大切な時間
千尋は頬杖をついて、ふと自分が以前いた非常に便利な世界のことを思い出していた。

 あちらの世界ではとにかく夏も冬も快適に暮らせた。

 冷暖房がないこの世界は非常に暮らしにくい。

 もちろん他にも不便なことはいくらでもある。

 車のような乗り物がない。

 これも致命傷。

 せめて自転車でもあればと思うけれど、思ったところで今すぐ作れるはずもなく、結局は徒歩か馬での移動にならざるを得ない。

 そして携帯。

 携帯電話というものがどれほど便利だったかをこの世界にきて改めて思い知らされた。

 と、数え始めるときりがないのだけれど、今、千尋が切実に以前過ごしていたあの世界を恋しいと思うのは別の理由からだった。

 あの世界にはなんといっても、店があった。

 コンビニ、デパート、本屋、とにかく店にいけばたいていのものは手に入れることができた。

 だから、今のような状況に陥った場合、とりあえず店に行くという選択肢があった。

 問題はそう、この世界にはその店というものがないということ。

 もちろん、千尋の立場からすれば欲しいものがあれば欲しいといえば誰かが調達してくれるだろう。

 なんといっても千尋はこの国の皇の后という尊い身分なのだから。

 けれど、欲しいものが決まっていないとなると話は別だ。

 千尋は今、夫であるこの国の皇へのプレゼントについて悩んでいる最中だった。

 どうしてそんなことで悩んでいるのかといえば答えは簡単。

 明日がアシュヴィンの誕生日だから。

 その大切な誕生日が明日に迫った本日、千尋はまだプレゼントを決められずにいた。

 いや、決められないまでも候補はある。

 先日、おそらく千尋を除けば最もアシュヴィンと親しいであろう人、リブにどうしたらいいか相談したところ、大変わかりやすい明確な答えが返ってきた。

 そしてその答えは千尋もうめき声をあげるしかないくらい完璧なものだったのだ。

 アシュヴィンは千尋以上になんでも望みのものを手に入れられる立場にある。

 なんといってもこの国の皇なのだから当然だ。

 しかも、アシュヴィンには物欲というものがあまりないらしいということが最近になってわかった。

 幼い頃から王子として育てられてはいても苦労もしてきたアシュヴィンだけに自分にとって大切なものは何かということをよくわかっていた。

 つまり、本当に大切なもの以外はほしいと思わないということだ。

 そういう人に対して何を贈ったらいいかはとても難しい。

 デパートへ行ってウィンドウショッピングをしていれば見つかるという世界でもない。

 千尋は深い溜め息をついて、やっぱりリブの助言どおりにするしかないかと心を決めた。

 本当はもっとプレゼントらしいプレゼントを用意したかったけれどと思ってみてもしかたがない。

 アシュヴィンへの誕生日プレゼントを用意するため、少しばかり浮かない顔で千尋は自室を後にした。







 朝起きて妻の愛らしい寝顔を眺めていたら起きてしまって、アシュヴィンは朝から真っ赤な顔の愛らしい妻に説教をされた。

 照れて赤い顔で起こしてくれればいいのにと文句を言い募る妻の愛らしさに機嫌を良くして執務を開始してみれば、いくつかの竹簡に目を通したところで本日の執務は終了だとリブに告げられた。

 いぶかしんで目を細めると、リブは楽しそうな笑顔を見せて自室へ戻るようにとやんわり命じてきた。

 それでもアシュヴィンがまごついていると、とどめとばかりに千尋がアシュヴィンの部屋で待っていると告げられた。

 大事な妻を待たせているとなれば話は別だ。

 アシュヴィンは本当に今日の執務はおしまいなのだなとリブに念を押して、確かにそうだとリブが告げるのを確認してから執務室を後にした。

 そして自分の部屋へ戻る道々、アシュヴィンはそういえばとここ数日のことを思い起こした。

 何やら千尋はここ数日ずいぶんとそわそわしていた。

 しかも今朝、いつもなら照れるどころか自分の寝顔をじっと見つめているなんて趣味が悪いと怒りはじめそうなものなのに、今日に限って言葉少なにアシュヴィンを責めただけで黙り込んでいた。

 となれば、今日という日が特別な日であるという結論はアシュヴィンの頭で容易に導き出された。

 今日は何やら退屈しない一日になりそうだと口の端を引き上げてアシュヴィンが自室の扉を開けると、扉の向こうには普段とは少し雰囲気の違った千尋が座っていた。

「あ、アシュヴィン、終わったの?」

「ああ、リブに早々に追い出されたぞ。で、今日は何をして祝ってくれるんだ?」

「へ?」

「祝ってくれるのだろう?」

「祝うって、覚えてたの?」

「いや、忘れていた。だが、ここ数日お前は何やら落ち着かなかったし、やたらと俺の生まれた日がいつか聞いていただろう。で、今日は一日休みだと言われた。となれば、今日は俺の生まれた日で、お前はそれを祝ってくれるということだ。違うか?」

「……違わない。」

 何故か少しむくれた千尋はつまらなそうな顔で上目遣いにアシュヴィンを見つめた。

「どうしてそこでお前は機嫌を悪くする?」

「だって、アシュヴィンを驚かせようと思ってたから…。」

「驚きはしないが、喜んではいるぞ。」

「本当?」

「ああ。」

 答えてアシュヴィンは千尋の姿を頭の先から爪先までじっくり見つめた。

 金の髪に飾られた青い花の飾り。

 白い衣の胸にも髪に挿しているのと同じ花が飾られている。

「妻が美しく着飾って自分の生まれた日を祝って暮れるというのだ、嬉しいに決まっているだろう。」

「き、着飾ったって言うほどじゃないんだけど…。」

「いや、それで十分に美しい。」

 アシュヴィンが一気に顔を赤くした千尋に歩み寄って顔を近づけると、ハッと我に返った千尋がアシュヴィンの胸に手をつっぱった。

 今度はアシュヴィンの表情が一気に不機嫌そうに変わる。

「祝ってくれるのではないのか?」

「祝うけど…どうやって祝うと思ってたのかが気になる。」

「そんなもの、妻が夫を祝うのだ。決まっているだろう。」

「決まってない!」

 アシュヴィンが何をしようとしていたかだいたいの予想がついたらしい千尋は大声で叫んで立ち上がった。

「今日は一日アシュヴィンは休みなの。」

「知っている、リブにそう言われた。」

「それが、私からの贈り物。」

「ん?」

「ここのところアシュヴィンは働き詰めで全然休んでなかったでしょう?」

「そういわれてみれば、まぁ、そうだな。」

「だから、今日は一日休み。二人でゆっくり過ごそうと思って。」

「二人で、か。」

「そう。今日はずーっと一日私がアシュヴィンの世話をするの。」

「ほぅ、世話か。」

「一緒に食事をしたりお茶を飲んだり。あ、お茶もリブから淹れ方習ったから私が淹れてあげるから、飲みたかったら言ってね。あと、散歩したり、日向で膝枕で昼寝なんかもいいかなって思ってるんだけど。ほら、今日は天気がいいし。」

 楽しそうにこの一日の計画を話しながら千尋は窓の外へと視線を向けた。

 確かに今日は朝からよく晴れている。

 外は寒いだろうが、窓辺で陽射しを浴びながら昼寝は確かに気持ちがいいかもしれない。

 確かにそうなのだが…

 アシュヴィンは一つ溜め息をこぼすと、千尋が窓の向こうに気をとられている間にその小さな体をさっと抱き上げてしまった。

「きゃっ、アシュヴィン?」

「とりあえず散歩だ。」

「あ、うん…。」

「帰ってきてから茶を飲む。」

「ああ、喉渇くもんね。」

「その後は膝枕はいらんから添い寝しろ。」

「お茶であったまってから昼寝もいい……はい?」

「聞こえなかったか?添い寝しろと言ってるんだ。」

「そそそ、添い寝?!」

「大声で確認するようなことじゃないだろう。毎晩のように隣に寝ている。」

「そ、それとこれとは…ひ、昼寝なわけで…。」

「昼でも夜でもやることは同じだ。」

「お、同じって!アシュヴィン!」

「祝ってくれるのだろう?」

 耳元で囁かれてじっと顔をのぞきこまれて、千尋はあれやこれや言いたいことがあったはずなのにただうなずくしかできなかった。

 そう、今日は年に一度の大切な日。

 祝ってあげると決めていたことに違いはない。

 アシュヴィンが幸せに今日一日を過ごせるのならそれに越したことはない。

「よし、さっさと散歩を終えてこよう。」

 機嫌よく歩き出すアシュヴィンの腕の中で千尋は小さく溜め息をついた。

 できる抵抗といったら散歩をなるべく長くするくらいのものだろう。

 ちらりと盗み見ればそこには上機嫌のアシュヴィンの笑顔。

 こんなふうに幸せそうな顔を見せられたら抵抗なんてできるはずもない。

 千尋は上機嫌なアシュヴィンの首にそっと抱きついてやっと目を見開いて驚くアシュヴィンの顔を見ることに成功した。








管理人のひとりごと

そして千尋ちゃんはおいしく頂かれました(’’)(マテ
ここは夫婦だからね。
千尋ちゃんとしてはアシュヴィンに大事な休息時間を作ってあげたつもりだったんですが…
んなもの殿下には通用しません!
都合いいように解釈するに決まってるじゃない♪
ということで、アシュヴィン、お誕生日おめでとうでした(^^)









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