そぞろ雨
 千尋はともされた弱々しい明かり一つを前に溜め息をついた。

 窓の外を見ればもうすっかり日は暮れていて、真っ暗な中にザーザーと音が聞こえる。

 夕方から降り始めた雨はすっかり雨足を強くしていて、地面に降り注ぐその音が部屋の中にいる千尋の耳にまで届いた。

 窓を閉めて早く寝なくてはいけないのはわかっているのだけれど、空っぽの大きな寝台を見るとそういう気にもなれない。

 夫のアシュヴィンは視察へ出た先でこの雨に降られたはずだった。

 だから、無理に雨に濡れて帰って来るよりは現地で一泊することを選んだはず。

 確か今日の視察先はけっこう遠くて、雨に濡れて帰るには距離がありすぎる。

 いつもいつも隣で眠っているというわけではないけれど、こんなふうに不安な夜に一番側にいてほしい人がいないというのは心細いものだった。

 アシュヴィンはよく千尋に黙って視察へ出てしまうから、気がついたらいないということもしばしばなのだけれど、こんなふうに不安を煽る天気の夜は必ず側にいてくれたからなおさらだ。

 千尋は小さく溜め息をつくと、机に頬杖をついた。

「風早に残ってもらえばよかったかなぁ。」

 今朝、アシュヴィンが出かけるとすぐに中つ国からの使者として風早が訪ねてきてくれた。

 アシュヴィンがたびたび姿を消すことを知っていて、千尋が寂しがってはいないかと心配してご機嫌伺いにきてくれたのだ。

 昼間は大丈夫と笑って帰ってもらったけれど、こんなふうに天気が悪くなって不安な夜を過ごすことになるのなら残って一晩泊まってもらえばよかった。

 そうすれば夜通し昔話でもして過ごせたのに。

 千尋がそんなことを考えていると、いきなり寝室のドアが開いた。

「妻が夜中に自分以外の男の名を呼んでいるというのはどうも気分の悪いものだな。」

「アシュヴィン!」

 後ろ手に扉を閉めて仏頂面で立っていたのはもちろんアシュヴィンその人だ。

 けれど、千尋がその名を大声で叫んだのは、いないと思っていた人の姿がそこにあったからというだけじゃない。

 上着はすっかり脱ぎ捨てて薄いシャツ一枚という出で立ちのアシュヴィンはその頭から爪の先までずぶ濡れだった。

 それはもちろん、ついさっきまで雨に打たれていたという証拠。

 千尋は慌てて布を取り出すとそれをアシュヴィンの頭へふわりとのせた。

「ずぶ濡れじゃない!」

「こんな時刻にこんな薄暗い部屋で他の男の名をつぶやいている妻を持っていては、安心して雨宿りもできないだろう。」

「そんなんじゃないってことくらいアシュヴィンにはわかってるでしょう?」

「わかっていても気分のいいものじゃない。どうせなら俺の名を呼んで涙の一つも浮かべていてくれ。」

「それはもっとずーーーっと前にやった後なの!」

 真っ赤な顔でそういった千尋はアシュヴィンの頭をガシガシと拭き始めた。

 するとあっという間に布がしっとりとアシュヴィンの髪から雨水を吸い取る。

「本当にずぶ濡れだね。」

「黒麒麟に無理をさせて雨の中を戻ったからな。」

「風邪ひいちゃうじゃない。」

「お前をこんな嵐の夜に一人寝などさせたくなかったんだ。」

「嵐っていうほどじゃ…。」

 そう言って千尋が窓の外をうかがえば、確かに雨足が更に強くなってきていて雨が建物の壁を激しくたたき始めていた。

「ここからまだ荒れそうだったからな、急いで戻った。」

「荒れそうならなおさら視察先でゆっくりした方がよかったじゃない。」

 小さな声で千尋がそう言っても説得力など全く無くて…

 アシュヴィンは自分の頭を拭い続ける千尋の両腕を優しくつかんだ。

「もういい。」

「でもちゃんと拭かないと。」

「拭くも何も……。」

 そう言って千尋の腕を解放したアシュヴィンは濡れているシャツを脱ぎ捨てた。

 重そうな音をたてて床へと放り投げられたそれを目で追って、千尋が顔を真っ赤にしながら視線を戻す。

「ちょっ、アシュヴィン!」

「そんなものを着ている方が風邪をひくだろう。」

「そ、そうだけど…き、着替え用意してもらうからちょっと待って!」

 真っ赤な顔で部屋を飛び出そうとする千尋の腕をつかまえて、アシュヴィンは溜め息をついた。

 せっかく雨の中を妻のために帰ってきたというのに、妻はというと自分の側から離れようというのだ。

「つれないことだな。」

「な、何言ってるの、本当に風邪ひいちゃうんだから!」

「だったら、先に窓を閉めてくれ。俺以外の誰かが窓の向こうからやってくるのを待っているんじゃないならな。」

「そんなことあるわけないでしょ!」

 千尋はくるりとアシュヴィンに背を向けるとスタスタと窓へ歩み寄ってパタンと窓を閉めた。

 すると雨音も風の音も遠くなって、部屋の中はすっかり静かになった。

「で、どうして風早だったんだ?」

「へ?何が?」

「さっき風早がどうのと言っていただろう?」

 急な質問に千尋は今まで怒っていたのも忘れてアシュヴィンをまじまじと見つめた。

 上半身裸で頭から布をかぶったアシュヴィンはなんだかとても艶やかで、千尋の頬が自然と赤く染まる。

「そ、それはね、アシュヴィンが出かけてすぐに風早がご機嫌伺いに来てくれたの。アシュヴィンが出かけてばかりで寂しいんじゃないかって。大丈夫だからって帰ってもらったんだけど、天気が悪くなってきたし心細いからやっぱり残って話し相手になってもらえばよかったかなって……。」

「こんな時間にか?」

「うん、向こうにいた時はよく眠れないときは風早が話し相手になってくれてたし…。」

 なにかおかしい?といわんばかりの千尋の様子に今度ばかりは深々とわかりやすい溜め息をついて、アシュヴィンは頭からかぶっていた布もさっき放り投げたシャツの上へと放り出した。

 ばさりと布が落ちるのと同時に千尋の視界が暗くなる。

「ちょっ、アシュヴィン!」

 気がつけばあっという間に千尋の体はアシュヴィンの腕の中に閉じ込められてしまっていて、千尋はその頭を優しく抱えられて動けない。

「忘れているようだから教えてやる。風早はあれで男だぞ。」

「女なわけないじゃない。」

「それがわかっているならこんな時間に二人で過ごすなどということは金輪際考えるな。」

 少しばかり怒っているようなアシュヴィンの声が頭上から降ってきて、千尋はゆっくりと視線を上げた。

 すると真剣に輝くアシュヴィンの力強い瞳がそこにあって……

「アシュヴィン、もしかして妬いてるの?」

「妬いている?違うな。」

「嘘、風早に妬いてるんでしょう?」

 楽しそうにそう尋ねてクスっと笑った千尋をギロリと見つめて、アシュヴィンはあっという間に千尋の唇を奪った。

 もがく千尋をきつく抱きしめて身動き一つさせない。

 やっとアシュヴィンがその唇を解放した時には千尋は涙目になっていた。

「な、泣かなくてもいいだろう。」

「だって、アシュヴィンが急に…。」

「妻に口づけて何が悪い。」

「だって…なんか怒ってるみたいだったし…。」

「お前が風早に妬いているなどと言うからだ。」

「だって妬いてたじゃない…。」

「妬いてる?そんなもんじゃない。」

「へ?」

「風早にお前を取り返されてはたまらないからな。俺はあいつからお前を守るのに必死なんだぜ?それを嫉妬だなんて言葉で片付けられてはたまらん。」

「そ、そんなこと……。」

 言葉とは裏腹に意外と真剣な目を向けられて千尋は驚いた。

 まさかアシュヴィンがこんなことを考えていたなんて。

「か、風早はなんていうか…私にとってはお父さんというかお兄ちゃんというか…。」

「わかっている。」

「わかってるならそんなこと気にしなくたっていいじゃない。」

「わかっていないな。それでも気になるんだ、俺は本気だからな。」

「本気?」

「ああ。」

 ニコリと微笑んだアシュヴィンが綺麗で、千尋は思わずじっと見惚れてしまった。

 こんなふうに近くで真剣に想いを伝えてもらうことはそうはなくて、千尋の視線がアシュヴィンの顔に釘付けになる。

「そんなに見惚れるほど俺はいい男か?」

「アシュヴィンはいつだっていい男だけど、水も滴るいい男だからね、今は。」

「ほぅ、俺は濡れている方がいい男なのか、それはいいことを聞いた。」

「へ?」

「これからは妃殿の前に姿を現すときはいつも濡れていることにしよう。」

「それはダメ!風邪ひいちゃうから!」

「なに、それなら心配はいらん。」

 急にニヤリと笑ったアシュヴィンに千尋が驚いている間に、千尋の足はあっさりと床から離れた。

 アシュヴィンが千尋を横抱きに抱くと寝台へ向かって歩き出したのだ。

「アシュヴィン?」

「濡れていてもお前といれば風邪をひくことはありえないからな。」

「ちょっ、それ……。」

 ふわりと壊れ物のように優しく寝台の上に下ろされて、千尋は顔を真っ赤にしながらうつむいた。

「まったくお前はいつまでたっても。」

 あきれているようなそれでいて少し嬉しそうなアシュヴィンの声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、ちひろはまたアシュヴィンに軽く口づけられていた。

「まぁ、夜は長いからな、まずは俺の妃殿がどのような一日を過ごしていたかから話してもらおうか。」

 千尋の隣に足を放り出して座ったアシュヴィンは、千尋の肩を抱き寄せて微笑んだ。

 千尋はキョトンとして隣で上機嫌な夫の顔を見上げる。

「話?」

「なんだ、何を想像してた?」

「なっ…。」

 頭から湯気を上げそうなほど顔を赤くした千尋の頭を楽しそうにぽんぽんと撫でてアシュヴィンは楽しそうだ。

「わ、私はいつもと変わらないよ。アシュヴィンは?視察どうだったの?」

「そうだな、変わったことといえば、お前が隣にいなかったことくらいか。」

「そんなのいつもじゃない。」

「俺がいなくて寂しかった、くらいのことを言って欲しかったんだがな。」

「……寂しかったに決まってるじゃない。じゃなきゃこんな時間まで起きてたりしないんだから。」

 ムキになるか拗ねるのかするのかと思えば、小さな声でそんなふうにつぶやいた千尋はアシュヴィンの胸にそっと額を寄せてきた。

 これには一瞬驚いたアシュヴィンだったが、すぐにその顔に優しい笑みを浮かべて千尋の体を抱き寄せた。

「そうか、俺も寂しかった。」

 耳元でそう囁けば千尋がパッと愛らしい笑みを浮かべて顔を上げてくれた。

 愛らしい妻をしっかり抱きしめて、アシュヴィンは明日もまた忙しいだろうが明日の朝までは絶対にこの小さな体を離さない。

 そう一人心の中で誓っていた。








管理人のひとりごと

梅雨企画殿下バージョンでした♪
濡れてるのとか胸元はだけてるのとか似合うねぇ、殿下は(w
ついでにベッドも似合いますね(’’)
もう、殿下が着ているものの名称がよくわからなかったのでシャツ着ちゃってますけどその辺はスルーでお願いします(’’;;
殿下をどうしても脱がせたかったんです!(コラ
殿下が嫉妬する相手って風早父さん最適な気がしてどうしても出張ってきてますが、その辺は管理人の趣味ということで…
なんでか出ちゃうんです、父さん(’’)







ブラウザを閉じてお戻りください