花盛りの季節
 ヒュッと風を切る音が連続して当たりに響いている。

 小さく息を吐いて槍を構え直したのは布都彦だ。

 目は真剣そのもの。

 辺りに人気はなく、布都彦は槍の鍛錬に集中していた。

 国内はずいぶんと平和になってはきたものの、それでも賊が皆無というわけではない。

 常世との戦いだの荒御魂との戦いだのはなくなったにしても、敵はそれだけではないのだ。

 予想もできない強い敵、思いもしなかった理不尽な状況、そして国中を巻き込む大きな戦い、どんなものからも守りたいと思う人ができた。

 だからこそ、鍛錬を怠ることはできないのだ。

 兄は愛しい人と共に生きる未来を得ることができなかった。

 幼い頃は遠く先を行っている兄に憧れていた自分が、兄では手に入れることのできなかったものを手に入れたのだ。

 だからこそ、守り抜きたいと思う。

 その思いが布都彦を毎日の鍛錬へと向かわせた。

 周囲の人間はやりすぎだという者が多い。

 たとえば柊。

 彼は布都彦にとって尊敬すべき策士だが、柊に言わせると布都彦は頑張りすぎだという。

 風早などは鍛錬もいいけれどもう少し千尋をかまってやってほしいなどと悲しげに言ってくる。

 そんなふうに言われると布都彦の決意はさすがにゆらぐのだが、その大切な人のためだからとやはり毎日の鍛錬に励むことになる。

 ただ、忍人だけは鍛錬を続ける布都彦をとても評価していて、何かと指導してくれることも多かった。

 忍人の師である岩長姫でさえも布都彦は鍛錬に時を裂きすぎだと嘆くのだが、忍人はよく布都彦の鍛錬に付き合ってくれるのだ。

 信頼できる仲間と尊敬すべき先輩に囲まれて、布都彦は今の自分の状況をとても幸せだと感じている。

 もちろん、信頼できる仲間や先輩だけでなく、すぐ側に守りたいと願う大切な人がいてくれるというのも幸せの理由の一つだ。

 一心に槍を振り、それをおさめて、布都彦は汗を拭いながら頭上の陽を見上げた。

 まぶしく輝く陽はまるで自分の主でもあり、恋人でもある彼の人のような気がして布都彦の口元が自然とほころぶ。

「布都彦、終わった?」

「はっ?」

 鈴の鳴るような愛らしい声が聞こえて、布都彦は盛大に驚きながら声のする方を振り返った。

 するとそこには小首を傾げて立っている千尋の姿が…

 一瞬、布都彦は幻を見ているのかと己の目を疑った。

 今、陽を見上げて恋人のことを想っていたところだったから。

 でも、千尋の姿は幻などではなくて、ゆっくりと布都彦の方へ歩み寄った。

「陛下…御用でしたらお呼び頂ければ…。」

「ううん、用っていうか……会いたかったの。」

 ストレートに千尋がそういえば、あっという間に布都彦の頬が紅に染まる。

 戦いの中でお互いの想いを確かめ合って、こうして平和になりつつある自分達の国ではもうすっかり恋人同士と認められているけれど、それでもこんなふうに話をすることはそんなに多くない。

 今日も、千尋は王として政務に励んでいるはずで、恋人とはいっても布都彦も簡単に顔をあわせることなど普段はできないのだ。

「布都彦は槍の訓練してたみたいだから邪魔しちゃ悪いかなと思って見てたんだけど…終わった?」

「はい!いえ、槍の鍛錬など、陛下の御用が優先です。」

「だから、御用じゃないんだけど……。」

「はぁ…。」

 沈黙。

 まだ二人きりの甘い時間には慣れていなくて、布都彦は千尋を向かい合ったまま顔を赤くして立ち尽くしてしまった。

 見れば目の前の恋人もまったく同じ状態だ。

「あのね。」

「はい!」

 ようやく千尋が口を開いてくれたので布都彦が思わず大きな声をあげた。

 目の前にいる愛しい主のためならどんなことでもして差し上げたい、布都彦の思いはそれだけだ。

「散歩しない?」

「散歩、ですか?」

「うん、そう。布都彦と宮まで、だめ?」

「いえ、お供させて頂きます。」

 散歩となれば隣にあってこの尊い人を守るのも自分の役目と、布都彦は槍を片手に千尋の隣に並んだ。

 ここから宮まではそう遠くはないが、それでもどこから不穏な輩がこの美しい王を狙ってくるかわからない。

 布都彦の顔に緊張が浮かんだ。

「布都彦?」

「はい。」

「そんなに警戒しなくても、この辺は忍人さんが警備隊を組織してくれているし、大丈夫だよ?」

「ですが、陛下に万一のことがあってはいけませんので、この布都彦がしっかりと警護させて頂きます。」

「……。」

 気合を入れて布都彦がそう語れば、隣を歩く千尋は小さく溜め息をついて悲しそうだ。

 布都彦はその理由がわからずに顔色を青くした。

「へ、陛下?」

「それは、確かに陛下だけど…。」

「は?」

「ううん、いいの。行こう。」

 苦笑しながら歩みを速める千尋につられて布都彦も足を速めた。

 今日の千尋はどこかおかしい、それがわかっても口には出せなくて、布都彦はどうにも落ち着かない。

「ねぇ、あれ、見て、綺麗な花、あ、あそこにも。」

「はい。美しい花です。」

「花がたくさん咲く季節なんだね。」

「はい。陛下が散策されるにふさわしい季節です。」

「そうじゃなくて…。」

「は?」

「こんなふうに花がたくさん咲いて、それから鳥が楽しげに歌って、そういう季節に布都彦は生まれたんだなって。」

「……あ…。」

「もしかして忘れてたの?自分が生まれた日。」

「はい…今日、でした……。」

 驚いてから自分にあきれて小さな溜め息をつく布都彦に、千尋はクスッと笑みを漏らした。

「私は知ってたよ。道臣さんが教えてくれたの。それでね、プレゼントってえっと、贈り物があるの。」

「は?」

「だから、私から布都彦に贈り物があるの。あまり上手じゃないけど受け取ってくれる?」

「そ、そのような…陛下から賜りものなど…。」

「だから、賜りものじゃなくて、布都彦が生まれた日をお祝いしたいの。」

 そういいながら、千尋は布都彦の手を引いて宮の中へ入ると、官人達に笑顔で見送られながら自分の部屋へと駆け込んだ。

 もちろん、手を引かれている布都彦も転がり込むように千尋の部屋へ足を踏み入れる。

 布都彦がめったに訪れることのない恋人の部屋に緊張して汗さえかいていると、千尋は部屋の片隅から琴を持ってきて座った。

「陛下?」

「布都彦の方が絶対物凄くじょうずなんだけど、どうしても贈りたい曲があって、風早に教えてもらって覚えたの。あまり上手じゃないけど、私から布都彦への贈り物。聞いてくれる?」

「は、はい!喜んで!」

 布都彦が目を輝かせてそう答えると、千尋は嬉しそうに微笑んで、それから一つ深呼吸をして弦に指を置いた。

 たどたどしくその指が弦を弾くと、綺麗な音が部屋の中を満たす。

 布都彦の耳には聞きなれないその曲は、なんだかヒラヒラとしていて、優しくも激しくて…

 千尋の細い指が奏でるたどたどしい音はなんとも愛らしくて…

 ただ布都彦はつかえながらも千尋が一曲引き終えるまで、その琴の音色に聞き入っていた。

「はぁ、やっぱり間違えちゃった。ごめんね。」

「いえ、とてもお上手でした。」

 一曲終えた千尋はとても残念そうにしているが、布都彦にとってはこれは何よりの贈り物だった。

 何よりも、自分のほかにこの音色を耳にした者はいないのだ。

 こんなにも嬉しいことはない。

「これね、私がいた向こうの世界で『さくらさくら』っていう曲なの。春にパッと満開に咲いて、美しく散って、その後は青々とした葉が茂る綺麗な花の木の名前がついてる曲。」

「そうでしたか、とても美しい曲でした。」

「ちゃんと綺麗な曲だって伝わったのならいいんだけど。」

「もちろん、ちゃんと伝わりました。風に散る花が見えるようでした。有難うございます。今日のこの日は一生忘れられない日となりました。」

「大げさだよ、布都彦は…これから毎年何か一曲覚えて布都彦に贈るんだから。」

 真っ赤な顔で千尋がそうさらりと宣言してくれたので、布都彦はそれこそもう舞い上がりそうなほど幸せだ。

 だからこそ、つい、言ってしまったのだ。

「是非、何かお礼を差し上げたく。陛下には何かお望みのものはございませんか?私などではたいした物は用意できませんが…。」

 そう、どうしてもお礼がしたい、そう思った。

 ところが、千尋が望んだのは綺麗な玉でも衣装でもなんでもなくて…

 それは布都彦が予想だにしないものだった。

「布都彦に用意できるものならなんでもおねだりしていい?」

「はい、もちろんです!」

「そ、それじゃぁ……お、思い切って…。」

「はい!」

「名前を呼んで、それから…口づけ、してくれる?」

「……。」

 一瞬、布都彦の頭の中が真っ白になった。

 それは布都彦としても願ってもないおねだりではあるのだが…

「よ、宜しいのでしょうか…その…。」

「ダメ?」

 潤む瞳で悲しげに見上げられて、布都彦は息を呑んだ。

 この人に涙を流させないためならばどんなことでもする!

 胸の内でそうかたく決意して、布都彦は槍を置いた。

 そしてそのまま千尋を抱き寄せて耳元に唇を寄せると、そっとその名を囁いた。

「千尋…。」

 それだけで千尋はもう首まで真っ赤になっていたけれど、布都彦はそれにはかまわずにすぐ千尋に口づけた。

 これが初めてではないけれど、千尋に望まれて口づけることなど今までにはないことで、布都彦はなんとも言えず幸福な思いに包まれながらゆっくりと唇を離した。

 すると目の前には幸せそうに微笑む千尋の笑顔が。

「有難う、とっても嬉しい。」

「いえ、私の方がずっと…。」

 そう言って布都彦も顔を赤くすると、千尋はぎゅっと布都彦に抱きついた。

「へ、陛下?」

「千尋だよ。」

「はい…。」

 幸せそうに自分の首に抱きつく愛しい人はどうやらしばらく解放してはくれないようだ。

 布都彦はそう悟ると、恋人の細い体を優しく抱きしめた。

 自分が生まれた日の贈り物はこうして今、腕の中にある。

 この人がここに在ることこそが自分の幸福だと思えば、布都彦の腕にはかすかに力が込められて…

 千尋はそんな布都彦の腕の感触にうっとりと目を閉じた。








管理人のひとりごと

長い…(マテ
久々に布都彦書いたら若干長くなりました(’’)
本当はただ千尋ちゃんから琴の音色をプレゼントって話だったんですが…
今年も桜の時期が少し早く、そろそろ咲いているところもあるとかで花の話が割り込んだ(マテ
ふっくん、お花がたくさん咲く季節に生まれたんだねぇとか思ってしまったのですよ(’’)
まぁ、布都彦にとってもっとも綺麗なお花は千尋ちゃんでしょうが(w
何はともあれ、布都彦君、お誕生日おめでとうです(^^)









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