
布都彦の一日は仕事と鍛錬に追われて終了するのが常だ。
もちろん、道臣について文官としての仕事を学ぶこともないことはない。
けれど、そのたびにやはり武官が向いていると道臣に苦笑されるので、ここのところは鍛錬に明け暮れていた。
忍人についていれば武術はいつでも教えてもらえたし、兵の訓練に付き合うことも多かった。
女王になった千尋の住まいを警護するのも仕事の一環で、布都彦にも当番が回ってくる。
今日はといえば朝から兵士達の訓練に付き合い、午後は自分の鍛錬のために時間を空けて槍を振るっていた。
布都彦は一人で鍛錬をするのが好きだ。
誰かと一緒だとどうしても落ち着かないし、ゆっくりと自分の槍の使い方を分析するには一人で確認する方が都合がいい。
だから、今日も一人でゆっくりと槍をふるっていた。
冬の寒さが去って春の暖かさが辺りを満たしていたから、少し槍をふるっただけでも布都彦の額には汗が浮かんでいた。
その汗を額でぬぐったその時、布都彦は自分の耳がこの場所では聞きなれない音をとらえたことに気付いた。
ここはといえば布都彦がよく鍛錬に使っている場所なのだが、人が通りかかることは稀で集中するにはもってこいだ。
その場所に綺麗な琴の音が聞こえてきた。
布都彦は槍をおさめるとその音のする方へと歩き出した。
すると、いくらも行かないうちに琴を奏でている人の姿が見えて、布都彦は息を飲んだ。
懸命に琴を奏でていたのは金の髪を風に揺らした千尋だった。
日の光を浴びて輝く金の髪が眩しくて、布都彦は驚きながらも目を細めた。
一人、琴を奏でていた千尋は一曲を無事に弾き終えると、安堵の溜め息をついて視線を上げた。
そして布都彦と視線が合うと、その顔に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「聞こえたんだ、よかったぁ。」
「どうして…。」
布都彦はこんなところで千尋が一人で琴を弾いているのが何故なのか予想もつかなくて慌てた。
辺りを見回せば他に人影は見当たらなくて、本当に千尋が一人きりだったのだと気付いた。
今では女王という立場になっている千尋が一人でこんなところにいるだけでもありえないことだというのに、その千尋が琴を弾いているなんてもっとありえない。
千尋は驚いて立ち尽くす布都彦に微笑みかけながら自分の隣の地面をぽんぽんと叩いた。
「ここに座って。」
「はぁ…。」
まだ何が起こっているのかよく理解できていない布都彦は、恋人でもあり、それ以上に主でもある女性の命に従ってその隣に腰を下ろした。
腰を下ろしながらも槍だけはすぐ手に取れる傍らに置く。
誰も供がいないとなれば、万が一の時、この尊い恋人を守れるのは自分だけだと思えば、槍をいつもより近くに置くのは当然のことだった。
「まだね、一度もつかえないでちゃんと弾けるのは今の一曲だけなの。」
「はぁ…。」
「ちゃんと弾けてたでしょう?」
「は?…はい!それはもうお上手でした!」
突然の出来事に翻弄されていた布都彦は慌てた。
千尋の言う通り、練習する時間などさほど取れなかっただろうに、その琴の音は見事なものだった。
布都彦は隣の恋人の方へ身を乗り出すようにして誉めて、必死の思いで愛らしい恋人の小さな顔を見つめた。
「よかった。今日、どうしても布都彦のために弾きたくて練習したの。」
「私のためにわざわざ……。」
「うん、だって今日は布都彦が生まれた日だから。」
「あ……。」
布都彦はここで初めて今日という日が自分の生まれた日だったことを思い出した。
千尋は仲間達の生まれた日を祝うことを決して忘れない。
風早や忍人、柊も祝ってもらっていたはずだ。
それが今日は自分の番だったのかと初めて思い出して、自分よりもしっかりと覚えていてくれた恋人に感謝すべく頭を下げた。
「有り難うございます。」
「そんな、大げさだよ。夕飯は一緒に食べてね。ご馳走用意してるから。」
「はい、お気遣い、有り難うございます。」
再び頭を下げた布都彦に千尋は苦笑した。
こういう律儀なところはいつまでたっても変わらない。
「食事はね、他のみんなともするから…。」
「はい。」
それは良く知っている。
仲間達の生まれた日、千尋は一緒に食事をして何か小さな贈り物をすると聞いた。
だから、今日の夕食は布都彦が共にする番というわけだ。
「でね、贈り物も用意はしたんだけど、それじゃあみんなと一緒になっちゃって…。」
「光栄です。」
「じゃなくて!私としてはその…布都彦にはやっぱり特別なものを贈りたくて…。」
「そのようなお気遣いは無用です。陛下に祝って頂けるだけで…。」
「だからそうじゃなくて!」
「は?」
向きになる千尋に驚いて布都彦がよくよく隣の恋人を見てみれば、その顔はいつの間にか赤く染まっていた。
「ふ、布都彦にはこ、恋人らしい特別なものを贈りたくて……それで頑張ったの。」
「は……。」
赤い顔でそんなかわいらしいことを言われて、布都彦は一瞬目を大きく見開いた。
そして次の瞬間には千尋の顔の赤さが伝染したかのように顔を真っ赤にしてうつむいた。
「そ、それはその……有り難うございます。」
やっとそれだけ言って布都彦が口をつぐんでしまうと、二人の間には緊張した空気が漂った。
ここには二人きり。
他には誰もいない。
こんなふうに二人でいられることは少なくて、たまに二人きりになったことを意識してしまうと二人とも自然ではいられなかった。
このままじゃせっかくの誕生日が台無しになると焦ったのは千尋の方で、今まで弾いていた琴を傍らに置くと千尋はきりっとした表情で布都彦を見つめた。
「あのね!」
「は、はい。」
「お、贈り物も用意はしてるんだけど…今の琴も布都彦への贈り物なんだけど…。」
「はい!確かに頂きました!」
「それだけじゃなんというか……物足りないって言うか……。」
「そのようなことはありません!これほどまでにして祝って頂けるとは……。」
「私がね、その…納得いかないっていうか…ほら、生まれた日のお祝いって他のみんなにもしてることだし……。」
「陛下…。」
こんなにも恋人は自分のことを想ってくれていると思えば、布都彦は感動に目を輝かせた。
普段は忙しくてなかなかゆっくり会うこともできないだけに、たまにこんなふうに自分への想いを伝えてもらえると喜びはことのほかだ。
「だから、今日は特別っていう意味で!」
「は?」
何かを決意したらしい千尋に布都彦が小首を傾げた刹那、千尋の顔がぐっと近付いてきて布都彦の唇は一瞬、やわらっくて温かい感触でふさがれた。
すぐにその感触は離れてしまって、何をされたのかに布都彦が気付いた時には千尋が真っ赤な顔でうつむいていた。
今日は特別な日。
どうしても特別にお祝いがしたいから、特別なことを。
それが千尋の考えた精一杯。
布都彦は一つ深呼吸すると、目元を赤く染めて千尋の手をとると、その手を自分の方へと優しく引き寄せた。
体のバランスを崩した千尋がすぐに倒れこんできて、布都彦は小さな体をしっかり受け止めると、そのまま優しく抱きしめた。
「有り難うございます。今日は今まで生きてきた中で最も幸福な日です。」
「布都彦…。」
幸せそうに微笑む布都彦のその笑顔が嬉しくて、千尋は至近距離にある恋人の顔に自分の顔を赤くしながらも幸せそうに微笑んだ。
「千尋…。」
恋人の笑顔にうっとりと見惚れて布都彦は珍しく恋人の名を囁いた。
この時点で千尋の顔はこれ以上ないほど赤くなっていて、そんな千尋はなお愛らしくて…
布都彦は引き寄せられるように千尋に顔を寄せると、さっきは相手から贈ってもらった口づけを今度は自分から贈った。
愛しくてたまらない想いと感謝とが伝わるように。
そんな想いを乗せた長い長い口づけを、千尋は驚き、そしてやがてうっとりと静かに受け入れた。
管理人のひとりごと
慌てて書いた布都彦誕生日おめでとう短編でした!
いや、慌てた慌てた(^^;
個人的な締め切り終わって気付いたら布都彦誕生日なんだもの(’’)
間に合ってよかったです!
なにはともあれ、布都彦お誕生日おめでとう!
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