振り返れば
 千尋は黙々と竹簡の山との格闘を続けている。

 その姿を自分の手を休めて見つめているのは柊だ。

 その隻眼には優しささえ宿っている。

 主を勝利へ導くためならば敵の命など虫けらのように奪ってきた冷徹な軍師からは想像もできない表情だ。

 こうして千尋の側で仕事の補佐をするのはいつものことになって、最初は渋い顔をしていた官人達ももう何も言わなくなった。

 それというのも柊の周りには風早だの忍人だの、果ては道臣だのとやたらと兄弟弟子の面倒を見たがる輩が多かったというのも幸いした。

 風早は千尋の側近であり、その影響力が千尋に及ぶと思われているから官人達もそう表立って逆らうことはできない。

 忍人にいたっては柊のことを普段から全く信用していないようなことを言っているのに、今回に限っては暗にではあるが柊の味方についた。

 普段敵に回っている鬼将軍が味方に回った影響はひどく大きかった。

 そしてとどめが道臣だ。

 道臣はとにかく文官からのウケがいい。

 真面目に仕事をするし、地味で目立とうとしない、しかも有能なのだから部下達から見れば文句の付け所がない。

 それどころか目標とする人物に挙げられるくらいだ。

 その道臣が柊と千尋の仲を歓迎したものだから、官人達は二人の仲を認めないまでもあからさまに反対することはなくなった。

 だから柊はこうして毎日千尋の前に座ることができる。

「柊?どうかした?」

 今まで一心に竹簡へ目を通していた千尋が目を上げた。

 その視線の先にはもちろん柊がいる。

 正面からまっすぐに見つめられて、柊はその口元を緩めた。

「我が君があまりにも懸命に政務に励んでおいでのお姿がお美しく、つい見惚れておりました。」

「また柊はそういうことを言ってごまかす…。」

「我が君に対してごまかすなど…」

「ごまかした。柊がそうやって言葉を大げさに飾る時は必ず何かを隠したりごまかしたりしてる時だもん。」

 千尋の碧い瞳が翳った。

 悲しそうに。

 戦いの最中によく見た表情。

 多くの苦労の末に手に入れたこの未来で見せるにはふさわしくない表情だ。

 柊はそっと手を伸ばすと千尋の頬をさらりとなでた。

「柊っ!」

「ごまかしてなどおりませんよ、本当に。ただ…。」

「ただ?」

「こうして我が君と二人きり、一つの部屋で政務ができることを喜んでおりました。」

「そ、それは、柊も色々頑張ってくれたし…。」

「いえ、我が君のご人徳故です。」

 そう、官人達に信頼のあつい臣下を持っているのは千尋の人徳のおかげなのだ。

 そしてそんな家臣たちに柊もまた助けられている。

「私の人徳なんてそんなたいそうなもの持ってないよ。私はみんなに助けてもらってるだけ、柊だってその中の一人。だからあの苦しい戦いにだって勝つことができたの。最後に一番頼りになったのは柊なんだから。」

 そう言って自分を見つめる力強い碧の目。

 柊はその瞳に貫かれて苦笑した。

「ここでこうして過ごしている自分を私は想像したこともなかったので、少々不思議な気分です。」

「柊はこうして私と過ごすのはいや?」

「まさか。その逆です。」

 そう言ってどこか遠くを見る柊に千尋は小首を傾げた。

「我が君。」

「なに?」

「散歩へ参りませんか?」

「へ?今から?」

「はい。政務の方はちゃんと今日中に終わるように戻ってまいりますので。」

「いいけど…。」

「では早速。」

 そう言ったかと思うと柊はすぐに立ち上がり、うやうやしく千尋の手をとると部屋を出た。

 千尋はそんな柊に手を引かれて黙ってついていく。

 この恋人がこうして理解できない行動をとることは珍しくない。

「どこへ行くの?」

「どこへともなく、我が君が私に与えて下さった定められてはいない世界を見て回ろうかと。」

「私が与えたんじゃないよ、みんなでつかんだの!」

 そう言って自分をきりりと見つめる千尋に苦笑しながら柊は宮を出た。

 外は綺麗に晴れて気持ちがいい。

「こんな世界は柊が見ていた未来にはありえなかった?」

 手をつないで歩きながらの問い。

 柊がはっと隣を見ると、千尋は空を仰ぎ見て微笑んでいた。

「私が我が君とこうして並んで歩く平和な世は…。」

「でもこうして歩いてる。」

 千尋は満足そうに柊に微笑んで見せた。

「柊は昔からそうやって色々な未来を既定伝承で見てきたから、見ているもの以外のものがこの世にあるなんて思いもしなかったんだね。」

「そうなりますか。」

「私にとっては柊は何でも知っていて、いつだって私を助けてくれる凄い人だったけど、でも柊はそんな凄さのかわりに知らない世界をなくしてたのかもね。」

「……そう、かもしれません、我が君がそうおっしゃるのなら。」

「もう、柊はまたそんなこと言って。」

 柊がまた機嫌を損ねてしまったかと千尋の表情をうかがえば、千尋は少しだけ怒った顔を見せてからすぐに微笑んだ。

 コロコロとよく変わる表情は相変わらず柊の心を捉えて離さない。

「柊が知っている他の未来ってどんな感じ?」

「そうですね……例えば…我が君が常世の皇子のの妻になっている、と言うのはいかがです?」

「はい?」

「布都彦の妻と言うことも…。」

「ちょっ、待って!」

「何かお気にさわりましたか?」

「気にさわるっていうか…そんな未来想像もできないから…。」

「例えば、あったやもしれぬということです。」

「お、驚かさないで…。」

「ない未来ではなかったかと思いますが?」

「そう?」

「常世との関係を思えば常世の皇子と政略結婚はじゅうぶんにありえるかと。」

「うっ、それは…。」

「布都彦はそもそもあの羽張彦の弟ですし。」

「その言い方はちょっと…。」

「悪いといっているのではありません。」

 そう、姫に恋することが悪いことだなどと柊は一度も思ったことはない。

 羽張彦と一ノ姫の時だって…

「柊は?」

「は?」

「柊は誰か他の人と結婚するっていう未来があった?」

 こわごわといった様子で上目遣いにそう尋ねる千尋が愛らしくて、柊は思わず微笑んでしまった。

 ところが、それが千尋の機嫌を損ねたようで…

「き、気にしちゃいけない?」

 そう言って千尋は柊をきりりと睨みつける。

 顔が真っ赤になっているから迫力などありはしないのだが。

「いえ、ご安心下さい、私はどの未来においても必ず我が君のためにこの命を捧げる運命にございますから。」

「それもダメ!」

「これは…。」

 大声で叫んだ千尋に柊は苦笑する。

「柊が死んじゃうなんて…。」

「ですが我が君は何度でもお救い下さるのでしょう?」

「そうだけど、でもダメ。」

 まるで駄々っ子のように言う恋人が愛らしくて、柊はつないでいた手を自分の方へ引き寄せた。

 自然と千尋の体が柊の腕の中へおさまる。

「柊!外だから!」

「誰もおりませんよ。」

「そ、そういうことじゃなくて…。」

「どんな未来であっても他の女を選んでもダメ、死ぬのも許さぬとは我が君は本当に強欲でいらっしゃる。」

「ご、強欲って!」

「ですが、私は我が君の忠実なる下僕ゆえ、そのお望みを全てかなえて差し上げましょう。」

「柊…。」

 千尋が嬉しくなって柊の顔を見上げると、そこへすかさず口づけが降りてきた。

 まるで千尋が見上げることを前から知っていて構えていたかのように。

「柊!」

 唇が離れてすぐに千尋が睨みつけても柊がたじろぐ様子はない。

「忠実なる下僕に褒美は下さらないのですか?」

「ち、違うご褒美あげるから!」

「他のものなどいりません。」

 きっぱりそう言って柊は千尋を横抱きに抱き上げた。

 予想していなかった事態に千尋が思わず「キャ」と悲鳴をあげる。

「ちょっと柊?」

「そろそろ戻らねば政務が終わらなくなります。」

「え、もうそんな時間?」

「はい、我が君の望みは全てかなえて差し上げなくてはなりませんから。」

「だからって別に抱いて運んでもらわなくても…。」

「お嫌ですか?」

 耳元でそう囁かれて千尋は顔を赤くしながら首を小さく横に振った。

 つい最近まで人目を気にしていた柊なのに、ずいぶんと大胆になったものだと思いながら。

 どこか幸せそうな顔をしている隻眼の恋人の顔を見つめながら、千尋の顔にも笑みが浮かんだ。

 軍師としてだけではなくて恋人としても大胆な柊はいいかもしれない。

 そんなことを思いながら千尋は柊に抱かれたまま官人達に目を丸くされながら執務室へ戻るのだった。








管理人のひとりごと

他のキャラがだいぶ進展してるのに、管理人の中では2番人気の(笑)柊が進展してないわΣ( ̄ロ ̄lll)
ということで一本。
ちょっと進展した、気がしないこともない感じで(’’)
柊は色々なことを知っていて色々な未来を知っているから複雑そう。
でも千尋ちゃんは単純ですよというお話(笑)









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