約束
 柊はその口元にうっすらと笑みさえ浮かべて悠々と廊下を歩いている。

 しかも、王である千尋が政務を行っているであろう部屋へ向かって。

 こんなふうにどうどうと柊が宮の中を歩くこと自体が珍しくて、行き過ぎる官人達は目を丸くして柊を見送った。

 事情があったとはいえ中つ国を一度は裏切った柊は官人達の目がうるさいせいか、あまり宮の中をどうどうと歩いたりはしない。

 王の想い人であることは周知の事実なのだが、王の部屋へ顔を出すことすらしない。

 それが常識のようになっていたから、宮の中を千尋のいる部屋目指して悠然と歩く柊の姿は官人達の目を引いた。

 いつもは目にしないので気にならないだけで、そもそも長身で片目を眼帯で隠している柊の容姿は異様に目立つ。

 癖のある長い髪も、端整な容姿も全体的に目立つのだ。

 だから柊は官人達の驚いたような不愉快なような複雑な視線を一身に浴びながら歩いていた。

 というのも、会いたいと思うなら会いに来てほしいと愛しい人に言われて、そうすると約束してしまったから。

 つまり、会いたいと思ったのでこうして会いに行こうとしているというわけだ。

 軍師という役目を与えられている柊は情報網もたくさん持っていて、今、千尋がどこで何をしているかはお見通し。

 王佐である風早を伴って、自分の部屋にこもり、政務をこなしているはずだった。

 今日は道臣から内政についての報告を聞いた後のはずで、だとすれば各地で起こっている小さな問題にどう対処するかで頭を抱えていることだろう。

 ならば、自分にも何か手伝えることもあるだろうと柊は思い立ってすぐにこうしてすぐに千尋の部屋を目指したというわけだ。

 何か物言いたげな官人達を完全に無視して、柊は宮の奥へと歩き続けた。

 最後に何か言いかけようとした官人を殺気さえ放つ極上の笑顔で牽制して、柊は千尋の部屋の前に立った。

 軽く扉を叩くとすぐに足音が聞こえて、扉が開いたと思うと穏やかな微笑を浮かべてのほほんとした顔が現れた。

「柊、どうしたんですか?」

「我が君の仕事をお手伝いしようかと。」

 出てきたのは王の補佐をしている風早だ。

 いつものように穏やかに微笑んでいる風早に答えて柊も微笑を浮かべて見せると、急に風早の背後からひょっこり千尋が顔を出した。

「柊!」

「我が君、陽の光をこの身に浴びたいと、そう願う想いが募りすぎて身を焼かれてもかまわぬとさえ思いつめた愚かな男が陽の光たる我が君のお慈悲を乞いに参りました。」

「ひ、柊っ!は、恥ずかしいこと言わないでっ!」

 顔を真っ赤にしてテレる千尋を見て楽しそうに微笑んだ風早は、自分の体をずらして柊を中へ入れると、すぐに自分は扉の向こうへと踏み出した。

「風早?」

「仕事が他にも詰まっていますから、俺はそっちを片付けてしまいます。柊、あとは頼みます。俺よりあとは柊の方が千尋の力になれると思いますから。」

「我が君のためとあらば、この身が朽ち果てるまで。」

「頼みます。」

 相変わらずの柊の物言いにもひるまずに、風早はニコニコと微笑んだまま去っていった。

 すると二人きりになった部屋の中はなんだかとても静かで…

 千尋は赤い顔でわたわたと茶器にとびついた。

「お、お茶いれるね!」

 慣れた手つきで千尋がお茶をいれるのを柊は目を丸くして眺めた。

 王である千尋がこれほど手際よくお茶をいれるとは思わなかったからだ。

「我が君。」

「何?」

「風早は茶の一つもいれぬのですか?」

「へ?……あ、ああ、これね。私はほら、向こうの世界にいる時は風早と那岐と3人で暮らしてたでしょう?みんな、なるべく自分のことは自分でできるようにっていう暗黙の了解があったから、私もお茶くらいいれられるの。お料理も少しならできるよ?」

「これは…。」

「意外?」

「いえ、我が君は私が思っているよりずっと魅力的でいらっしゃると。」

「ま、またそういうことを言う!恥ずかしいなぁ、もぅ。」

 千尋はそう言って赤くなりながらも手早くお茶を入れると器を一つ、柊へ差し出した。

 すると柊はそっと手袋を脱いだ手でそれを受け取った。

「有難うございます。」

「こちらこそ。手袋外す約束、覚えててくれたんだね。」

「当然です。我が君のお言葉は一つ残らず覚えております。」

「柊はもぅ、大げさなんだから。」

 口ではそういうものの、千尋は嬉しそうに顔を赤くして自分の分のお茶を口にした。

「それともう一つ、有難う。」

 再び千尋がそう言って微笑めば、柊が小首を傾げた。

 何に対して礼を言われているのかわからない。

「約束、守ってくれたから。」

「は?」

「あれ、私に会いたいから会いに来てくれたんだよね?」

 まさか違ったのかと千尋が顔色を青くすれば、柊はクスリと笑みを漏らした。

「いえ、おっしゃる通りです。我が君に先日、会いたいのなら会いたい時に会いにきても良いとお許しを頂きましたので参りました。ですが…。」

「ですが?」

「……。」

 口数が多くて、時にその口数で本心を隠してしまう柊なのに、今は言葉の続きを紡いではくれなくて千尋はなんだか心配になって柊の顔をのぞきこんだ。

 何か言いづらいことでもあるのだろうか?

「柊?」

 千尋が不安げな声で呼びかけてみれば、隻眼の恋人はその顔に苦笑を浮かべた。

「こうして共に過ごしてしまえば、去り難くなりました。」

「へ?」

「会いたければ会いにきたらいい。我が君はそう言って下さいましたが、私が我が君に会いたいと思わぬ時はございませんから。」

「ひ、柊っ!」

 また恥ずかしいことを言ってからかっているんだ。

 そう思って千尋がむくれて見せれば、柊はとても真剣な顔をしていて…

 千尋は思わず目を丸くした。

 すると柊は傍らにお茶の入った器を置くと、千尋の手からも器を取り上げてそのまま千尋を腕の中に閉じ込めてしまった。

「柊?どうしたの?」

 ギュッと抱きしめられて嬉しいやら心配やらで千尋が不安げな声をあげる。

 すると柊は少しだけ腕の力を緩めてくれて、千尋はやっと視線を上げた。

 そこには切なそうな目で自分を見下ろす柊の顔があって…

「この哀れな男にもうしばしこのままでいることをお許し頂けますか?」

「もちろん!私だって柊にこういうふうにしてもらうの嬉しいんだから…。」

「我が君…。」

 かすれた柊の声が頭上から降ってきて、千尋はまたギュッときつく抱きしめられた。

 なんだか今日の柊はいつもとずいぶん違ってる。

 そんなふうに思いながらも、千尋はだまって柊の胸にもたれた。

「我が君は会いたいのなら会いに来いとおっしゃいましたが、では、いつも会っていたいと思う私はどうすれば宜しいのでしょうか?」

「へ?えっと…その…。」

「それとも、我が君は私とずっと共にとは思って下さらないのでしょうか?」

「そんなことない!ないけど…その……いつも一緒だといつもドキドキして……。」

 腕の中でうなじまで赤くしてそういう千尋を見下ろして、その隻眼を細めた。

「我が君にそのように言って頂けるとは身に余る光栄。」

「柊はそんなこと言ってすぐにごまかすんだから…。」

「ごまかしてなど、これは本心です。」

 そう言ってやっと柊は千尋を解放すると、二人分の茶の器を持って政務が山積みになっている机へとそれを置いた。

「柊?」

「本日は官人達の目の前をどうどうと歩いて参りましたので、政務のお手伝いを。」

「あ、ああ、そっか、柊はお仕事をしにきたんだもんね。」

 千尋はそう言って寂しそうに笑うと机の前に立った。

 そのまま座ろうとしない千尋に今度は柊が小首を傾げる。

「我が君?お疲れでしょうか?」

「ううん。柊はお仕事しにきたんだなぁと思って。」

「……。」

「ごめんね、ちょっと寂しくなっちゃっただけ。」

 そう言って千尋が悲しそうに微笑を浮かべれば、柊は素早く千尋を抱きしめた。

「仕事をしにきたわけではございません。我が君にお会いするために参りましたが…建前上、仕事はしておかねば。口うるさい官人どもを私が懲らしめるのはたやすいことですが、よからぬ風評で我が君を汚されるのは我慢がなりませんので。」

「柊…。」

 そういうことかと安心して、千尋が視線を上げて今度こそ幸せそうな微笑を浮かべれば、今度は柊の顔がぐっと近づいてあっという間に口づけられた。

「きゅ、急に……。」

「お叱りはいかようにも。」

「叱らないってば!」

 千尋はそう言って柊の腕から逃れると、椅子に座って竹簡を手に取った。

 そう、柊がやってくるまでは風早に手伝ってもらって政務をこなしている最中だったのだ。

 千尋が竹簡を取ってそれとにらめっこを始めれば、柊は机を挟んで向かい側にある椅子に座って正面から政務をこなす千尋を見つめた。

「うらやましいですね。」

「何が?」

 急に聞こえた柊のつぶやきに千尋は小首を傾げる。

 見れば柊は頬杖突いて静かに自分を見つめていて…

「風早が、です。」

「どうして?」

「先ほどまではここに風早が座っていたのでしょう?こうして我が君を眺めていたとは羨ましい限り。」

「風早はそんなふうに眺めてなんかいないから!ちゃんと手伝ってくれてるんだから!」

 千尋がそう抗議すると柊はクスッと笑みを漏らして、手近にあった竹簡を手に取った。

 どうやら本気で手伝ってくれるつもりらしいと察して千尋は満足げな笑みを浮かべると、次々と竹簡を開いていく柊を眺めた。

 柔らかそうな髪がかすかに揺れてとても綺麗だ。

 いつも余裕な柊も好きだけれど、真剣に頑張っている柊も好き。

 そんなことを考えて千尋が微笑んでいると、すっと柊の視線が自分の方へと向けられた。

「我が君はこれら全てを私に処理しろと仰せなのでしょうか?」

「ううん。真剣に頑張る柊もステキだなぁと思って。」

「我が君は策士でいらっしゃる。そのようにおっしゃられては働かずにはいられません。」

「ねぇ、柊。」

「なんでしょうか?」

「私も頑張るから、頑張ったらご褒美おねだりしてもいい?」

「はぁ…ご褒美、ですか…。」

「うん、柊にしかおねだりできないもの。」

「我が君のお望みでしたらなんなりと。このような瑣末な命で宜しければ命も差し上げましょう。」

「い、命って!そんな簡単に差し出しちゃダメっ!」

「簡単になど、我が君にだけです。」

 囁くようにそんなことを言われて、千尋はあっという間に顔を真っ赤にした。

「命なんてそんな凄いことおねだりしたりしないから、私はただちょっと、お仕事をちゃんと終わらせたら…さっきみたいにキスしてくれたら嬉しいかなと思っただけで…。」

 最後の方はもう聞こえないくらい小さな声でそう言って千尋はうつむいた。

 すると柊はそんな千尋をいとおしそうに見つめて笑みをこぼした。

「キス、とはあちらの世界で口づけのことでしたね。承知致しました。」

「じゃ、じゃぁ頑張るっ!」

 真っ赤な顔でそう言って気合を入れた千尋は、竹簡を再び手に取った。

 物凄いペースで仕事をこなし始める千尋を眺めて微笑んで、柊も竹簡を開く。

 これからしばらくはただ物音だけが響く静かな時間。

 そしてその後は…

 二人は仕事を終えた後の幸せな一時に思いを馳せながら、黙々と仕事を片付けるのだった。








管理人のひとりごと

まだまだぎこちない二人(’’)
そして意外と本気な柊でした(マテ
やっと千尋ちゃんの部屋までやってくることができるようになった柊。
もうちょっと柊は押してくかと思いましたが、一度裏切ったという性質上、そうもいかない感じが(’’)
いや、書いてるのは管理人なんですが、自然に自然にって書くと思ったように進まなかったり…
でもね、部屋で二人っきりができるようになりましたから、ここからは柊さんの計算しだいでしょ(w
と、思う管理人でした(’’)







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