋は近くの森へ向かって歩いていく。

 柊はそんな千尋の隣で隻眼を細めながら歩いた。

 歩む速度は隣の恋人に合わせて少しだけゆっくりと。

 既定伝承にはない新たな時の中で輝くその横顔をしっかりと目に焼き付けながら。

「今日はなんにも予定ナシね、ただ二人でぼーーーーっとするの!」

「はい、我が君。」

 途中からは気分の悪い官人達のことも忘れて上機嫌の千尋は、柊の手を引きながら森が見えてくると駆け出した。

 そこはほとんど人の気配もなくて、とても気持ちいい。

 木漏れ日の中を歩くこと数分。

 二人は誰もいない森の中、一本の大木の根元に腰を落ち着けた。

「天気が良くてよかった。」

「昼寝でもなさいますか?我が君。」

「ん〜、私は別に眠くはないけど…せっかくの天気で気持ちがいいし……そうだっ!柊が寝て!」

「は?」

 キョトンとする柊に千尋はパシパシと自分の膝をたたいて見せる。

「膝枕してあげるから柊が寝て!」

 すっかり張り切っているらしい千尋を見て柊は苦笑した。

 まさかこんなことを言われるとは。

「私の膝枕じゃ寝られないとか言う?」

 千尋は悪戯っぽくジト目で柊をにらむ。

 こんな戯れも千尋には楽しくてしかたがないらしい。

 そう気付いて柊はふっと艶のある笑みを浮かべた。

「いえ、光栄の極み。」

 柊はそう言ってわざと大仰に一礼すると、流れるような動きで千尋の膝に頭を乗せ、その隻眼を閉じた。

 柊が胸の辺りで手を組んで体をくつろがせれば、千尋は嬉しそうに微笑んで柊の髪をなでた。

「寝ちゃっていいからね。」

「それでは我が君は退屈ではありませんか?」

「全然、私も凄く楽しい。」

 一度柊が目を開けてみれば、そこには本当に幸せそうに微笑む千尋の顔があった。

 木漏れ日がちょうどよく全身を照らしてくれていてほのかに暖かい。

 穏やかで静かで、そして幸せな一時。

 今までにこんな時を得たことなどなかった。

 そう思いながら柊が静かに目を閉じていると、千尋がその髪をなでる手を止めた。

「柊?眠ったの?」

 千尋の問いかけに答えはない。

 ただ、柊の規則正しい呼吸だけが聞こえる。

「柊?本当に寝ちゃった?」

 これにもやはり答えはなし。

 千尋は整った繊細な柊の顔をじっくり見つめて、見惚れて……

 それから少しずつ顔を近づける。

「眠ってる、よね?」

 最後にそう一言つぶやいて意を決して…

 千尋はそっと薄く整った柊の唇に自分の唇を重ねた。

 しっかりと感触を忘れないようにと口づけて、ゆっくり顔を離す。

 まだ眠っている様子の柊を見て千尋がほっと安堵の溜め息をつくと、柊がクスリと笑みを漏らした。

「ひ、柊?起きたの?」

「いえ…起きたというより、眠ってはおりませんでした。」

 そう言って隻眼を開いた柊は真っ赤な顔の千尋を見つめて満面の笑みを浮かべた。

「い、言ってくれたらいいのに、ひどい。」

「いえ、私が眠っていると我が君は何をして下さるのかと興味がありましたので。」

「興味って……もぅ…。」

「このように愛らしい口づけを頂けるのなら狸寝入りなどいくらでも。」

「ちょっ、もうだめ!起きてるなら起きてるって言って!」

 首まで真っ赤になりながら怒る千尋を見上げて、柊は微笑んだ。

 神に逆らってまで未来を切り開いた女性とは思えない屈託なさだ。

 そんなところが千尋の魅力なのだと柊は一人納得する。

「お、起きてても、たまにだったらしてあげるから…ちゃんと起きてる時はそう言って……。」

「御意。」

 真っ赤な顔の千尋に柊は手を伸ばす。

 以前なら手が届かなくなっただろう金の髪に触れて、そのまま透き通るように白い頬をそっとなでた。

 千尋はその手をとってニコッと微笑むと、柊の手を胸に抱きしめてすっと顔を近づけた。

 柊は手を包むぬくもりに気をとられながら目を閉じる。

 すると、今度は額に可愛らしい口づけが降ってきた。

 すっと額から千尋が離れる気配がしても柊は目を開かなかった。

 赤くなっているのかそれとも微笑んでいるのか。

 千尋の表情を目にするのもいいが、今はこのまま静かに目を閉じていたかった。

 自分の手を優しく握ってくれる恋人の膝で、このまま静かに午睡を楽しむのも悪くない。

 柊はそう思いながら目を開かず、ただ主であり、恋人でもある人のぬくもりを楽しんだ。








管理人のひとりごと

柊で糖度の限界に挑戦!みたいな!(マテ
ちょっと頑張った(’’)
ああ見えて柊はあまり押さない気がするのですよ。
どちらかと言うと色々してもらえるように誘導する人かなと(w
策士だから♪
で、誘導したら予想以上に押せ押せな千尋にどぎまぎしてればいいなと思います(’’)








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