皇子
 真剣な顔で、そして涙さえ浮かべそうな目で、千尋はアシュヴィンの前に立っていた。

 大事な話があるからとわざわざ何日も前から予定を入れて、千尋はアシュヴィンとの時間を作り出したのだ。

 アシュヴィンとしては愛しい妻と共に過ごす時間が増えるのだからそれに越したことはない。

 しかも、妻の方から時間を作ってほしいとずいぶんと前から言ってきたのだから、アシュヴィンは喜んで無理やり時間を作った。

 それも丸一日だ。

 ところが、愛妻と共に楽しく過ごそうと思っていたアシュヴィンは、部屋を訪れた千尋の顔を見て目を丸くすることになった。

 何しろ、これから戦にでも行くのかというほど真剣な顔で、しかも目にはうっすらと涙を浮かべているというアシュヴィンが予想だにしない顔で千尋は現れたのだ。

「アシュヴィン、今日は休みをとってくれてありがとう。」

「いや、それはいいが……どうした?何があった?」

 千尋のおかしな様子に慌ててアシュヴィンが問えば、千尋は真剣な眼差しでアシュヴィンを見上げた。

「あのね、何にしていいか全然思いつかなくて……。」

「何がだ?」

「アシュヴィン、今日、誕生日でしょう?」

「誕生日?……ああ、俺が生まれた日か。」

「そう、だから、何かお祝いに贈り物をしようと思ったんだけど、アシュヴィンはもともと皇子様だしなんでも持っているし、何を贈ったらいいか全然わからなくて何も用意できなかったの…だから……何がほしいか教えてくれる?」

「は?」

「頑張って用意するから、何がほしいか教えてほしいの、本当はこういうの本人に聞くのはあまりよくないとは思うんだけど…。」

 うっすら頬を赤くして、泣きそうな目でそう言われて、アシュヴィンは目を大きく見開いたまましばらく動けなくなってしまった。

 そんなことで泣きそうになるほど真剣に悩んでいるとは。

 時に、あの気丈な中つ国の姫とは思えないほど繊細でか細く見える千尋にひとしきり驚いてからアシュヴィンはふっと笑みを漏らした。

「アシュヴィン?」

「そんなことでお前がそれほど真剣に悩んでいるとはな。」

「そんなことじゃないよ。私にとっては大切なことだから。」

「嬉しいことを言ってくれる。」

 言うが早いかアシュヴィンは千尋をさっと腕の中に閉じ込める。

 今、自分がほしいものなど一つしかない。

「アシュヴィン、お願いだからほしいものを……。」

「俺が欲しがるものなど一つに決まっているだろう?」

「何がほしいの?」

「お前に決まっている。」

 アシュヴィンが千尋をぎゅっと抱きしめればいつもはなんだかんだと抵抗する千尋が今日は何やらやけにおとなしい。

 妻を抱いて浮かれていられるのならそれもいいのだが、アシュヴィンとしては何か物足りない。

 腕を解いて千尋の顔を覗いて見れば、千尋は真っ赤な顔でうつむいていた。

「どうした?」

「どうしたって……は、恥ずかしいから…。」

「珍しいな、お前が黙って俺にされるままとは。」

「だって、お誕生日だし、それにアシュヴィンのほしいものを贈ってあげたいし…。」

 ぼそぼそとそう言う千尋が愛らしくて、アシュヴィンはその口元をほころばせた。

「なら、今日は一日俺に付き合ってもらおう。」

 千尋が抵抗しないのをいいことにアシュヴィンはその小さな体を軽々と横抱きに抱き上げて歩き出した。

「ちょっ、アシュヴィン?」

「そう慌てるな、お前と一日ゆっくり過ごそうというだけだ。」

「あ、歩けるよ…。」

「俺が離したくない。」

 そう断言されてはもう千尋には抵抗なんかできなくて、そのまま窓辺へと運ばれてしまった。

 アシュヴィンは千尋を膝の上に乗せてその小さな体に腕を回すと、ギュッと抱き寄せた。

「あ、アシュヴィン、近い…。」

「俺のほしいものをくれるのだろう?」

 耳元で囁かれて千尋が首まで赤くなるのをアシュヴィンは満足気に見つめている。

 こんなふうにゆっくりと一日過ごすのは本当に久しぶりのことだ。

「それにしても、お前にしてはずいぶんと悩んだものだな。」

「だって、アシュヴィンは常世の皇子だからほしいものってなんでも持ってそうだし……。」

「そうでもないがな。」

「そうなの?」

「皇子など退屈だし、皇子であるばかりによけいなことにも巻き込まれて、皇子であることを喜んだことなどそうはないぞ。」

「そんなもの?」

「まぁ、最近になって皇子であってよかったと思うこともあったがな。」

 そう言ってアシュヴィンがクスッと笑えば、千尋が不思議そうな顔で振り返ってアシュヴィンを見つめた。

 小首を傾げているそんな仕草も愛らしくて、アシュヴィンの千尋を抱く腕にかすかに力が入る。

「皇子でよかったって思ったことって?」

「皇子であればこそ、手に入ったものもある。」

「皇子じゃなきゃ手に入らなかったものなの?」

「そうかもしれん。」

「アシュヴィンが手に入れられなかったかもしれないものなんてあんまり想像できないかも…。」

「ほぅ、お前にそう言われるとはな。」

「?」

 またなんだかわからないというように千尋が小首を傾げた。

 その様子がおかしくて、アシュヴィンは再び笑みをこぼした。

「常世の皇子であればこそ、俺は政略結婚という名目で惚れた女を有無を言わせず妻にできた。」

「へ?」

「皇子であればこそ、お前の意思とは関係なく、俺はお前を簡単に手に入れることができたといっているんだ。」

「……。」

 キョトン。

 千尋が目をパチパチと瞬きしながら固まった。

 今となっては夫婦としてそれなりに仲良く暮らしている二人だ。

 その始まりがどんなだったか、千尋はすっかり忘れていた。

 そう、実は千尋とアシュヴィンの結婚生活は政略結婚から始まったのだ。

 それをゆっくり思い出して、千尋は目を大きく見開いた。

「わ、私はそんな、アシュヴィンが皇子だったから結婚したわけじゃ……。」

「そうか?最初は中つ国と常世のための政略結婚だっただろう?」

「か、形はそうだけど…でも、私別に嫌じゃなかったしその……えっと……。」

「ほぅ、嫌じゃなかった、か。」

 アシュヴィンはニヤリと笑うと、不敵な視線で千尋を見つめた。

「前にも言ったでしょ?私はもともとアシュヴィンのことは好きだったし……。」

「それは何よりだ。」

「何が?」

「お前は俺に贈り物をしたかったのだろう?」

「へ、あ、うん。」

「その言葉は俺にとっては何よりの品だと言っている。」

「……。」

 はっと息を呑んで、それから顔を真っ赤にした千尋はくるりとアシュヴィンに背を向けてうつむいた。

 こんなことを言われてとてもではないがまっすぐ顔なんて見ていられない。

 ところがアシュヴィンは千尋が背を向けたのをいいことに、小さな千尋の体をギュッと抱きしめてその唇を千尋の耳元へ寄せた。

「今の言葉、俺は一生忘れんからな。二度と離してはやらん、覚悟しろ。」

「は、離してはやらんって……私だって離れるつもりなんかないから……。」

「ほぅ。」

「きゃっ。」

 嬉しそうなアシュヴィンの声が聞こえたかと思うと、千尋の体はすぐに抱き上げられていた。

 すっかり窓辺でゆっくり二人きりの時間を楽しむのだろうと思っていた千尋が驚いて声をあげるのもかまわずに、アシュヴィンは部屋の奥へと千尋を運ぶと敷物を敷いてある床の上に千尋を座らせた。

 何をするのかと小首を傾げた千尋の前にかがみこんでアシュヴィンは逃げる間を与えずに千尋に口づける。

 驚いて千尋が逃げようとしても背後は壁で、どうやっても逃れられないまま千尋は目を閉じた。

 突然のことに驚いただけで嫌なわけではない。

 だから、優しいアシュヴィンの口づけに千尋はうっとりと目を閉じたのだ。

 今日はアシュヴィンの誕生日でもあるのだし。

 千尋がそんなことを思っていると、いつもよりもたっぷり時間をかけて口づけたアシュヴィンがやっと唇を離してふっと微笑みながらその手で千尋の頬をなでた。

 それに気付いて千尋が目を開けると、そこには艶やかなアシュヴィンの笑顔が…

「アシュヴィン?」

「まったくお前は、わかってやっているのかいないのか。」

「何が?」

「そんなに色っぽい顔をすると、昼間から襲われるぞ。」

「い、色っぽい顔なんてしてない!」

 慌てて否定する千尋をアシュヴィンはさっとかき抱くと驚く千尋の唇を再び奪った。

 あっという間の出来事でもう抵抗もできない千尋を今度はすぐに解放すると、アシュヴィンの目に涙を浮かべている千尋の顔が飛び込んだ。

「おい、泣かなくてもいいだろ。」

「び、びっくりしたんだもん。」

「本当にお前は…。」

 そう言って苦笑して、アシュヴィンは千尋をまた膝の上に乗せて抱くと壁を背にくつろいだ。

「アシュヴィン?」

「色っぽく俺を誘ってみたり、そうやって儚げに拒んでみたり、まったく魔性だな。」

「だからっ!魔性なんかじゃないってばっ!」

「まぁ、そこも気に入っているんだがな。」

 そう言ってにっこり微笑まれて千尋はまた何もいえないまま顔を赤くした。

 こうしてくったくなく笑うアシュヴィンは本当に綺麗で魅力的で…

 そんな魅力に引きつけられて千尋は何もいえなくなってしまうのだ。

 だから、千尋は意を決して自分からアシュヴィンの額に口づけると、真っ赤な顔でアシュヴィンの首に抱きついた。

「アシュヴィン、大好き…。」

 アシュヴィンの耳元で千尋が囁くと、アシュヴィンは深い溜め息をつきながら千尋を抱きしめた。

「本当にお前は…。」

 それだけつぶやいてアシュヴィンは千尋を抱く腕に力を込める。

 こんな千尋と一日中一緒にいられるとは、幸せなのかつらいのかわかったものではない。

 そんなことを思いながらもアシュヴィンの顔には幸せそうな笑みが浮かんでいた。








管理人のひとりごと

ということでアシュヴィンお誕生日おめでとう短編でした♪
アシュヴィンに何をプレゼントしたら喜ぶんだろう?って考えた管理人、いや、殿下だからなんでも持ってるでしょって結論で(笑)
一番ほしいのはもちろん千尋ちゃんだろうしなぁと。
いうことで、千尋ちゃんをプレゼント♪(マテ
積極的な殿下が魔性の千尋ちゃんに翻弄される姿が管理人のお好みですのでこんな感じに(w
何はともあれ、殿下、お誕生日おめでとうでした(^^)









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